反撃
張り裂けた声が耳を通り抜けて、脳を震わした。
その声はけたましい衝突音やゼロアの咆哮に呑まれず志穏の場所まで届く。
"志穏!"。そんな高い声が短い悲鳴の合間合間に何度も聴こえて来た。
済まない、セシル。俺はやっぱり無力だったんだ。だってこんな化け物に真っ向から挑めるわけないだろ。
マジで怖すぎるもん。
今も志穏は足がすくんでまともに立てない。脳裏にハッキリ浮かぶのは、先程のゼロアの罵声。
全くその通りだと思う。
セシルと共に同等で闘えているなど、俺の自惚れに過ぎなかった。
普通に考えれば分かることだ。
まず、あんなに美しく、強い少女の隣で闘う人間として俺は全く相応しくない。
それを自覚したくないから、自分を鼓舞して闘った。
だが、今ははっきり自覚しなければならないんだ。こんな場所で失禁して、地面に這い蹲る、虫の死骸みたいな人間は彼女の隣には立てない。
いや、元々分かっていたのかもしれない。誤魔化していただけだったのだ。分かっていたからこそ、胸の穴を抉られたみたいに痛くて今も尚動けないのだ。
つくづく思う、俺は本当の弱虫だ。
――――――いや、目の前にはそんなゴミ人間救おうと世界敵に回した女の子が1人で闘ってるんだぞ。
このままじゃ、ゴミ人間庇って死んだ憐れな少女で死んじまうんだぞ。
させるかよ、これ以上彼女の名を汚させるな。
虫の死骸とか、隣に立てないとかそんなのどうでも良いんだよ。今動くことには立場なんて関係ねえ。
それに、このまま俺だって死ねねえよ。
死ねない理由を頭の中で探す。その中で1番最初に探し当てたものは、ひとつの名前。高ノ瀬修二の名だった。
そうだ、俺は忘れてたんだ、その名を。叔父さんは何故あの本
を屋根裏に仕向け、誰かに読ませようとしたのか。
古びた、埃まみれのあの本に書いてあったダイニングメッセージのような一言。
――――――――――――― "為すべきことを為せ"。
その言葉の意味、"為すべきこと"、の真意は全く分からない。だが、何の因果か、掃除の時にあの屋根裏に打ち合わせ、叔父さんが伝えたかった誰かに、俺がなってしまった。なら、それは俺が為さなければならないに決まってんだろ。
叔父さんは本当は誰に見せたかったとか、そんなこと関係ない。俺がやらなきゃならないんだ。
それはきっと大切で、大きなことだ。
少なくても、こんな場所で朽ちることがそれじゃねえ。きっとまだ、始まってもいねえ。
もう一度、起き上がれ。
冷たく、さらりとした血のような何かが志穏の全身に通う。それはアドレナリンというホルモンが分泌される感覚なのだと思う。
どう抵抗する?
あるだろ、今までには無かったこの力が。
志穏の左手の刻印が自信ありげに煌めく。
やれるか?
志穏は左掌に感覚神経を通じて問いかけた。それなりに返答を待つように、志穏は左手を見つめる。
俺は本当に自己中だよ。何が「怖すぎ」だ、そんなの1人のくそ雑魚高校生の為に世界敵に回したセシルの方がよっぽど怖かったに決まってんだろうが!!!
自然と志穏は立ち上がれた。志穏は決意する。もう自分に押し潰されて負けまいと――――――――
「おーい。出て来いよセシル。」
ゼロアはとても乾いた、狂気じみた声で言う。
一帯は瓦礫の山となってなっていた。家の瓦礫、地面から伸びた突起の残骸。
城跡のようなその場所は市街地の一部分として原型を留めていなかった。
左肩は鋭利な切り傷から、湧き出るように血が漏れ、黒服を不気味に染めさせている。だが、その痛みに呻くことすら出来ず、瓦礫の山にセシルは息を潜めていた。
…正気じゃない人間っていうのは本当に強いらしい。どれだけ、隙があるように見えてても、何処か仕掛けがあるのではないか、なんて不安が浮かんで迂闊に攻撃を仕掛けれない。
しかも、あいつは演技でやっているのでは無い。そのまま、今ある、ありのままの姿なのだ。
満身創痍で向かってくるゼロアが"通常"のセシルの手に余ることは自明のことだった。
…1VS1じゃ完全に潰される。
「来ないなら、こっちから行くっぜ!」
ゼロアが地面を叩きつける。その瞬間、瓦礫などの地面に横たわる物全てが宙へ跳ねる。
そして、ゼロアは隠れていたセシルの姿を捉える。
まずい!
一瞬、蕩けるような笑顔を浮かべたゼロアはセシルへ突進する。
セシルは虚空から榴弾を放つ。だが、確実に弾はゼロアを捉えたにもかかわらず、ゼロアはその弾を穿つように体当たりする。
穿たれたのは、矢張り弾だ。ゼロアは怯む様子さえない。
大振りの脚がセシル目掛けて繰り出される。
セシルはそれを躱す。そして、地面を操作して、ゼロア両脚を絡める。
「!!」
一瞬、ゼロアは怯むが、すぐに力量操作による破壊的力で地面ごと引き抜こうとする。
その数秒でセシルは背後から硬化させた地面を伸ばして、顔面にぶつける。いや、連打する。
「ごっはぁ!」
流石にゼロアは悶絶する。だが、その痛みがそのまま引火したようにゼロアは激昂し、予想を遥かに超えたスピードで地面を引きちぎる。
「!!!」
ゼロアは榴弾を纏わせた右腕を振り上げる。
榴弾を引き伸ばした防御壁を作り、防御をとる。
一瞬で防御壁は打破された。地面に落ちる花瓶のように呆気なく崩れた。
体をどうにか捻り、回避しようとしたが後の祭りだ。
そのままセシルは力に押され、地面に叩きつけられた。ハエ叩きか何かでバチンと潰されたような短くも甲高い音が響く。
「セシルぅ。お前も"翼"を出さなきゃ、そのまま惨めにころされちまうぜぇ?」
ゼロアは見下ろす。そして、これからどんな方法で目の前の"女"を嬲り殺すか、と涎を僅かに垂らし、彫りの深い笑顔を刻んでいる。
その、獣のような顔に流石のセシルも戦慄する。
このままじゃ、まずい。
焦りは募り、脇から大粒の冷や汗が滲み出る。思考は絡まり、まともな策は一向に出ない。
完全にセシルは極限状態に侵されていた。
「……おいおい。」
ゼロアが拍子抜けしたと言わんばかりのため息混じりの声を出した。
セシルもそれに反応し、右を見る。
志穏は立ち上がっていた。
しかも、右手を庇いながら、一歩一歩びっこ引いて、セシルの方へ向かってきたのだ。
その姿はさながら戦場から帰る兵士を思わせる。
それはとても危うく、少し脚を蹴ってしまえば、地べたに這ったまま二度と立ち上がれなくなるのではないかと思う程、脆弱に見える。
だが、目は死んでいなかった。
ハッキリと自分の敵を見据え、使命という烙印を焼き付けられたようにゼロアへの殺意が見えた。
どうやら、さっきまでの弱い志穏はもう抜け殻に棄ててきたらしい。
少しだけ、セシルは嬉しく感じた。絡まっていた思考回路が徐々に緩んでいく。
ゼロアも志穏を睨み返していた。恐らく、反抗心剥き出しのその目を不愉快に思ったのだろう。
「なんだなんだぁ?さっきまでチビってたやつが、突然反抗心剥き出しで睨みつけてよぉ。虚勢か何かかよ。」
「第2ラウンドだ。」
その声は先程までの何処かビビっていた声から一変していた。それは新社会人の夢物語のような、希望を体現した明るさを持ち、闇を切り裂くような光を灯らせた声だ。
聞いていると、何故か心強くなる。
ゼロアは面食らったように口を開けた。そして、笑い始める。
「おいおい。この状況下でどうするつもりだよ。」
「それはお前だろ。周りを見渡せよ。」
「はぁ?」
初めて気づいた。闘う事に全感覚を預けていたセシルにとって、今の状況を理解するのに数刻、時間を要した。
廃屋の屋根の上にグレイブ達が集結していた。
状況を確認する。良かった。全員無事だ!
グレイブ、アイリ、ニナ、その他の面々。とても久しぶりに見た気がした。
頭の片隅にあった不安は薄れていく。
曇っていた頭の中が晴れ、霧がかっていた視野が明瞭なものになる。
…思いついた。ゼロアを倒す方法を―――
「物量戦かよ。つまらねえなぁ。」
みるみるとゼロアの翼が肥大する。ぐんぐんと音を立て、タケノコのように翼は急成長した。
伸びが止まる。それをこちらへ教えるように翼をはためかした。
息を呑んだ。
ゼロアの体躯を超えたそれは翼というより、蛾の羽のように見えたからだ。翼は不吉と不安を具現化したような不気味さを醸し出し、見たものに威圧を与えた。
ここにいる全員が怖気付くように小さく声を上げた。勿論、志穏も例外ではない。
だが、志穏は屈しなかった。一瞬、涙目になったが、ぐんと内に呑み込み、真っ直ぐゼロアを睨む。
「グレイブ!」
「なんだ?」
「あれで行くけど、何分ぐらいで可能?」
グレイブは自身に問いかけるように目を瞑る。
「2分弱で行ける。」
「おっけぃ。全員、いつものスタンスで行くよ。」
セシルはスタンスの確認は取らない。何故なら、それは今までの重要な局面に幾度と使ってきた戦法だからだ。
"了解!"そう全員が一言一句違わず同じ台詞を言ったことに少し驚く。
「志穏。私の前について。あと、ガルラも私と一緒に切り込むよ。」
とても剛健な顔立ちと肩幅の大きい大男、ガルラが静かにセシルの横につく。
「ふん!」
ガルラが声を出した瞬間、背後から大きく真っ黒な巨人が現れる。
それは上半身のみの巨人で腰あたりからの上半身のみが発生したもの、20メートル近くはある。
ガルラの能力 "巨人操作"。シェイルにより、巨人を作り出し、操る能力だ。攻撃に関して言えば、命中するとセシルに引けを取らない程の力を発揮する。
他のメンバーはグレイブの周辺に集まり、壁を作る。
セシルは少しだけ、微笑んで言う。胸の中はほんのり暖かい。
「第2ラウンドだよ。ゼロア」




