憎悪の誘発
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──憎悪の誘発
「大運河はどうなっているっ!?」
ミスライムはキャナル・タウンの傍にある王国植民地軍の司令部。
そこは大混乱に陥っていた。
原因は大運河会社からの通報で発覚した大運河の閉塞と、大運河の混乱解決のために派遣された部隊が音信不通になったということ。
大運河会社は正式な通報として、大運河が2隻のエーテリウム輸送船が沈んだことによって塞がれ、大運河は航行不可能になったと植民地軍に伝えていた。現状、この2隻の沈んだ船を除去する方法はなく、本国からの応援を求めなければならないとも。
大運河は王国の大動脈。そこが塞がれたとあれば、王国は大損害を出すということは、経済の専門家ではない王国植民地軍の司令官たちにも分かっていることだった。1日ごとに多大な経済的損害が発生するのだと。
そして、その大運河での混乱を解決するために派遣した1個魔装騎士大隊と連絡が取れなくなった。
今、大運河付近で動かせる唯一の部隊であった1個魔装騎士大隊が音信不通になったという事実は、大運河は何者かによって閉塞される以上の状態にあるのではないかと窺わせていた。
「どうなっている。状況はまるで分からない。ハッキリしているのは我々は敵の攻撃を受けているということだけだ」
司令部で大運河の地図を前にミスライムの王国植民地軍の司令官が唸る。
大運河は塞がれ、大運河に派遣した部隊は数時間前から通信途絶。それは明らかに大運河に“敵”がいるのだということを強く示唆していた。
「共和国植民地軍の攻撃では?」
「まさか。連中がどうやって大運河を攻撃できるというのだ。あそこには海軍の駆逐艦も配備されていたんだぞ。それを突破して、大運河を強襲することなどありえるはずがない」
参謀のひとりがそう告げるのに、司令官が首を振る。
大運河には王国海軍の駆逐艦3隻が配備されていた。戦闘力としては十二分な艦艇が3隻だ。
共和国植民地軍が仮に輸送船で強襲しようとしても、上陸する前に駆逐艦が撃沈するはずだ。仮に上陸を許したとしても、駆逐艦の艦砲射撃を浴びれば、植民地軍が派遣できる程度の上陸部隊は壊滅だ。
そのはずだった。
「では、一体何が我々を攻撃しているのです?」
「まさかとは思うが、共和国本国軍ではないだろうか」
参謀と司令官はそのような会話を交わす。
共和国本国軍。その練度は列強で最大規模の陸軍国なだけあって、陸上での戦闘においては巨大国家である帝国に匹敵し、海軍国家である王国を上回る。
「ですが、大運河を共和国本国軍が攻撃するというのは、それは……」
「世界大戦だ」
共和国本国軍が王国の要衝である大運河を強襲したならば、彼らが海軍を動員して駆逐艦を撃沈したならば、それは間違いなく世界大戦の引き金を引く要素となる。
「……このことは本国に?」
「確証が取れていないのに、憶測を伝えるわけにはいかない。だが、今の状況はそのまま伝える。それで本国が“適切”な判断を下し、その結果が結果ならば、我々は受け入れようではないか」
参謀の言葉に、司令官は重々しく返す。
まだ共和国本国軍が攻撃を仕掛けてきたという確証はない。今あるのは、まだ大運河が何者かの攻撃を受けたというだけだ。
その何者かは共和国本国軍であるという可能性は非常に高いというだけだ。
これはある意味では逃げだ。自分たちが世界大戦の引き金を引くのを恐れ、司令官は判断を放棄し、本国に判断を委ねた。そして、自分たちはただのミスライムを守る植民地軍であり続けると。
「理解しました。直ちに、本国に状況を──」
司令官の言葉の意味を理解し、参謀が通信文を書き起こし始めたのと、司令部を激しい衝撃が襲ったのはほぼ同時だった。
「何事だっ!?」
他の参謀たちが衝撃に対して慌てて伏せるのに、司令官は怯えることなく立ち上がって状況を把握しようとする。
「報告! エーテル通信設備が爆発しました! 長距離通信機は全機使用不能です! 現在、復旧作業に入っていますが、早急な復旧は困難とのこと!」
数分後に、兵卒が慌てて司令部に駆け込んでそう叫ぶ。
「爆発原因は? 敵のサボタージュか? それとも事故か?」
「不明です。今はエーテル通信設備が破壊されたとしか」
司令官が尋ねるのに、伝令の兵士は首を横に振って返した。
「不味いぞ。これはまさか」
司令官の額から一筋の汗が流れる。
「ほ、報告! きょ、共和国植民地軍の魔装騎士が当基地に接近しています! 防衛部隊は迎撃を開始しました! ですが、どこも大混乱ですっ!」
続いて入ってきた兵卒の叫びには参謀たちも、司令官も凍り付いた。
「やはりそうか。大運河に上陸していたのか。どうやったかは知らないがやってくれるではないか。忌々しい」
「ど、どうなさるのですか、閣下」
司令官は拳でテーブルを叩いて呻き、参謀は縋るように彼に尋ねる。
「どうもこうもあるか。敵が来るならば戦うだけだ。そのために我々はここにいるのだぞ。我々は王国植民地軍であって、ただの一般市民ではないのだ。祖国アルビオン王国のために戦うことこそが我々の──」
司令官が拳を握りしめたまま命令を覚悟の言葉を告げようとした言葉が2度目の衝撃によって、完全に掻き消された。
司令部の設置されていた部屋に飛び込んできたのは口径75ミリの榴弾。それが司令部内で炸裂し、そこにいた人間を八つ裂きにした。伝令の兵卒も、参謀も、司令官も、階級の区別なく皆殺しにした。
「命中だな」
砲弾を叩き込んだのはクラウスだ。
市民協力局のノーマンからの事前の情報で、王国植民地軍の司令部がどこに設置されているかを把握していた彼は、その場所に向けて榴弾を叩き込んだ。
「ヴェアヴォルフ・ワンより全部隊。基地を荒らし尽くせ。ここは司令部と同時に兵站基地になっている。ここを荒らされれば、王国植民地軍は大損害だ。今頃はアナトリアでも開戦しているはずだから、そっちの勝利に貢献することになるだろう」
クラウスが告げるように、この基地にはミスライムの王国植民地軍の司令部と同時に、兵站基地が設置されている。遥か王国本国から運び込まれた物資が集積され、ここからミスライムの各地に展開する王国植民地軍に武器弾薬から食料に至るまでの物資が供給されるのだ。
ここを叩けば、王国植民地軍の兵站計画は完全に狂い、アナトリア地域南部で睨み合っている王国植民地軍は戦う前から大打撃を受けることになる。
『こちらはサポートに回る』
ローゼの装甲猟兵中隊はクラウスたちが基地を襲撃しているときに、王国植民地軍の魔装騎士が増援として送り込まれないかを監視するために基地の周囲に展開する。
『あたしは兄貴の背中を守るッス!』
そして、いつものようにヘルマはクラウスの僚機を務める。
『こちら偵察分隊。基地内で動きがある。敵は対装甲砲を持ち出してきているようだ。警戒してくれ』
そう告げるのはナディヤだ。
今回の戦いからナディヤも12名の偵察分隊を率いて、ヴェアヴォルフ戦闘団の戦いに加わることになった。彼女はジープで地上を進み、地上の状況をつぶさに報告してきている。
「ナディヤ。対装甲砲の位置はどのあたりだ?」
『基地の入り口から右手の方向に少なくとも3門、左手に少なくとも5門。場所は右手が基地の兵舎付近。左手はトラックの並んでいる駐車場だ。どちらも偽装を始めている』
クラウスが尋ねるのに、ナディヤが情報を寄越す。
クラウスが彼女の情報を基にそちらの方向を向けば、トラックの影や建物の影に隠れて展開しようとする対装甲砲が見えた。恐らくは6ポンド対装甲砲だ。これまでクラウスたちが相手にしてきた2ポンド対装甲砲よりも威力が高い。
「よくやった、ナディヤ。引き続き情報収集を頼む。こちらは戦闘に専念するからな」
クラウスはそう告げると弾種を焼夷弾に切り替え、大慌てで偽装を施そうとしている対装甲砲に叩き込んだ。
「アアッ! アアアッ!」
焼夷弾は粘着質なオレンジ色の炎を振りまき、その炎に炙られた対装甲砲の兵員が飛び出してくる。炎に包まれた兵士が地面をバタバタと転がり、その動きが次第に緩やかなものへと変わる。死だ。
「ヴェアヴォルフ・ワンより全機。ナディヤの指示に従って敵の対装甲砲を相手にしろ。対装甲砲なんぞでやられた奴にはボーナスはなしだからな。気張ってかかれよ」
『了解!』
クラウスが次の砲弾を放ちながら命じるのに、部下たちが応じる。
焼夷弾と榴弾が次々に叩き込まれ、爆発によって対装甲砲が無力化される。
これが魔装騎士だけの突撃だったならば、基地という膨大な敵がいる場所を前に対装甲砲の存在を見落としていたかもしれないが、クラウスたちには地上を進む目が、ナディヤの偵察分隊がいる。
『クラウス! 気を付けろ! 奇妙なものが来る! 対装甲砲を乗せたトラックだ! 右手から急速に接近しているぞ!』
と、そこでナディヤが声を上げた。
「対装甲砲を乗せたトラック?」
クラウスは怪訝に思いながらも、そちらの方向を向く。
すると、確かにナディヤの言った通りのものが現れた。対装甲砲を強引にトラックの荷台に乗せ、砲口をクラウスたちに向けて突撃してきているものだ。
「対戦車自走砲の類、か。ある意味では使える武器だな」
そのトラックを見てクラウスは感心したようにそう呟く。
対戦車自走砲。対戦車砲をトラックの車体や戦車の車体に搭載することで、機動力を持たせ、敵の攻撃を回避しながら、対戦車戦闘を繰り広げるための車両のことである。
この世界にはまだ対装甲自走砲などという兵器は生まれていなかったが、こうして戦場においては現場がその知恵を振り絞って、魔装騎士という怪物を撃破せんとしている。
クラウスが感心している間にもトラックは距離を詰め、6ポンド対装甲砲が砲撃を始めた。ズン、ズン、砲声が響き、砲弾が降り注ぐが、トラックに載せただけの対装甲砲でまともな狙いを定められるはずもなく、砲弾はクラウスたちの近辺の地面を空しく抉るだけに終わった。
「そのアイディアは覚えておこう。それじゃあな」
クラウスはトラックに榴弾を叩き込み、世界初の対装甲自走砲を撃破した。
「ナディヤ。他に対装甲砲は?」
『見当たらない。だが、念のために私が偵察に向かう。完全に安全だと分かるまで待ってくれ』
そして。クラウスが情報を求めるのに、ナディヤは応じてジープを降り、カービンモデルのMK1870小銃を手にし、基地内部を深部まで進み始めた。
「ここでこうまで忠誠心の高い歩兵が手に入るのは幸運だな」
クラウスのならず者時代の部下たちはほとんどが魔装騎士科に入った。今では全員が魔装騎士の操縦士であり、歩兵や砲兵、騎兵にはクラウスの計画に加わり、彼に忠誠を示そうという人間はいなかった。
だが、偶然の幸運からクラウスはナディヤを手に入れた。
ナディヤは部族にいたころにジャーミアの身代わりになるために鍛えられたらしく、基地内を恐れることなく、素早い身のこなしで進んでいく。ちょっと見ただけでも訓練された兵士だと分かるものだ。
「ナディヤ。大丈夫か?」
『大丈夫だ。今のところ対装甲砲は──』
クラウスが刻々と時間が進む腕時計を見ながら尋ねるのに、ナディヤが返事を返そうとしたのが、不意に途切れた。
「ナディヤ。どうした?」
『魔装騎士だ。王国の魔装騎士がいる。サイクロプス型が4体。1体が格納庫で機動している。どうも気づかれたようだ』
クラウスがすかさず声を上げるのに、ナディヤは声を落としてそう返した。
「サイクロプス型か。エリス型への全面転換で余剰になった奴を予備機として残しておいたか? だが、無駄なことだ」
クラウスはそう呟くと、機体を前に押し進める。
「ナディヤ。こっちで援護する。そっちは離脱しろ。偵察はこれで十分だ」
『了解した。お前には守られてばかりだな』
クラウスはナディヤを庇うように格納庫の前に立ち、その隙にナディヤが素早くこの場から離脱した。
「ち、畜生! 共和国の連中、気づいているじゃねーか! だから、旧式機で奇襲するなんて無理だって言ったんだよ!」
2体目のサイクロプス型に乗り込もうとしようとしていた操縦士は、武器も何も放り出して、格納庫から逃げ去った。
「1体はやる気あり、か」
だが、既に起動しているサイクロプス型魔装騎士は、クラウスに向けて6ポンド突撃砲の砲口を向け、片手で対装甲刀剣を抜いて、クラウスに向けて突撃を始めてきていた。
「王国のプライドという奴だな。見苦しい」
クラウスはサイクロプス型の砲撃を横にステップを踏んで回避すると、自分も対装甲刀剣を抜き、そのままサイクロプス型の懐に飛び込む。
第2世代の魔装騎士の動きは、あらゆる面で第1世代の魔装騎士のそれを凌駕する。クラウスは容易にサイクロプス型の振り下ろしてきた対装甲刀剣と自分の対装甲刀剣で受け止め、その隙に操縦席を狙って対装甲ラムを叩き込んだ。
爆発。
第1世代型の魔装騎士では秘封機関の暴発から操縦士を守る措置は施されていない。操縦士は完全に秘封機関の爆発に呑み込まれ、そのままサイクロプス型は上半身と下半身とが分断された形で崩れ落ちた。
「これで終い、か?」
型遅れの第1世代型まで持ち出そうとしたことは、王国植民地軍にはもう魔装騎士を相手にする十分な装備がないことを窺がわせた。そして、それは実際に正しい。王国植民地軍のミスライム後方基地における対装甲兵器は壊滅した。
『こちら偵察分隊。敵は逃げ出しているようだ。装備は持っていない』
離脱したナディヤたちは、基地の裏門から王国植民地軍の兵士たちが逃げ出しているのを確認した。銃も何も持たず、着の身着のままで、キャナル・タウンを目指して逃走を開始している。
「逃げるか。降伏するでも、武器を持って戦うでもなく、逃げるか」
クラウスは兵士たちの行動に顎を摩る。
「ナディヤ。事前に渡した基地の見取り図は持ってるな? 武器弾薬の格納庫とエーテリウムのタンクを探してくれ。それから人を数名司令部に向けて派遣しておいてくれ。司令部がちゃんと壊滅したか、そして残っている書類がないかを確認したい」
『了解した。迅速に行う』
クラウスは基地を完全に制圧したと判断し、ナディヤに命令を下す。
『こちら偵察分隊。弾薬庫発見。どうします?』
「爆薬で残らず吹き飛ばせ。ここに残しておくものはない」
弾薬庫はナディヤではない偵察分隊の兵士が発見し、クラウスは直ちにそれを破壊する命令を出す。
ズウンと激し轟音が響き、衝撃波と共にオレンジ色の炎と黒煙が巻き上がった。巨大な弾薬庫には魔装騎士の武器弾薬や、対装甲砲の弾薬や、歩兵部隊の銃弾などが収まっていたが、それらが纏めて吹き飛んだ。
その壮大さたるや、きのこ雲が立ち上り、爆発の衝撃で司令部や兵舎の窓ガラスが全て叩き割れ、クラウスたちの魔装騎士も距離を置いていたにもかかわらず、揺れを感じるものだった。
「派手な花火だ。だが、これで王国植民地軍の兵站線はズタズタだな」
ここは兵站基地でもある。王国植民地軍が活動するための武器弾薬から食料までを蓄積しておく場所である。
クラウスはそこを襲撃して吹き飛ばした。ここの物資を当てにしてアナトリア南部での睨み合いを続けている王国植民地軍が、これで混乱に陥らなければ、その方がどうかしている。
クラウスの計画は第一段階で大運河を堰き止め、第二段階でミスライムの王国植民地軍に打撃を与えることとなっていた。彼が何を考えているにせよ、第二段階の目的は達されつつある。ほんの僅かな砲弾を放っただけで。
『こちら偵察分隊。司令部を確認。生存者が数名。辛うじて息をしているというレベルだ。書類や地図は多少なりと焼けずに残っている』
クラウスが弾薬庫の爆破を確認していたとき、ナディヤからの通信が入った。
「上出来だ。書類と地図は全て回収しろ。それから生存者は殺しておけ。捕虜にするような余裕はないし、俺たちの医療技術じゃ、いっそ楽にしてやった方が慈悲深い」
『分かった。そうしよう』
クラウスが告げるのに、ナディヤがそう返した。
エーテル通信機から数発の銃声が響き、そして静寂が訪れた。
弾薬庫の誘爆ももはや沈静化して炎が燃え盛るだけになり、周囲でヴェアヴォルフ戦闘団と戦おうとする王国植民地軍の兵士はおらず、けたたましい砲声が鳴り響いていた戦場は不意に訪れた安息に沈黙したのだった。
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