五十四丁目 魔法激戦
「行くゾ」
二人は声もなく頷き、できるだけ音の出ないように大理石の廊下を走る。
「しッ!」
シャウルが壁に張り付き、人差し指を口につけた。二人がそれにならうと、今突っ切ろうとしていた場所を、ランタンを持ったメイドが通った。
「アイカ」
「はい」
シャウルが赤坂さんに目配せする。赤坂さんはこくりと頷き、すっ、と闇に体を溶かした。そして音もなく、加えて刹那の間に今通りかかったメイドの口を塞ぎ、羽交い締めにして三丁目の背後にあらわれた。
「同じ職同士、手荒な真似はしたくありません。女の子達のいる部屋はどこですか?」
冷気を帯びた口調でメイドに囁く。しかしメイドにもプライドがある。眉を釣り上げて黙したままであった。
「どケ」
シャウルが三丁目を押しのけ、メイドの額に指を押し当てた。メイドの瞳が白目の中でふるふると震える。
「その誇りは気に入っタ。しかし吐いてもらわないと困るんでナ」
シャウルの人差し指が静かに輝きだした。
「……わかっタ。二階の奥の間ダ」
「ど、どうして……」
信じられない、といった様子でメイドは小さく漏らした。
「私の魔法は『潜詠』、これほどの魔法となると精度が期待できんガ、緊迫状態での意識ほど読みやすいものは無イ」
そう耳元で囁くと、あろうことか、メイドは不敵に笑った。
「心を詠む……ですか。なるほど珍しい魔法ですね……。ですがそんなにペラペラ喋っちゃっていいんですか?」
そう言い終えた瞬間、メイドの右手から鈍い閃光が放たれた。赤坂さんの手を払いのけ、背後に飛び上がり、空中で体をひねって床に着地する。
「ここまで侵入してこれたのは褒めてあげます。しかしこれ以上は私が許しません。おしかりを受けてしまいますからね」
メイドはもう一度笑うと、未だぼんやりと光る右手をシャウルに向けた。一体何の魔法なのだろうか、まるでホタルの光のようにチカチカと点滅を繰り返している。
「……どうしたんですか? 心を詠むだけでは私は倒せませんよ? それにもうすでに私の魔法、『伝達』で人を呼んであります」
依然勝ち誇ったように笑うメイド、しかしシャウルはあせりもしなければ冷静な態度も崩さない。
「……お前にいろいろと喋ったのは敬意を表したからダ。だが考えなしに喋ったわけではなイ。そろそろだナ」
「……何を…? ……ッ!」
メイドはがくん、とひざを突いた。おかしい、足腰に力が入らない。
次いで強烈な睡魔がメイドを襲う。
「おの…れ……」
ついにはその睡魔に抗えず、ばたり、と床に伏してしまった。
−−−−−−
−−−
「…うした……おいッ!」
「う……」
頭を抑えてメイドは半身を起こした。二日酔いしたかのようにガンガンと頭が痛む。
「どうした?」
意識がはっきりしてきて、ようやく自分の置かれた状況を理解する。
「あ…れ……? なんで私こんなとこに……」
思いだそうとしたが、どうも記憶がはっきりしない。ラシャス様の花嫁を二階の奥の間へとお連れしたあと邸内を見回って……それからどうしたんだ? なぜ自分はこんなとこで寝ている?
「疲れか、最近は旦那様の好色具合が増してひどいからな。魔法にでも中てられたか?」
使用人がメイドに手を貸しながら言った。
「いえ……そんなことは……」
頭を抑えながら立ち上がり、 否定する。確かに主人の『誘惑』は強力だが、自分をしっかり持てばなんとか耐えられる。そうまでして何故忠誠を誓うのかと問われれば、それは先代に恩義があるからだ。
「とりあえず私が代わる。お前は休め」
「……すいません」
申し訳なさそうに頭を下げると、メイドは部屋へと戻っていった。それを確認したのち、使用人の男も見回りに移った。
……………。
「……すごいですね」
三丁目が感嘆の声を漏らすと、シャウルは当然とばかりに胸を張った。
「魔法は使い勝手でどうとでも使えル。アイカ、お前の魔法もダ」
「私の……?」
赤坂さんが首を傾げると、シャウルは頷き、続けた。
「聞くところお前の魔法は声量の魔法らしいガ、その『まいく』とやらをもう少しいじってみロ。お前は何か知っているのではないカ? サン」
名指しされぎくっと固まる三丁目。今の女の体は赤坂さんはおろか、シャウルより小さい。よって二人の注目が集まると必然的に上から目線になってしまうのだ。暗い邸内もあいまって、視線がとても怖い。
「……そうなんですか?」
「あう……」
静かな声の赤坂さんはまだアサシンモードであった。三丁目は蛇に睨まれた蛙状態。しかし永遠かと思われた時間はシャウルの小さな叫びによって破られた。
「誰か来ル……!」
「またかよ!」
「さ、三丁目さん声が高……!」
赤坂さんが言い終える前に、時はすでに遅すぎたようだ、声に気づいた人影が角の向こうからやってくる。逃げ場を探すが……ダメだ! 先ほどメイドから情報を引き出したときに見つかりにくいよう行き止まりへと隠れてしまった。もうダメだ! 見つかる! と三丁目は目をぎゅっと瞑った。
「……おや? 君は……」
「へ……? その声は……」
−−−−−−
−−−
「……きて……起きて!」
体を揺さぶられて目を覚ませば、そこには神海がいた。
「神海さん……?」
「逃げるわよ」
「え? でも……」
「今逃げないでいつ逃げるの!」
神海は同じベッドで眠る朝日香の手首をひっつかみ、引っ張った。
「……そういうわけにはいきませんな」
闇の中から突然声がして、神海は思わず固まってしまう。
「あんた……執事長のセドリックね…」
御名答、と言わんばかりに闇の中をコツコツと現れたのは一人の老紳士。穏やかではない雰囲気を漂わせている。
「坊ちゃまを先代の御言いつけ通り一人前に仕立て上げるには坊ちゃまの望みを満たすことが最優先。あなた方には気の毒ですが」
「そう思うなら通してくんない?」
汗を垂らしながら不敵に笑う神海、返ってくる答えはわかっていたが。
「では実力でいきましょう」
セドリックは両手を前へ突き出し、手のひらを神海と朝日香へ向けた。
「ごめん朝日香! 手、貸して!」
今はパラソルがない、魔法を使うことができないのだ。
「やってみます。私が隙を作るので神海さんは直接彼を!」
「オッケー!」
朝日香の体がぼんやりと光り、優しい光が徐々に出力を増してゆく。
「く……っ!」
朝日香の魔法に中てられたのか、セドリックは一瞬よろめいた。しかしさすがは執事長、なかなかそこらの男のようにはいかない。
「はぁぁぁッ!」
神海が大きく腕を振り上げ、素手でセドリックを殴った。見事な一撃、神海の拳はセドリックの右頬にめり込み、渾身の力で殴り抜ける。神海自身もやったと思った。女だからといって嘗めないでもらいたい。その気になれば瓦二、三枚割れる威力はあると自負しているのだ。
しかし神海は目を疑った。
「いけませんね、女性ならばもう少ししとやかにせねば……」
「うそ……」
セドリックはその場に倒れもしなかった。殴られた頬をさすりながら平然と言ってのける。
「さて、終わりです」
神海が体を仰け反らせようとするが、セドリックの方が一手早かった。セドリックの伸ばされた右手が神海の額に触れた。
「な…に…」
セドリックの手が離れ、神海は信じられない、といったように呟いた。
「動けないでしょう。言っても差し支えないでしょうから教えて差し上げましょう。私の魔法は『固定』、私の右手に触れたものはいかなる運動も止める」
セドリックは『固定』された神海の横を通り過ぎて朝日香の方へと歩いていった。
「さぁ、おとなしく固まってもらいましょうか」
「……」
朝日香はがくりとうなだれてしまう。
諦めの沈黙。
そうだと思った。しかし朝日香が出した答えは……。
「……なさい」
「……?」
セドリックは歩みを止めた。得も言われぬ圧迫感が全身を襲った。
「神海さんにかけた魔法を解きなさい!」
ドレスを破り、朝日香の背中から純白の翼が弾けるように広がる。それは神々しい輝きを放ち、『魅了』の魔法を十二分に発揮するアンテナにならんとする。
「なんだ……と…!」
あれほど屈強に『魅力』の魔法に耐え抜いたはずのセドリックが、床に膝をついてしまった。
「魔法を解きなさい!」
「く……ぅおぉぉッ!」
セドリックは自制心を保つために雄々しく叫んだ。朝日香も眉を釣り上げてギリギリと歯を食いしばる。
決着はほどなくしてついた。