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異世界転移したけど森の奥で引きこもってます。スカウト? いやぁ、森から出る気はないので遠慮します  作者: 初音の歌
第八章

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第119話・鼠捕り


 まずいことになった――と、老人はひとり、重苦しい沈黙の中で頭を抱えていた。


 部下は既に下がらせている。

 時刻はとうに昼を越え、窓の外では夕焼けが街を赤く染め始めていた。

 部屋にいるのは老人ただひとり。

 リュムノワールで長く信用と実績を積み上げてきた、古い商家の主人。

 そしてその正体は、闇ギルドの古株。


(街の空気が荒れ、冒険者どもが苛立ち、商人と役人の間に亀裂が生じる……そうなっていれば、問題はなかった)


 爪を噛む。

 長年、計算と我慢で生き延びてきた男らしからぬ仕草だった。

 だが、それだけ今回の展開が想定外であることの証明でもある。


 レジーナの対応は確かに速かった。

 不愉快なほどに、速かった。

 封鎖の判断も、資料の洗いも、噂が広がる前の押さえも見事だった。

 あの王女の即断のせいで、目指していた「最悪の結末」へ進む道筋はいくつも断たれた。


 だがそれでも、まだ許容範囲内ではあったのだ。

 封鎖による不満。

 物流の停滞。

 相場の揺れ。

 責任の押し付け合い。

 そうした小さな亀裂は、時間をかければ必ず大きく育つ。

 問題は、ひとりの旅商人。


(神鉄を持ち出し……黒幕を神聖国にする、だと?)


 老人は思わず舌打ちを噛み殺す。

 本来なら、そんな話は通らない。

 旅商人が大見得を切って、「神聖国の刺客が街を揺らしている」などと喚いたところで、普通は妄言として笑われて終わる。

 終わるはずだった。


 だが、神鉄を持ち出されては話が変わる。


 神鉄。

 ミスリルを優に超える、伝説級の鉱材。

 市場価格など成立しない。そんなものが本当に出た時点で、商人も、鍛冶師も、冒険者も、貴族も、軍も、全員が耳を傾ける。

 かの剣聖ハガネが所有する刀も、神鉄製だと噂されたほど。

 ならば神鉄は、すべての鍛冶師と、すべての冒険者にとって、憧れそのものだ。


(鍛冶の街だからこそ、ミスリルを芯に据えた。だが、その芯ごと神鉄で塗り潰された……!)


 思惑がひっくり返っていく。

 ミスリルを巡る不信が街を割り、王国と魔国の間に小さな罅が走るはずだった。

 だが今や、街の荒くれ者どもは逆。

 神鉄と言う極大の宝を目にして、聞き流す筈の言葉を聞き入れてしまった。

 そして神聖国という「共通の敵」へ意識を向け始めている。

 本来なら騒ぎを大きくする側の連中が、逆に刺客を探し回る刃になりかけているのだ。


(時間があれば、まだ……いや)


 老人は首を振る。

 もう遅い。

 時間こそが必要だったのに、レジーナの即断と、旅商人の理外の一手が、それを奪った。


 神鉄。

 黒幕は神聖国。

 冒険者総出。

 ここまで揃えば、もう簡単には止まらない。


(どうする。静観か。行動か)


 静観すれば怪しまれる。

 動けば藪蛇の可能性がある。

 神鉄が出た以上、この街の商人達は遅かれ早かれ全員動く。鍛冶師も、役人も、冒険者も動く。

 その中で、名うての商家である自分だけが屋敷に籠もっていては、あまりにも不自然だ。

 いっそ、事態の解決側へ回るか。

 自らも協力者の顔をして立ち回り、痕跡を全て焼き切り、平穏を取り戻す側に立つか。


(……っ、だがそれでは、何のために今まで……!)


 そこまで考えた時――廊下の向こうが騒がしくなった。

 誰かが止める声。

 それを無視して進む、規則正しい足音。

 甲冑が揺れる音。

 直後、扉が勢いよく開かれた。


「――ラディウス卿!?」


 老人は思わず声を上げた。

 そこに立っていたのは、南王国の聖騎士。

 レジーナの夫にして侯爵、勇者ラディウスその人だった。


「突然、何用ですかな? 先触れもない唐突の入室、あまりに無礼ではありませんか……?」


 老人は椅子から立ち上がり、怒気を抑えた声音で言う。

 あくまで、真っ当な商家の主として。

 突然踏み込まれたことに困惑し、不快感を示す程度に。

 ラディウスはそんな反応をまるで意に介さぬ顔で、貴公子然とした微笑を浮かべた。


「いや、すまない。既に多くの商人が動いている中、()()()()()()()()()()がいつまでも動かないもので、心配になりましてね」

「……心配、ですと?」

「ええ。もしかすると情報が行き届いていないのかと」


 いけしゃあしゃあと、そう言う。

 老人の胸に、歯痒いものが込み上げる。

 だがまだ平静は崩さない。


「いやはや、今回の件は私としても大変遺憾に思っておりますよ。ですが窮地こそ平静を保ち、慎重に動かねば――」

「――半日です」


 静かに、ラディウスが遮った。


「……は?」

「街全体に話が広がって、すでに半日。商人だけでなく、冒険者も、鍛冶師も、傭兵も、役人も、皆動いている。なにせ神鉄です。半日もただ屋敷に閉じこもる商人など、おりますまい?」


 その瞬間、老人の背中に冷たい汗が流れた。

 遅すぎた。

 考えすぎた。

 悩んでいる時間そのものが、すでに致命傷だったのだ。

 神鉄が出て、なお反応しない商人など、商才が無いどころか不自然ですらある。


(だが……まだだ)


 老人は必死に思考を立て直す。


(証拠などない。それどころか、聖騎士の行動こそ無法。いくらでも挽回は――)


 そこまで考えたところで……ラディウスが一枚の紙を取り出した。

 何の変哲もない紙。

 ただ、その中央に見慣れぬ紋章が描かれている。


 王国の紋ではない。

 魔国の印でもない。

 この街の住人が見れば「何だこれは?」と首を傾げるしかない紋章。




 けれど老人は――固まった。

 一瞬で。

 あまりにも自然に。

 あまりにも反射的に。




 そして次の瞬間。

 ラディウスはその紙を、()()()()()()()()()()()()


 びり、と。

 容赦なく破り捨てる。

 乾いた音が、部屋に響いた。




「貴様ぁぁぁぁぁああああああ!?」




 老人の喉から、獣めいた怒号が迸った。


 理性より早く、手が動く。

 胸の内で燃え上がった憎悪と殺意が、そのまま光の術式へ繋がる。

 放たれたのは、光属性の攻撃魔法。

 神聖国の信徒たちが「浄化」と呼び、異端と敵を焼くために用いる、鋭く殺意に満ちた光。

 老人の仮面は、その瞬間に剥がれ落ちていた。


 だが――。

 ラディウスは一歩も動かない。


 抜かれた聖剣を一閃。

 蒼宙海神サルマリエの剣。

 聖騎士のみが振るえる――潮審剣(ちょうしんけん)ティデ=ヴェルディクト。


 白く鋭い軌跡が走り、光の魔法は容易く打ち払われた。

 まるで、羽虫でも払うような自然さ。

 魔法の残滓が霧散する中、ラディウスは静かに問う。


「――どうしました?」


 声音は穏やかだった。

 だが目は、少しも笑っていない。


()()()()()()()()()()()()()()を破り捨てられて、なぜそこまで怒るのです?」


 老人の顔から血の気が引く。

 そう。

 今ラディウスが破り捨てたあの紙に描かれていた紋章は、神聖国にしか伝わっていないものだ。

 完璧な複製。

 細部まで一切の狂いなく描かれた、()()()()()()()()()()()()()()()


 あれを一目で、それも反射的に「冒涜」と認識し、激怒する人間は限られる。

 神聖国の者――それも、よほど深くその信仰に浸かった者だけ。

 ラディウスの剣先が、わずかに持ち上がる。


「古くから活動している神聖国の工作員」


 聖騎士の声は静かだった。

 静かに――諸悪の根源を裁く。


「……馬脚を現したな」

「貴様――!」


 老人の喉から絞り出された声は、もう善良な商人のものではなかった。

 それは、正体を暴かれた鼠の声。怒りの言葉。

 それも、ただの怒りではない。信仰を踏み躙られた者だけが抱く、理性を焼き切るような殺意だった。


(……あの商人の言うことは本当だった。一体何者なんだか……)


 ラディウスは一切油断せぬまま、内心で苦笑する。

 そして思い出していた。あの胡散臭い商人と、最愛の妻である王女レジーナとの会話を。





 ◇◇◇





 ――冒険者ギルドの個室には、妙な静けさが満ちていた。


 レジーナは、王族の威厳と優雅さを崩さぬ笑みを浮かべている。

 その向かいでは、商人がにこやかで穏やかな、それでいてどこまでも胡散臭い笑みを崩さない。

 互いに笑っているのに、少しも和やかではない。薄絹のような礼儀の下で、刃と刃が触れ合っているような空気。


 その横で、ニクスは辟易した顔で茶を飲んでいる。

 ラディウスは交渉そのものには口を挟まず、ただレジーナの隣で静かに控え、いつでも動けるように気配を張っていた。

 そして一番胃を痛めているのは間違いなくギルドマスターだったが、残念ながらこの部屋の誰一人として、その胃を労わる気はなさそうだった。


「さて」


 先に口を開いたのは、レジーナだった。

 柔らかい声音。だが、その一音だけで室内の空気が少し締まる。


「鼠退治に協力するのは良いわ。けど、それだけの大言を語る以上、何か考えがあるのよね? 本命の鼠を捕える為の、何か決定的なものが」


 微笑みを浮かべたまま、レジーナは目の前の商人を見た。


「それで? あなたの持っている手札は何かしら?」

「では、ひとつ」


 商人は嬉しそうな口調で言うと、懐から一枚の紙を取り出し、そっと卓の上へ置いた。

 紙質は上等だ。

 そこに刻まれている紋様は、単なる飾りではない。綿密で、精巧で、曲線のひとつひとつに意味がありそうな、祈りの記号めいた印。

 レジーナは目を細め、その紙を手に取った。


「……これは?」

「神聖国に伝わっている紋章です」


 商人は変わらぬ笑顔で答える。


「光輝神への祈り、感謝、そして信心深さを表現する印でして。精巧であればあるほど、神への信仰が深いとされているそうです」

「そう」


 レジーナは紙を傾け、光に透かすように見た。

 綿密だ。あまりにも綿密だった。単に噂で聞いた意匠を写しただけでは、こうはならない。何度も実物を見て、細部を理解した者でなければ描けない密度がある。


「それで――これが何だというの?」


 冷めた目でレジーナが問うと、商人は実に軽快に答えた。


「はい。これを今回の事件の黒幕の前で破り捨てれば、きっと怒り狂って攻撃を繰り出してくると思いまして」

「…………は?」

「何せ、闇ギルドの上層部は――神聖国の工作員でしょうから」


 一瞬、部屋の空気が止まった。

 レジーナは、流石に顎が外れそうになるのを自覚した。

 隣のラディウスも、珍しく目を見開いている。彼も驚愕を隠せていない。

 ギルドマスターに至っては天井を仰いでしまっていた。現実逃避である。

 平然としているのは、商人とニクスの二人だけだ。


「ちょっと待ちなさい」


 レジーナはようやく意識を取り戻した。


「あなたまさか、神聖国が黒幕だという話は、ただの煽りや大法螺ではないの?」

「ええ、そうですよ」


 商人は肩をすくめた。


「というかですね、王女殿下も同じ予想はついていたのでしょう? 今回の件、どこにも「得」が生まれず、「損」しか出てこないのですから」


 その一言に、レジーナは息を呑む。

 その通りだった。

 確かに彼女は、そこまで考えていた。

 魔国にも得はない。王国にも得はない。闇ギルドですら、街そのものを壊してしまえば旨味を吸えなくなる。

 ならば、損をばら撒くことそれ自体に意味がある勢力――神聖国。

 そこまでの線は、レジーナも既に掴みかけていた。


 ――だが。

 闇ギルドの上層にまで神聖国の工作員が食い込んでいるという発想までは、流石に届いていない。精々、構成員の一部に紛れている程度……それがレジーナの予想。


「調べていくうちに分かったんですよ」


 商人は、さらりと言う。


「闇ギルド内でも今回の件は割れている。反対している者もいる。にもかかわらず、発端は古株の上層部。ここまで来れば、内部に神聖国の工作員が混じっていると考えるのが自然でしょう」

「自然、ね……」


 レジーナは微笑みを崩さず呟いた。

 だが、その目は変わらず冷えている。


「ついでに言うのなら……この街が荒れれば、王国と魔国、両国におけるミスリルの供給が鈍ります。この街ひとつで全てのミスリルを賄っている訳ではないでしょうが――それでも、二国が共同で採掘し、加工し、流通させているここは、国の大きな導線であることに変わりはありません」


 その認識は正しい。

 リュムノワールは、ただの鉱山街ではない。

 王国と魔国のちょうど中間にあるからこそ、物流も、人も、情報も大きく動く。

 ミスリルだけではないのだ。


 鉱山周辺の魔物討伐。

 護送依頼。

 違法潜入者の捕縛。

 素材市場の相場安定。

 他国商人の信用照会。

 倉庫と税の調整。

 両国から依頼が飛ぶ対人護送。

 さらに言えば、魔導師まで動く。鉱脈周辺の魔力濃度測定、偽造封蝋の判定、輸送品への術式検査――。


 ひとつの街にしては、あまりに多くの流れが集中している。

 この街に亀裂が入れば、王国も魔国も、間違いなく流れが鈍っていく。


「闇ギルドの視点でも、この街を揺らすのは愚策です」


 商人の笑みは深いまま。


「では、その愚策を望む勢力は何か? ……消去法で北に行く訳ですよ。あの芋野郎どもは、自国の信仰以外は塵芥にしか見ていませんからね」

「無茶苦茶な」


 ギルドマスターが半眼になる前に、横からニクスが口を挟んだ。


「いや、だいたい合ってる。あの狂信者ども、馬鹿みたいに光の神を崇めてるからな」


 茶杯を置きながら、心底うんざりした顔で続ける。


「目の前でその紋章破れば、間違いなく怒り狂って暴れ出すぞ。我慢できるような奴は、国元離れてまで暗躍なんざしねぇ」

「……随分と言い切るのね」

「見てきたからな」


 その一言に、部屋の空気がわずかに変わった。

 レジーナはニクスを見た。

 白い髪。白い肌。白い服。世渡有羽に酷似した顔。

 そして神聖国の内情を「見てきた」と言う男。

 そこへ、商人が更に一枚の紙を卓に置いた。


「もう一つ。こちらもご覧ください」


 レジーナは視線を落とす。

 書かれていた名を見て、目が止まった。


「……あなた、正気?」


 その声は小さいが、今までで一番重かった。


「この商人の名前は――」

「ええ。この街でも名の知れた商人の名ですよ」


 商人はにこやかに肯定した。


「確証はまだありませんが、おそらくその人物が「闇ギルドの上層部」です」

「馬鹿な!?」


 ギルドマスターが、とうとう叫んだ。


「その人は、この街の貢献者だぞ!? 五年前、この街にミスリルが発見された時、誰よりも早く移転して、街の発展にも手を貸して――」

「だからこそ、ですよ」


 商人は、少しも動じない。


「これだけ私が騒ぎを起こし、神鉄まで持ち出し、王女殿下まで動いている。それなのに、その()()()()()()()()()()()が未だにここへ顔を出していないのは、おかしくありませんか?」

「…………」

「王女殿下は迅速に私の元へ足を運んでくださったというのに。街の一大事に、かつての立役者のひとりが静観する――それは一体、何を意味するのでしょうね?」


 ギルドマスターの口が閉じる。

 苦々しいが、反論できない。

 この街の商人達は今、皆動いている。冒険者も鍛冶師も役人も同じだ。神鉄が出て、王女が動いた。その時点で、まともな者なら何らかの反応を示す。

 動かないというのは、もはやただの静観ではない。


「私の予測では、半日経っても動きませんよ」


 商人は軽く首を傾げる。


「そして殆どの商人は、その半日の間に何らかの動きを見せるでしょう。ここで静観するような者は、商才がないか――動けない理由があるか」

「……違っていたでは済まないわよ」


 レジーナの声が低くなる。


「ここに書かれている名の商人は、この街に尽力してくれた者。もし見立てが外れていたら、貴方は街の基盤を一つ、疑念で揺さぶることになる」

「ではどうします?」


 商人は笑みを崩さず返した。


「闇ギルドの疑いがある者を放置しますか? 時間を置けば証拠を消されるか、手を打たれるか、あるいは――逃げますよ?」


 正論だった。

 腹が立つほどに。


 レジーナは、睨むように目の前の商人を見る。

 商人の笑みは変わらない。にこにこと、どこまでも穏やかで、どこまでも胡散臭いまま。

 王女の眼光にも揺らがない。怯えもしない。ただ平静のままそこにいる。

 その張り詰めた緊張を、溜息混じりに壊したのはニクスだった。


「ひとまず、その紙に書かれてる商人を見張っといたらどうだ?」


 白い青年は、やる気のなさそうな顔で茶をもう一口飲んだ。


「夕方頃まで音沙汰無しだったら、この胡散臭い奴の言葉がどうであれ、怪しいことには変わりないだろ」

「失礼ですねぇ。人を胡散臭いとか言うものではありませんよ?」

「それ以外に、お前をどう表現しろってんだよ」

「知的で洗練された商人、とかどうでしょう?」

「鏡見て出直してこい」


 商人が不満げに唇を尖らせ、ニクスが心底呆れた目で見返す。

 どちらも緊張感がまったくない。

 街の危機を――根本のところでは無関心な空気。


 その二人を見ながら、レジーナは静かに息を吸った。

 見張る。

 夕刻まで動かなければ、怪しい。

 単純だが、理に適っている。


 何より、今この場で最も避けるべきなのは、裏取りも無しに動くことだ。

 目の前の商人は危険だ。だが、危険であることと、言っていることが間違っていることは別問題である。


 レジーナは卓の上の紙へ視線を落とす。

 そこに記された名。

 五年前からこの街で尽力してきた、名うての商人。

 貢献者。

 実績ある者。

 そして、もし本当に黒幕ならば、最も質の悪い敵。


 静かに。

 だがためらわずに。

 レジーナはその紙を手に取った。


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