雨の日 境界線
私とアガットが、夜遅くまで図書館に籠って本を読み漁っていると、その時はやって来た。二人でひとつのランタンの明かりの下、ああでもない、こうでもないと
「やあ、リリャちゃん」
「アンバーさん!あ、ってことは、もう、閉館ですか?」
「ご名答」
色白で若々しい青年のようなアンバー館長が閉館を告げにやって来た。私たちを見て、微笑んでいた。
「今日はどんなことを知ることができましたか?」
その微笑みも、図書館で勉強している私たちにとても感心しているようにも見えたし、それでいて、とても私の調べたことに関心を寄せているようでもあった。
「今日は、セウス王国の宗教について勉強したんですけど、そこで出て来た黄金教という教えが出て来たんですけど、結局それがどんなものなのか分からなくて、そういう本がどこに置いてあるかとか、アンバーさんは知りませんか?」
セウス王国の国教が黄金教だったということが分かったが、その黄金教に関する本が、この図書館のどこにも見当たらなかった。
「なるほど、もうそこに行き当たりましたか、素晴らしい調査能力ですね。黄金教という言葉は、神教の影響力が強まってから、セウス国内でも黄金教という教えは、廃れていってしまったのですが…そうですか、その言葉までたどり着いたのですね」
アンバーさんはとても嬉しそうに言った。おそらく、この館長はすべてを知っているようだった。
「いいでしょう、それなら、今度来た時、私が特別な場所にご招待しましょう」
「え、なんですかそれは」
「普段は入れないような場所です」
「うわぁ!それ、めっちゃ楽しみにしてます!!」
私たちはそれから、アンバーさんに夜も遅いからと送ってもらおうとしたが、今日は二人だからと大丈夫だと言った。アンバーさんには自分たちがだしたたくさんの本を片付けてもらっていたし、毎回、送り迎えをしてもらうのも申し訳がなかった。それに図書館から学園の門を選ばなければ一番近くて数分でたどり着いてしまう近場でもあった。
私とアガットが、アンバーさんと別れて図書館を出る。外は雨が降っていたので、私が水のドームを作ってその中に二人入って学園の校門を目指した。
「もっとこっち寄って、じゃないとドームからはみ出ちゃうから」
私はそう言ってアガットの手を握って、自分の方に寄せた。
「悪いな、リリャ、私はまだ二人分の大きさのドームが作れないから、助かるよ」
水魔法の基礎である水のドームも、二人分となると単純に魔法の出力も上がり、一人分よりも大変だった。さらに魔力など魔法の出力面でミスをすると、一気に雨漏りするなど、魔力の出力が不安定だとそのようなことがあり、低学年の生徒たちが苦戦するのも無理はなかった。
ただ、この水魔法の階級は五級であるため、上級生になると雨の日は呼吸をするように水ドームを使うほど、なんてことない魔法だった。ようするに、簡単な部類に属する魔法ということになる。
「それにしても、今日は楽しかった、あまり本は読まないんだが、リリャのおかげで少し読書が好きになった気がするよ、新しい知識を学ぶってのはいいものだ」
アガットがそう言いながら代わりに夜道を照らすように、炎魔法で歩く先の道を灯してくれた。
「うん、私も最初は黄金を探すことだけしか考えてなかったけど、途中から歴史の勉強みたいになっちゃって、一向に作業が進まなかったんだけど、今日はアガットが手伝ってくれたおかげで、すっごい成果を得られたよ」
「私は、別に何もしてないが、それよりも、また誘ってくれよ、お前と調べ物をしているとなんだか、楽しんだ」
ザァーと雨が降り注ぐ中、私の水のドームの中に灯る彼女の炎に照らし出された、彼女の笑顔に私は、この時たまらなく愛しいものを感じていた。それは友情から来るものではなく、それ以上の感情が揺り動かされている気分だった。
繋いだ手はまだ離しておらず、お互いに握り合ったままだった。
『アガット、可愛いな。素直で優しくて努力家で、それに何より一緒にいて楽しいし、ああ、なんか、彼女ならいいかもしれないな…』
私は歩きながら、アガットの横顔を盗み見るように見ていた。
「ねえ、アガット」
「なんだ?」
「アガットって、好きな子とかいるの?」
「なんだよ急に、好きな子?いねぇよ、そんなの、前にもいったとおり、私はずっと父さんと二人で森の中でサバイバルして暮らしてたんだ。同い年の子なんて知り合いにいなかったよ」
アガットは強がるわけでもなく、ただ、それが当たり前だったという、なんともなさそうに言った。
「そっか、じゃあさ、どんな子がタイプ?」
「どうしたんだ、急に」
「いいから答えてよ」
私がわがままを通していく、優しい彼女はそれにすんなりと答えてくれる。
「そうだな、しいて言うなら、私の父さんみたいな、サバイバル経験のある男がいいかもな、それと私より強い人とか?とにかく、なんだ、その、強い奴がいいな。私の父さんもナイフひとつで魔獣を狩ってたし、それくらい強い人がいいな」
その答えを聞いて驚きはしないし、がっかりもしない。御存じの通り、この世の女の子は皆、恋愛対象に異性を求めていた。女性だったら男性を、男性だったら女性を、それは当たり前のことで、当たり前じゃないのは私の方だった。
私はどういうわけか昔から女性の方に強い恋愛感情を抱くようになっていた。男性が嫌いなわけじゃない。ただ、どうしても、男性よりも女性の方が魅力的に私には映ってしまうのだから仕方がない。自分でも説明しようのない、生まれながらに備わっていた感覚だと思うと私の中ではこれが普通だった。
私自身もこのことに関しては、たったひとりを除いて誰にも打ち明けていなかった。これはとても大切な秘密でみんなとは違うということは、隠さなければならないことだと思っていた。
異性ではなく同性を愛してしまうという事実は、長い間私を苦しめてきたが、それも、もう過去の話し。たったひとりの親友に相談したことで、私はこの恋愛感情と前向きに上手く付き合っていけるようになっていた。
そして、そのたったひとりに打ち明けた相手というのが、ルコだった。彼女は、私の同性愛という感情を深く理解してくれた唯一の理解者だった。だからこそ、私にとってルコはかけがえのない親友であり、特別な存在だった。
そこまで言い切ってしまうと私は、ルコのことを愛してるように思えるが、実際にとても深くルコのことは愛していた。だからこそ、だからこそなのだ。私が、ルコをそのような目で見ることは決してなかった。愛しているからこそ、私はルコとは結ばれない。そのことを最初に彼女にも話していた。なぜなら、ルコが同性愛者ではない世間一般でいう普通の女の子だからだ。相手が異性愛者であると決まってしまった以上、私とルコが結ばれることはない。
もっといえば、私はルコには彼女に相応しい相手が現れて欲しいと誰よりも願っていた。そのために、私が彼女に相手を見つける時は力を貸すと伝えていたが、ルコは『リリャちゃんの方がパートナーを見つけるのが大変そうだから、自分はリリャちゃんにちゃんとしっかりした人ができてから、そういう人を探すよ』と、彼女得意の献身的な自己犠牲の精神からくる心配になりそうな優しさで返されていた。
しかし、それは彼女の言う通りだった。私の恋愛はひと手間も、二手間もかかる。普通なら男女が二人出会って恋に落ちるという極めて単純な道筋で恋することができるが、私は、自分という特殊な、世間から見て一般的ではない部分を持っているというところを理解してもらい、なおかつ、相手にもそのような状況になってもらわないかぎりは、私が誰かと愛し合えるようにはならなかった。だから、私の恋には説得が必要だった。いいなと思った人も私と同じように、同性を愛するという道を選ばせるということとそれは同義だ。
私は、このことを話せたルコに大いに救われていた。
私はルコのおかげで自分らしくいられることができた。彼女に認められたからこそ、こうして、リリャ・アルカンジュでいられた。
「リリャ、お前はどうなんだ?好きなやつとかいるのか?」
「私?わたしは、いないよ…」
「じゃあ、好きなタイプとかは、どうなんだ?」
本当のことを言えるわけがなかった。好みのタイプとしては、簡単に言うとすらっと背が高くて大人っぽい女性なのだが、そんなことを言えば、アガットだって警戒してしまう。私が普通じゃないと、もし、受け入れてくれなかったら、彼女からの私への見方は変わってしまうかもしれない。この先に進むなら私はちゃんと、この人だと決めた人に話したかった。
「えっと、背の高い人かな、私、ちびだしさ」
「背の高い奴か、うちのクラスの男子はそこまでだから、上級生とか?あの、ラウルとかいう先輩とかどうなんだ?」
「ハハッ、ラウル先輩は、ただの飛行部の師匠で、そういう恋愛感情みたいなのはないかな…」
自分でも驚くほど乾いた笑いが出たが、学園一の美貌を持つ男子のラウル先輩を選ぶくらいだったら、私は、アガットの方がよっぽど、恋愛対象の相手としては魅力的だった。
「あの人、顔だけならかなりカッコいいよな」
「え、アガットもそう思うの?」
意外だった。最初から男にあまり興味なさそうだったアガットのことだから、ラウル先輩の容姿を褒めるとも思っていなかった。
「まあ、あんまり、男子の顔を見てこなかったからあれだけど、みんなが言う通り、ラウル先輩って人はカッコいいと思うぞ」
「まあ、そうでしょうね…」
私は釈然とせず、今ここにラウル先輩がいたら問答無用で、彼のふくらはぎにでも蹴りを一発入れていたところだったが、過激なファンクラブができてしまうくらいにはラウル先輩という男は、悔しいが女を独り占めする美男子だった。女の私が恋で敵うわけがなかった。
『人気者になったら、ラウル先輩みたいにモテるかな?そしたら、アガットとかも振り向いてくれたりするのかな…』
私はそんなことを考えながら、アガットという友達という境界線の内側にいる彼女を横目に見た。彼女は、楽しそうに異性の恋の話しを続けていた。私はそんな彼女を見て、ちゃんと諦めることができた。
『アガットとは友達でいよう。きっとそれが一番いい関係な気がする。私に彼女の人生をめちゃくちゃにする覚悟はない…』
私は、恋の話しで盛り上がるアガットと同じ調子で話しながら、秘めた想いは決して伝えず、ただ隣で楽しそうに話す友人と、学園へ帰宅するのだった。
いつか、境界線の先を飛び越えてくれる人がいると、そのような機会があると、そんな人が私の前に現れることを、信じて待つしかなかった。
雨はいまだ止みそうにない。
 




