第五話「山里の脅威」
娘はその昔、祟る神として恐れられ、封じられていた神を解放した事があった。
白い毛皮と、九尾を持った、堂々とした狐神であった。
彼は「龍の娘よ。感謝する」と残すと、西日が消えようとしている丘の、南の方に向けて飛翔して行った。
やがて、童を連れて旅歩くようになる娘が「西へ行こう」と言ったのは、彼の向かった先へ行ってみようと言う、一抹の望みがためである。
雪が深と積もる頃の事だ。履物もろくに履いて居ない、軽装の二人が、山道を下って来ていた。
一人は赤い差し色の入る白の装束の娘。もう一人は、若竹色と白の装束の童だった。
彼等が裸足で歩いているのを見つけ、木こりは声をかけた。
「お前達。雪駄はどうした?」
「せった?」と、娘の方が聞き返して来た。
木こりは思った。
ははぁ、この二人は、どうやら随分と田舎の子供達なのだろう。
木こりは、村の中に在る履物屋の事を教えてあげた。
店を訪れた娘と童は、色々な履物に目をぱちくりさせた。安い草履から、高価な下駄まで、鼻緒の色も鮮やかだ。
「足を覆うものが、色々あるんだね」と、娘は感想を漏らす。「一個一個はどう言うものなんだろう」
そんな事を言っていると、店の奥から人の良さそうな女中が出て来た。
「あらあら。足が真っ赤になって。裸足で雪道を歩いていたのかい?」
「そうだけど……」と、娘が口ごもると、女中は「なら、良いのがあるよ」と言って、飾らされていたうちの、娘の足に合いそうな履物を幾つか見繕った。
雪駄と言う、竹の皮の草履の下に、革を張った履物を見繕ってもらい、実際に鼻緒に足の指をかけた。
随分と窮屈だったが、裸足で居るより温かい。
「何だか、変な感じ」と、娘は零す。
童の方は、履物を足につけたまま、動かない。
「坊や。歩いてみて」と、女中は声をかけた。
童はよろよろと脚を進めた。歩きにくそうに、底の踵の金属を、カツンカツンと石床にぶつけてしまっている。
女中は声をかけた。
「初めの内は、慣れないだろうね。だけど、雪の中を裸足で歩くより、絶対にこっちの方が良いから」
雪駄を二つ買ってから、娘と童は店の火鉢にあてさせてもらった。
「娘さん達は、何処から来たの?」と、女中はお茶の用意をしながら問う。
「もっと北の方」と、娘は答えた。
「へぇ。陸奥の国から来たのかい?」
「そうなる」
娘は肯定したが、どうやら陸奥の国と言う呼び名を、初めて聞いたらしい。
娘と童は、履物屋で教えてもらった旅籠を訪れた。
その旅籠は、料金は少し高いが、夕飯と朝食が付くそうだ。
夕飯は、みそ焼きにした握り飯が二つと、漬物と、肉を入れたみそ汁だった。
娘と童は、それが随分なご馳走である事を、今までの旅路で学習して居た。
二人は竹箸で器用に食事をする。
旅籠の女将は、その所作が気に入ったようだ。
「綺麗にお箸を使うねぇ。何処かで習った事があるの?」
娘は驚いた顔をしてから、「昔に」とだけ答えた。
童の方は、きょとんとした顔のまま、黙って漬物を噛んでいた。
宛がわれた部屋で二人が眠ってしまうと、さわさわと声がした。
鬼灯のような提灯を持った小さな生き物が、部屋の隅で話し合っている。
「鬼が来た。鬼が来た」
「東から来た鬼が、食っちまった」
「赤ん坊、ぺろりと食っちまった」
「やぁだ。おっかない」
娘はその囁きを聞きながら、また「路銀」を得られる当てがあるかもしれないと、夢現に思った。
次の日、娘が家々に「居なくなった子供は居ないか」と聞いて回ると、村のあちこちで、子供のかどわかしが起こっているようだった。
その村には、名の知れている地主が居た。
頭は禿げあがっているが、どっしりとした筋肉質な体躯を持つ、老齢の人物だった。同じ部屋に居ると、老人特有の異臭がする。
地主は、目をむいて、叱りつけるように問い質す。
「お前達が、赤子を探してくれると言うのか?」
娘は雄弁に返事をする。
「探せる限りは。ですが、最悪の場合も考えられます。赤子達が生きて帰ってくると言う保証は、出来ません」
「であろうな」と、地主は重々しく述べた。「それに関して、妻がふさぎ込んでいてな。あれと話をしてやってくれ」
「分かりました」
下女に連れられて、奥方の部屋に行くと、其処は火鉢があっても寒々としていた。
布団に臥せった部屋の主が、今にも凍り付きそうな顔をしているからだろう。
娘は、後ろに控えていた童に視線を向け、頷く。
童は、指の先に小さな緑色の光を燈し、その指で奥方の肩にそっと触れた。
途端に、奥方の頬を涙が滑った。
「凛之助。凛之助。何処へ行ってしまったの?」
奥方は、からくり人形のように喋る。
「あの子は、何処へ行ってしまったの?」
「奥方」と、娘が声をかけた。「私達が、必ず見つけ出しますから」
その言葉を聞いて、ようやく奥方の視線が、娘を見る。両の手を上げ、頬を押さえる仕草をした。
「探して。見つけて。凛之助。凛之助。あああ」と、奥方は感情が爆発しそうになった。
すっと、童が指を引く。
その途端、奥方は目を閉じ、深い眠りの中に沈んで行った。
探さなくてはならない子供の名前を知ってから、娘は、地主に「ご子息を取り戻せたら、幾らかの路銀を頂きたい」と申し出、「見つける前に銭の話か」となじられたが、何とか交渉は成立した。
赤ん坊が当時に寝かされていた部屋を見せてもらい、娘は其処で「腐臭」を感じた。
沼の底の泡に似た、鼻を覆いたくなるにおいだ。
身綺麗にされている赤ん坊だったら、洗った布のにおいや、与えられている乳のにおいがするはずだ。
娘は片手で鼻を押さえ、「このにおいは?」と、下女に聞く。
「においと言うのは?」と、下女は首を傾げる。
その傍らで、童も鼻を押さえていた。
少なくとも、この屋敷の人間には、子供部屋に蔓延している「腐臭」は分からないらしい。
村を歩きながら、娘は地主の事情を聞いて回った。
「地主様の所なら、凛之助様の前にも、何人か子供が居たはずだよ」と、齢十四程の村娘は言う。「男の子と女の子が、何人か」
軒先で豆打ちの作業をしていた老婆も言う。
「地主様も、すっかり変わられてしまった。昔は、もっと穏やかな顔をした、物腰の柔らかい人だったのに」
娘は老婆に、「以前の地主はどんな人だったのか」を詳しく問い詰めた。
以前の地主は、長く病に罹っていたらしい。五年前に村を訪れた「腕の良い医者」から治療を受け、床から離れられるようになった。
それから、常に苛立っていて、怒鳴り出しはしないものの、怒りの形相で村人達を見るようになったと言う。
子供のかどわかし、地主の変貌、あの部屋の異臭。
何かの答えに行きつきかけ、娘は梢の下で腕を組み、考え込んだ。
「アカリ」と、童が声をかけてくる。「あのにおい。分かるか?」
娘は「分からないわけじゃないけど、確証がない」と答えた。
童は瞼で頷いてから、「もう一度、あの部屋に行けば良い」と呈した。
夜も深い頃、地主の家に忍んで入った娘と童は、子供部屋の畳を避けた。床板が一枚外れており、其処から、腐臭が上がって来ていた。
床板の下を覗き込むと、無数の子供の骨が散らばっている。
娘は、背後に気配を感じ、パッと振り返った。
出刃包丁を持った奥方が、般若のような顔をしながら、切りつけてくる。
二人は刃先を避け、童が奥方の手をねじり揚げた。
「余所者め」と、奥方が呪い語を吐く。「暴くな。暴くな」と。
童は、娘の方を見た。
娘は頷き、袂から取り出した縄を、奥方の首に軽く回した。




