第一六話 生きて
圧倒的だった。
呆気ないぐらい、簡単なことだった。
半年前の決闘の時とは、まるで大違いだった。
ミコトの一手一手が、グランを追い詰める。
急速に、確実に、グランの攻撃を捌き、カウンターを打つ。
グランは行動するたびに、瞬く間に不利になっていく。
先ほどまでの力関係とは、まったくの真逆。
グランはもう、手も足も出なかった。
いくら元々の個体が強くとも、魔族としての素質があろうとも。
容赦のなくなった使徒に、中期程度の魔族が叶うはずがなかったのだ。
最後の一手が、グランを弾いた。
攻勢を緩めたが最期、グランに防御の手段はない。
なぜならば。
それは耐え忍ぶことも、瘴気で相殺することもできない。
絶対的な死。
命属性の神級、賜死魔術。
漆黒の泥が生まれ出る。
ミコトの手から、『黒死』がついに――、
◆
さて。
メレクという、とある無属性魔術師がいた。
男か女かもわからない。自己がない、誰かに『顔』を借りなければならない狂人だ。
メレクの偽装魔術『ケムダー』は、他者になる魔術だった。
その人の『顔』を見て。
その人物の残留思念を読み取って。
残留思念に込められた、誰かの『顔』を汲み上げて。
しかし偽装魔術は、完璧に本人に近付けるわけではない。
たとえば、目前にいる者の『顔』を借りるとするだろう。
その場合は、ほぼ完璧に偽装することができる。
たとえば、その『顔』の残留思念を読み取るとするだろう。
その場合は、残留思念に込められたモノしか読み取れない。本物からは遠ざかる。
たとえば、残留思念に込められた、誰かの『顔』を汲み上げるとするだろう。
その場合は、本人とはまったく遠ざかる。希望や憶測が入り交ざり、本物とは大きく違ってしまう。
もっとも。
メレクにとっては、『顔』が本人に近いかどうかなど、関係なかった。
相手に愛を向けられたら、それでよかったのだ。
まぁ、メレクの話はもういいだろう。こんなものは前置きに過ぎない。
問題は、どうして『彼』が知り得ぬ『彼女』を、メレクが偽装できたのか。
彼は彼女を愛していた。
だが、離れていた一〇年という長い時間、彼女がどのような生活をしていたのか。彼には想像することしかできなかったはずなのだ。
なのに、彼女に偽装したメレクは、生活級魔術しか使えなかった幼き頃を上回り、初級魔術を使ってみせた。
なぜか。
その理由は簡単だ。
メレクが読み取ったのは、彼の残留思念だけではない。
――彼のそばには、彼女がいたのだ。
◆
◆
寂しかった。
ずっと、そばにいてほしかった。
だけど、彼には彼の生き方がある。
獣族の集落を出て、外の世界に出て行く彼を、引き止められなかった。
彼女は一〇年間、待ち続けた。
春が来て、夏が過ぎ、秋を超え、冬を耐え。また、春が来て。
成長して。体も大きくなって。垂れた耳だけは治らなかったけど。
修行して。魔術をちゃんと使えるようになって。集落では一番の使い手になった。
求婚されて。でも断って、彼を待ち続けた。
彼に救われた。一目惚れだった。
祖父に頼んだ。彼と一緒になりたいと。
そして、彼とよく遊ぶようになって。
幸せだった――。
この気持ちを、彼が帰ったら、なんて伝えよう。
彼も同じ気持ちだったら、嬉しいな。
だから、つらくなんてないよ。
確かに寂しいけど、いつか彼が帰って来る日を想うと、つらいわけがないよ。
また、会いたいな。
そう願った。
…………。
けれど、その願いは、叶ったけれど。
彼と再会することはできたけど。
でも、それと一緒に、終わってしまった。
炎に焼かれて、燃えてしまった。
でも。
指輪、とっても嬉しかったよ。
これで私は終わりだけど。
この人生は幸せだったって、ハッキリと言えるよ。
だから、そんな悲しそうな顔をしないでよ。
復讐なんていいよ。貴方が幸せが、私の幸せなんだから。
だから、苦しまなくなっていいんだよ。
まだ、貴方は生きて。
彼らを守ってあげて。
大事なんでしょう? だから、こんなところで投げ出しちゃダメだよ。
大丈夫。貴方は死なない。
私のために、そうなる覚悟をしたんでしょう? だったら、私も貴方の助けにならなきゃ。
だから生きて、グラン――――。
◆
◆
『黒死』がついに、放たれようとして。
その、直前のことであった。
ずるり、と。グランが纏っていた瘴気が、滲み出してくる。
それは単純な魔力の精製ではない。まるで、異物が吐き出されるような。
突如として形を形成していく瘴気。
ガスのように揺れる人型に、女の顔が現れた。
血色の瞳を輝かせた、瘴気に侵された悪霊――魔物だ。
「グ ン わた がま るぅ」
どうして魔物が、グランに憑いていたのか。
そんなのは、ミコトにとってはどうでもよかった。
ただ一つ、わかっていることは。
その魔物が、グランを狂わせた原因ということ。
魔物の胸には、血色の結晶体がある。
心臓の鼓動のように、邪晶石が点滅する。
「あ たのため、にも。グラ のため、にも。彼 殺 せは ない!」
そして完全に、グランと魔物が分離した。
魔物は邪結晶と、グランに宿っていた瘴気を攫った。それにより、魔族と化していたグランの肉体が、急速に元に戻っていく。
全身を覆う赤い毛並みは抜け落ち、肉が崩れて剥がれ落ち、グランの体が露わになる。
魔物はミコトへ向かう。両腕を広げ、ミコトとグランを遮るように。
「ケ、キけ、砉ッ」
ミコトは嗤った。
そちらから近付いてくれるなら、こちらとしても助かる。――とても殺しやすい。
「ま、待ってくれぇ……!」
グランの懇願が聞こえた。
理由なんてどうでもいい。なんにしても、止まる気などないのだから。
「わ しが ぁぁぁぁぁぁああ! 守る――ぅぁ――!!」
愛する者を守りたいと。
そう叫ぶ者がいた。
「あああ あ ああ ああああああ あ ああああああああ あああああああ あああああ ああああ あ あああ…………!!」
愛する者を失いたくないと。
そう叫ぶ者がいた。
「殺すゥゥァァッァァァァアアア!!」
仲間の涙も見ず、叫ぶ声も聞き入れず。
ただ殺すと、叫ぶ者がいた。
そうして、『黒死』が放たれて。
全て、終わる。
「グラン。――私は貴方を、愛しています」
「セリ、アン……ッ!?」
交し合う言葉は、ひどく短い。
しかし、女の魔物は、幸せそうに微笑んだ。
「生きて――――」
グランが心配で、そばで見守って。
邪晶石を抑え、瘴気の侵攻を肩代わりして、魔物になった。
愛する者のために、自身の全てを捧げた、その末に。
『黒死』に飲み込まれる。命が、心が、魔力が。
心優しき幽霊が。
セリアン・スロヴィが、今度こそ、完全に死んだ。
「ああああ ああああ ああああああああああ ああああああ ああああああ ああああ ああああ ああああああ ああああああ ああ ああ ああああああ ああああああ ああああああ あああああ ああ あ ああああ ああああ ああ あ ああ ああああああああ…………!!!!」
◆
「ああああ ああああ ああああああああああ ああああああ ああああああ ああああ ああああ ああああああ ああああああ ああ ああ ああああああ ああああああ ああああああ あああああ ああ あ ああああ ああああ ああ あ ああ ああああああああ…………!!!!」
グランは絶叫する。
あれは間違いなく、セリアン・スロヴィだった。その声を聞いた、姿を見た。
そして、その最期は。
仲間に殺されての、グランを守っての、死。
「ああ、ぁっぁぁあ、ぁぁぁっぁぁぁぁぁぁ 」
彼女の意志を知った。
セリアンがどんなに、こんな自分を愛していたのか。
復讐なんていらないと。ただ幸せになってほしいと。そう微笑んで。
「――――ァァァァァァア!」
衝動のまま、ミコトに跳び掛かった。
彼が悪いわけではないことは、ただの八つ当たりだということは、グランにもわかっていた。
それでも、この激情を吐き出さなければ気が済まなかった。
馬乗りになる。抵抗しないミコトの顔面を、思い切り殴り付ける。
何度も。何度でも。気が済むまで。
殺してしまうまで、殴るつもりだった。
その後、ミコトに殺されるなら、それでもいいと思っていた。
あともう少しで殺してしまう。その時になって、ようやくミコトは反撃する。
人に戻った直後のグランは、ひどく消耗している。腹部に入れられた蹴りに、耐えることもできない。
胃液を吐き出して、グランは転倒する。体勢を整えないまま、再び跳び掛かれば、顔面に拳が減り込んだ。
グランは斜面を転がっていく。木にぶつかり、動きを止めた。
斜面の上から、感情なき声が掛けられる。
「俺がテメェらを生かすことを邪魔するなら、例えテメェらだろうと許さない」
見上げれば、冷たい黒瞳が見下ろしていた。
「だから、邪魔をするな――殺すぞ」
自己中心な救済精神。
自分本位な自己犠牲。
まさしく狂人。
堕ちた勇者の使徒に、なんと相応しいことか。
グランは絶叫を上げた。
彼は今日、愛する者を、再び失ったのだ。




