第一話「アケヒとセツリ」
座敷牢のような、格子のついた小さな部屋。生まれた時から、其処が少女の家だった。
木組みの嵌め込まれた窓から、障子を透かして西日が注ぐ。綿の薄い床の中で目を開けると、すぐ隣には鱗を持った者の気配。
少女は瞼をこすり、隣にいる白い蛇のようなものに声をかける。
「おはよう」
その声に応じるように、蛇のようなものは鎌首を持ち上げ、先が二つに割れた舌で少女の頬を舐めるのだ。
実りの秋とは言ったもので。その年は珍しく豊作だった。どの家の田も稲穂が下がり、穂が重すぎて、嵐の時期に稲が倒れるくらいだった。
笑みで迎えたい実りの季節を、村人達は通夜の前のような、粛々とした面持ちで迎えた。
今年の稲田姫が決まったのだ。お上に最も税を捧げられた家の娘が、神に捧げられる。最も富めるものが受け取る、「幸い」である。
今年の稲田姫に選ばれた娘は、呼び出された名主の家の土間で、顔をこわばらせ、息を細くしていた。
フユと言う、これから迎える季節の名をつけられた、肌の白い美しい娘であった。
フユの顔は、いつも以上に真っ白になっているが、卒倒しないようにずっと視線を伏せている。
去年、稲田姫に選ばれた者は、呼び出された場で、泣き出したと言う。
名主は、その娘に大層同情したそうだが、「これも決まりだ。耐えてくれ」と述べたと聞いた。
得体の知れないものの手に渡る事の、何を耐えろと言うのか。
フユは、名主の家の女衆に世話され、湯あみをし、夕餉を得、気つけのお神酒を飲んだ。
それから、化粧を程され、花嫁装束を着させられ、輿に乗せられて、嫁入り行列と共に、山の奥の社まで運ばれて行ったのだ。
フユが名主の家に呼び出された頃。
トワと言う名の、齢七つの姉と、リキと言う名の、齢五つの弟が、家の藁小屋の中に閉じ込められていた。
水を瓢箪に一つずつと、特別に大きく握った握り飯を一つずつ持って。
齢十四以下の子供達は、誰が稲田姫になったかを、知ってはいけないからだ。
彼等は、大人の言葉を鵜呑みにして、稲田姫になる事を、とても幸せな事なのだと思っている。
「幸い」の言葉の裏に隠された意味を知るには、彼等は若すぎた。
毎年のように小屋に閉じ込められた、トワとリキは、一晩中そこを出られない事を知っているので、まずは一口目の水を飲んだ。
リキの方が、少し多めに飲んでしまい、瓢箪を下ろした時に水音がした。
「飲み過ぎると、後が辛いよ」と、トワは言い聞かせた。
「トワのがあるから大丈夫だろ?」と、リキは図々しく言う。
「あげないよ」とだけ、トワは答え、そっぽを向いた。
そして、其処に、白い布切れが下がっているのに気づいた。
「なんだこれ」と、トワは言って、藁の隙間から出ている布を引っ張る。
最初は、唯の木綿の布切れかと思ったが、やけに布質が良い。
ちゃんと糸で縁を縫われているし、名主の着る着物みたいに、布が幾重にもなっている。
ぐいぐいと引っ張ると、藁の間から人の腕が出て来た。
最初、トワは「死体がある!」と思った。藁から出てきた腕が、あんまり白かったからだ。だが、声には出さなかった。
びっくりして跳び退った拍子に、藁の向こうから人の頭が出て来た。
赤い目と白い髪をした、白い肌の男の子だ。所々、若竹色の射し色が見える白い衣を着ている。
彼は無言で、まるで赤ん坊のような目でトワを見下ろした。どうやら、藁の上には二人、人が居るらしい。
「あんた、なんでそんな所に居るの?」と聞くと、白い髪の男の子は、傍らの藁の上を指さした。
それから、トワの持っている瓢箪を指さして、また藁の上を指さす。
トワはハッとすると、「待って」と声をかけて瓢箪を懐に仕舞い、小屋の隅に在った梯子を、藁の山に立てかけた。
藁の上には、確かにもう一人いた。長い白い髪をしている。女の人のようだ。藁を布団にして眠っていたらしく、肩の所までちゃんと藁の中に潜っている。
トワが思った通りに、その息はか細く切れ切れで、今にも死にそうな様子だった。
「大丈夫? 頭、持つよ」と、声をかけて、トワは不安定な藁の山の上で、女の人を介抱した。
頭を起こさせ、口元に、栓を抜いた瓢箪を寄せる。
水は、唇の脇から零れてしまった。
飲み込む力も残って居ないのかと、トワが危うんだ瞬間、爆ぜるように瞼が開き、藁に埋まっていた腕が持ち上げられた。
ガシッと瓢箪を掴み、赤い瞳の女の人は、食らいつくように水を飲む。
自力で上体を起こし、一息もつかずに瓢箪を空にすると、ぜいと、息を吐いた。
暫く呼吸を整えてから、「何か……」と、女の人は呟く。
「何か、食べるものを……」
トワは梯子の方を見た。リキが、握り飯を差し出していた。
トワは、梅と漬物と雉肉の入った特別な握り飯を、見知らぬ女の人と半分こにした。
弱っていた人が急に栄養をつけると、死ぬ事があると知っていたトワは、自分の分も差し出そうとしてきたリキに、「あんたのは良いよ」と声をかけた。
「お姉ちゃんは、何処の人なの?」と、トワは漬物の部分を食べながら、声をかける。
「よく分かんない」と、女の人は答える。とぼけているわけではなさそうだ。
「お姉ちゃんが住んでいた、村の名前は?」と、トワは別の聞き方をした。
女の人は考え込み、「それは知らないんだ」と、おぼつかなく答える。
「そうか。だけど、良い着物だね。神仕えの人なの?」と、トワは聞く。
「分かるの?」と、女の人は少し目を大きくした。
トワは、女の人の人間らしい表情を見て、ようやく安心した。
「白と赤の着物を着る人は、お嫁さんか巫女さんだって、おかあが言ってたから」
「そ……そうか」と、女の人は言って、胸に手を当てる。
「お姉ちゃんの名前は? 私は、トワ。こっちは弟のリキ」
紹介する頃には、リキは大きな握り飯の、海苔に包まれた尻尾を食べ終わる所だった。
「私は……」と、女の人は少し言い澱んでから、「アケヒ。こっちは、弟のセツリ」と、先に顔を見せた白い髪の男の子を、手で示す。
「漢字で書く名前?」と、トワは聞いた。
「そうだけど」
「良いなぁ」と、トワはぼやいたが、アケヒはその理由が分からないようだった。
トワとアケヒは、お互いの事をお喋りした。その間に、アケヒは「トワ達は、この小屋に住んでるの?」と聞いて来た。
「まさか。幾らうちが貧乏だって、藁小屋には住まないよ」と、トワは困ったように答えた。「今日は『祭』の日だから、子供は小屋に居なきゃならないんだ」
「祭って?」と、当然、アケヒは疑問を持つ。
「昔から、この村で続いてる祭。一番豊作だった家の娘さんが、『稲田姫』って言うのに選ばれて、えーっと、山の奥の社に住んでる神様に、輿入れをするの」
すらすらとトワは答えたが、「輿入れ」の意味は知らなかった。
アケヒは、目を強く瞬かせ、稲田姫の話を聞きたがった。
そして、トワはアケヒに、山の奥の社の位置を教えた。
トワが知っている事を全部聞いたアケヒは、セツリの手を引いて藁の山から滑り降りた。
「何処行くの?」と、トワは聞く。
「その『稲田姫』って言う女の人を、助けに行く!」と、アケヒは言う。無口な男の子の手を引っ張りながら、出入り口で振り返り、「おにぎり、ありがとう!」と叫んで、夜空の下に姿を消した。
松明明かりの向こうに、社が見えてきた。
フユは、顔の前に手を合わせ、一心に仏に祈る。
神に祈るなど、考えられなかった。
人肉を食らい、白無垢を着て遊ぶ神になど、祈って何になると言うのだ。




