あれ? 聞いてなかったの?
聖女とその召喚士の結婚式は盛大に、そしてつつがなく行われた。聖女と召喚士はともども救世の英雄であり、相手が女たちの好きそうな世界を越えた運命の人との結婚ともなれば、盛り上がりは最高潮。馴れ初めが語られれば盛り上がり、姿が遠目にでも見えれば盛り上がり、これ以上の慶事はないとばかりに国民は祝い明かした。
とはいえ、当人たちは自身の結婚式を国の祝い事にされて、緊張の連続でひどく疲労していた。準備期間から今日この日まで本当に長かったのだ。そして貴族と王族による祝賀会も終わり、さっさと眠ろうと思っていたヴァルターは初夜だからと侍女たちに風呂場に押し込められた瞬間、またも緊張に襲われるはめになった。
結婚する前も、結婚式の最中も、祝賀会の最中も、とてもではないが忙しすぎて初夜を気にしている余裕はなかった。それらから解放されて、ここに至って初めて現実として降りかかって来たのである。
無論、ヴァルターもそれなりの年の男である。そういった知識がないわけがないし、本来は言うほど初心なわけでもない。だが相手は聖女だ。最も大切にしたい敬愛する相手である。恐れ多い、そんな感情が先に立つ。かといって、抱きたくないというわけではなかった。自分だけの人だとその身に刻めるのならそれに越したことはないと思っている。
ごちゃごちゃと考えているが、要するにヴァルターは、不甲斐なく余裕のないさまを聖女に見せたくない、というだけの話だ。
風呂場から出ればすぐさま隣の部屋に連れてこられた。――聖女の部屋である。
夜にこうして訪れたことなどなかった部屋に、夫として足を踏み入れることになろうとは。妙に落ち着かない気分で部屋の前に立っていると、聖女付きの侍女に部屋へと押し込まれた。ヴァルターの心の準備など知ったことではないとばかりの乱暴な手つきに、ややもすれば転びそうになりながら部屋へと入る。
「あれ、ヴァルターさん? おやすみの挨拶ですか?」
そして聞こえて来たのは、そんな呑気な聖女の声であった。初夜のことなどまったく考えてなさそうな朗らかな声色に、ヴァルターは自分がいやらしいことを考えていたのではないかと恥ずかしくなる。
「あー……その、ですね、」
「……ちょっと待ってください。もしかして王から聞いてません?」
しどろもどろで口ごもるヴァルターを見て、聖女が顔を顰めた。それは目の前のヴァルターに対して、ではなく、王に対してのようだった。少なくともヴァルターは一度たりともそのような顔を向けられたことはなかったし、初夜の日にそんな顔を向けられようものなら、二度と男性として機能しなくなる自信があった。
「陛下から……ですか?」
結局王の側室にならずヴァルターと結ばれたからと言って、初夜についてどうのこうの言うほど王は狭量ではないはずなのだが、何かあったのだろうか。そう内心で首を傾げたあと、聖女からの言葉に衝撃を受けた。
「聖女の力が処女によるものかもしれないので、文献を当たっているからとりあえずひと月ほど初夜は待ってほしいと言われてるんです」
ヴァルターは衝撃を受けて、言葉を失い、そして王がわざと言わなかったのだろうと確信した。おそらく悪戯のような些細な意趣返しであろう。気分が乗った状態で、落とすという、この状況を作り出すためだけの悪戯だ。なんだかんだ乗り気だったと思い知らされて、堪らなく恥ずかしいが、それだけだ。
ただそれよりも気になったのは、聖女が処女であることを王を含め他の人間が知っているという事実である。歴代の聖女たちが清い乙女かどうかなんてことは、召喚士であるヴァルターは聞いたこともなかった。元より諸説あったのかもしれないが、教えられなかったことを鑑みるに重要でないと今まで思われていたのは間違いない。誰が言い出したのか知らないが、性事情を知られているのは気分が悪かった。
「ご、ごめんなさい、私が処女だったばっかりに」
「いえ、それはむしろ喜ばしいのですが」
「えっ」
「いや! その……失言をお許しください」
つい正直にあなたの初めての男で嬉しい、などという感情を外に漏らしてしまい、ヴァルターは口を噤んだ。何を馬鹿正直に伝えているのか。かといっていい切り返しが他に思い浮かぶわけでもないのだが、少なくともまっすぐに欲をぶつけるような言葉選びはよくなかっただろう。
二人とも黙り込んでしまい、どうにも沈黙が肌に痛かった。ただいつまでも黙り込んでいるわけにはいかないし、妙な空気にさせてしまったのはヴァルターの方だ。意を決して口を開き、聖女に提案をさせてもらった。
「でしたら何も致しませんので、隣で眠ってはいけませんか」
「……はい、いいですよ」
照れたようにはにかんだ聖女の手を取って、寝台へと案内する。ヴァルターはひそかに安堵の息を吐いた。隣で横になる覚悟を決めただけでも緊張するのだ、今日が本番でなくてよかった、と。