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境界管理局  作者: きなとろ
帳簿にない英雄
12/18

空欄 ―― 「 ——— 」

境界管理局の地下は、夜になるとさらに静かだ。


灯りは落ちない。

だが、人の気配が薄くなる。


紙の匂いだけが残る。


アレンは第七課の執務室で、端末の画面を見ていた。


対象:未登録英雄由来残滓

処理内容:完全封印

期限:次の満月まで

監査:第壱課

実行者:——


空欄。


指を置けば埋まる。

埋めた瞬間、処理は進む。


進めば、未分類は止まる。

止まれば、報告書は軽くなる。


軽くなるほど、誰も考えなくなる。


扉の外で、足音が止まった。


ノックはない。


「入るぞ」


ガルドの声。


扉が開く。

赤い外套が、夜の執務室に色を落とす。


「まだやってんのか」


「見てるだけだ」


「見てるだけで、進むこともある」


ガルドは机の端に腰をかけた。

椅子は引かない。


「監査、来てんだろ」


「明日」


「それまでに決めろって顔だな」


アレンは画面を閉じない。

閉じると、決めたことになる気がした。


ガルドが、机の上の紙束に目をやる。


未分類の案件箱。

薄い報告書。

色が薄い。

存在感が遠い。


どれも生活を壊さない。


だから増える。


「……俺は現場で止める役だ」


ガルドが言う。


「止められるなら止める。

殴れるなら殴る。

でも、これは殴れねえ」


アレンは返さない。


ガルドは短く息を吐いた。


「お前、何する気だ」


「封印はする」


「完全に?」


「……しない」


ガルドの眉が動く。

怒りが上がりかけて、止まる。


「命令は?」


「命令に従う準備はする」


「その言い回し、逃げ道が多すぎる」


アレンは、端末の横に置いた黒い封筒を指先で押さえた。


封筒は薄い。

中身も薄い。


それでも、手から離れない。


封筒には、第壱課の印がある。


監査の添付資料。

短い注記。


第七課判断:要再評価

監査対象:境界遮断措置(不完全)

追加確認:実行者欄の扱い


実行者欄。


空欄を埋めるかどうか。

それだけに見える。


だが、空欄のままでも、動いた記録がある。


アレンは椅子の背にもたれた。


「空欄を、埋めない」


ガルドが笑う。


「それで済むなら苦労しねえ」


「空欄のまま、残す」


「同じだろ」


「違う」


アレンは言った。


「空欄に、名前を入れない。

代わりに、理由を入れる」


ガルドの目が細くなる。


「理由?」


「記録だ」


ガルドはすぐに理解しない。

理解しないまま、黙る。


アレンは案件箱の底から一枚の紙を引き抜いた。


白い紙。

罫線がある。

申請書の写し。


実行者欄が空いている。


空いているから、まだ終わらない。


「本来、ここは名前を書く」


「当たり前だ」


「名前を書けば、責任が固定される」


「固定しろよ」


「固定された責任は、消せる」


ガルドの視線が止まる。


「……俺の知ってる限り、

局は“終わらせる”ときに消す」


アレンは声を落とした。


「登録して、封印して、処理して、記録に残して、

必要なら消す」


ガルドの口が歪む。


「お前、それを今言うか」


「今言う」


アレンは紙に指を置いた。


「空欄のままだと、消せない」


「消せない?」


「誰も責任を持ってないからだ」


ガルドが、低く笑う。

笑いが乾いている。


「便利だな」


「便利で怖い」


アレンは紙を机に置いた。


「だから、ここに残す」


ガルドは眉をひそめた。


「何を」


アレンは端末の画面を切り替えた。


申請画面ではない。

記録入力の画面。


第七課の内部記録。

閲覧権限は狭い。

それでも、監査が入れば見られる。


「残滓を完全封印しない理由を、記録する」


「それ、提出したら終わりだろ」


「提出しない」


ガルドの目が鋭くなる。


「じゃあ隠すのか」


「隠さない」


アレンは言った。


「監査が見れば、見える場所に置く」


「……見せる気か」


「見せる」


アレンは指を動かし、入力欄を開いた。


記録:判断理由(第七課)

対象:未登録英雄由来残滓

措置:遮断(不完全)継続

理由:承認プロセス不整合の可能性/未分類事象の同型発生/完全封印が終結と一致しない可能性


文字は淡々としている。


感情は入れない。

入れれば、記録は弱くなる。


ガルドが、腕を組み直した。


「それ、命令に反してねえか」


「反してない」


「完全封印しろって命令だろ」


アレンは頷く。


「だから、命令に従う準備をする」


ガルドが舌打ちした。


「その言い回し、ほんと嫌いだ」


アレンは画面を一度閉じ、別の端末操作をした。


封印庫手前、臨時判断室のログ。


遮断膜の強度。

接触記録。

侵入履歴。


「遮断を、強める」


ガルドが少し身を乗り出す。


「完全封印じゃなく?」


「完全封印に近い遮断」


「言葉遊びだ」


「言葉遊びじゃない」


アレンは淡々と続ける。


「触れられないようにする。

持ち出せないようにする。

増幅を抑えるようにする」


「それで止まるのか」


「止まらないかもしれない」


ガルドが机から降りた。


床に立つと、赤い外套が揺れた。


「だったらやっぱり――」


「間に合うまで、時間を買う」


アレンが遮った。


ガルドが口を閉じる。

怒りが出る前に、飲み込む。


「時間を買って、何をする」


アレンは息を吸い、吐いた。


「空欄の出どころを探す」


ガルドの目が細くなる。


「出どころ?」


「承認が欠けて起動する。

空欄が埋まらないまま動く」


アレンは机の上の未分類の箱に指を置いた。


「これは、残滓だけの問題じゃない」


ガルドはしばらく黙った。


「……局長代理に喧嘩売る気か」


「売らない」


「でもやる」


「やる」


アレンは、端末の画面に戻った。


申請画面。

実行者欄の空欄。


送信ボタン。


指が止まる。


空欄は、まだ埋めない。


代わりに、申請画面を保存する。

下書きとして残す。


期限は消えない。

監査も消えない。


消えないから、忘れない。


扉の外から、遠くで扉が閉まる音がする。

夜勤の巡回。

いつも通りの音。


ガルドが言った。


「俺は現場で止める役だ」


「頼む」


アレンは短く言った。


ガルドは笑わない。


「止める対象は誰だ」


アレンは、少しだけ間を置いた。


「……俺の判断が雑になる瞬間」


ガルドが息を吐く。


「難しいな」


「だから呼んだ」


「呼んでねえだろ」


「来ただろ」


ガルドの口元が、少しだけ上がる。

笑いにはならない。


「いいか」


ガルドが言う。


「俺は怒る役をやる。

だからお前は、逃げるな」


アレンは頷いた。


「逃げない」


ガルドは扉へ向かう。

取っ手に手をかけて、振り返る。


「満月まで、何日だ」


「……数えるな」


「数える」


ガルドは言い切った。


「数えねえと、間に合わねえ」


扉が閉まる。


執務室に静けさが戻る。


アレンは立ち上がり、案件箱の棚の前に立った。


未分類の箱。

軽い箱。


並ぶ数が増えるほど、紙は薄くなる。


薄いまま、世界が進む。


アレンは一つ箱を引き出し、ラベルを見る。


南方。

北方。

沿岸。

山間。


どれも、生活には届かない。


だから問題にならない。


アレンは箱を戻した。


棚の扉を閉める。


小さな音。


その音に、誰も反応しない。


反応しないまま、残るものが増える。


アレンは端末の光を落とした。


暗くなった画面に、自分の顔が薄く映る。


実行者欄の空欄が、まだそこにある。


埋めない。

消さない。


終わらせない。

放っておかない。


アレンは息を吐いた。


静かなまま、夜が進む。


満月は、待たなない。

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