19話(51話) 『心の闇』
「ティアさん、ミルです。入っても構いませんか?」
ティアさんの病室のドアをノックし、中にいるであろうティアさんに問いかける。
「うん、大丈夫だよ」
了承を得て、僕はドアを開ける。
病室の窓からは星の浮かんだ夜空が見えた。そんな風景の中、ティアさんは一人、ベッドの上で横たわっていた。
「久しぶり、ミル君。五日ぶりだね」
「はい、無事に意識が戻って良かったです」
ティアさんの意識が戻ったという事をシィから聞いたのはつい三十分前の事だった。シィはお見舞いには自分が行ったから明日、日が出てから行けばいいと言っていたが、居てもたってもいられず僕はこうしてここに来ていた。
僕がティアさんのベッドのそばにあった椅子に腰掛けると、ティアさんも上半身を起こした。
「あまり体を動かさない方がいいんじゃないんですか?」
「いやいや、全く動かさないと復帰するのが大変だから。少しは体を働かせないと」
ティアさんには横になってもらおうと思ったが、それならば仕方ない。
「私が寝ている間は特に何も問題は無かったみたいだね。シィちゃんから聞いたよ」
「はい。僕とシィは今もまだ鍛錬を続けています」
その言葉を聞いて、ティアさんは心配そうな表情を浮かべる。
「ミル君、私達が動けないからって自分ばかり無理しちゃダメだよ。逆に言えば、今働くことの出来るミル君たちが体を壊したらどうしょうもなくなっちゃうんだから」
「分かってます。そこまで無理はしてませんよ」
「それなら良いんだけど」
そこまで話すと、ティアさんは僕の顔から目線を外し、窓から見える夜空を眺めた。
別にそこから何かが見える訳では無い。ただ、星が浮かんでいるだけだ。
「ごめんねミル君。私は次の作戦には参加出来そうにない」
夜空を見上げながら、ティアさんがそっと僕に呟く。
その事については何となく察しはついていた。
夜空を眺めながらそれを伝えたのは、僕の顔を見ながら告げるのが後ろめたかったからなのだろうか。
「⋯⋯はい。大丈夫ですよ、ティアさん、それからラウンさんの分まで僕達が頑張りますから」
ラウンさんはまだ意識が戻っていない。一番の重症であったのだ、無理もないだろう。
二人のためにも、僕が頑張らないと。
「だーかーらー、頑張りすぎはダメだよ!」
ティアさんが再び僕の方を向くと、僕の頬をつねった。少し痛いけど、良かった、体の方はともかく心はいつもの明るいティアさんのままだ。
「そうだ、姫様はどう? 私達がいなくなってから」
ティアさんが話題を姫様に変えた。恐らくこのままでは暗い話が続いてしまうと思ってのことだったんだろうけど⋯⋯
「姫様は⋯⋯表では普段と変わらない立ち振る舞いをしていますが、やはりまだ悩んでいるようです。自分のせいでティアさんたちがこのような事になってしまったのではないかと。事実、ティータイムなどを行うこともなく一人でぼんやり空を見ていることが増えました」
「そっか⋯⋯。ミル君はそんな姫様に何かした?」
「いえ。今、自分が姫様を励ました所で無責任なだけのように思えてしまって」
正直に自分の胸の内を明かす。今の僕にはどうやって姫様と話したらいいのか分からない。ティアさんたちが怪我を負ってしまった時にその場にいなかったのは僕も同じなのだから。
「その、厚かましいのは分かってるんだけどさ、出来たら姫様の事を少しでも励ましてあげて欲しい。『君のせいじゃないよ』って」
「僕がですか?」
「うん。きっと、私達以外ならミル君に話してもらうのが一番適任だと思うから。もちろん、姫様がお見舞いに来てくれたら私からも伝えるけどね」
「⋯⋯」
少し僕は考える。
でも、すぐに答えは決まった。
「分かりました。僕から話しておきます」
やはり当事者である自分が話すのが一番いいだろう。もちろん、自分自身の責任を棚に上げるつもりは無いが。
「よし、それじゃあ任せたよ」
「はい」
姫様の事を託されて、僕はふと時計を見る。
時刻は夜八時前。今からスノウの病室にも向かうことを考えると、そろそろ出た方がいいだろう。
「それでは僕はそろそろ行きますね。スノウの病室にも行かないとといけませんから」
「あ、ちょっと待ってミル君」
席から立ち上がった僕を、ティアさんが引き止める。
僕を引き止めたティアさんは、ベッドの近くにかけられた病院に運ばれた時に着ていた服を手に取った。
そしてその服のポケットから鍵を取り出すと、僕に手渡した。
「これは?」
「私の部屋の鍵」
え、ティアさんの部屋の鍵⋯⋯それって一体どういう意味⋯⋯?
「違う違う、勘違いしないで。私の部屋には、前に私が調合した薬草とかが置いてあるから持って行ってって意味だからね!」
なるほど、そういう意味か。
「分かりました。有難く使わせて貰いますね」
その鍵を僕は自分のポケットにしまうと、ティアさんの病室のドアに手をかける。
「お姉さんの部屋だからって、色々漁っちゃダメだぞ?」
「漁りませんよ!」
夜の病院なので、出来るだけ声のボリュームを下げながらも一言叫び、僕はティアさんの部屋を後にした。
✱✱✱✱✱✱✱✱
えーっと、確かスノウの病室は⋯⋯。
記憶を頼りにスノウの病室の前まで辿り着く。
先程と同じように、病室のドアをノックして僕が来たことをスノウに伝える。
「スノウ、ミルだよ。お見舞いに来たんだけど入ってもいいかな?」
「⋯⋯ミル? ⋯⋯丁度良かった、入って」
丁度いいってどういう事だろうか。でもまぁ許可は取ったし中に入ろう。
病室のドアに手をかけ、開ける。
「こんばんはスノウ、調子は────って、えぇ!?」
目の前に飛び込んで光景は、白い病室の壁や床、白いベッドやシーツ、そして白いスノウの肌。
今、スノウはベッドの上に上半身裸で座っているのだ。
「ス、スノウ、着替え中なら僕を中に入れないでよ!」
僕は慌てて、自分のすぐ後ろにあるドアから部屋の外に出ようとする。
「⋯⋯待って」
しかし、ドアに手をかけた所でスノウに呼び止められてしまった。
「な、何?」
スノウの方を向いてしまわないように、目の前のドアをじっと見つめながらスノウの話を聞く。
「⋯⋯まだ右手を動かせないから寝るときに着る服に着替えにくい。⋯⋯だから、手伝って」
そう言えば、スノウは右手を骨折していた。確かに自分一人で着替えるのは難しいだろう。
でも、僕が手伝っていいのだろうか。看護師の人を呼んでくるって方法も⋯⋯でも、スノウを上半身裸のままで放っておくのも可哀想だしなぁ。
「わ、分かったよ。今からそっち行くから、僕の方向かないでね」
こうなったら仕方ない。僕がやろう。
スノウのベッドの元まで行き、近くの椅子にかけられていた新しい病院服を手に取る。
これを着せればいいんだよね。
スノウの後ろに座り、服を開く。そして、出来るだけスノウの胸元を見てしまわないようにしながら、まずはスノウの左手を服に通す。
よし、次は右手だ。
そう思ってスノウの右手を病院服に入れようとした所である事に気づいた。
スノウの右の腰の所にアザのような物がある。
いや、普通のアザならば気にしないのだが、何かの模様のようになっている。
「スノウ、右の腰の所にあるのってアザ?」
気になったので思わず、スノウに聞いてしまう。
「⋯⋯これは──うん、前の怪我の時のアザがまだ治ってない」
「そうなんだ。早く治るといいね」
今、スノウが少し言葉に詰まっていたようにも聞こえたけど、気のせいかな?
スノウの右腕も病院服に通し、完全に羽織った所で紐を縛る。これで着替えは完了だ。
僕はそのまま、先程、着替えの服がかけられていた椅子に座る。
服を着たスノウはよれた部分を直すと、僕の方を向き直った。
「⋯⋯そうだ、ミル。私、明日には一応退院出来ると思う」
「良かった! でも、その腕は?」
「⋯⋯右腕はまだ固定したままだけど、魔法を使う分には問題無い」
魔法を使う分には⋯⋯って、
「スノウ、まさか次の作戦に参加するつもりなの?」
「⋯⋯うん。ミルとシィだけに負担は掛けられない」
その心遣いは嬉しい。だけど、病み上がりのスノウが明後日の作戦に参加するというのはやはり気が引ける。
「でも、スノウはちゃんと体を休めた方がいいよ」
「⋯⋯大丈夫、無理はしない。⋯⋯それに、私達がやらなくて誰がやるの?」
「それは⋯⋯」
確かにロサは強力な魔物だ、普通の騎士達⋯⋯特に戦力が減った今の彼らでは尚更に撃破は不可能だろう。となると、僕らしか残っていない。
「本当に無理はしないんだね?」
「⋯⋯うん」
仕方の無い事であった。今の僕とシィ二人だけでは間違いなく戦力不足。その事を誰よりも理解してしまっているからこそ、僕にはスノウを止めることが出来ない。
「分かった。でも、自分の体を優先してね。もし危なくなったら僕がきっと護るから」
僕のその言葉を聞くとスノウは突然俯いた。
そして、呟く。
「⋯⋯護る⋯⋯か」
「スノウ?」
俯いたスノウの顔を覗き込む。
長い髪が垂れてスノウの表情を読み取ることは出来ない。けれど何か深刻そうな雰囲気だ。
「大丈夫、スノウ? どこか調子が悪いなら誰か呼んでくるよ?」
「⋯⋯私は大丈夫。⋯⋯大丈夫じゃないのはミルの方」
「え、僕?」
僕のどこが大丈夫じゃないというのだろう。
特に体に不調は無い。それどころかみんなの分まで頑張ろうという気力に満ち溢れている。
「⋯⋯ミルはいつも、皆を護るって言ってる。でも、『どうやって護る』の?」
「どうやって、って⋯⋯」
そんな事を言われても、護る事に方法なんて関係ない。ただ、危なくなった人を助ける。それだけだ。
「別に方法なんて無いよ」
「⋯⋯そうだね。ミルはただ誰かを護るという『目標』だけを見ている。『方法』なんて見ていない。いや、むしろ『方法』から目を背けている」
さっきから、僕にはスノウが何を言いたいのかさっぱり分からない。この話に何の意味があると言うのだろう。
「スノウ、そろそろ面会時間が終わっちゃうし、僕はもう行くよ」
立ち上がろうとした僕の服の袖をスノウが左手で掴んだ。
「スノウ、さっきからどういう事なの? ちゃんと説明してよ」
「⋯⋯私には、人の心の闇が感じられるの。昔からの境遇のせいで」
「心の闇?」
それはつまり、僕の心に闇があるということなのだろうか。でも、人は誰しも何かしら闇を抱えているはずだ。
「⋯⋯シィや姫様の心からも、普通の人とは違う闇を感じられた。⋯⋯でもミルは、皆とは比べ物にならない」
「比べ物にならない?」
「⋯⋯ミルの心の闇は誰よりも深い。でも、ミル自身が自分の闇に気づいていない」
心の闇に気づいていない?
でも、それの何が悪いというのだろう。闇が表に出ないのなら誰にも迷惑がかからないしいい事のはずだ。
「⋯⋯いえ、気づいていないとも違う。貴方は闇があるのにそれを完全に忘れてしまおうとしている。⋯⋯その闇がきっと、ミルに欠けた護るための『方法』を内包している」
「さっきから、訳分からないよ! 何が言いたいのスノウは!?」
病院であるにも関わらず、つい声を荒らげてしまう。
スノウの話を聞いているとだんだん頭痛がしてきた。この前、ラウンさんの血だまりに入って時のように。
「⋯⋯ミル。自分自身の心に語りかけて、そして、私に教えて欲しい。貴方は何者なのか? 一体、何があってこうなってしまったのか?」
「何者なのかって⋯⋯、僕は僕だ。秋風見留だ、ミル・アキカゼだ。病気で死んで、この世界に転移し──」
そこまで言って、僕は気づいてしまった。
そう、僕は病気で亡くなってこの世界へやって来た。その事実は覚えている。
でも、『何の病気で死んだのか』、『何故その病気にかかったのか』、それが全く思い出せない。
「⋯⋯ミル?」
言葉に詰まった僕に、スノウが問いかける。
しかし、僕には何の返事もできなかった。
無言でスノウの病室から出る。もうスノウに話せることは何も無かった。
今の僕には、もはや自分自身が何者なのかも分からなかった。
本当に僕が『秋風 見留』であるのかすらも。
前回から引き続き暗い展開となってしまいましたが、後の主人公の変化へ繋がる要素となるので、少しの間待っていただければ幸いです。
二章はあと数話で終わります。




