学園祭 身代わり
学園の敷地内にあったベンチに一人座っていたアガットは、自分の唇に残る熱い感触を忘れられずにいた。
「リリャ…」
リリャのことを思うとアガットは、自分らしくない思考に囚われることが常だった。その思考はとても湿っては粘り気があり、自分でも気持ち悪いと思うほど、ドロドロとしていた。その沼のような思考から絶え間なく溢れて来るのは、はなはだしい独占欲だった。それは、アガットが今まで知らなかった領域を満たすには必要な要素だった。
「こんなところにいた」
顔を上げるとそこにはオルキナの姿があった。
「あぁ、オルキナか、それにみんなも」
オルキナの後ろには、ルコ、ブルト、キアがいた。ジョアの姿は見当たらなかった。そして、当然リリャもいない。
「アガット、あなた、それで、リリャはどこにいったのかしら?」
みんなが知りたいのは彼女の行方だ。だが、アガットはさっき喧嘩別れをしてしまったことをみんなに正直に伝えなければならなかった。
「悪いが、あっきまで一緒だったんだが、ちょっと喧嘩してはぐれちまってな、悪いが今、私は彼女と一緒じゃない。校舎の方に向かって飛んで行っちまった」
「何よそれ、あなたが、リリャを攫ったのに?喧嘩別れした?ほんとありえないわ、それで喧嘩の原因わ?」
「痴話喧嘩ってところか」
「バカじゃないの」
オルキナとそんなやり取りをしていると、キアが横から会話に割り込んで来た。
「どこにいったかも分からない?」
そこには冷静さを保っているようだったが、彼女の目の奥には苛立ちを感じた。それもそのはず、彼女はリリャの護衛として一緒に行動しているのに、その彼女が傍にいない状況というのはまずいのだろう。
「キア、悪い、私が勝手にリリャを連れ出したから…」
「あなたが、リリャと仲がいいことは知ってる。だから、責めはしない。それよりも、今は彼女を一刻も早く見つけたい」
彼女はどこか焦っているようだった。そんなにリリャと学園祭を回りたかったのなら悪いことをしたとアガットも反省した。
「そうだよな、それなら、私もすぐに探しにいく、全部私の責任だからな、それにリリャの状況はちょっとまずそうだったからな…」
「まずそうって何が?」
キアが、アガットに勢いよく顔を近づけた。そこには鬼気迫るものがあった。
「お、落ち着け、リリャはちょっと病気みたいなんだ」
「病気ってなに!!」
次に激しく食いついたのは、ルコだった。彼女は、キア以上に目を爛々とさせてはアガットに迫っていた。
「あ、いや、違う、命に関わるとかそう言うんじゃない、ただ、あいつ、今キス魔だから」
「キス魔?」
「まあ、その、会えば分かる」
アガットがそこで言いよどむと、オルキナとルコの追撃が始まる。
「キス魔ってなによ?」
「キス魔ってなんですか?」
二人の問い詰めに追われている間、三人のやり取りを後ろで静かに見守っていたブルトの隣にキアが立った。
「時間がない、早くリリャを見つけて安全を確保してあげないと…もしも、彼女もターゲットだったとしたら、彼女も危ない」
「リリャ様にも狙われる理由が?」
「無いとは言い切れない。ただ、実際にもう襲撃は始まっている。むしろ、私はオルキナが狙われる理由を知りたい。心当たりは?」
キアが尋ねると、ブルトは軽く首を振った。
「分かりません。オルキナ様は、その立場から誰に狙われてもおかしくありませんから」
「前から思ってはいたが、どうして彼女はこの学園に?」
「いろいろあるのでございます。特に、ルノワール家ほどの大貴族の令嬢ともなると、政略結婚など、そちらの問題が」
キアはそのことでおおよそオルキナという大貴族の令嬢の立場を理解した。
「逃げて来た?」
「その言い方は不適切です。実際にオルキナ様は、ここら一帯の地域の視察兼、統治を任されております。休日は、ルノワール家の貴族として、他の貴族たちと交流を深め、その職務を全うされておられます。オルキナ様は、ルノワール家の当主の目の届かないところの目としてしっかりと役目を果たしておられます。他のご兄妹よりも立派かと」
ブルトは、落ち着いた態度で淡々と述べた。キアもそれだけで、この従者のことをオルキナはたいそう大切にしているのだと知った。
「そう、悪かった、認識を改める。今の話しで彼女が素晴らしいご令嬢だということを知れた。ありがとう」
「そう認識していただけると、私としても誇りを持って従者としていられます」
キアが話しを戻した。
「ところで、話しを戻すけど、リリャが行きそうな場所を知らない?彼女がこういう時行きそうな場所とか」
「申し訳ございませんが、わかりません。なにせ、リリャ様ほど破天荒なお方は存じ上げませんので、私ごときが彼女の行動を読めるはずがわかりません」
その時の、ブルトはどこか嬉しそうだった。
「しらみつぶしに探すしかないか…」
「ルコ様なら、ご存知なのでは?彼女は、リリャ様の一番のご友人ですので」
「あなたと、似たようなことを言われた。リリャはこういう時、見つけるのは難しいって、だけど、待っていればあっちから必ず戻って来てくれるとは言っていたが、それじゃあ、だめだ。やっぱり、時間がない、私のこの刻印魔法がいつ発動するか分からないから」
キアの右腕には、複雑な模様の刻印がうっすらと刻まれていた。
「そのことなんですけど、オルキナ様が受けた呪いの類なので、私にその呪いを移してはいただけないのでしょうか?これで、キア様に何かあったらオルキナ様が借りを作ることになってしまいます。それなら、私がその呪いを肩代わりしたいのです」
キアは、ブルトのその要求をきっぱりと断った。
「ダメ。さっきも、言ったけど、私は対魔法戦術のプロ。魔法に関するこのような呪いに対しても抵抗力と心得がある。これは、刻印型の魔法で、術者の好きな時に、この刻印を付けた対象に自分の魔法を発動できるタイプのもの、だけど、おそらく付けられたことに、近くにいた私も気づかないほどの弱い刻印だから、きっと効果はそれほど強くはない。こうして私に奪取されるほどだから。致死性の高い魔法なら、刻印を付けるのにも複雑な手順がいるはず、それにね、この魔法が発動すれば、対象者を追跡できる魔法を私はすでに準備している。あなたの主人を殺そうとした犯人を追跡できる」
キアは、オルキナにいつの間にか刻まれていた、悪意ある魔法的な刻印をひっそりと彼女から剥がし、それを引き受けていた。
「だけど、安心して、これは借りじゃない。私は、ただ、友達のオルキナを助けたいだけだから…」
「キア様…」
「私も、みんなと一緒にいたいから…」
キアがそこで突然、何の前触れもなく、地面に倒れかかった。
「キア様!」
ブルトがとっさにキアのことを受け止めた。腕の刻印が弱弱しく輝いていた。それは、魔法の発動を意味していた。
「みなさん、キア様が倒れました!」
ブルトの呼びかけに、ルコ、オルキナ、アガットの三人もすぐに駆けつけるのだった。




