第一二話 様々な価値観
サーシャとレイラ、グランと別れ、ミコトとラカは下層北区の住宅街を巡っていた。
整備されていない土の地面を、ミコトたちは歩んでいく。
下層北区の住宅街は寂れた、小さい家屋ばかりだった。木材の壁はところどころ剥げていて、隙間風がひどそうだ。
ゴロツキこそいないものの、雰囲気の暗鬱さは下層北区でも随一だ。
路地裏の先の暗闇に意識を向けると、奇妙な笑い声が聞こえた。
見てみると、目の下に隈がある女が、酒を呷っていた。
「ひどいな、ここ」
「オレとしちゃー、テメーとペアなのが気にいらねーよ」
ミコトとラカは顔を顰めたが、その意味は別種のものだった。
奴隷になったラカとしたら、こんな光景は見慣れたものなのかもしれない。
「たぶん、残り物ペアって奴だろ。セレナイト姉妹はセットで、グランは一人で問題ないんだからさ」
「オレだって一人でいける!」
「檻から出て数日じゃねえか。鈍ってるんじゃねえの?」
発言の直後、ひゅんと風切り音。視界の端から迫る影。
ミコトが右手を前に掲げると、吸い込まれるようにラカの足が入ってきた。
パシン! と衝撃。
「いきなり回し蹴りとか、足癖悪すぎだろ!」
意外と力があり、右手に痺れが残る。
追撃が来たら不味いな、と危惧していたが、予想に反してラカは何もしてこなかった。
「鈍ってる……反論できねー。ぶっ飛ばすつもりだったのによー」
「バイオレンスだなぁ、この子」
見立て通りラカという少女は、かなり暴力的だった。手が出るのが早すぎる。
ミコトがラカへの対応を考えていると、ラカが口を開いた。
「なー……、なんでテメー、オーデを助けよーなんて……」
「見捨てたら気まずいっていう、利己的な理由だよ。まあ単純に、助けたいって気持ちもあるけど」
本心からの言葉だったのだが、ラカは信用の様子を見せなかった。
「テメーら中央大陸の人間サマどもは、オレら《無霊の民》を無族だとか呼んで、侮辱しやがる。みんな見下してんだよ。信じられるわけがねーだろーが」
警戒心を滲ませたラカの言葉に、ミコトもようやく理解した。
人権なんてない奴隷になって、ひどい扱いを受けた。被害者と加害者の違い――ラカが見出したのは、《無霊の民》か、そうでないか。
彼女にとって、《無霊の民》でない人間が溢れる中央大陸は、敵地も同然なのだ。
ミコトは納得し、理解した。
周囲は家族以外、敵だらけ。
見知らぬ地に、独り放り出された、その苦悩。
憶えがある。黒宮尊の人生に、それらはあった。
疑心暗鬼の幼少期。強く在ろうとした異世界期。
自業自得だったり、被害妄想だったりもするが……それでも、ミコトはそれを感じたことがある。
「よし、オーデを助ける理由が、たった今増えた」
「アァ?」
「要は共感だよ、共感。あと同情と、見てられないってのと、羞恥とか罪悪感とか自己嫌悪とか諸々」
「……わけ、わかんねー」
「別にいいよ、わからんでさ。むしろ、わかってほしくない」
怪訝そうなラカに、しかしミコトはこれを無視。
誰だって自分の醜態は晒したくないのだ。
「よーし、そうと決まりゃあ、急ぎますかね!」
オーデを助けて、ラカを笑顔にする。そのために。
と、決意を新たにしたわけだが。どうやらミコトという存在は、とことん出鼻を挫かれる運命にあるらしい。
力強く踏み出そうと、片足を浮かした。その直後、路地裏から人影が飛び出してきた。突然だったため避けられず、ぼふっ、と人影が腹部に埋もれた。
衝撃は軽い。人影は非常に小柄だった。ミコトの身長の半分しかない。
王都に来て何回目だよこれ、とぼやく。そして遺憾ながらも慣れてしまったミコトは、動揺することなく未だ埋もれたままの人影を引き剥がし、その姿を確認した。
それは幼女と言っても過言ではない、幼い少女だった。
『歳当て』から得た情報は七歳。小学一年生といった頃か。
ぼろい布きれのような衣服。一見してすぐ貧しいことはわかった。
観察に要した時間は一瞬。
そして、静寂の猶予が終わるのは、数瞬だった。
「ぶぇ……」
「「ぶぇ?」」
少女が発した謎の言葉に、ミコトとラカが同時に問い返した。
答えは、行動だった。
「……ぶぇぇぇぇえぇぇぇぇぇえんぇぇえぇええん!!」
まあつまり、号泣だった。
感情が少女のキャパシティを超え、溢れ出してきたのだ。
非常に困ったミコトは、隣のラカに助けを求めた。しかしラカ、救援のアイコンタクトに対し、『テメーがなんとかしろ』で返してきやがった。
ラカへの怒りは放っておいて、とりあえずミコトは、少女が安心するように微笑みを作った。
逆効果であった。少女はさらに激しく、わんわんと泣き始めたのだ。
「し、仕方ねえな、こりゃ」
こうなっては致し方ない。披露するしかあるまい?
このミコト・クロミヤ、一〇八の妙技を――なッ!!
「よぅっしゃ行くぜ……、……。……べ、べろべろ、ばぁ――――!!」
……結論から言わせてもらうと、だ。
悪化しました。
◇
――数分後。下層北区の住宅街。
そこに、幼女を肩車しているミコトと、ラカの姿があった。
「時間食っちまった」
遠い目をしてぼやくミコト。彼は自身が持ち得る技術のすべてを行使して、なんとか幼女を宥めることに成功したのだ。
その決め手は、
「まさか、魔術のお手玉で喜ぶなんてなぁ」
ミコトは両手から、赤と青の水球を作り出す。放り投げつつ、さらに黄と緑の水球を追加する。
色を変える程度の術式なら、そう大したものではない。このくらいの魔術は楽勝だ。
カラフルなお手玉を見て、キャッキャと頭上で喜んでいる。
そんな幼女の名は、チアというらしい。さっき教えてもらった
「五こめ! 五こめっ!」
「チアはんチアはん、さすがに五個はお兄さん、厳しいなぁ。あと、できれば体、揺らさんといて。マジで首と肩がががっがががぁ痛い! だからって髪掴んじゃ駄目ぇ!」
騒ぎ立てるミコトとラカ。
その二人から距離を開け、無関係を振る舞っていたラカが、見かねたように、
「……どーすんだよ、その餓鬼」
「どしよっか?」
ラカの呆れたような眼差し。
ミコトは乾いた笑みを漏らした。
「俺らは急いでるわけだが、泣いてる子供を見捨てるわけにもいかんだろ」
さて、そのチアのことだが、聞いた話は単純だった。
仕事に出掛けた母を見つけ出そうとして、迷子になってしまったらしい。帰り道もわからず、そんなときにミコトと衝突、感情が振り切れたらしい。
「ちょっと時間は取られたけど、別にこの子の親または自宅探しは、俺らの目的と並行できないわけじゃない」
歩きながらラカへ向き、「いいかね?」と人差し指を立てて説明する。
「俺たちが住宅街に来たのは、聞き込みのためだ。謎の治癒術師とバッサの居場所を知るための、な。そこに、この子の親と自宅も組み込みゃいいだけの話だよ」
ラカからすれば、オーデの捜索に邪魔、と思うかもしれないが。
ミコトとしては、心残りを放置したくないのだ。そこまで労力を割くわけでもなし、わざわざ良心の呵責を覚えたくもない。
「お前にゃあ、ムカつく話だろうけどさ」
「勝手にしろよ。オレはこんな、モノも知らねーよーな餓鬼に敵意を向ける、器の小さい女じゃねー」
「はい、そんじゃ許可もらったわけだし、サクサク捜索しちゃおうねー? チアはん、見知った場所があったら教えてねー?」
「うん、わかった、みぃくん!」
「おーし、みぃくん頑張るぞー!」
というわけで、さっそく聞き込みだ。
一人目。路地裏で寝転がってる女の人。
「あぇへん? し、知らない、わ。それより、お金ちょうだ……おぇぇぇぇぇ」
二人目。井戸から汲んだ水を、せっせと運ぶ奥さん。
「忙しいの、後にして! っていうか手伝って! ……ふぅ、ありがと。え? 治癒術師? その子? 知らないわ」
三、四、五人目。廃屋に住まう三人家族。
九人目。
一三人目
……以下略。
「くっそ、なんで誰も知らねえんだ!? ラカ、お前はどうだった?」
「ゴロツキ数人尋問したが、誰も吐きやがらねー」
「あー、うん。……まあいっか」
黙祷を捧げたのち、ミコトは思い悩む。
これだけ聞き込みして誰も知らないとなると、本当にひっそりやっているのだろう。医者が一見さんお断りは駄目だろ。
ラカと二人して唸りながら、先へ足を進める。
そのとき、ミコトの肩車されたままのチアが、声を上げた。
「ここ! みぃくん、ここ、わかる!」
「見覚えがあるってこたぁ、家、わかる?」
「うん、あっち!」
この辺りは十分に訊き回ったので、ミコトも移動しようと考えていたところだ。特に渋ることなく、チアの指示に従う。
そうして辿り着いたのは、下層北区の住宅街にあって、比較的裕福そうな見た目の一軒家だった。
「ここがチアのお家か?」
「うん、そう!」
「さよか、よかよか」
ようやく見つかった。そろそろ肩車も、首と肩が痛くなってきたところだ。
チアも自宅に帰ることができて、安心できる。
と、そのとき。安堵の溜め息を漏らしたミコトに……否、ミコトたちに声が掛けられた。
「あの、あんさんら? ここで何やっとりま……、ってチアちゃん?」
振り向くと、すぐそこに一人の人物が立っていた。
露出の多い、扇情的な衣服で身を包んだ、二三歳の女性だった。
特段美人というわけではないが、乳房の大きさは特大だ。
この女性はどうやら、チアのことを知っているらしい。知り合いのようだし、あとはこの人に任せよう。
そう考えていたとき、チアが衝撃的な発言をした。
「――ママ!」
あーそうなのかー、とミコトは納得しかけて、遅れて目を剥いた。
『歳当て』によるとチアは七歳、目の前の女性が二三歳。つまり、ミコトやレイラと同年齢に子を産んだということか。
いや、この世界では普通なのだろうか。
ミコトが思い悩んでいると、
「あんさんら、チアちゃんに何してはりますの?」
「迷子になっていたので、ここまで送り届けたんです。あ、俺、ミコトっていいます」
ラカがミコトの敬語に目を剥いていた。しっしっ、と遠くにやっておく。
ほら降りなさい、とチアを地に降ろし、母親らしき女性の元に向かわせる。
「ママー!」とチアが声を上げると、女性に飛び付いた。
「あ、あらあら、そうなの。うちはテュアーテいいますぅ。ごめんなさいねぇ、疑っちゃって。最近物騒だから、誘拐かと思っちゃったわぁ」
「それなら、近所の家にでも預けておけばいいんじゃ……?」
「生憎、みーんな仕事。信頼できない人も多いしねぇ」
治安悪すぎだろ、とミコトは内心思いながら、「関係ない俺が言うのは筋違いですが」と、
「それじゃあ、職場に連れていくのは?」
「子供を連れていくには、ちょっと刺激が多い職場なのよぉ」
「……失礼ですが、ご職業は?」
「あら、見てわからない?」
テュアーテは目を丸くしたあと、扇情的な衣服をひらひらとめくったあと、ハッと遅れて苦笑した。
「ごめんなさぁい、下層北区住みじゃないとわからないかもねぇ。うちの仕事は――ふふ、娼婦よ?」
それを聞いた瞬間。
ミコトの心の温度は、急降下した。
「……ああ、そう」
敬語は完全に失せていた。
「ちなみに、その子の親父さんは?」
「…………」
テュアーテは何も答えず、曖昧な笑みを浮かべただけ。
それで事情は把握した。つまりチアは、愛で生まれた子ではない。
ミコトは娼婦という存在に、まったくいいイメージがなかった。
性病の蔓延。貞操観念の欠如。金の関係。誰彼構わず致す職。愛を蔑ろにする行為。
そのすべてが受け入れられないものだった。
突如変化したミコトの態度に、テュアーテもミコトの嫌悪を察したのだろう。
申し訳なさそうな顔で、しかし、
「――でもうちは、この子を愛しているわ」
その言葉も、どこまで真実か……。
疑うミコトだが、それ以上追及する気はなかった。テュアーテの胸に抱かれるチアの、幸せそうな顔を見たら、何か言えるはずがなかった。
だからこれから言うことは、今までの流れとはまったく関係のないものだ。
「じゃあ最後に一つ。バッサっていう修道服を着た女性、もしくはフィンスタリー・トゥンカリーという治癒術師について、何か知ってるか?」
尋ねたが、期待はしていなかった。
今までどれだけ聞き回ったというのか。その苦労を思い返すと、希望が薄いように思えてしまった。
だが、予想はいい意味で裏切られた。
「……少し、聞いたことがあるわ」
「ま、マジか!? 教えてくれ!」
再度態度を変えたミコトに、テュアーテは目を瞬かせたあと、
「今日やってきたお客が、いやに嬉しそうに言ってたから、よく憶えてるわぁ。なんでも、右腕を治してもらったとか」
右腕を負傷した者。そんなの幾らでもいるが、ミコトは強引に結び付けた。
「そいつまさか、ラウスじゃねえだろうな!?」
「え、ええ。知り合いなの?」
「……ああ、知り合いだ。――今すぐ会いたい仲って奴だ」
再び湧き出しそうになる殺意を、なんとか抑えつけて、
「で、治癒術師については?」
「詳しいことはわからないけど、旧城壁の壁際から来たって言ってたわぁ」
「旧城壁近く、か」
今ミコトとラカがいる住宅街は、行き場をなくして外へと追いやられた者で作られたため、下層北区でも外周に近い。
旧城壁までは少し時間が掛かりそうだ。
ソースが娼婦の客、かつ仇敵ということが気にいらないが、それ以外に手掛かりはなく、追わない手はない。
「助かった、サンキュ」
「チアを連れてきてくれたお礼と思ってくれればいいわぁ」
「そうする。それじゃ、俺はこれで」
振り向いた先では、ラカが路地裏に身を潜めていた。先ほどの話を聞いた様子はない。
ミコトはテュアーテに軽く会釈すると、ラカの元に向けて歩き出した。
そのとき、
「みぅくん! らぁちゃん! ありがとー!」
ミコトは振り返って手を振った。テュアーテは好きになれそうにないが、親子としては幸せになってほしい、と願う。
ラカは憮然としていたが、ぶんぶんと手を振るチアを見て、仕方なしといった風に手を振り返した。
ラカの元に付いたミコトは、先ほどの話をどう伝えようかと悩んだ。
説明すると面倒なことになりそうなので、先にレイラに借りた『ノーフォン』を使用することにした。
魔鉱石が取り付けられ、幾つかのルーンが刻まれた遠話の魔道具『ノーフォン』。
空属性のため、非常に高価なそれを、ミコトは慣れない手付きで起動し、サーシャとグランに先ほど得られた情報を伝えた。
「さて、と。ラカ、いい知らせと悪い知らせ、どっちがいい? って冗談言える状況じゃないから、話しやすさの点からいい知らせを先に伝える」
「御託はいーんだよ。さっさとしろ」
「くっそ、伝えにくいんだよな……」
ミコトは唸って、どんな言葉を選ぶか悩んだ。
だが上手い言い回しが見つからず、観念して話すことにした。