(13)高定の申し出
小田原出兵から帰還した三ヶ月後、高定は、宇都宮城内で広綱と二人きりで対面した。
十七歳になった広綱は、表情や立ち居振る舞いからすっかり幼さが消えて、頼もしい青年当主に成長していた。五歳のときに父、尚綱の死に遭って家督を継いで以降、苦難を乗り越えてきた経験、また佐竹家の姫を妻に迎え、朝廷から官位を賜ったことも、人物に貫録と厚みを加えていた。
四十一歳になった高定は、そんな広綱を見て目を細めた。
「亜父、話とは何であるか?」
高定は広綱に、折り入って話があると伝えていた。
「それがし、隠居を願い奉ります」
「何? 今、何と言った?」
「当家を取り巻く状況がようやく一段落しましたゆえ、私めはここらで身を引き、老を養いたいと思います」
「亜父はまだ、それほどの齢ではあるまい。老を養うなど、早過ぎるのではないか?」
「言葉が不適切でした。正しくは、しかるべき者に芳賀家の家督を譲って、もって君臣間の積年のしがらみを断ち切り、当家の内情を適正たらしめたいと考えております」
「……よく分からぬが、家督を亜父の息子、信高に譲ると言うのか?」
高定には、十八歳になる嫡男、信高がいた。
「いいえ、家督を継ぐのは信高ではありません」
「では、誰に継がせるのだ?」
「芳賀高経の三男、高継です」
「高継だと?」
「芳賀家の家督は、芳賀家本流の血筋を引いた者に戻すのが本筋です。そうであってこそ、宇都宮家と芳賀家との関係が本当の意味で健全化するものと考えます」
芳賀高経が尚綱に謀叛を起こして敗死後、三男の高継は捕らえられ、以後ずっと益子城に幽閉されたままであった。
高経処断後、芳賀家の家督は、血の繋がらない高定が継いだが、それを命じた尚綱が望んだのは、宇都宮家と芳賀家との関係修復であった。
尚綱の期待に応えるべく、高定はこれまで懸命に務めてきた。
(だが、わしの登板はあくまでも一時的なものであって、長引かせるべきではない)
芳賀家の家督は、いずれは芳賀家本流の者に返すことが肝要であると高定はずっと考えていた。
ようやく内外の状況が落ち着いた今、それを断行する時期だと判断した。
「亜父は宇都宮家再興の最大の功労者であり、しかも芳賀家の重鎮らは、たとえ血縁はなくとも、みな亜父のことを芳賀家当主として認め、心服しているではないか? 取り立てて血筋を重視する必要などないのではないか?」
「いいえ、血筋というものはとても重要であり、決して侮れないものです」
尚綱が討死し、宇都宮城が壬生綱房に占拠された際、高定は五歳の広綱を抱えて真岡御前城へ逃れた。壬生の横暴に組しない宇都宮家の重臣たちは、幼い広綱の下に参集し、全会一致で広綱に宇都宮家の家督を継がせた。
これは広綱が尚綱の遺子であり、その血を引いているがゆえであって、広綱以外に宇都宮家の家督を継ぐ妥当性を有している人物はほかに存在しないとみなが認めたためである。あのとき、仮に広綱以外の人物を当主に仕立てようとした場合、重臣たちの意見は足並みが揃わず、紛糾する事態になったことは間違いなく、宇都宮家の結束を固めるには至らなかったであろう。高定はそう語った。
「それと同じことが、芳賀家についても言えます。確かに今、芳賀家の重鎮らは私を当主として盛り立ててくれていますが、やはり心の奥底には、私が芳賀家の血筋ではないことに引っ掛かりを感じている者もいます。ましてや、私の跡を嫡男の信高が継いだら、なおさらそう思う者が増え、家内の結束が揺らぐことにもなりかねません。ですから、今のうちに芳賀家の家督を本流の血筋を引く者に引き渡すことが必要なのです」
「だが、高継は宇都宮家へ恨みがあろう。それに高継の兄、高照を自害に追い込んだ亜父に対しても遺恨があるのではないか? そんな高継に家督を譲るのは極めて危ういのではあるまいか?」
「すでに高継には話をつけてあります。過去のしがらみをすべて洗い流して、御屋形様へ忠誠を誓うと申しておりました」
広綱は一点をじっと見つめたまま、腕組みした。そのしぐさは、亡き尚綱そっくりだった。




