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異世界転移したけど森の奥で引きこもってます。スカウト? いやぁ、森から出る気はないので遠慮します  作者: 初音の歌
第八章

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第123話・昔話③


「異世界……? それはどういう……?」


 レジーナは、商人の口から零れた言葉を、すぐには飲み込めなかった。

 異なる世界。

 それは言葉としては理解できる。だが、理解できることと、実感として受け止められることは別だ。

 この世界において「異なる世界」といえば、普通は天界か魔界を指す。

 神々の座す遥かな天上。

 悪魔どもの潜む瘴気の底。

 あくまでそれらは、人の社会から遠く隔てられた場所という認識であって、歴史そのものが違い、文明そのものが違う「別の世界」ではない。

 だからこそ、レジーナは一瞬だけ言葉を失った。

 だが向かいに座る商人は、そんな彼女の沈黙を急かしもせず、いつもの胡散臭い笑みを貼りつけたまま穏やかな声で続ける。


「異世界……異なる世界……簡単に申し上げるとですね」


 幼子に昔話でも聞かせるような声音だった。


道程(みちのり)が違う世界ですよ、王女殿下」

「……」


 もったいぶった言い方。

 端的に言えば癪に障る口調。

 けれどレジーナは、そこで怒らない。

 怒るより先に、思考を走らせる。


 道程が違う世界。

 歩んできた道が違うということは、積み上げてきた文明が違うということ。

 社会の作り方が違う。

 技術の発想が違う。

 料理の組み立てが違う。

 日用品の質も、発明の方向性も、根本から異なる。


 世渡有羽。

 森の賢者。

 森奥に暮らす、どこから現れたとも知れぬ青年。


 王国の誰も知らぬ技術。

 奇妙に洗練され、だがこちらの常識からは逸脱した快適さ。

 料理も、道具も、発明も。

 ひとつひとつ異物めいていた。

 だがそれが()()()()()()()()だとすれば――。

 それらが、一瞬で線になる。

 レジーナの瞳が、わずかに細まった。


「――こことは全く違う文明社会を持った「世界」が、他にあるというのね?」

「…………」

「それも、人の足では到底辿り着けないような場所に」


 冷静に。

 だが断定的に。

 レジーナは結論を口にした。

 ほんの数秒で、異なる概念の芯を瞬時に掴み取った。


 その瞬間。

 商人の顔が、ほんの刹那――変わる。


「――――ほう?」


 その声音は低く、そしておそらくは――商人の()だった。

 目の奥に、一瞬だけ別の色が宿る。

 それは「感心」だ。

 明確な、純度の高い感心。


 それは到底、商人が王女に向けるものではない。

 何か、珍しいものを見つけた時のような――あるいは、計算外の何かを見つけたような、そんな目。


 だが、それは本当に一瞬の出来事。

 次の瞬間には、いつもの穏やかな笑みに戻っている。


「はい、その通りです王女殿下! いやぁ、流石ですね! その理解力、とても素晴らしい! 一商人として心から驚き尊敬いたします!」

「……どうでもいいわ、そんなことは」


 レジーナはばっさり切り捨てた。

 今の一瞬の違和感を、確かに捉えながら。


「それよりも……つまり賢者様は、本当に」

「ええ」


 商人は、今度はあっさり頷く。


「かの賢者は、別世界からの稀人。放浪者。漂流者。世界の迷い子――おそらく、二度と元の世界へ戻れぬ、哀れな迷い子です」


 その言葉を聞いて、レジーナは無意識に目を伏せた。

 思い出すのは、森で会った有羽の姿。

 教養のある者の言葉。平民とは思えない知識量。基本的に他者を信用していない顔。

 それなのに妙に世話焼きで――アウローラに対しては優しくて。


 そして――米の話になった時の、あの顔。

 あれほど露骨に、喉から手が出るような顔をしていた。

 喜びと悔しさと、どうしようもない執着を米に向けて。


(故郷の味を追い求めるわけね)


 レジーナは胸の奥に、苦い痛みを覚えた。


(本当に、二度と手に入らないものを……彼は欲しがっていた)


 顔には出さない。

 王族として、そういうものを不用意に表へ流す癖はない。

 だが内心では、ようやくいくつかのことが腑に落ちていた。


 森に引きこもる理由。

 他者を信用しない根本の拒絶。

 突然、この世界へ放り込まれた。

 二度と故郷へ帰れない。

 しかも、辿り着いた先があの魔境の森。


 誰に頼れるでもなく。

 誰が助けてくれるでもなく。

 そこから今まで生き延びてきたのだとしたら。


 有羽の根の深い警戒心も、アウローラに対してすら時折見せる不自然な距離感も、全部が一つの形に収まってしまう。


 レジーナはそれらを一度、胸の奥へ押し込めた。

 今ここで感情を優先するべきではない。

 顔を上げ、再び商人を見据える。


「――それで? 賢者様が異世界から来たのが何年前か……それは分かっているのかしら?」

「およそ八年前らしいです」


 商人は即答した。


「北の大地に座する光の神が、察知したようでして。何度も何度も、森の黒竜の様子を確認していた時に――ちょうど、その気配を掴んだようですね」

「黒竜の確認……」


 レジーナの眉が寄る。


「そういえば、光の神への信仰で黒竜が苦しんでいた、と言っていたわね。詳しい内容は分かるの?」

「いえ、それは流石に。所詮は神聖国側の主観ですので」


 商人は肩を竦めた。


「ただ……神聖国の中では、善行と信仰が黒竜を苛んでいた、と受け取られていたようです」

「随分と都合のいい解釈ね」

「信仰というのは、概ね都合のいいものですよ」


 さらりと返してから、商人は僅かに姿勢を正した。


「ですが、ここから先が大事な部分でしてね」

「……大事な部分」

「ええ。神聖国と森の賢者様。いえ、それだけではありません」


 胡散臭い笑みが、少しだけ深くなる。


「女帝、天蛇、そして黒竜も含めた――すべてが関係してくるところです」





 ◇◇◇





 光の神は見ていた。

 森の四方に置かれた番人たちを。


 東には、眠る天蛇。

 西には、佇む女帝。

 北には、うずくまる黒竜。

 南には、流れ着いた異邦人。


 どれもが異常であり、どれもが人の尺度では測れぬ力を持っていた。

 光の神は、その本質の全てを見通すことはできなかった。蛇が何を噛み、樹が何を抱え、竜が何を堪え、異邦人が何を繋いでいるのか――その根源までは掴めない。


 けれど、ひとつだけは分かった。

 あれらは皆、神々に並ぶ力を持つ。

 まるで、世界の継ぎ目に打ち込まれた楔のように。

 まるで、外へ出ようとする者を拒む門番のように。

 森の四方に座し、何かを守り、何かを塞ぎ、何かを世界から締め出している。


 北の民は、それを喜ばなかった。

 光の神もまた、喜ばなかった。

 なぜなら彼らは、外へ出たかったからだ。


 寒く厳しい北の大地。

 そこに生きる民は、長く長く、自分たちの世界が閉ざされていることを嘆いてきた。

 山は高く。

 森は深く。

 竜は恐ろしく。

 どこへ向かおうにも、世界は容易く道を開いてはくれない。


 しかも外には、広く、温かく、豊かな土地があると知ってしまった。

 そこに異端が生きていると知ってしまった。

 光の神の教えを知らぬ者たちが、ぬくぬくと大地の恵みを貪っていると知ってしまった。

 それが、我慢ならなかった。


 神聖国の民は、ますます祈った。

 光の神もまた、ますます番人達を敵視した。


 倒せ。

 番人達を倒せ。

 行く手を阻む、あの邪魔者どもを倒せ。


 まずは黒竜だ。

 光の神の教えは、ますます熱を帯びていった。

 国内で正義を執行した。

 国内で祈りを捧げた。

 光の神の教えに従い、何度も何度も勝利と栄光を掲げた。




 ――その最中、祈りの足らぬ者が死に絶えたが。

 ――まあ、些細なことだろう。




 騎士団の教育も増やした。

 戦いの術を、以前よりもっと多くに教えた。

 いずれ来る聖戦に備え、剣を握る時間が日常になった。

 外界に住む異端者どもへの憎しみを、糧に変えた。

 より強く。より硬く。より清く。

 次第に、戦える民が増えていった。




 ――その最中、戦いを拒む敗北主義者を斬ったが。

 ――これも、些細なことだろう。




 祈る時間が増えた。

 正義を掲げる回数が増えた。

 神の御名を唱える声が、北の大地を埋め尽くした。

 光の神は笑った。

 笑ってくれた。

 信徒たちの行いを見て、たいそう嬉しそうに。

 それだけで、民はますます信じた。

 我らは正しい。

 我らの道は間違っていない。

 あの黒き竜が苦しんでいるのこそ、その証なのだと。




 そして、ある日。

 森の黒竜が暴走を始めた。




 それは、今までのどの暴れ方とも違っていた。

 ただ咆哮するだけではない。

 ただ睨みつけるだけでもない。

 竜は森そのものを引き裂く勢いで暴れ回った。


 監視していた信徒たちが、踏み潰されて息絶えた。

 竜の周囲にいた魔物たちが、蟻のように潰れ、千切れ、血肉を散らした。

 樹が折れ、土が抉れ、森そのものが壊れかねぬほどに、黒竜は狂乱した。


 光の神は立ち上がった。

 北の国を守るために。

 民草を護るために。

 暴走する暴虐の竜から、自らの国を包み込むように光の壁を巡らせた。


 民は感謝した。

 ああ、神はやはり自分たちを見捨てないのだと。

 けれど――その次に起きたことは、誰も予想していなかった。




 暴走する竜の前に、他の番人が立ちはだかったのだ。




 東の蛇がいた。

 西の樹がいた。

 南の異邦人がいた。

 彼らは、暴走する黒竜と戦っていた。


 なぜ戦うのかは分からない。

 なぜ黒竜が狂ったのかも分からない。

 ただ確かなのは、人知の及ばぬ領域で、番人たちが黒竜を相手に戦っている事実だった。


 光の神は、その戦いを見た。

 蛇が大地を噛む。

 樹が森を丸ごと武器に変える。

 黒竜が世界を砕くように吠える。

 異邦人が見たこともない理でそれらに抗う。

 あまりにも壮絶で、あまりにも異質で、あまりにも人の理解を超えた戦い。

 そして、その光景を前にして。

 光の神は、民に語った。




 ――ちょうどいい。

 ――化け物同士、殺し合ってもらおう。




 それは良い考えだった。

 とても良い考えだった。


 森の楔がなくなれば、北の民は外へ出られる。

 外へ出れば、光の神の教えを世界中へ広められる。

 世界中へ行けるなら、異端はすべて根絶やしにできる。


 それは良い未来だった。

 とても良い未来だった。


 だから民もまた祈った。

 どうか、あの化け物どもが相討ちにならんことを。

 どうか、我らのために、邪魔な楔どもがまとめて滅びんことを。

 どうか、世界の道が開かれんことを。


 だが、その願いは果たされなかった。

 黒竜の暴走は止まった。

 正確には――番人たちが、止めてしまった。


 蛇も、樹も、異邦人も、生き残った。

 黒竜もまた、死ななかった。

 化け物どもは、望んだようには滅びなかったのだ。


 その戦いの果てに、異邦人へひとつの名が刻まれた。

 光の神は、その名を掴んだ。




 隠者――森奥隠者フォレスト・ハーミット




 黒竜との戦いを経て、その存在は世界に刻み込まれた。

 南の番人は、もはやただの異物ではなく、確かな名を持つ何かになった。


 光の神は残念に思った。

 信徒たちもまた、深く残念に思った。


 ああ、化け物たちが生き残ってしまった。

 折角の機会を、見過ごしてしまった。

 あの時、もっと上手くやれていれば。

 もっと巧く導けていれば。

 もっと確実に、共倒れへ追い込めていれば。





 だから――その日、誓ったのだ。

 次は、ちゃんとやろうと。

 次は、上手く化け物を殺そうと。


 国のために。

 光の神のために。

 あの邪魔な四匹を、今度こそ上手く共倒れにさせようと。





 ◇◇◇





「……というのが、神聖国側に残っている伝承の流れです。実に独善的で、実に救いがないでしょう?」


 語り終えて、商人は小さく肩をすくめた。

 それきり、馬車の中に沈黙が落ちる。


 車輪が石を噛む音だけが、規則正しく響いていた。

 窓の外の街道は、驚くほど平穏だった。林が静かに流れていく。魔物の気配も、野盗の伏兵もない。護衛の馬の蹄も、一定の間隔で穏やかに続いている。


 だというのに、馬車の中の空気だけがひどく悪かった。

 重い、では足りない。

 濁っている、でも違う。

 冷えた泥を胸の奥へ流し込まれたような、嫌な醜悪さ。

 その最悪の沈黙を、最初に破ったのはラディウスだった。


「……伝承、というよりは、悪意の記録だね」


 聖騎士の声は静か。

 だがそこには、聖騎士らしい清廉さよりも一人の為政者としての嫌悪が滲んでいた。

 商人は、笑みを貼りつけたまま頷く。


「ええ。そうとも言えます。もっとも、あちらにとっては立派な正義の歴史なのでしょうけれど」

「それで済ませるには、少し規模が大きすぎるわね」


 驚くほど静かなレジーナの声音だった。

 だが、その静けさの底にある温度の低さを、誰もが感じ取る。

 商人は、ほんの少しだけ目を細めた。


「王女殿下は、怒るのですね」

「当たり前でしょう」


 即答だった。

 レジーナは背もたれに寄りかかるでもなく、まっすぐ前を見たまま続ける。


「国の政治は綺麗ごとではないわ。敵の同士討ちを狙えるなら、狙うこと自体は常道よ。そこを否定するつもりはない。権力も外交も、そんなに上品なものじゃないもの」

「ええ。その通りだと思いますよ」

「でも、ね」


 そこで一度、言葉を切った。

 その瞳には、明確な嫌悪があった。

 理ではない。感情だけでもない。王族として、政治を知る者として、それでもなお看過できない「悪」に対する嫌悪感。


「神聖国のやり口は、あまりに卑劣よ。そして許しがたいわ。連中は信仰に酔っている。正義に酔っている。光の神に酔いしれている」

 

 レジーナの声は静かなままだった。

 静かなまま、言葉だけが鋭く冷えていく。


「自分たちの行いを客観視していないのよ。綺麗な「正義」という言葉を免罪符に、他者の不幸を願い、他国の平穏を簒奪しようとしている」

「……」


 ニクスは腕を組んだまま、何も言わなかった。

 だがその顔は、神聖国という単語が出るたびに少しずつ固くなる。

 レジーナはさらに続ける。


「かつての帝国の方が、何倍もマシだわ」


 その一言に、ラディウスが僅かに目を上げた。

 商人も、口を挟まない。


「帝王ウィルトスは銃の力に酔った。侵略もした。多くの命を奪った。それは事実よ。でも、あの男は自ら前線へ出た。自らの選択の責を背負い、自分も血を浴びる側に立った。王としての矜持まで捨てたわけじゃない」

「……」

「けれど神聖国は違う。あれは帝国以下よ。……いえ、同じ秤に乗せることすら汚らわしい」


 馬車の中に、また短い沈黙が落ちた。

 外では風が草を撫でている。

 世界は静かだ。

 その静かさが、かえって今語られている内容の歪さを浮き上がらせる。


「私個人の感情だけではないわ」


 レジーナはゆっくりと言った。


「古来より、そのような思想に囚われて権力を持ち、まともに成功した試しはないのよ。自分達だけが正しいと思い込み、異なるものを全て排除しようとする国家は、必ずどこかで歪む。神聖国の思惑は、この大陸にとって毒にしかならない」

「ええ。私も同意見です」


 商人は、今度は本当に素直に同意した。

 その素直さが逆に不気味だったが、少なくともこの話題に関してだけは、彼もまた心底そう思っているのが見受けられる。


 レジーナはふと、目を伏せた。


 有羽。

 樹神女帝。

 世界天蛇。

 黒竜大魔。


 神聖国にとって彼らは、ただ邪魔な門番でしかなかった。

 倒すべき障害。

 共倒れにすべき化け物。

 利用し、削り、最後には滅ぼして当然の相手。


 どれほど長い年月、その目で見られてきたのか。

 伝承にまで憎悪を書き足しながら、いつか訪れる「機会」を待ち続けてきたのか。

 考えれば考えるほど、背筋が冷える。


「……つまり神聖国は、昔から森の番人たちを敵視していたのね」

「ええ」


 商人は穏やかに頷く。


「彼らはいずれ訪れる「機会」を待っていた。信仰を積み上げ、兵を鍛え、民を染め、伝承に憎悪を書き足しながら」

「機会……」

「はい。黒竜の暴走も、そのひとつだったのでしょう。結果として上手くはいかなかった。だから次を待つ」


 レジーナはそこで顔を上げた。

 その瞳は、もう揺れていない。




「――その「次」が、今なのね?」




 商人は笑う。

 深く……どこまでも、嫌になるほど穏やかに。


「おそらくは」


 それだけだった。

 けれど、その一言で充分だった。


 神聖国の伝承。

 そこに刻まれた悪意。

 森の番人たちを「邪魔な化け物」と見なし、現在共倒れを願っている。


 その話は、まだ終わっていない。

 むしろ今ようやく、現在へと繋がり始めたのだ。


 そしてレジーナは、胸の奥で静かに理解する。

 これはもう、ただの国境問題ではない。

 ただの宗教国家の暴走でもない。

 もっと深いところで、ずっと昔から続いていたモノが、ようやく今の時代へ手を伸ばしてきたのだ。


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