第一五話 魔族グラン
五章ミコトをキャラ崩壊させてでも、どうしても言わせたいセリフがあったんです……。
――イヴとサヴァラの戦闘と、ほぼ同時期。
異常事態が始まって、もうすぐ一時間が経とうとしていた。
ウラナ大森林の中腹。
邪晶石を消滅させたラカ、オーデ、ミコトの三人が、里に戻る最中。
この近辺は、すでに発生した魔獣が通り過ぎたあとらしく、一体も見当たらない。
つまりそれは、麓に向かって行ったということ。里が襲われている可能性が高い。
彼らは急いでいた。
『変異』によって巨大な獣となったミコトの背に、ラカとテッドがしがみ付いている。
怪物と化したミコトの疾走は、生身では厳しいものがあった。
だが、肉体に掛かる負担を覚悟して、ラカが言う。
「もっと早く走れ! オレらは気にすんじゃねー!」
「え?」というテッドの言葉は、風に紛れて掻き消えた。
ミコトの疾走速度が加速し、テッドは慌てて口を閉ざした。。
手を離せば吹っ飛んでしまいそう。顔面に叩き付けられる風が、ビリビリと痛い。
口を開ければ、肺の奥まで蹂躙されそうで、声を出すことすらできない。
何キロも開いた距離が、急速に縮まっていく。
魔獣がちらほらと現れ始めた。魔獣の群れに追い付いたのだ。
この速度で方向転換すれば、今度こそ背の二人は投げ飛ばされる。
ミコトは進行方向にいる魔獣だけを、突進だけで押し潰していく。
と、その時だった。
封魔の里の方向で、超巨大な竜巻が出現した。
徐々に範囲を広げていく竜巻は、魔獣の大群を飲み込み、殲滅していく。
背の二人に負担を掛けないように、ゆったりと足を止めたミコトは、頭上を見上げた。
木々の隙間から、空が見える。
青い月を背に、一人の人物が、上空にいた。
《風月》の使徒、ヘレン。
理由なんてわからない。そんなことはどうでもいい。
大切なのは、彼女が里を守っているという事実。
お互いに認識し合う。視線が絡み合う。
言葉はなかった。謝罪も、感謝もなかった。
それで十分だったのだ。
「この風、どうやって突破すりゃいいんだ……」
ぼやくテッドと、悔しげに噛み締めるラカに、ミコトは伝える。
「里は無事だ」
「は? それはどーいう……?」
言葉を交わす内に、風がやんだ。
再び上空を見上げると、ヘレンが風に紛れて姿を消すところだった。
あんなに溢れていた魔獣は、ズタボロの肉塊へと姿を変えていた。
ほとんどの魔獣が、これで殲滅できただろう。森に残った残党も、時間を掛ければ殲滅できるはずだ。
ラカとテッドを降ろすと、ミコトの肉体がぼろぼろと崩れ始める。
肉塊の獣が剥がれていき、人間としての体が露わになる。瞳を黒に戻し、『黒死』による黒衣を纏った。
終わったのだ。この戦いも、ようやく。
交し合う言葉はない。三人は自らの足で、里へと向かい始め、
突如、横合いから凄まじい衝撃を受けた。
吹き飛ばされる。
三人は木に、思い切り背中から叩き付けられた。
折れる骨。傷付く内臓。口から吐いた血が、地面に血溜まりを作る。
ラカとテッドは、意識を朦朧とさせている。
しかしミコトには、意識不明から回復する手段、『再生』を完全に行使するための体質がある。
世界に散っていった残留思念が、早く目を覚ませとミコトを急かす。
意識を完全に取り戻したミコトは、右手で自身の首を掴み、捻る。絶命し――『再生』。
怪我をなかったことにして復活し、衝撃の原因を睨み付けた。
木々を圧し折って着弾したのは、赤く鋭い毛並みを生やした、巨大な獣であった。
猫背で、二足で立ち上がる姿は、まるで人虎のよう。
「は……れ、ろ。……コ、ト。ぉ、れ……か、らァあぁ!!」
何かを伝えようとする人虎の呻きは、誰にも届くことはない。
正気を失った赤い虎が、血色の瞳を輝かせ、ミコトを睨み付けた。
微かに抱いた既視感を、気にする暇はなかった。
「グルルルルォォォォォオオオ――――!!」
ダンッ!! と人虎が踏み込む。地を抉る脚力により、瞬く間にミコトに接近した。
三メートルを超える巨体が、ミコトの視界を覆い尽くす。
ぎりぎりで反応したミコトは、横っ飛びでその場から離れる。
しかし、人虎の対応はあまりに早く、速い。突き出した腕が、ミコトを追尾する。
瘴気と黒衣が接触した。圧縮した瘴気に、所詮『黒死』を薄くしただけの黒衣は相殺させられた。
そして、本命の鋭い爪が、ミコトに直撃した。腹部を裂くだけに収まらず、地面に叩き付ける。
「がっ、ぎぁ……!」
何度も地面をバウンドしながら、ミコトは吹っ飛ばされる。巨木に激突し、ようやく動きを止めた。
裂かれた腹から、赤く糸状で、細長いものが伸びている。人虎は、その先端を握っていた。
ミコトの小腸を、人虎が振り回す。その動きに引っ張られて、ミコトも振り回されることになる。
体が浮き、木々に叩き付けられ、地面に叩き落され、轢き回され、空に打ち上げられる。
木々よりも高く投げられる。枝葉に肌を傷付けながら、空の下に晒される。
しかし、ミコトが空を見上げることは叶わない。ミコトの真上に、人虎が先回りしていたからだ。
「ガァァァァァアアアア!!」
「……ッ!!」
人虎の貫手と、ミコトの蹴りが激突する。
威力は互角。位置関係により、人虎は空に弾き飛ばされ、ミコトは地面に叩き落された。
人虎が、巨体に関わらず静かに着地した。ミコトのほうへ歩いてくる。
ミコトは横目に、倒れたままのラカとテッドを見やった。
このまま人虎に殺されれば、『黒死』の発動条件が整い、簡単に殺せるだろう。
だが、人虎の暴走に、二人が巻き込まれる可能性がある。一瞬でも完全に、相手に主導権を渡すわけにはいかない。
殺されることなく、殺さなければならない。
ミコトは自身の命を絶ち、『再生』しながら体勢を整えた。
肉が蠢き、一つの生命が復活する『再生』。それを目にして、人虎が動きを止めた。
「ミコ ト。 やく ぃ、げろ」
今度こそ聞こえた。人虎の声が届いた。
その声音に、聞き覚えがあった。気付けば、姿にも共通点が見られる。
生命を探って、ミコトはようやく、その正体を確信した。
「まさか――グラン、なのか……?」
機械の怪物と化した心が揺らぐ。
罅割れの隙間から、『弱さ』が漏れ出る。
「人虎……。テメェは李徴かよ、グラン……!」
「グラァァルルルルァァァァァァァアアア――――ァァア!!」
人虎。魔族と化したグランが咆哮し、疾走する。
待ち構えるミコトは、悲鳴を上げる心に、表情を歪めた。
クロミヤミコトは、仲間を殺せない。
そういうプログラムになっているから。だから、彼に反撃はできない。
一方的な蹂躙が、始まった。
どれくらい時間が過ぎただろうか。
魔族となったグランは、疲労というものがないのか、攻勢を弱めることはない。
いや、それどころか、さらに強くなっていく。
瘴気が馴染み始めている。
初期から中期へ移り変わろうとしているのだ。
グランの魔族化。思い至ることは、たくさんあった。
敵を殺せば仲間は大丈夫だと考え、外にばかり目を向け、内を気にしなかった――その結果、今がある。
「ぐ……!」
身体能力は、完全にグランが優勢に立ってしまった。
グランを傷付けられないミコトは、回避に徹するしかない。だが、グランの猛攻に、回避だけでは対処できない。
何度も傷付き、何度も自死し、何度も『再生』し。
しかし、進展はない。グランは意識を取り戻すことなく、魔族化は進み、状況が悪化していくばかりだ。
どうする。
どうすればいい。
どうやったらグランを止められる。
――殺せばいい。
チガウ、チガウ、チガウ。
それは駄目だ。それは許されない。
なら、なら、なら。
いったい、何をすればいい。
「が、ふっ……ぁ!」
痛い。
何かが軋む。苦悩、苦痛、悲痛。殺意を抑えて、歪んでいく。
「え、ラー が、ぁぁ あ。発生、しま死、た――」
もう、戦えない。
プログラムにない命令に、機械の怪物は故障した。
ミコトに、グランの蹴りが直撃する。
バウンドし、木に背中を打ち付け、血を吐いた。
「……ま、待て!!」
霞む視界。その中で、一人の少女が映った。
ミコトに接近しようとするグランの前で、立ち塞がっている。
ラカ・ルカ・ムレイが、グランと対峙していた。
力の差は圧倒的。ラカは間違いなく、グランに殺される。
仲間が、仲間を殺そうとしている。
こんな状況、プログラムに設定していない。
助けなきゃいけない。どうやって? グランを殺すしかない。けどグランは仲間だ。殺しちゃ駄目だ。でもラカが死ぬ。ラカを守らなきゃ。オーデの代わりに。託されたんだから。じゃあやっぱりグランを殺すしかないじゃないか。
でも、いや、けど、しかし、だが。
仲間を殺すな。仲間を守れ。仲間を裏切るな。仲間を救え。仲間を死なせるな。仲間を生きさせろ。
大事なんだ。失いたくないんだ、もう二度と。
だから、だから、だから――――!
グランが、腕を振り下ろす。
ラカに、対処することは叶わない。
直撃する――直前、ラカに覆い被さる者がいた。
テッド・エイド・ムレイ。彼は少しでもラカのダメージを減らそうと、盾となったのだ。
だが、そのような薄い盾など、グランにとっては紙屑も同然だろう。
ラカが一人で死ぬはずだったのが、テッドを加えて二人になった。
ただそれだけのこと。
腕が迫る。
魔手が、死が、目前に。
その死を、肩代わりする者がいた。
ミコトが、間に割って入った。
今度の盾は、盾として足り得る。
黒衣が瘴気で相殺される。
鋭い爪が肌を破り、肉を裂き、骨を砕き、芯を折る。
今度こそ、即死だった。
◆
殺された。
仲間の手で、一個の命が絶たれた。
ミコトはグランに殺された。
仲間に、殺されたのだ。
『黒死』の条件が整い――意識が切り替わる。
プログラムを組み直す。エラーが止まる。
殺したら殺し返せ。
敵も仲間も関係ない。
奪い返せ。
死なせ。
堕とせ。
殺せ。
殺せ!
殺せェ――!!
――《黒死》の使徒が、グランの死を容認した。