アルハンゲリスキー条約
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──アルハンゲリスキー条約
「大運河はいつなったら航行可能になるのだ?」
アルビオン王国は王都ロンディニウムは、首相官邸。
そこで今の王国政府を構成している首相と大臣たちが会議を行っていた。灰皿に積み上げられた煙草の数からして、かなりの時間を会議に費やしていると分る。
「現状では復旧の目処は立っていない。大運河の航行可能日は未定だ」
そう答えるのは海軍大臣だ。
「何故だ? 大運河を強襲した共和国植民地軍の部隊は大運河から撤退したのだろう? それならば、すぐにでも復旧作業を始めればいいではないか」
そう告げるのは大蔵大臣だ。
「大運河がいつまでも塞がっていては、どれだけの経済損失が出るか分っていないのか。東方植民地までの道のりが断たれては、我々の経済が立ち行かないことは誰もが理解しているはずだ」
大蔵大臣はそう告げて、会議の列席者たちを見渡す。
大運河は王国の大動脈。東方植民地から搾取した農産物を、大運河を通じて運び、王国が保有する海外植民地に売り捌き、王国は多大な利益を上げる。そうやって王国経済は回ってきていた。
その要である大運河が2隻のエーテリウム輸送船によって完全に塞がれてしまった。共和国植民地軍の一部隊の強襲を受け、大運河を警備する戦力は壊滅し、現地のキャナル・タウンでは大規模な反王国暴動が起きている。
「大運河が航行不可能な状態で1日に発生する損害は、ちょっとしたものでは済まされないものだ。我々は1日も早く大運河を航行可能にしなければ、財政が破綻してしまう」
大動脈が塞がれれば、人体ならば死に至る。それと同じように王国にとっての大動脈である大運河が塞がれていることで生じる損害は、もはや国家予算規模になりつつあった。
「事はそう簡単ではない」
大蔵大臣の発言に、海軍大臣が煙草を咥えてそう告げる。
「王国海軍地中海艦隊は全主力艦隊が出撃したが、共和国海軍も地中海艦隊を動員し、地中海では睨み合いが続いている。いつ、戦争に突入してもおかしくないような状況だ」
王国海軍がジブラルタルに相当するターリク海軍基地から、全主力艦を出撃させたのに呼応するようにして、共和国海軍もターレスから地中海艦隊の主力艦を出撃させた。
両国は世界大戦を恐れており、海軍同士の戦闘は起きていないが、地中海は一発触発の緊張状態だ。
「大運河で沈没したエーテリウム輸送船を撤去するには民間の会社を頼るより他ないが、その民間の会社がこの緊張状態で動く事を渋っている。何せ、保険会社は地中海で活動する艦船の保険料を大幅に値上げしたからな」
緊張状態が続く地中海において、暢気に民間の会社がエーテリウム輸送船の撤去作業を行えるはずもない。保険会社は地中海で活動する艦船に関して、保険料を大幅に値上げしており、そのことでどの会社も地中海での活動を避けた。
「王国海軍が護衛すればいいのではないのか? 王国海軍の守りがあれば、安全だろう?」
「そうとも言えない。共和国海軍が自暴自棄になって攻撃を仕掛けてくるのであれば、民間の会社は損害を被る。どの会社も自社の損害を恐れて、大運河の復旧作業を断っている」
共和国海軍地中海艦隊は、主力艦の数でこそ王国海軍の劣るが、彼らが世界大戦の危機を恐れず攻撃を仕掛けてくれば、民間の船など簡単に沈められてしまうだろう。
「それから共和国植民地軍の動きがある」
そう告げるのは陸軍大臣だ。
「共和国植民地軍は緒戦で我々に大打撃を与えた。司令部を潰し、兵站基地を潰し、キャナル・タウンでサウス・エルフの反乱を引き起こし、加えてアナトリア南部で戦っている王国植民地軍の背後を刺した」
陸軍大臣は忌々しげにそう述べる。
「大胆な作戦を行ったものだな。その部隊はどのような部隊だ?」
ここで首相が陸軍大臣に問うた。
「ヴェアヴォルフ戦闘団と呼ばれています。秘密情報部の報告では、共和国植民地軍が作ったエリート部隊らしい。それ以上のことはまだ不明です」
クラウスが指揮するヴェアヴォルフ戦闘団の名前は王国政府の上層部までもが知る名前となった。
「その部隊はアナトリア戦争でウィルマ・ウェーベル少佐の部隊を打ち破った部隊ではなかった?」
「その通り。ウェーベル少佐は最善を尽くしたが、勝ったのは共和国植民地軍、いやヴェアヴォルフ戦闘団です」
アナトリア戦争においてのヴェアヴォルフ戦闘団の活躍は知られている。彼らは王国からベヤズ霊山を強奪し、その後も停戦協定を無視して、今問題になっているアナトリア地域南部を実効支配したのだから。
「ともあれ、ミスライムが戦争状況にある状態では、大運河の閉塞を解除することは困難だ。民間企業はどの会社も戦争の危機感からミスライムに関わることを避けているのだからな」
首相はそう告げて、パイプを咥える。
「戦争が終結するのはどれくらいかかる? 王国の勝利によって戦争が終わるのは何週間後だ?」
「戦争終結など見込みもない。今、アナトリア南部からなだれ込んできている共和国植民地軍を相手にするので王国植民地軍は手一杯であり、王国の勝利までことを運ぶのには何年もかかる」
大蔵大臣が尋ねるのに陸軍大臣は首を横に振る。
「何年だと!? 大運河の重要性は説明したばかりではないか! 全軍を投じてでも、共和国植民地軍を押し返したまえ!」
「滅茶苦茶を言わないでもらいたい。我々も最善を尽くしているのだ。それこそ全軍を投じるような勢いで」
大蔵大臣は陸軍大臣の言葉に一瞬で激高し、陸軍大臣はそれを諫めるような口調でそう返した。
「海軍は何かできないのか? 共和国植民地軍の海上兵站線を遮断するなど」
「我々海軍が本格的に動けば、それは世界大戦に繋がることだと、あなたもご理解のはずだ。むやみに海軍を動かすべきではない。既に共和国海軍と睨み合っているだけでも、かなりのリスクを冒しているのだから」
次に大蔵大臣は海軍大臣に問い、海軍大臣も首を横に振った。
「共和国植民地軍の排除はそこまで難しいのか?」
「先ほどご説明したように敵は後方の司令部と兵站基地を叩いております。それによって王国植民地軍はあらゆる計画が狂いました。この状態を立て直し、かつ反撃に転じるにはそれこそ数年がかりの事業です」
首相が陸軍大臣に尋ねるのに、陸軍大事な苦々しい表情でそう返す。
王国植民地軍は緒戦で司令部と兵站基地の両方を喪失した。それによって、王国植民地軍の前線部隊は大混乱に陥っている。
今から形勢を立て直すには、司令部を復帰させて指揮系統を回復させ、また兵站基地を作り、そこに本国から物資を輸送しなければならない。
だが、司令部の設置はともかく物資の輸送はやはり共和国海軍との緊張状態にある地中海を経由する必要がある。いつも植民地軍が利用するような民間の船舶を雇って、物資の移送を任せるということは、大運河の復旧作業と同じように拒絶されるだろう。
「打つ手なし、だな」
首相はパイプを吹かすと、そう告げた。
「共和国政府との講和条約の締結を急ぐ。この際、幾分かの緩衝地帯の設置は妥協する。必要なのは今、大運河を復旧することだ。このままでは共和国植民地軍と睨み合っている間に王国経済が破綻する」
そして、首相はそう決断し、会議に列席するものたちを見渡した。
「ですが、なんの勝利もないままに講和条約を結ぶのでは、相手にいいように毟り取られることになりますよ。それでいいのですか?」
陸軍大臣は不本意だという表情でそう告げる。
「では、2週間以内に共和国植民地軍を相手に大勝利が得られるかね?」
「それは……」
そんな陸軍大臣に首相が尋ね、陸軍大臣の言葉が詰まった。
「何年もは待てない。我らが王国が譲歩して回復する利益と、このまま戦い続けて得られる利益を天秤にかけなければならない。そして、現状では前者の方が重い。残念なことにな」
首相はそう告げて、力なく首を横に振った。
「では、これで会議は終わりだ。アルハンゲリスキーにいる全権大使に連絡して、我々の側が譲歩すると伝えろ。願わくば我らが王国と国王陛下に神の加護があらんことを」
首相はいつも通りの言葉で会議を終わらせ、この会議の結果は帝国の帝都であるアルハンゲリスキーで、緩衝地帯の設置問題について議論を続けていた王国の全権大使に伝えられた。
王国の譲歩。
それは共和国植民地軍がまたしても王国を相手に勝利したことを意味する。
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