第一章 君の名は 一
――小さな橙色の光が、天高く『ゼロ』の元へと集まっていき、大きな光の塊になる。その光は、その日一日世界を明るく照らす。まるで、小さな光が、その存在を皆に伝えるかの様に。そして、たくさんたくさん煌めいた光の塊は、ユラユラと動き出し、パリン、と音が聞こえる様に弾け、人々の元に降り注ぐ。今日の光はまた一段と綺麗だと、口にする者もいた。
―――そんな中。
「ハッ…ハッ……」
木々の間、草むらをかき分ける音と、その音をたてている何者かの息遣い、そして、
「ブルル…!!」
何か得体の知れない、獣の叫び声が森に響く。
音をたてているものが、木々の間から抜けた直後、一人と大きな体を持つ獣一体はお互いに向き合い、じりじりと地面に脚を動かす。人は、息を大きく吐き、吸う。そして、
「ハァアアアアアアアア!!!!」
一気に身体に力を籠め、地面を思いっきり蹴り、獣へと向かう。剣を斜め横に構えた瞬間、獣も地面を蹴りあげ、こちらへと突進してくる。人は、一直線に進む獣をかわしながら、獣の身体を剣でなぞるように抉っていく。しかし、これだけでは獣は倒れず、人はその身軽な身体を回転させ、足で踏みとどまる。そして、もう片方の脚で思い切り地面を蹴り、進む反動でやっとこちらへ振り向こうとする獣の方へと剣の先を向け、鞘を両手で持ち、
「てやあああああああああ!!!!」
剣を獣の頭へと突き刺す。
獣は悲痛な声をあげながら、頭をぶるんぶるんと振り上げる。人はその反動に負け、鞘から手を離し、地面へと着地する。獣はしばらくの間頭を振っていたが、その力も弱々しくなっていき、大きな音と砂埃をたて地面に倒れた。
その様子を確認しながら、人は弾んだ息を整えていく。
「終わったか……」
人は一息吐いた後、深く刺さった剣を力を籠めて抜く。そして、一歩下がり、自身の耳に点けているクリスタルのピアスへと手を翳す。すると、獣の身体から、徐々に光の粒子が舞い上がり、獣の形を無くしていく。光の粒子は、ピアスへと集まっていき、クリスタルに吸収されていった。人は、血の付いた剣を振り払う。
「これでしばらくの宿代はなんとかなるかな。―――それにしても」
人は大きく息を吐いた。
「この大きさを一人で相手するのは疲れるな…。しばらく相手にしたくない、うん」
そう言うと、空を見上げ、
「そろそろ陽が落ちる頃か…結構時間が掛かったな」
呟きながら帰路へ向かう。その瞬間、空にある大きな光の塊が弾け、数多の光の粒が空から降り注ぐ。その所為か、先程より森の中が明るくなった様に感じた。
その中に、
「―――なんだ?あの大きな塊」
他の粒よりも一目見ても大きな光の塊が、よく見るとこちらの方へとゆっくりと落ちてきていた。人は、その光を、いつの間にか追いかけていた。段々と落ちて、木の陰に隠れた瞬間、人は場所を忘れない様に走りながら追いかける。その塊に近づいていくにつれ、森の中がほのかに明るくなっていく。
「・・・・・・」
その塊の正体を見た時、人は今見ている物を信じられなかった。橙色に光塊の中には、一人の少女が光に包まれるようにして倒れていた。人は急いでその少女に近づいていき、息をのむ。
「赤い髪に・・・精霊の耳…イフリートの…?」
ぶつぶつと言いながら、少女に恐る恐る触れる。すると、少女を包んでいた光はすっと消えていく。同時に森の中も暗くなっていく。息はしている様だった、肩は息をするのと同時に微かに動いている。人は戸惑いながらも、少女の肩を揺らした。
「おい、…おい、大丈夫か」
人の問い掛けに応えるように、少女は少し声を出しながら、ゆっくりと目を開く。少女の瞳は暗闇の中でも解るほど、綺麗な赤い色をしていた。今まで気持ちよく眠っていたかの様に、眠気眼を手で擦る。
「…此処は」
辺りを見回す少女、そしてふと人と目が合う。
「…あなた、だあれ?」
「俺は…近くを通った者だが…。君こそどうして此処に?」
「わたしは…、わたしは…」
少女はゆっくりと身体を起こし、地面に座り込む。辺りをきょろきょろと見渡す首が動く度に、少女の表情は何処か不安が芽生えていた様に見えた。少女は、諦めた様に俯いてしまう。
「わたしは…」
黙り込む少女。その様子を見た人は、ニコリと微笑みながら、手を差し伸べた。
「とりあえず、此処に居たら危ない。近くに仲間が居ないならついておいで。俺の名前はウィル。今から近くの村へ帰るところなんだ」
少女は、ウィルという少年の顔と差し出された手を交互に見ながら、そっと手を伸ばす。少女を起こす様に引っ張りながら、
「お腹が空いただろう、村へ帰れば美味しいものが食べられる。何処か痛いところはないか?」
と、優しく問いかけた。少女はその声色に安心したのか、ウィルの顔を見ながら、首を横にフルフルと振り、ほんの少し笑った。その様子を見て、ウィルも安心する。
********
村に着き、帰ってきたウィルを見た村人は、次々におっ、と声をだし足早に駆けつける。顔はどことなく期待に溢れていた。
「よおウィル!微かに獣の声が聞こえた様だが…どうだ?倒せたか?――って、ん?その女の子は…」
突然人がたくさん集まってきて、少し緊張しているのか、先程まで笑顔だった顔には不安が映る少女。そんな少女を横目で見ながら、ウィルは耳に煌めくクリスタルに手を翳す。すると、クリスタルは輝き出し、そこから光の粒子がだんだんと量を増やしながら溢れていく。その粒子は、村人の目の前へと集まっていき、いつしか大きな獣へと形になっていく。目の前に現れた大きな獣の死体に、村人たちからは大きな歓声がどっと沸きあがる。
「すげえな、こんな奴が村の畑を漁ってたのかよ」
「人に被害が出てなかったのが奇跡的ね、こんなのに襲われたら命がなくなってたわ」
「暗闇で見たから、もっと大きいのかと思ってたら、思ったより小さいんだな。まあ、それでも恐ろしいに変わりはないが…」
次々と感想を挙げていく村人たち。その様子を満足げに見るウィル。
「さあ、後で報酬を貰うからな」
にししと歯を見せ笑うウィルに村人は、本当に助かったとウィルの肩を叩く者もいたり、抱擁を交わしたものも居た。
「さあ、ウィル、腹が減っただろう?家内が飯を作ってあるから、たっくさん食ってけよ!」
「ああ、いただくよ」
さあ、行こうと少女に囁き、手を引くウィル。殆どの者はその少女の事など気にも留めていなかったが、一部の者は、あのイフリートはどうしたんだ、と呟きながらも、この獣を早く解体して食べようと、忙しくしていた。
宿屋に戻ったウィルを歓迎するのは、宿の主人の妻。外の騒ぎで勘付いたのか、一つのテーブルにせっせと食事を並べていた。
「おかえり、ウィル。帰ってきたと思って、早速並べといたよ。いっぱい食べな」
「ああ、女将。気を張っていた所為か、とても腹がへったよ」
お腹を擦りながら、空腹のサインを見せるウィルに、女将はハハっと笑う。
「ご飯!」
そう言いながら、ウィルの手から離れ、パタパタとテーブルに駆け寄る少女。
「おや?どうしたんだいその子は」
突然の客の増加に、おかみは首を傾げる。
「森で迷ってたからさ、危ないと思って連れてきたんだ」
席に座りながら、少女にも座るように言い、くんであったミルクを飲む。
「すまないけど、この子にも何か飲み物をくれないか」
「了解、その子の分もご飯作るかい?」
「いや、いいよ。こんだけあれば、二人でも食べきれるかどうか」
そりゃそうだと、甲高い笑い声をあげながら、飲み物を用意しに奥の調理場へと消えていく。
テーブルに肘を付き、目を閉じてふぅと一息つくウィル。
「食べていいの?」
目をキラキラさせ、ウィルの顔を見つめる少女。ウィルはなんだかおもしろく、ふふっと笑いながら、いっぱい食べな、と食を進める。少女はいただきますといいながら、フォークで小さなお肉を食べだした。口の中に含んで咀嚼する少女の顔は、より一層輝いて、美味しい美味しいと言う。その姿を見ただけで、なんだかお腹がいっぱいになった様な気がした。
ふと、昔にもこんな事があったな、と思い出していた。
*****
「ふっかふかー!」
部屋に戻り、ベッドにダイビングした少女はごろごろと転がりながら、きゃっきゃと騒ぐ。
「いいのか?もう一つ部屋を用意してもらうぐらい…」
そういいかけて、少女はピタッと動きを止めて、責める様な目でウィルを見上げた。
部屋にはベッドが一つしかなく、女将はもう一つ、少女の部屋を用意すると申し出てくれたが、少女は頑なにそれを拒否した。
「離れるの、嫌」
ベッドから急いで降りると、ウィルの方へと走りぎゅっと抱き付く。その反動にウィルは少し足がもつれる。
「――もう離れるの…嫌…」
ウィルは、何か辛い事でもあったのだろうと悟り、
「今日はもう疲れただろ、早くおやすみ」
暖かい口調でそう言いながら、一緒にベッドに腰掛けて、少女の頭をそっと撫でる。少女をベッドに寝かしつけ、布団を掛けてやると、ウィルの手を少女がそっと掴む。ウィルは少女の顔を見ると、眠いのかうつらうつらしている。ウィルは目を細め、手を優しく握り返す。
いつの間にか少女は寝てしまっていたが、ウィルはその少女の事を見て、様々な思考を浮かべていた。
何故あそこにいたのか、それが一番気になっている事だった。
ウィルは昔見た絵本の話を思い浮かべていた。
――この世界で死んだ生き物達の魂は、空高く、『ゼロ』の元へと還っていく。そして、一日世界を暖かい光で照らした魂は、夕に『ゼロ』の元から離れる。新しい生命を始める為に。
この少女は、つい最近死んだのではないか、その時の記憶が残っているのではないか。
ウィルは学者ではない、少しの教養はあるものの、生き物に生と死に関しては、そこまでよくは解っていなかった。
「――それにしても」
本当に、イフリートと関わりがあるのだな。
ウィルはそんな事を思いながら、瞳を閉じた。
その時、外から大きな音と人の悲鳴、生き物の鳴き声が響き渡った。




