五丁目 母さんがくれたあの眼差し
サブタイトルはあまり関係してません
そこからなにが起こったのかは鮮明に思い出せない、いや、思い出したくないと言った方が正確だろうか。人間あまりの恐怖で一時的に記憶を失くすことがあるそうだが、それに近いのかもしれない。ただ俺の場合は一時的と言うには生やさしすぎる。一生のトラウマになりそうだ。
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光…そう七色に輝く閃光だけが見えた。これが話に聞く小春流最終奥義不倶載天なのか…。ほんの一瞬の間に親父は天高く舞い上がっていた。
体はのけぞり、激しくきりもみ回転しながら地面にすさまじい速度で落ちる。
おかっぱ頭の忍者が使うもろはの技を想像してくれ、ちょうどそんな感じだ。ただしこの技には術者になんの負担もない、MP0の完全にオイシイ技だ。核弾頭が落とされたようにえぐられた地面から這い上がってきたのは、どこぞの戦闘民族でもなければ、超能力者でもない。◯◯県◯◯市千軒町在住の専業主婦(年齢不詳)浅岡小春である。
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「…………」
風だけが沈黙から逃れ、音を起てていた
「はふぅ、ちょっとはりきりすぎちゃった」
ちょっと?誰もが同じ疑問を頭に浮かべたに違いない。なんたって周りの生徒や教員たちは、足がすくんでその場に倒れるか、恐怖で抱き合ってるか、だからだ。この世に重力など無いのではないかと懸命にジャンプする殊勝な物理教師もいた
「……ス…スゴイです!どうやったんですか!?今の!」
神海杏奈だ。腰を抜かしながらも、母の後ろで拳を降り上げ興奮している。興奮させた当人は
「ふふ、禁則事項です♪」
頬に人指し指をあて、どこかの未来人気取りだ。悔しいが、板についている。その外面から溢れ出るコケティッシュな魅力には、大きなお友達も大満足だろう
人間力学を無視した、体の構造を知らなければの話だが
「あ、あの技は…」
廊下の窓から、グランドの惨劇を食い入るように見ていた穂村さんがわなわなと呟く
「穂村さん…?」
「え!あ!はい!」
「…?」
まさか穂村さんも神海と同類なのか…いや、そんなはずない。穂村さんは一般常識を確実に網羅した、いわゆる一般人だと俺は信じている
「とりあえず…」
どうするというのか。こうなったら確実に母の一人勝ちだ。今の母に勝負を挑まれたら、あの織田信長だって喜んでカードを献上するだろう。そう、選択肢はただひとつ
「戦いましょう!」
そうそう戦い……は?
「ちょっと待ってくれ穂村さん、見たでしょ?さっきの」
「おのれぇ…師父の技を」
「えーと何故?」
「あの人は…私の…」
ダメだ…会話を成立させる気がない
「じゃ、じゃあ俺はここで…」
ガシッ
「戦いましょう浅岡君!」
ああ、そんな真っ直ぐな目で見ないでくれ…
「……まあ…母さんだからな……手加減してくれるかも……」
限りなく0に近い可能性に俺の全人生をかけ、穂村さんに疑問をもちながら、グランドへ引きずられていった
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「あらぁ?三丁目じゃない、どうしたの?」
「…その、できれば話し合いで解決の方向で…」
実に男らしくない発言だと思う。だが考えてみてくれ、死ぬか生きるかの瀬戸際なのだ。
「ふふ…やぁねぇ、私はパパを連れ戻しに来ただけだから優勝には興味ないわよ?」
クスクスと人形のような笑顔で微笑む母。良かった…これで明日の太陽も拝める
「おばさん…お相手願います」
「バカッ!何を!」
必死で穂村さんの口を塞ぐ、だがエンマ様もびっくりなそのヘルイヤーはしっかりとその言葉を受け止めていた。空気が張り詰める
「三丁目ちゃん、その子、誰かしら?」
「クラスメートの穂村さんです」
母はニコニコと笑ったままだ。これだけ見ると、雑誌の一面を飾れそうである
「おばさんってもしかしたら、ううん、万にひとつの確率だけど私のことかしら?」
「あなた以外に誰がいる!」
「ほ、穂村さーん!」
逃げなきゃダメだ逃げなきゃダメだ逃げなきゃダメだ!
「少し頭のネジを締め直してアゲル必要があるようねぇ」
甘い声で母が笑った
「頭のネジを締め直すのはアンタの方よ!師父の墓前で土下座させてやるわ!!!」
穂村さんはいたって本気である
『キィィィィィン!!!』
「ぐわぁぁぁぁ!!!」
強烈なスピーカーのハウリングにその場にいる全員が耳を塞いで悶え苦しむ
『しくしく…実況に復帰しました、哀れで愚かな犬畜生こと青山緑です…』
引き下げ過ぎだろ。一体何があったんだ
『解説は引き続き中目黒桃江がつとめさせていただきます』
『…ッさぁ気を取り直して実況しちゃうよォ!これが最終決戦なのか!!!史上最強主婦VSメガネっ娘!!!いよいよ開戦です!!!』
青山さんの立直りの速さはともかく、倫理的においてけぼりの俺はどうすればいいんだろう
「…うひゃあ!!!」
地面に拳が減り込む。それを間一髪でかわし、相手を見定めた
「こ、神海…!」
「ふふふ…私を忘れてもらっちゃ困るわ…!」
「バッ!この状況がわかんねぇか!?俺達のケンカなんて前座にもなんねぇよ!!!」
「バカはそっちよ、優勝賞品を忘れたの?頭の悪いアタシ達にしてみれば喉から手が出るほど欲しいシロモノっしょ?」
「お前と一緒にするな!この怪力女!」
「カッチーン、アッタマにきちゃった〜♪」
絶対ウソだ。てかこれサバイバルゲームだよな?これじゃまるで天下一舞闘会だ。
って、んなこと考えてる場合じゃない、拳をパキパキ鳴らす神海杏奈がニヤニヤしながら近づいてくる。おのれ、俺のまわりはなんだってマトモなやつがいないんだっ!
「ま、待て。お前と俺では戦闘能力に違いが…」
「ふふふ…仮にも浅岡家の一員でしょ?根性見せなさい」
マジか?貴様ツッコミが死んだらどうするんだ!あ、ツッコミって言っちゃった。
…三丁目はかなり冷静だった。
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―――
「やるわねぇ」
「当たり前です。師父の一番弟子ですから!」
三丁目がクラスメートと命の駆け引きをしているとき、こちらでは人間離れした戦いが繰り広げられようとしていた。
「そう…げんちゃんお亡くなりになったの…」
ほうっと小春が頬に手を当て、せつなげに眉をひそめる
「なぁにぃをぉぬけぬけと!!!」
穂村さんの上段回しげりが放たれた
「でもなんであたしを襲うのかしら?身に覚えが無いんだけど」
小首をかしげながらヒラリとけりをかわすと、頭の中の記憶を探るように額に指をあてた
「自分の、胸に、聞き、なさい!!!」
合計四発のパンチとキックを織り交ぜた多角攻撃を、ボクサー顔負けの手際良さでいなすと、小春は閃いた
「もしかしたらアレかしら!私がパパと結婚しちゃったから?それを苦に入水自殺?」
「んなわけないでしょーがァ!!!」
穂村さんは激昂し、最後に右ストレートを繰り出し(無論かわされたが)、攻撃をやめて立ち尽くした
「…そんなに聞きたければ教えてあげるわ!」
「ううん、別に聞きたくないわ」
「え?」
ギャラリーが驚きで押し黙る。ここに来てまさかそれとは思わなかった。非常識と言えば片付いてしまうが、空気というものを読む気がない
「死人に口なしっていうじゃない?私は今を生きるの」
「ちょっ……え?」
少女のように、指を絡ませてうっとりする小春。言葉の意味をはきちがえているのは故意になのか天然なのか、それは誰にもわからない
「てなわけで行くわよ」
小春の両手から調理用具が手品のように現れた。おたま、しゃもじ、フライ返しと多種多様だ。依然ニコニコしていたが、軽い殺気が入っていた
「ひ、ひるむと思うのかー!」
穂村さんもキャラを忘れて凄む。スカートをまくり上げ、もう女を半分近く捨てている。
小春の手からしゃもじが放たれた。
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―――
ドッゴォ!!!
「たわっ!」
「こらー!逃げるなー!男らしく戦えー!!!」
「むちゃ言うな!!!」
あっちが激しくバトルを繰り広げている中、こっちは鬼ごっこである。
「くそっ!疲れてきた!なんて体力してやがんだあの女!!!」
「ま〜ち〜な〜さ〜い〜痛くしないから〜!」
「見え透いたウソをつくな!!!」
はぁ…はぁ…、なんで学校行事でこんな疲れなきゃあかんのだ…。ん、待てよ?学校行事…?
ズザッ
三丁目が自分の足にブレーキをかけ、神海の方を向いたまま止まった
「あら?やる気になった?」
「くくく…」
「な、なによ?」
三丁目の薄気味悪い笑い声に一瞬たじろいだ
「残念だったな神海杏奈、俺はやっと気付いたのさ、ルールを逆手にとるとはこういうことだッ!」
「なッ!」
三丁目はカードを高く掲げ、いざ破らんと両の指に力を入れる
「ほれほれ、破るぞ〜、俺は正直優勝より命が惜しいが、お前は優勝したいんだよな〜」
「か、完全に悪役じゃない!!!」
「やかましい!人間誰でも自分が大切なんだ!!!」
ギャラリーが一斉にため息を漏らす。なんと見るに耐えない最終決戦だろうか
「はっはっはっ!よし、このまま逃げると…」
ヒュン
「え?」
「あ」
二人がマヌケな声を出した。その理由は一目瞭然、三丁目が高らかに掲げていたカードがそこから消えていたのだ
「ど、どこだ!てか何があった!?」
「あ、あれよ!」
神海が指す方を見ると、校舎の壁にカードがあった。オマケつきで
「あ、あの野郎〜!」
しゃもじだ。しゃもじでカードが壁に突き刺さっている。あのしゃもじ、ともすれば人をも殺せそうである
「余波がここまで来るなんて…」
複雑な驚きをあらわにする神海はふとして我に返った。すでに三丁目がそれに向かって走り出している
「あ、ズルイ!」
「うるさい!早いモン勝ちだ!!!」
二人のビーチフラッグ対決が幕を開けた…