賽は投げられた―終―
男の立つ場所の下が白色に灯る。志穏は男の姿を睨みつけた。
首まで伸びた乱雑な白髪、目を跨ぐようにして裂かれた切り傷、黒い瞳、気色の悪い笑み。
姿さえ異形なら、まだ納得できた。だが、目の前にいるのは人間、しかも美青年と近い容姿だ。
それがむしろあの異様なオーラと相対してよっぽど気色悪い。
自然と志穏は身構えた。
「改めて挨拶しよう、こんにちは志穏くん。私は中央省「軍部指令長」のレフェルという者だ。以後、お見知り置きを。」
丁寧なのか馴れ馴れしいのか分からない挨拶だ。
無論、志穏はガン無視をきめこんだ。
「あれ、嫌われちゃってる?"まだ"何もしてないのに、酷い…
悲しいよぉ。」
柔和な声と笑みを浮かべ、男は語りかける。…気持ち悪い。完全に学校でみんなから嫌われるやつだな、こいつ。まあ、人の事言えたもんじゃねえが…。
「んで、レフェル!何の用でここまで来させたの?この地下で全員揃って会議なんて、2 ・3年ブリじゃない?」
「…分かってる癖に」
レフェルは独り言のように呟く。だが、静寂が横一帯に蔓延るこの空間ではその呟きさえもこちらに届かせた。
戦慄する。
今まで柔和だったはずの声が一気に、獲物を狙う狼のような冷徹で深みを帯びた声へと変化したからだ。
危険を察したのか、グレイブが志穏の前に出る。一気に厳戒態勢となった。
「まあ、そんな身構え無くていいって、何でいちいち私が喋っただけで、リアクションとるの?」
「おめえの真意が読めないからだよ。」
グレイブが威嚇する。
「そんなに憤るなよ、今日は志穏君に提案があったから呼んだだけだよ。」
「提案?」
「うん、そうだ。」
「呑まれないちゃだめだよ!志穏」
「うるせえよ、お前は黙って座っていろ。」
また、声が変貌した。こいつの中には化け物でも住んでんのかよ…。
セシルが少しばかりおののいた。
「提案ってなんだよ。」
レフェルが黒い笑みを浮かべる。
「私達、中央総督府はある事例に基づき、数年前から、"とある世界"の可能性を見出していた。
最初はそんなことあるはずないって、否定的な意見ばかりだったよ。
もちろん、調査自体もとても難航していてね、私達も諦めてたんだよ。けど、君のことを知り、確信したんだよ。"とある世界"は「ある」とね。」
嫌な流れだった。どこかのセールスマンみたいに饒舌に話すレフェルは本当に志穏を言いくるめる気満々で話している。
「その"とある世界"と私達は交流を取りたいんだよ。だから君の力が必要なんだ、もう分かるだろ?志穏くん。とある世界"とは君が居た世界のことだよ。」
驚きのあまりに志穏は文字通り固まった。
何故だ?…何故こいつは俺の居た世界のことを知っている、いやそれよりどうして俺が"とある世界"から来たなんてこと分かったんだ?
頭の中が混沌としている中、それを収まるのを待つ気さえないようで、要件を至極簡単に話す。
「つまりだ。君の能力、世界を渡ってきた能力とその左手について色々研究と調査をさせて欲しい。平和のためさ。」
優しい口調だったが、そこには有無を言わせない圧があった。
…本当に"交流"だけなのだろうか、だとしたら案外悪くないかもしれない。沢山の技術や文化が入り、それこそ現代は新たに進歩出来るのではないか。
改めて沈思黙考しようとした時―
「レフェル、あんたは本当に平気で嘘を吐く人間よね。
交流?そんなもの"世界計画"に書いてあった?書いてあったのを平たく言えば"殲滅"でしょ?」
「そうだっけなぁ、覚えてないや。」
「よく言えるわね、機密書の作成に関わっていたあなたが。」
「だけど、そんなこと言ってどうする?君一人の真実と国の真実、どちらが重要だ?君の意志など容易く、打ち砕けるんだよ。」
小さな声で"彼の意見もね"と呟いた。
今の一連のやりとりを見て、やはり協力すべきでは無いことが分かった。
「そうね、なら私が今この地面をめちゃくちゃに改変するのも容易いことではない?その余裕もそのまま地底に落として上げてもいいよ?」
地面を改変?どういうことだろうか。
志穏はどういう意味か訊こうと横顔を伺った。
セシルから表情が消えている。
今まであった温かさと可憐さはとうに失せきっていて、代わりに瞳は溢れんばかりの敵意を帯びていた。
セシルがそんな表情を浮かべるなんて、思ってもいなかった。
「レフェル、あまり調子に乗らない事ね。」
「それは怖いな~だけどここは公正にして厳正な場所、残念ながら"シェイル"は無効になってる。」
「なら、あなたに今から飛び着いた方が楽に仕留めれそうね。」
「それが一番効果的だよ。君みたいな美少女に飛びつかれて殺されるなら、案外本望かもね!」
どれだけセシルが脅し文句を吐いてもレフェルは意にも介していない。その姿は泰然自若としたままだ。
この男、かなり上手だな。
流石のセシルもその飄々とした態度には少し取り乱していた。
「まず!志穏は1人の人間よ、なら個人の自由を尊重すべき!中央が1人の人生をどうこう言う資格なんてない。」
らしくない、荒らげた口調でセシルは言う。
「確かに、けど彼は普通じゃぁない。
その左手、普通の人間はそんなものが刻まれているかな?」
レフェルは志穏の左手のひらを厄介物を見るように顔を顰めた。
グレイブが話に割って入る。
「志穏が帰るまで戸籍に編入させ、俺達だけで何とかする。それなら中央には迷惑掛けないだろ。」
「けど、国から承認も得ず、どうやってこの世界で生きていくんだ?しかも志穏君が元の世界に帰れる保証は―」
「私達が必ず見つける!!だから、あんた達は黙ってろ!」
セシルの眼光は鋭く、天すらも穿つのではないかと思うほど、真っ直ぐと伸びていた。
それとぶつけるようにレフェルはセシルを黒く歪んだ目で睨んでいた。
2人は微動たりせずに対峙する。
もはやグレイブと志穏が中に入ることは不可能だ。空間一体が一気に硬直し、志穏達が動くことすら許されない
ただ、この緊張感と剣呑な雰囲気が晴れるのを待つしかなかった。
しばらくするとレフェルがいつも通りの黒い笑みを浮かべて、口を開いた。
「確かに君達の言い分は間違っていないね。個人の人生だ、好きに生きればいい。」
「分かればいいわ。」
少しだけ、緊張が軟化した。
これ、もしかしてこのまま帰れるんじゃねえか?!安心とは言えないが心持ちにいくつか余裕が生まれる。グレイブも"ふぅ"と吐息を漏らしていた。
流れは良くなった。…はずなのに何か違和感を感じる。
ほんとにこんなあっさりと終われるのか?そんなに諦めがいい相手なのかレフェルは。
…何か、引っかかる。
そう思っていた瞬間―
「志穏くん。
ゲームをしないかい?」
その時気付いてしまった――
賽は投げられたのだと。