ゼロア・ルフェインゲール
2つのシルエットが交錯した数秒後、大きく、思わず耳を塞ぎたくなるほどの激しい怒号が響き渡った。
「…ぅぃぅ、どうして、最大火力を与えた力が通じない!?」
ゼロアの渾身の一撃が志穏に通じなかったのだ。
怒りに震えたゼロアは躍起になって拳を志穏目掛けて振り下ろす。
だが、頭が働いていないのか、何度も何度も同じ場所を狙う。方向が安直なおかげで全て、志穏にとっては簡単に左手で防ぐことができた。
タコ殴りのように1発2発3発4発5発と何度も発狂しながら、志穏を殴り掛かる。
着実に力が抜けていっているゼロアに対し、志穏は左手を翳すだけで全くエネルギーは減らない。
「舐めんな、く――」
何かを言い終える前にセシルが"地面操作"で一気に畳み掛ける。
1発1発強烈そうな一撃を腹部に何度もぶつけていた。それこそ、タコ殴りの如くだ。
ゼロアはその攻撃に苦しそうな喘ぎ声を出し、 大きくよろける。
「鬱陶しいんだよぉお!」
虚空を殴り、衝撃波を生み出す。それをセシルは何とか地面を操り、防ぐ
――――ように思えた。
その攻撃の威力が凄まじいものだったのか、操作した地面は粉砕し、セシルは衝撃波に吹き飛ばされたのだ。
ぼうっとセシルの体は持ち上げられ、壁に背中を激しく殴打した。
「いっ、かぁ!…」
セシルが力が抜けたような、細い呻き声を漏らす。
まずい、早く助けないと!
セシルは気絶しているようだった。強ばった表情を浮かべながらよ少しも動かない。
「まずはお前から死ねぇ!セシル・ローネス!!」
そしてゼロアがそんな好機を見逃す訳もなく、一直線でセシルまで走る。
目は完全に血走っていた。拳を後ろへ引き、攻撃態勢を既に整えさせている。
ざっと四十メートル。目算し終える前に志穏は走った。
普段のあいつならきっとシェイルを使うまでもなく俺より足が速くて追いつけない。
だが、今のアイツには追いつける。
予想通り、ゼロアは常人以上に足が遅かった。
ついさっきの俺への殴打でかなりのエネルギーを消費したはずだ、それを前提に置き、あいつの今の精神面から推察すると、残量エネルギーの殆どが拳に行くはず。
そんだけハンデがあれば、短距離走苦手な俺でも勝てる。
勢いづいた志穏は更に加速する。
ここで勝てなくて、いつ勝つんだよ!今までの人生の負債をここで返還しろ!
と自分を鼓舞しながら、志穏は滑り込むようにして、セシルの前に、何とか、ギリギリ、回り込む。
ゼロアは奮起して、拳を志穏へと打ち込む。
「うおおぉおお!」
志穏は叫ぶ。全身全霊掛けて、全筋力、エネルギーを左手に集中させ、ゼロアの拳へと向ける。
「ありがとう、志穏。」
背後から、声がする。そこには、頭から少しだけ血を垂らしたセシルが悠然と立っていた。
「セシル!」
志穏はゼロアの右手をそのまま振り払う。力を無くしたゼロアはただ、体重が後ろへ行き、倒れていく。
「チェックメイトよ。ゼロア!!」
セシルはゼロアを拳で腹を穿ち、地面へ打ち付ける。
その衝撃で下の地面がひび割れた硝子のように、ジグザグなヒビを作り、そのまま周囲の地面まで軽く陥没させた。
爆音が木霊する。そして、地球全体が揺れるような衝撃が、この街一体をくぐった。
激しく血を口から吹き出したレフェルは勢いのまま、仰け反る。
「うぐっ…ふ!計算外だった。まさかこんなやつの、左手1本にここまでされる…とはな。」
ぐらついていたゼロアが、とうとう膝を折って、地面にしゃがみ込む。呼吸はとても不規則にして荒く、意識は朦朧としているように見えた。
「ゼロア、中央に伝えて。こんな意味の無いゲームは即刻中止させてと。」
「無理だな。あの機械に設定されたことは取り消せない。それに、お前の言うことなんて聞くと思うかよ。」
ゼロアは血が滲んだ口をにたりと歪ませて言う。上から見下げるような、どことなく余裕さえ感じさせる笑みだ。
「"あいつら"はこの戦いをどう見てるんだよ。」
「"あいつら"ぁ?ああ。この件にはほぼ無干渉だとよ。」
セシルは不愉快な表情を浮かべた。そして吐き捨てるように"やっぱり"とボヤいた。
「お前、俺にとどめ刺さないのかよ。」
「返答によるわ。あなたがもし私達に協力的なら、ビンタ1つで勘弁してあげる。」
「こんな美少女にビンタなんざ、寧ろいつでもどうぞって感じだがな。」
次の瞬間――――――――ゼロアの顔つきが一気に変貌した。死にそうな顔をしていたはずにも関わらず、どういう訳か目を大きく見開いたまま、笑顔を浮かべたのだ。
「だけど、そんな上手い条件だとしても、俺らにも譲れないもんがあるんだよ。」
後半から、力無かった声音が一気に溌剌としたものへと変化する。
志穏は感じ取った。
今見たものは狂気の表れだったことを。
「志穏、伏せ――――」
その言葉を聞き終える前に志穏の聴覚は自分の肘が砕かれる音に全て持っていかれた。
志穏は状況を理解する。
今、ゼロアは瞬き1つも許されないようなスピードで俺の背後に回って、俺を蹴り飛ばしたのだ。
体が粉砕されなかったのは、恐らく左手で一瞬だけ、ゼロアの蹴りを受け止めたからだろう。
そして、それを認知し終える丁度程、志穏の頭は地面にぶつかる。水切りのように何度か、地面に体を打ち付け、ザリザリと惨たらしい音を立てながら止まる。
ぐほぉ。マジかよ。口から臓器が飛び出るような衝撃を受け、志穏は立ち上がれなくなる。
「志穏―」
「これで、背負う荷物が無くなって戦いやすくなったかぁ、セシル!」
セシル目掛けて榴弾を榴弾を撃つ。セシルは頬を掠める程のギリギリで回避し、距離を取る。
掠めた頬から飛び出た血が空中に離散した。
志穏はセシルの顔を見つめる。今までに比べると、セシルが切羽詰まったような、危機感を感じさせる表情をしているのに気付く。
その表情の理由はすぐに判然とした。
ゼロアの"形"が変化していたのだ。言葉の通り、一切紛うこと無く、この言葉を引用できる程の変化、というより変化がそこにあった。
ゼロアの背中から翼が生えていたのだ。一瞬それは天使の翼を志穏に想起させた。だが、その色に気づいてからはひたすら悪魔と形容すべきことに気づく。
禍々しい黒。漆黒、深淵のように深き色。それはゼロアの懐中をそのまま引きずり出して起こした色だと思った。
志穏は絶句する。そして、ただ当惑することしか出来ない。
直後、目の前の色が揺らぐ。深黒とその中で蠢く瞳が一瞬でセシルへの距離を詰めたのだ。
セシルは驚くよりも先に反射的に顔を腕で守った。
「600倍!!」
だが、その反応を予想してか、ゼロアの拳は真っ直ぐ胸の当たりへと直進した。
セシルは敏捷な身のこなしで、ゼロアの肘をオーバーヘッドを決め込む形で蹴りあげて回避した。
だが、そのままセシルは倒れ込み、ゼロアはそのまま情け無しで追撃へ向かう。
それをゼロアが"地面操作"で受け止め、ゼロアの顔面へ蹴りを喰らわせる。その間に生じたゼロアの攻撃のタイムロスを使い、一旦退避する。
セシルの蹴りはほぼノーダメージだったらしい、苦悶の表情も小さな声すらも上げず、退避したセシルへ真っ直ぐ飛びつく。
まともに捉えることすらままならないスピードでゼロアはセシルに攻撃を繰り出していた。
セシルは防戦一方だ。
ゼロアの拳が顔にぶつかる直前、"地面操作"で伸ばした地面をぶつけて守る。ほぼそれを繰り返していた。
反撃の手立てはないように見える。
…明らかに様子が変だ。
ついさっきまで立つことさえままならなかったはずの人間が、突然、肉体強化剤を射たれたように、人間を遥かに上回るスピードで動いている。
さらに言えば、最初と較べても、戦闘スキル諸々全てが比にならない程上がっていた。
「ゼロア!それを使うのは能力継承する時以外、身体に異常
が―――」
「てめぇをぶち殺せレば何だって構ゎネえンだよ!」
最早会話が通じる状況では無い。
野獣のような血走った目、上手く呂律が回っていない様子。
中学の頃、総合の授業で見た薬物防止ビデオ。あれにでてきたヤク中に似ていた。
いや、ほぼ重なっていた。
志穏は少し体を起こし、切に懇願するするように叫ぶ。セシルはもう勝てないと思ったからだ。
「ゼロア、もうやめ―」
「ウルセエよ雑魚が。お前は引っ込んでろよ。セシルの荷物でしか無いくせに。」
ゼロアは攻撃の雨を一旦止ませて、睨みつけながらそう言った。セシルもその声の気迫に呑まれたのか、手が止まる。
ケモノの咆哮をそのまま言語化したような野太い声に――――――――志穏は失禁した。
ジョワっと言う音が静かに響き、気づけば下半身にぬるい液体が広がっていた。
ああ、情けないな。おれ。
何とか四肢を働かそうとする。
……力が入らねえよ。
志穏の身体は度重なるダメージで言うことを聞かなくなっていた。
思えば、腹思いっきり蹴られたり、こうして吹き飛ばされたりだの一般人高校生が許容できる範囲を超えているぞ。
無理なのか。
下半身と同じように肩に力が抜けていく。ぐったりとして志穏は冷たい地面に頬を付けた。
「志穏!あ―たは弱い。―――――――けど無力じゃな―んでしょ?」




