11.驚異の魔王フェルディナン来襲
ヴァランタンはエドガーたち三人を魔王城に招き入れ、大広間で辺境伯や街の住人たちと引き合わせた。
ドラスの町はデジレに襲われた際に、商人ギルドのマスターと冒険者ギルドのマスターが亡くなっていた。
エドガーとガストンはドラスの町に移り住んで、ドラスの町の商人ギルドのマスターと冒険者ギルドのマスターをしてくれることになった。
ドラスの町の自警団も壊滅し、団長も行方不明になっていた。
バティストも二人と共に移り住んで、新たな団員を募って自警団を再建してくれることになった。
ジフィルの町の方は、三人が戻って後任を決め、引き継ぎなどを行うらしい。
当面の食糧や住居については、エドガーが近隣の町や村に援護要請をしてくれた。
ドラスの町はこれまで、なにかあってもヴァランタンの宝でなんとかしてきた。援護要請などというものがあったことすら、知っている者はいなかった。
「うまくいきすぎて恐ろしいほどですわ」
わたくしはドラスの町の街角に立って、ヴァランタンと共に、近隣の町から来てくれた人々が働く様子を見ていた。この『最強』のスキルをお持ちの大魔王様は、おそらく常時ラッキーチートが発動中だ。
石畳職人たちは、ドラスの町の子供たちとゴブリンたちに、石の並べ方を教えていた。
煉瓦詰み職人たちは、力の弱い女性や高齢者に、煉瓦の積み方を教えていた。
職人たちは、魔物の襲撃で崩れた道や家を直しながら、今すぐ身に付けられる技術を伝授してくれていた。
素人に教えながら作業をしていては、街並みが元に戻るまでの時間が、余計にかかってしまうかもしれない。だが、この辺境の町の人々が技術を身に付けられる機会など、そうはないだろう。
職人たちはこの町の人々が、先々自立することまで考えてくれているようだった。ありがたいことだ。
わたくしたちはその場を離れ、かつては噴水があったというドラスの町の中央広場に行った。
ガストンとバティストが、やる気のある男女に対して、冒険者か自警団員になれるよう武芸を教えていた。
剣の稽古をしている人々の向こうには、崩れた壁に立てかけられた黒板の前に立つエドガー。老若男女がエドガーから商売を学んでいた。
さらにその隣では、ダミアンが弱い魔物たちの前に立ち、痛恨攻撃の出し方を指導しているようだった。ダミアンがその場でジャンプすると、他の魔物たちも真似してジャンプしていた。
ぽっちゃりしたスズメや、つぶらな瞳の洋梨などにかわいいジャンプで襲われた人間たちは、あまりにかわいい力が高すぎる攻撃に対し、反撃もできないまま『かわいい死』しそうに思えた。
「シャンタル嬢が豪華な靴になって質屋で質草になると言い出した時には、このようなことになるとは思わなかった」
「人生、なにがどうなるかわかりませんわね」
――突然、ヴァランタンの雰囲気が変わった。
ダミアンがすごい速さでヴァランタンの横に飛んできた。
ヴァランタンはわたくしを守るように、わたくしの前に立った。
「来る……!」
わたくしはヴァランタンの視線の先をたどった。
一頭のフェンリルが、背中にペトラちゃん二歳を乗せて、唸りながら歩いて来ていた。
「驚異の魔王フェルディナン……! 幼子を人質にとるとは卑怯な!」
ヴァランタンは虚空に手を伸ばした。ヴァランタンの手の先に黒い渦が巻き、ヴァランタンは渦の中から長剣を引き抜いた。
フェンリルは伏せのポーズになると、その姿のまま人型に変身した。
「わんわんー! ないー!」
ペトラは、ヴァランタンがケルベロスから人型に戻った時と同じように、激しく泣きだした。
「泣きたいのはこっちだ!」
美しい銀髪をかき上げながら、深い青色の瞳の美男が、背中からペトラを下した。彼の純白のジュストコールの背中は、ペトラのおもらしによって黄色く変色していた。
「わーんーわーんー! わーんーわーんー!」
ペトラは泣きながら、甲高い声でフェンリルを呼んでいた。
フェルディナンは立ち上がると、泣いているペトラと手をつないだ。
「ヴァランタン、こちらのご令嬢の母上はどこかな?」
「ペトラの母か? この町がデジレに襲われた夜から姿が見えないので、探しているところだ」
ヴァランタンの言葉は、ペトラの母親が魔物に喰われて、死体も残っていないことを意味していた。
「デジレ……! あいつ……!」
フェルディナンはペトラの手を握っていない方の手の指先で、自分の額を押さえた。苦悩に満ちた表情が、彼の男らしく整った顔を彩っていた。
フェルディナンはペトラの手を離すと、ペトラに向かってひざまずいた。
「おて……、すゆ……?」
ペトラがフェルディナンに手を差し出すと、フェルディナンはそっとお手をした。
「ご令嬢、君が成人した後、この高貴なるフェンリルである俺様が、必ず娶ると約束しよう」
フェルディナンはペトラの手の甲に誓いの口づけをすると、ペトラを抱き上げた。
「幼子を相手に、どうしてしまったのだ、フェルディナン……」
ヴァランタンはフェルディナンにかなり引いていた。
「俺様は大魔王となったお前に挑むため、ここに来た……。だが、今は……、まだその時ではないようだ」
「どういうことだ……?」
「俺様にもわからないが……、こちらのご令嬢のおしめを交換したいという気持ちが抑えられない……。なぜだ、ヴァランタン……! 貴様に近づけば近づくほど……、ううっ、なぜだ……! 頭が割れるように痛い……! 早くおしめを交換しなければ……!」
フェルディナンはおそらくヴァランタンのなにかのスキルに影響されているのだろう。神経操作系とかそういう立派な系統のスキルなのだろうけれど、魔王があれほど追い詰められて、どうしても幼児のおしめを変えたくなるスキルってなんだろう……。
「まあ……、ペトラはもらしているしな……」
「娶ると約束したのだから、俺様がこのご令嬢のおしめを交換しても良いだろう!? 良いよな!?」
騒ぎを聞きつけたドラスの町の女性たちが集まってきた。
フェルディナンはペトラを抱えたまま、女性たちに近づいていった。
「あらあら、ペトラ様、おしめを変えましょうね」
中年の女性の一人が、フェルディナンの手からペトラを受け取り、他の女性たちと一緒におしめを変えに歩いていった。
フェルディナンは女性たちを見送ると、早足でわたくしとヴァランタンの前まで来た。
「この高貴なるフェンリルの心を蝕むとは、許さぬぞ、ヴァランタン!」
フェルディナンは腰から下げていたレイピアを抜いた。
ヴァランタンも長剣を構えた。
ダミアンがアップでもしているかのように飛び跳ねた。
「あの……、驚異の魔王フェルディナン様……」
わたくしは遠慮がちに声をかけた。
「シャンタル嬢、危険だから下がっているのだ!」
ヴァランタンがわたくしをふり返った。
「フェルディナン様、服を洗って、身を清められた方が……」
わたくしが指摘すると、フェルディナンは首をまわし、ジュストコールの背中を見た。そこにはペトラが描いた、この大陸の立派な地図があった。
フェルディナンは呆けたような顔をして、わたくしとヴァランタンを見た。
「私の服を貸してやろう」
フェルディナンは力なくうなずいた。