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第十九話 フェルナンデスのFは

「フェルナンデス! お前けっこうやるじゃねえか! 見たかよあの鼻ピアス野郎のビビり顔。まさか自分より背が高い女がいるだなんて考えたこともなかったんだろうなぁ!」

「いやはや、留流ちゃんこそ。あれだけ運動した後にまだあんなやつらと戦えるなんて。このフェルナンデス、感服致しましたぞ」

「名前さ、綺羅子って呼んでくれよ。それと朝は酷い態度ですまなかった」

「では綺羅子ちゃん、と。朝のことは私にも非がありますし、今の謝罪で全て忘れることとしましょうか。友好条約締結の瞬間ですな」

(よくわかんないけど、仲良くなったならよかった)


 楽しそうに笑い合う綺羅子とフェルナンデスの後ろで電動自転車を漕ぎながら、僕はふぅと安堵の息を吐いた。


 ヤンキーとの遭遇の後ラウンドワンを出た僕らは、律儀にも待ち続けていたタクシーの運転手さんに着替えなどの荷物を預け、その辺にあったレンタルサイクルで宿へ向かっていた。

 レンタルサイクルは綺羅子の提案で、熱くなりすぎた身体を風を浴びて冷ましたいとのことだった。

 幸い天候も晴れ時々曇りという感じで、着替えたとはいえ汗をかいた身体であの後部座席に寿司詰めになるのは色んな意味で勘弁願いたかったのでありがたいのだが、ではあのタクシー運転手は何者なのかという疑問が残る。

 荷物を自由に預けられて目的地も柔軟に変更できて、あげく乗らなくてもいい。

 ただの貸切タクシーじゃなさそうだよな?


「というか腹減ったな。昼メシは……そういや食ってないっけ」


 綺羅子が気だるげに発言して、フェルナンデスが「確かに」と応答した。


「本当はタクシーでの移動中にレストランか何かに寄る予定でしたが、流れでラウンドワンに入ってしまいましたからな。夕食の時間も近いですが、軽く何か食べておくのはいいかもしれません。コンビニにでも寄って行きましょうか?」

「コンビニ……? はっ、そうか! よし、行こう! 今すぐ行こう!」

「や、やけにテンションが高いですね綺羅子ちゃん……大統領のご希望はいかがですかな?」

「僕もコンビニでいいよ」

「よっしゃ! じゃあ次に見えたやつな! 先行っとく!」

「あっ、綺羅子ちゃん!」


 と、僕が返事をするや否や綺羅子はスピード全開で走り去ってしまった。


「やつはいったいコンビニの何にそんなに興奮しているんだ。というかどこまで行ったんだよ、迷子捜索はやりたくないんだけど」

「んん、動機は全く不明ですな。よっぽど空腹だったとか? この先には確かファミマがありますね。そこを目指せば間違えないでしょう……ん、もしかしてこれはチャンスなのでは」

「チャンス?」

「あの、大統領? 少々お願いがあるのですが」


 フェルナンデスはボソボソと何かを呟いた後、苦笑して言った。


「実は疲労が結構脚に来ていましてな。筋肉をほぐす意味で、自転車を降りて歩きませんか」

「別にいいけど、電動の自転車のほうが楽だったりしない?」

「ま、まあほら、私の疲労はいま太ももの辺りに溜まっていますので。自転車を漕ぐよりは歩くほうが楽だと思うのです」

「そういうことね。分かった、歩こう」


 僕は言われるがままに自転車を降り、フェルナンデスに並んで歩き始めた。

 こうして隣に立つと、改めてその背の高さが際立って感じられる。


「しかし本当、変わったよなぁフェルナンデスは」

「そうですかな? 確かに外見は大きく変わりましたが、中身なんぞいつまでも大統領と出会った子供の頃のままですぞ」

「その喋り方はずっと変わらないもんね」

「その通り! フェルナンデスはいつまでも大統領のフェルナンデスです! この身体は、あなたのためにここまで成長したと言っても過言ではありません!」


 フェルナンデスは得意げに胸を張り、そこにぶら下がっている巨大な二つの果実の片方を自らの手で持ち上げた。


「フェルナンデスのFはFカップのF! いま触っておけば支持率も鰻登りですぞ!」

「……あの、急にどうしたの?」

「ぷ、大統領! せっかく身体を張ったギャグを披露したというのになんという仕打ち! そこは困惑を呑み込んで軽快に突っ込んでいただかないと!」

「……」

「……いや、そうですな。あまりに押し付けがましいギャグでした。落ち着かないと……」


 すぅ、はぁと深呼吸をし、フェルナンデスは伺うようにこちらを見た。


「ねえ、紗人……?」

「うぇっ⁉︎ な、なんだいフェルナンデス」

「……」


 柔らかな声の呼びかけに、僕は恥ずかしながら露骨に動揺してしまった。


 実はフェルナンデスは朝に一瞬だけこの声を使って話しかけてきた。

 その時は綺羅子がいたからかすぐにいつもの感じに戻ったが、おそらく今回は違う。


 時間は夕方。しかし依然日は高く、低緯度地域特有の明るい黄昏に沈黙が横たわる。

 フェルナンデスは口を引き結んだまま、何かを訴えるように僕の顔を見続けている。


 実のところ彼女の要求は分かっている。

 ただ昔はなんてことなかったその行為がこの歳になって改めて気恥ずかしく、膨れ上がった感情が肺の空気を出させまいと僕の喉を締め上げる。


「……あんまり意地悪だとこのまま走って置いてっちゃうかもよ」


 フェルナンデスから改めてパスが出された。

 僕もここで何もしないほど鈍感ではない。


「分かった。僕の負けだよ……アンヘラ」

「えへへ、なんだ。分かってるんじゃん」


 フェルナンデス……いや、アンヘラはにへ、と照れくさそうに笑った。

 それを見ていると謎の羞恥心に襲われてしまい、僕は少しだけ目を逸らした。


「君が僕を名前で呼ぶなら、僕も君をこう呼ぶ。そういう約束だろ? とは言ってもずっと前の約束だけど……よく覚えていたね」

「それを言うなら紗人こそ。まあ、朝は応えてくれなかったけど」

「いきなりだったから動揺したんだよ。この数年間通話している時は一回もなかったのにさ」

「だって、直接呼んで欲しかったから」

「……えっと?」


 なんか妙な空気になっていないか。

 恐る恐る視線を戻すと、今度はアンヘラの方が明後日の方向を向いていた。

 なんでだよ、なんか仕掛けてきてただろ今。


 自転車を押す手にじわりと汗が滲む。

 ヤンキーどもに囲まれた時よりよっぽど緊張してきた。


「なっ、懐かしいよね。紗人がいきなり私のことを秘書に任命するとか言い出してさ。覚えてる? 紗人が自分のことは大統領プレジデンテと呼べって言ったんだよ。まあ、まさかスペイン語の意味も分からずに“プレジデンテ”と呼べって言ってたとは思わなかったけど」

「思えば軽率だったよ。父親がどハマりしていたシミュレーションゲームに影響を受けすぎてた。それがまさかこの歳になるまで外でも呼ばれるハメになるなんて」

「でも楽しかったじゃん。私は秘書として色んな冒険にお供したよね。河川敷とか山とか隣の駅とか……一番衝撃だったのはプールに行った時だったね」

「まだソレを擦るか」

「もちろんですとも、大統領」


 再びこちらを向き、いひひ、と意地の悪い笑顔を浮かべるアンヘラ。

 図体がデカくなっても、この表情だけは全く変わっていないと気づいた。


「フェルナンデスって名乗ってるやつがまさか女だって思わなかったんだよ。君が大泣きするせいで監視員まですっ飛んできて……せめて最初から下の名前を聞いていれば。そもそもミドルネームなんて概念、知らなかったけどさ」

「“天使アンヘラ”なんて恥ずかしくて名乗れるわけないでしょ。ただでさえ他に話す人もいないのに、唯一の友達に男子みたいに扱われていたんだから。言っとくけど気づいてたからね途中から」

「それも何回も聞いたよ、悪かったって」

「別に気にしてないよ。この話をしている時の紗人が面白いから、数年ぶりの切り札として使わせてもらっただけで。下の名前で呼ぶのは二人きりの時だけって約束、守ってくれてるし」

「あの時の君が泣き止むための条件だったからな。また大泣きされても困る」

「今さらそんなに泣かないよ。それに、ほら……今日も、守ってもらっちゃったし」


 アンヘラは歯切れ悪く言いながら唇を尖らせて、指で髪を弄っている。

 彼女の昔からの癖だ。

 大概の場合は嘘をついているか、何か言うかどうか迷っている言葉がある。

 あるいは、何か言われるのを待っている。


「僕はただ昔から、不当な扱いってやつが嫌いなだけだよ」


 きっと他に言葉があったはずだが、結局、僕の喉から出てきたのはそんなぶっきらぼうな言葉だった。

 それでもアンヘラは嬉しそうに笑った。


「そういうところ、ずっと変わんないね」

「……」

「おっ、そんなこんなでもうファミマの近くまで来てしまいましたな。思い出話はここまでにして、綺羅子ちゃんを迎えに行くとしましょうか、大統領プレジデンテ?」

「う、うん。そうだね」


 パチリ、とスイッチが入ったように、アンヘラはフェルナンデスへとモードチェンジした。

 自分もそれくらいすんなりキッパリと切り替えられたらいいのに、なんて思いつつ、僕は小走りにわざとらしく駆け出したフェルナンデスの後を追った。

読んでいただきありがとうございます!

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