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境界監理局・第七課  作者: きなとろ
帳簿にない英雄
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命令 ――帳簿を閉じろ

境界監理局の会議室は、広い。


広いのに、空気は動かない。

人が集まっても、温度が変わらない。


机の上に、薄い封筒が置かれている。

黒い封印糸。

第壱課の印。


アレンは封筒を見たまま、席に座った。


隣にセレナ。

向かいにガルド。

ガルドは腕を組んでいる。口を開かない。


上座には、見知らぬ男が座っていた。


外套は黒。

だが、第壱課の黒ではない。

縁に銀糸が走っている。


「第七課、アレン・クロスフィールドだな」


男が言う。

声は静かで、低い。


「はい」


「私は局長代理、ヘルマン・ローデ」


名乗りだけで、席の意味が変わる。


局長代理は、封筒を指先で叩いた。

乾いた音。


「未分類事象の記録、閲覧した」


アレンは、反射で視線を上げかけて止めた。

上座を見上げる癖は、体に残る。


「閲覧権限は限定されていたはずだ」


「権限は、上にある」


局長代理は淡々と言った。


「問題は権限ではない。内容だ」


封筒が開かれる。

中から紙が一枚。


あの形式。

第七課の文体。

短い項目。

余計な形容がない。


「記録を残すこと自体が、事象に影響を与える可能性がある」


局長代理が、そこを読み上げた。


「第七課は、記録が危険だと言っているのか」


アレンは答えない。


危険だとは書いていない。

否定できない、と書いただけだ。


「質問は単純だ」


局長代理は続ける。


「完全封印は、なぜ実行されていない」


空気が、一段落ちる。


セレナが、先に口を開いた。


「第参課としては、完全封印が最適解です」


断言。

揺れがない。


局長代理は頷いた。


「第参課の予測は把握している」


視線がアレンに戻る。


「第七課の判断を聞く」


アレンは、書類の端を揃えた。

二度。


指先の動作が終わってから、口を開く。


「現時点で、完全封印は実行していません」


「理由」


「評価不能な部分が残っている」


局長代理は眉を動かさない。


「評価不能なら封印する。

それが管理局の基本だ」


正しい。


「未分類事象が増えている」


アレンは言った。


局長代理が口元だけで笑う。


「増えているから封印する」


正しい。

正しさが、詰めてくる。


「君は、封印を保留にした。

その結果、未分類が増えた」


局長代理の声は、責めていない。

分類している。


「因果が逆だ」


アレンは短く言った。


「まだ因果は確定していない」


「確定してから動くのは遅い」


局長代理が言う。


「遅れは、損失になる」


アレンの喉が、わずかに乾く。


ガルドが視線を落としたまま、指を一度だけ握った。

言葉は出ない。

出せない。


局長代理が紙を置く。


もう一枚、別の紙。


命令:未登録英雄由来残滓の完全封印を実行せよ

期限:次の満月まで

担当:第七課

監査:第壱課


期限の文字が、薄いのに重い。


「命令ですか」


「命令だ」


局長代理は即答した。


「反論は、記録として提出できる。

ただし、承認は必要ない」


言い換えれば、意味がない。


アレンは視線を上げた。


「完全封印は、三段階承認が要る」


「要る」


「承認が欠けて起動する事象がある」


局長代理は、目を細めた。


「君は、承認そのものを疑っているのか」


「疑っているのは、欠けた承認です」


アレンは言った。


「欠けたままでも動くなら、

完全封印が“終わらせる”とは限らない」


局長代理は、少しだけ間を置いた。


「終わらせる」


言葉を反芻する。


「第七課は、終わらせることを恐れているのか」


恐れている。

だが、それは理由にならない。


アレンは、息を吸って吐く。


「恐れているのは、終わらせたことにすることです」


局長代理は無表情のまま、頷いた。


「だとしても、命令は変わらない」


机の上の紙が、動かない。

重しもないのに、動かない。


「第七課の仕事は、帳簿を閉じることではない」


局長代理が言った。


「帳簿を閉じるための判断をすることだ」


アレンは視線を下げる。


実行者欄の空欄が、頭の中に残る。


「……承知しました」


言葉は出た。

喉は硬い。


局長代理は立ち上がった。


「第壱課が監査に入る。

第参課は予測更新。

第弐課は現場対応の待機」


ガルドが、ここで初めて顔を上げた。

局長代理と目が合う。


局長代理は、ガルドに向けて言う。


「君の怒りは要らない。

必要になったら呼ぶ」


ガルドの表情が、わずかに歪む。

だが、黙る。


会議は終わった。


廊下に出ると、空気が動いた気がした。

地下の風。

冷たいだけの風。


セレナが歩きながら言う。


「最適解です」


「分かっている」


「なら、迷いませんね」


アレンは答えない。


迷いは、消えるものじゃない。


ガルドが、少し遅れて隣に来た。

歩幅が乱れている。


「……言うなって顔だな」


ガルドが言う。


「言っても変わらない」


「変えるために言うんじゃねえ」


ガルドは短く息を吐いた。


「潰れねえように言うんだ」


アレンは足を止めた。


「潰れるのは、俺だけでいい」


ガルドの眉が動く。


「それ、嫌いだ」


「嫌われてもいい」


アレンは前を見る。


第七課の扉が見える。

窓のない扉。


「……期限が付いた」


アレンが言う。


ガルドが頷く。


「満月だとよ」


「間に合わなければ?」


「上がやる。

お前の手から取り上げる」


ガルドの声が低くなる。


「取り上げられたら、

もう“線”は引けねえ」


アレンは、扉の前で止まった。


鍵を差し、回す。

乾いた音。


執務室の机の上には、案件箱が積まれている。

軽い箱ばかりだ。

軽いまま増えていく。


アレンは、その中から一つだけを引き寄せた。

黒い封筒。

監査の印。


中には、短い一行。


第七課判断:要再評価

監査対象:境界遮断措置(不完全)


紙は薄い。

だが、逃げ場を削る。


アレンは端末を起動した。


申請画面を開く。

完全封印。


実行者:——


指が止まる。


空欄が、空欄のまま世界を動かす。

それは怖い。

だが、埋めた瞬間に終わるものもある。


背後で、椅子が鳴った。

ガルドが座った音。


「俺は黙ってねえぞ」


ガルドが言う。


「命令に従うなら従うでいい。

でも、その前に――」


言葉が途切れる。


ガルドは、言い換えた。


「お前が一人で背負うのは、許さねえ」


アレンは画面を見たまま、息を吐いた。


「……じゃあ、背負わせる」


ガルドが眉を上げる。


アレンは続けた。


「怒る役をやれ。

現場で止める役をやれ」


ガルドの口元が、わずかに上がる。


「ようやく言ったな」


アレンは、画面の上で指を動かした。


送信はしない。

だが、準備をする。


準備は、判断の一部だ。


外では何も起きていない。

世界は安定している。


その言葉が、

今日ほど信用できない日はなかった。


アレンは、空欄を見つめる。


埋めるか。

埋めないか。


期限は、近い。

満月は、待ってくれない。


それでも、

ここで雑に閉じれば、

次はもっと雑に閉じることになる。


帳簿は、簡単に閉じない。


だが、

閉じろと言われた帳簿ほど、

人を追い詰めるものもない。


アレンは、端末の光を消した。


暗くなった画面に、

自分の顔が薄く映る。


それは、記録にならない。

だが、判断の重さだけが残った。

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