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異世界転移したけど森の奥で引きこもってます。スカウト? いやぁ、森から出る気はないので遠慮します  作者: 初音の歌
第七章

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第111話・琴線


 動かないアギトに向かって、有羽が歩み寄っていく。

 一歩。

 また一歩、と。


 足音は軽い。

 大河の流れる水音が、ようやく元の穏やかな音色に戻る。

 だが、周辺の空気はむしろその逆。世界が有羽の歩みに合わせて重くなる。


 有羽の視線の先にいるのは、焼け焦げたアギトの「残骸」だった。

 星髪は煤にまみれ、瞳は固く閉じられている。

 肌は焦げ、衣服は裂け、絶世の美貌が無惨な形に変わっている。


 それでも、完全に砕けていない。

 まだ生きてはいる。

 死んではいない。


 先ほどの熱線――亜空間穴(ワームホール)を介して収束と増幅を繰り返し、密度と規模を極限まで高めた破壊光線の直撃を受けて……それでも命を繋いでいる。


 レベル七十台の魔物なら一撃で消し炭。

 レベル八十台の従属神級ですら、耐えられる前提で撃っていない。

 それなのに、まだ呼吸はある。


(仮にも、あの蛇の分身だけある……ってことだろうな)


 有羽は理解していた。

 直撃の瞬間、アギトは防御障壁を何層も重ねていた。

 身体を丸め、腕を交差し、最小の面積に全力を集中する完全防御。

 更には空間の位相すら歪め、当たるはずの光線をずらす準備までして。

 世界の境界を噛む天蛇の権能――その一端。


(ま、だからどうだって話なんだが)


 耐えただけだ。

 生きているだけだ。

 死に損なっただけとも言う。


 意識は落ちている。

 まぶたは開かない。

 指先すら、ぴくりとも動かない。

 もう回避も防御もできない。

 次の一撃で確実に死ぬ。


 有羽は歩く。

 一歩。

 また一歩。


 アギトに対する配慮はない。

 アウローラを殺そうとした――ただそれだけで十分だった。


 何故アギトが帝国側についているのか。

 帝国の者と、どういう関係なのか。

 何を望んで、何が目的なのか。


 聞く気もない。

 知る気もない。

 心底どうでもいい。

 だから歩みは止まらない。

 止まるはずもない。


 ――故に、もし事態が変わるとしたら。

 それは、人間の側から起こる。


 帝国の者たち――兵に将に、そして王までもが。

 倒れ伏すアギトの前に立ち、有羽へ敵対の意思を向けた。


 盾の代わりに、身体で塞ぐ。

 装備は揃っている。

 隊形も崩れていない。


 だが全員、膝が震えていた。

 一人の例外もない。

 立ち向かっても勝ち目がないと、全員が理解している。

 歯を食いしばり、肩を強張らせ、喉を鳴らしながら。


 それでも彼らは――瀕死のアギトを護る位置に立った。


「…………」


 有羽は足を止めた。

 止めたというより、()()()()()()()

 帝国の人間を見る。

 見るというより、眺める。


 数十名。

 それなりに良い装備。

 それなりに優れた力量。

 それなりに覚悟の決まった面構え。


 ――だが「それなり」では、滑稽なほど、格が足りない。

 有羽は、淡々と口を開く。


「……一応聞くけど、帝国の連中だよな、アンタら」


 念のため。

 本当に念のための確認。

 問いかけた声は平坦で、遠慮がない。

 間違えたら困るから確認する……その程度の温度。


 その確認を受け、巨漢が一歩前へ出た。

 帝王ウィルトス。

 兵の影に隠れない。

 むしろ誰より前に出て、豪快な笑みを作る。


「おうとも。皆、帝国の精兵たちよ……そして余こそが、帝王ウィルトス・ゼノ・ウァリエタースである」


 豪胆な声。

 豪胆な笑み。


 だが虚勢だ。

 やせ我慢だ。

 流れる汗がある。

 首筋が濡れている。

 指先が微かに震えている。


 ウィルトスとて分かっている。

 目の前の男に歯向かって、万にひとつの勝ち目もないことを。


 名乗りは堂々としている。

 膝を折らず、逃げない帝王の姿を見せつけている。


 ――だが、その程度で何が変わるわけでもない。


 有羽の目は、帝王の名を聞いても動かない。

 興味がない。

 その名が国を背負っていようと、今この場では意味がない。


「……帝国には色々言いたいこともあるけど」


 有羽が言葉を継ぐ。

 その()()に、三年前の戦争から連なるアウローラの嘆きや悲しみがある。

 だが、有羽はそれを今は棚上げにした。


「とりあえず、そこどいてくれれば、俺はアンタらに手出ししないよ?」


 譲歩の形をした脅迫。

 優しさに見せかけた通告。

 帝王の笑みが、ほんの僅かに固まる。


「それはありがたい!」


 ウィルトスは笑いを崩さず言い――次の瞬間、低い声に。


「……だが、できんなぁ。余たちが道を開ければ、貴様はアギトを殺すであろう?」

「そりゃあね」


 有羽は即答した。

 ためらいがない。

 嘘をつく気もない。


「国同士のいざこざなら兎も角、ソイツが王国に――王女さんに手を出した以上、俺だって手出しさせてもらう」


 ここだけは誤魔化さない。

 脇道に逸れない。

 星髪がアウローラを殺そうとした。

 だから、星髪を殺す。

 理屈は短い。

 だから、揺らがない。

 帝王は、わずかに眉を動かした。


「……そちらの事情は分からんが、王国に縁があると思ってよいのか?」

「それなりにね」


 有羽は肩を竦める。


「まあ、それはお互い様だろ? そっちも、そこのボロ雑巾と縁があるみたいだし」


 視線の先には、地面に転がるアギトがいる。

 焦げた髪。

 破れた衣。

 火傷の跡。

 それでも、まだ呼吸だけは細く続く。


 帝国兵の何人かが、反射で前へ出かけた。

 だが出られない。

 足が動かない。

 次の一撃が、全てを終わらせてしまうと、本能が叫んでいる。


 ――その時。


「――言っとくけど、そっちの爺さん。無駄な事はやめときな」


 有羽の声が、突然横へ滑る。

 届いた先は、離れた地点。

 居合の構えで腰を落としているハガネ。

 痺れが消え、呼吸が整い、刃が研ぎ澄まされている。


 剣聖は隙を探していた。

 誰もが見過ごす僅かな隙。

 超常が相手でも、生まれるかもしれない一瞬の隙。

 ――そんな隙、有羽は作らない。


()()抜いたら、アンタから殺すよ?」


 声が冷たい。

 冗談ではない。

 忠告でもない。

 宣告だ。


 ハガネの呼吸が一瞬止まる。

 剣聖は動かない。

 動けないのではない。

 動けば死ぬと理解したからだ。

 帝王の口から、乾いた笑いが漏れた。


「……ハガネも太刀打ち出来んか。まあ当然よな」


 笑っているのに、声が掠れている。

 恐怖を誤魔化す笑い。


「アギトを、ここまで一方的に痛めつけるくらいだ」


 そこでウィルトスは思い出す。

 以前アギトが言っていた「森の南の引きこもり」。

 詳しくは聞かなかった。

 そういう存在が居るとだけ教わった。

 だが、記憶が確かなら「隠者」と言った。

 そして戦いの中でアギトは、この男を「クソ隠者」と呼んでいた。

 つまり。


「貴様、もしや魔境の森にいる『南の隠者』とやらか?」

「……ま、そんな感じ」


 有羽はあっさり認める。

 認めた後で……それでどうする? という顔を浮かべた。


 帝王は息を吸い、吐く。

 この短いやり取りの間に、帝王の中で計算が走る。


 この男は、国の枠にいない。

 王の枠にも、兵の枠にも入らない。

 つまり――説得の形は「外交」ではない。

 ここで必要なのは、もっと単純なもの。

 この男の「怒り」を、どうにか折らないといけない。


 だが折る材料がない。

 有羽は言った。

 アウローラを殺そうとしたから殺す。

 それだけだと。

 つまり、折るのなら――


「そこをどけば、俺はアンタらを見逃すよ? 国同士のいざこざは、また別の話だろうからな」


 そう言って、有羽は右掌を帝王へ向けた。

 ただ掌を向ける。

 その行為で、帝国兵の背中が冷たくなる。


 ――あの掌が上を向けば、空が落ちる。

 ――あの掌が横を向けば、地面が裂ける。

 ――あの掌が動けば、誰かが消える。


 そういう確信が、意味もなく湧く。


 それは最後通告だった。

 どけ。

 道を開けろ。

 死にたくなければ――アギトを捨てろと。


 ウィルトスは――今の状況を「詰んでいる」と判断する。

 情報がない。

 目の前の男に対する情報が、あまりにも少ない。


 分かっているのは三つだけ。

 ひとつ、途方もない強さを持っていること。

 ひとつ、アギトに対する殺意を消す意思がないこと。

 ひとつ、南王国に――いや、第二王女アウローラに対して、何らかの「情」があること。


(被害を最小で済ます方法はひとつ――アギトを差し出すことだけだ)


 最短で最小。

 それ以外はない。


 そもそも勝ち目のない相手からの、脅迫じみた要求だ。

 ここで逆らっても何も得られない。

 魔境の森に住まう者に対して、交渉も説得も通用しない。


 いや、正確には。

 交渉材料がない。

 説得材料もない。


 突然現れた超常存在に、何を差し出して何を引き出す?

 金か。領土か。名誉か。地位か。権力か。

 ――通じるわけがない。


(元々アギトは森の中で偶然出会った存在。帝国の民ではない)


 天蛇の領域で出会った。

 その出会いは偶然で、共に過ごした期間など一月ほど。

 酒を飲んだ。

 笑った。

 盤上遊戯をした。

 魔物を狩った。


 それだけの付き合い。

 短い。

 短すぎる。


 そんな短い付き合いのために、命懸けで護る理屈などない。

 見捨てたところで致し方ない。

 切り捨てる理屈も立つ。

 守る価値がない、と言い切ることもできる。

 帝国という国家の損失を最小にできる。


 むしろ、そうすべきだ。

 そうしないなら全員死ぬ。


 そして、立ち塞がったところで何もできない。

 盾にも壁にもなれない。


 あの熱線は全員が見た。

 空が裂け、黒煙が上がり、星髪が落ちた。

 あれをもう一度撃たれれば、何をどうしようと死ぬ。

 諸共死ぬ。

 無駄死にで終わる。


 全部分かっている。

 全部理解している。

 退かないのは馬鹿のすることだ。





 ――分かっているのに。

 誰一人、退かなかった。





 帝国兵は、動かない。

 一歩も引かない。

 立ち位置を変えない。


 喉が鳴る。

 膝が震えている。

 歯が噛み合わない。

 汗が流れる。

 逃げ出したい気持ちがある筈なのに。

 それでも、退かない。


「……全員、退く気はないのか」


 有羽のその声には呆れが混じっていた。

 理解できないものを見る声。


「おうとも。退かん」


 ウィルトスは笑みを作り、声を張る。

 帝王の声は、兵の震えを押し隠すための柱だ。

 彼が倒れれば、後ろの全員が崩れる。

 だから笑う。

 有羽は目を細め、続けた。


「……俺も、多少そっちの事情は知ってる。そこのボロ雑巾と、出会って一ヶ月くらいだよな?」


 帝王の笑みが、ほんの少しだけ固まる。

 相手は事情を知っている。

 分かっている。

 そこまで把握されてることに脅威を感じ――それでも声を張る。


「その通り。よく知っているな!」

「……で、俺に勝てないことも、十分理解してるよな?」

「勿論だ! 先程の戦いを見て、力の程を分からぬ兵など帝国にはおらんぞ!」


 兵たちも、喉を震わせながら頷く。

 頷いて、歯を食いしばる。

 有羽は眉を動かさず、最後の言葉を落とした。


「……それでも……それでも、退く気がないのは何でなんだ?」


 そして、吐き捨てる。


「馬鹿だろ、正直言って」


 正論だ。

 正しい。

 残酷なほど正しい。


 帝国側にいる者たちは、それを受けて――笑った。


 自棄の笑み。

 自暴の笑み。

 恐怖をごまかす馬鹿の笑み。

 だが、それでも。





「――馬鹿で結構!」


 ウィルトスの声が一段上がる。

 そして、断言する。


()を見捨てる痴れ者より、何倍もマシよ!!」





 その瞬間、帝国兵の背筋が揃う。

 震えていた膝が、ほんの少しだけ静止する。


 恐怖は消えない。

 勝ち目が無いのも変わらない。

 それでも、心に「芯」が入る。


 帝国は、多くの命を奪ってきた。

 群雄割拠の東部で、侵略もしてきた。

 奪い、燃やし、踏み潰してきた。


 だが。

 建立から今に至るまで、一度もやらなかったことがある。


 それは――「友」を見捨てること。

 「友」の命を踏み躙ること。

 我が身可愛さに「友」を敵に差し出すこと。


 それだけは、一度もない。

 たとえ相手がどんなに強大でも。

 たとえここで無駄死にすると分かっていても。


 それを選んだ瞬間、ウィルトスは帝王でなくなる。

 王どころか、人ですらなくなる。

 ただの外道に成り下がる。


 有羽は眉を動かした。

 ほんの僅かだ。

 だが、確かに。


「……森の中で会った蛇の分身が「友」、か。一月かそこらでねぇ……」


 呆れに近い声。

 理解できない、という響き。


 帝王は笑う。

 豪快に。

 胸を張って。


「友と呼ぶのに、生まれや年月など関係なかろう?」


 帝王は笑いながら言い切る。

 人好きのする、馬鹿みたいにまっすぐな笑みのまま。


「共に戦い、共に酒を酌み交わせば……それは友だ」


 その言葉に、兵たちが苦笑する。

 冗談みたいな理屈。

 だが、帝国ではそれが本気だ。


「肩を並べて歩く、余の友だ。帝国の友よ!」


 その言葉に、兵の目に熱が灯る。

 この言葉を胸に、帝国は今日まで歩いてきた。

 この言葉を言う帝王の背中を見ながら、今日この日まで戦ってきた。


 ならば止まらない。

 この馬鹿みたいな帝王と同じように――帝国兵は「友」を見殺しにしない。


「やれやれ……」


 遠くにいたハガネが、疲れたような声を出す。

 そして再び居合の構えを取る。

 ここで死ぬ覚悟を決めた――そんな構え。


 帝国の誰も、退く気はなかった。

 アギトを差し出して生き残る選択を取らなかった。

 馬鹿で、無謀で、考えなし。




 だが、その馬鹿さが――

 有羽の「何か」に触れた。

 帝王の行動が、有羽の中にある「どこか」に触れた。

 非情なだけの暴君なら、決して触れなかった場所に。




「……はぁ」


 有羽が息を吐く。

 溜息だ。

 苛立ちではない。

 呆れでもない。


 ――諦めに近い溜息。


 そして、有羽は右手を下ろした。

 それだけで空気が変わる。

 先ほどまで漂っていた「処理」の気配が薄れる。

 殺気が霧のように引く。


 帝国兵の肩が、わずかに落ちる。

 王国側の兵も、息を飲む。


 誰も、何が起きたか理解できない。

 ただ、理解できることが一つだけある。


 有羽の意思が変わった。


 同時に、有羽は帝王を見た。

 眺めるのではなく、ちゃんと目を向けた。


「……お前ら、本当に馬鹿なんだな」


 言い方は相変わらず悪い。

 だがその声には、さっきまでの冷たさがない。


 罵倒ではない。

 嘲笑でもない。


 どこか――ほんの僅かな理解が混じった音。


 何を言うつもりなのか。

 次にどんな行動を取るのか。

 そこまではまだ分からない。


 だが確実に――アギトの命を奪おうとする意思だけは、ひとまず消えていた。



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