展望台と観光と
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──展望台と観光と
クラウスは事前に説明したように、まずはローゼから展望台に連れていった。
「意外に大きいのね」
遠くから見るとそうでもなかった展望台は、近くに迫ってみるとかなりの高さがあることが分った。王国がシンボルとして力を入れたのか、高さは150メートルほどはあり、大勢の観光客たちが展望台から大運河を眺めようと、集まっていた。
「これだけ大きければ、見渡すには十分だろう。行くぞ」
クラウスはローゼの手を握ると、観光客たちを掻き分けて、展望台に入った。
展望台は秘封機関を動力とするエレベーターがあり、非文明の植民地においても王国の支配する土地には本国並みの文明があることが示されていた。
クラウスたちはそんなエレベーターに乗り込み、展望台の最上階に向かう。
エレベーターは地球のそれと比較するとノロノロとしており、到着するまでに暫しの時間がかかったが、クラウスたちは展望台の最上階に到達した。
「これが大運河、か」
クラウスはガラス張りの最上階から見える光景に、小さく息を吐く。
大運河はその名の通り巨大であった。
運河の幅は90メートル弱はあり、それが大地を横切って遥か紅海まで延びている。運河の入り口には様々な船籍の商船や王国の軍艦が集まっており、それらが水先案内人の手で、運河の位置口に誘導されていた。
「壮観ね。人間の手でここまで大地を掘り起こして、人工的な川を作るだなんて」
「ああ。ちょっとした感動を覚えるってものだな」
ローゼも大運河を眺め、クラウスは持ってきた双眼鏡で大運河の様子を観察する。
「本当に船籍は様々だな。王国の商船が多いが、共和国や帝国の商船もいる。軍艦だけは王国のものだけだが」
「大運河会社は軍艦の利用に制限をつけているから。王国としても、共和国の軍艦が大運河に来るのは気分が悪いんでしょう」
様々な国旗を翻して進む商船を眺めながら、クラウスが告げるのに、ローゼが事前に調べておいたことを補足した。
「運河の幅はやや広すぎるが、できないことはない、な」
クラウスは大運河を襲撃するのに作戦を立てていた。その作戦がどのようなものかは不明だが、それは大運河の川幅が関係するものらしい。
「ローゼ。大運河の警備は見えるか?」
「ええ。運河の入り口に魔装騎士が1個小隊程度いるわ。それからパトロールに当たっている警備艇も。警備艇の武装は大したものじゃなさそうだけど、事前に臨検を受けたりすると計画はおじゃんでしょう?」
ローゼの告げるように大運河の入り口では王国海軍の小型の警備艇が、紹介任務に当たっていた。駆逐艦よりも遥かに小型で、レジャーボートより一回りほど大きな警備艇の武装は機関銃程度に見える。
「そうだが、見つかっても強行するという手もある。以前のようにな」
「また船を穴だらけにしたら、今度は私たちに損害賠償の請求が来るかもね」
クラウスは油断なく、だが民間人の旅行者に見えるように大運河に視線を走らせ、ローゼはそんな彼の傍らで、トンと肩をクラウスに寄せた。
「請求は全部植民地軍行きだ。俺たちは任務を全うするだけ」
「任務じゃないでしょう。植民地軍は大運河を攻撃するなんて、大きな事は考えていないわ。特にあなたのことが嫌いなヘンゼル・ヘルツォーク大佐なんかは」
クラウスたちの動きは完全な独断専行だ。クラウスは植民地軍司令官直属という指揮系統と、植民地軍司令官ファルケンハイン元帥を共犯者にすることで、行動の自由を手にしていた。
「ヘンゼルの親父に構う事はない。あの親父がいくら俺たちを憎もうとも、俺の勝ち取った立場は奪えないんだからな」
「そうね。あなたは望んだものは全て手に入れてきた。これまでも、そして恐らくはこれからも」
クラウスがヘンゼルを鼻で笑うのに、ローゼが肩をクラウスに寄せたまま身長差のある彼を見上げる。
「ねえ。あなたが欲しいのは本当にお金だけなの?」
「今は、な。金が手に入れば、金で買えるものを求めるだろうが、今は金だけだ」
ローゼが尋ねるのに、クラウスはそう返す。
「そう。今という貴重な時間を全てお金のために使うの?」
「奇妙なことを訊くな。だが、そうでもある。怠けていては金持ちにはなれん。巨万の富を手に入れるには、それなりの労力が必要だ」
クラウスはローゼの問いに答えながら今日のローゼは少しおかしいなと感じた。
今日はやけにスキンシップを取ってくるし、いつもは無愛想で口数も少ないのに今日に限ってはやけに多弁だ。まあ、彼女としては多弁であって、ヘルマなどと比較すれば寡黙な方であるが。
「私は今という時間を大事にしたいと思う。私たちは軍人で、いつ死が訪れるのか分らないのだから」
ローゼはそう告げると、クラウスに肩を寄せたまま大運河を航行する様々な船籍の商船に目を向ける。
「こうやって平和に大運河を、人類が作り出した驚くべき人工物を眺められるのも今だけかもしれない。私たちがミスライムでことを起こせば、もう二度と私たちはミスライムに入国できなくなるかもしれないから」
そう告げてローゼはクラウスを見つめる。
「そんな心配はする必要はない。俺たちが金持ちになれば、こんな景色ぐらいは金で買える。それに大運河なんぞ、何度も見ても面白いものじゃないだろう」
クラウスはそう返して肩を竦めた。
「そうかしら。私には特別だけれど、ね。あなたとこうして眺める大運河は、今日限りの景色。お金で時間は買えない」
ローゼはそう告げると、ハンドバッグから双眼鏡を取り出し、そのまま大運河に視線を向ける。
「ローゼ。やれると思うか?」
「不可能ではないとだけ。私の部隊の技量も実戦を経て育ってきているから」
何をやるのかは不明だが、ローゼの部隊──1個装甲猟兵中隊はそれを成す技量があるようである。
「大運河の地形は概ね把握できた。後は実戦に則した演習でもやってみないことには分からないわね。ハント特務中尉は技術的に問題はないと言ってるの?」
「ああ。前の時と同じで魔装騎士で海水の影響を受けるのは秘封機関と魔道式演算機だけだ。そこを保護するようにしておけば、問題なく行動できると言っていた」
ハント特務中尉はヘルマの父親であり、ヴェアヴォルフ戦闘団の整備中隊を指揮する人物だ。魔装騎士のメカニカルな部分の専門家である。
「なら、私からいうことはなにもない。作戦、上手く行くことを祈りましょう」
「祈ってもどうにもならん。作戦を成功させるには努力することだ。必ず作戦を成功させる気概を持って、ことに当たらなければな」
ローゼは最後に少しだけ運河を行きかう商船に目を向け、クラウスはそう返した。
「そうね。私も少しは気合を入れておかないと、欲しいものは手に入らないって分かったから」
ローゼはそう告げてクラウスの手をぎゅっと握った。
「どういうつもりだ、ローゼ?」
「あら。エスコートしてくれる男性がいないと女性は非文明の植民地を出歩かない方がいいんでしょう。だから、エスコートして」
クラウスが自分の手を握ってきたローゼを怪訝そうに見つめるのに、ローゼはニマッと小さく微笑んでそう返した。
「全く。今日のお前はよく分からんな。じゃあ、帰るぞ。どうせ、後でヘルマとナディヤを連れてここに来るんだ。そうそう根を詰めて運河を眺めなくともいいだろう」
「帰る前にちょっと観光していきましょう」
クラウスはローゼの手を引いて引き上げようとするが、ローゼはクイッとクラウスの手を引き、展望台を出た外に広がるキャナル・タウンの街の方に向かおうとする。
「ローゼ。お前までヘルマみたいなことをするのか?」
「私だって女の子だもの。珍しいものを見てみたいと思うわ。それに、このキャナル・タウンも目標のひとつでしょう? 地形を観察しておいて損はないと思うけれど」
クラウスが呆れたように告げるのに、ローゼはそう返した。
「分かった。地形の把握のためだぞ。アナトリアでは他の連中が必死に訓練してるんだ。俺たちだけがここで遊んで過ごしてたとなれば、部隊の士気が落ちる」
「理解してる。あくまで偵察ってこと」
とうとう諦めたようにクラウスが告げ、ローゼは楽しそうに笑う。
「で、どこから見ていく?」
「東部地区が気になる。バザールがあるそうだから。お土産のひとつでも買って行ったら、部隊の士気は上がるんじゃない?」
クラウスが尋ねると、ローゼはハンドバッグからキャナル・タウンの地図を取り出してそう返した。
「東部地区だな。迷路のような地形になってる。実戦でここに入り込むのはちょっとした悪夢だな。対装甲砲が据え付けられていたり、梱包爆薬を持った歩兵が潜んでいたりすると面倒なことこの上ない」
クラウスは展望台を出て、キャナル・タウンの東部地区に入るなり、彼の視点から見た感想を告げた。
「なら、更地にする?」
「できればそうしたいところだな。だが、後で王国と取り引きするときに面倒なことになる。できる限りはそのまま確保しておきたい」
物騒なことをサラリと告げながらバザールに並ぶ異国情緒に満ちた品々を眺めるローゼに、クラウスが頭を振る。
地球における戦車と同じように、魔装騎士も入り組んだ地形ではその真価が発揮しにくい。それでも戦車が市街地戦で活躍するように、魔装騎士も使い方によっては市街地戦を戦うことが可能だ。
「あら。あれ、可愛いわね」
と、ローゼが立ち止まって、バザールの店舗のひとつに目を向けた。
そこにあったのは小さな銀のアクセサリーの類だった。イヤリングや指輪、ネックレスなどの細々とした宝石類が、バザールの一角で販売されていた。
「あれを土産にするのはちょっと面倒だぞ。土産なら、日持ちする食い物か酒がいいだろう」
「お土産の話じゃないわ。私が欲しいの」
クラウスが告げるのに、ローゼが目を細めてそう告げる。
「分かった、分かった。買ってやろう。どれがいい?」
「あのブレスレットをふたつ。私とあなたの分で」
クラウスが財布を開きながら尋ねると、ローゼは飾り気のないブレスレットふたつを選んで指さした。
「俺の分だと?」
「そう。お揃いの品ってこと。名誉あるヴェアヴォルフ戦闘団の隊長と副隊長だから、これぐらいの団結は必要でしょう?」
怪訝そうに尋ねるクラウスに、ローゼはそう返し、店舗の主に目的のブレスレットを頼んだ。
「俺はアクセサリーの類を付ける趣味はないぞ。まして、こんなバザールで買えるような安物はな」
クラウスはそう告げながらも、財布からあらかじめ両替しておいた王国の紙幣でブレスレットを買い取る。
「気持ちの問題。付けても付けなくてもいい。持っていてくれれば」
ローゼはそう告げると、早速買い取ったブレスレットを嵌めた。
「それに安物っていうけど、これ本物の銀よ。付けていても恥ずかしくはない」
「まあ、お前らしいと言えばお前らしい品だな。パトリシアが買うのは宝石がゴテゴテとくっついた代物ばかりだからな。そういう飾り気のなさが好きなのはお前らしい」
ローゼの選んだブレスレットは銀で作られてはいるものの、宝石も何も嵌められていない。実に簡素で、いつも淡白なローゼらしい代物だと言えた。
「じゃあ、その子と私の趣味とどっちがいい?」
クラウスの言葉にローゼはそう尋ねる。
「どっちとも言えんな。お前も金持ちになるんだから、ちょっとは豪華な品を身に付けてもいいと思うし、パトリシアの奴はちょっとは自重した方がいいと思う。何事もほどほどが一番だ」
と、クラウズはローゼに返した。
「そうなの。まあ、努力するわ。でも、いつも倹約してきたから、そうそう簡単に趣味は変えられないわよ。それにあまり宝石は好きではないし」
「女はみんな宝石が好きなものだとばかり思っていたがな」
ローゼは満足そうにブレスレットを嵌めた彼女の細い手首を眺め、クラウスは肩を竦めながら、彼女と同じようにブレスレットを自分の腕に嵌めた。
「似合ってるわよ、クラウス」
「お前もな」
ローゼとクラウスはそう言葉を交わし、再びキャナル・タウンの東部地区を散策して回った。
分かったのは、やはり王国植民地軍の警備は厳重だということと、東部地区の地形は大通りを主軸として展開すれば、そこまで入り組んだ地形には迷い込まないということ。
「次に来るときはここは戦場ね」
「ああ。ミスライムを我が手にだ」
ローゼとクラウスはそう告げて、ホテルに戻った。
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