ミスライム
……………………
──ミスライム
ミスライムは地球においてはエジプトに相当する部分であり、共和国が重要な要衝としている大運河が流れる場所である。
そんなミスライムの目と鼻の先にヴェアヴォルフ戦闘団は駐留していた。
「株式の20%か」
クラウスは上機嫌に自分の租税回避地域に蓄えた貯蓄の額を眺める。
アナトリア地域での勝利でレナーテはクラウスにSRAGの株式の20%を譲渡していた。アナトリアではそれだけ儲かったということであり、レナーテとしてもクラウスを完全にビジネスパートナーとして認めたというところだろう。
株式の一部は部下たちに分け与えたが、ほとんどはクラウスが握っている。SRAGの株価はアナトリア地域はベヤズ霊山での採掘権を確保したことで鰻登りであり、配当金の額も、レナーテからの個人的な献金もかなりの額になっていた。
「このまま行けば、本当に大金持ちになれるわね」
「なれるとも。俺は金持ちになる。そう決めているんだからな」
ローゼの言葉にこの世は自分の決定したように動くというようにクラウスが返す。
「こんなにお金が貯まるなんて凄いッスよ! 植民地軍に入ったときはこんなことになるなんてこれっぽちも思ってなかったッスけど、これなら本当に大富豪ッス!」
ヘルマも自分の配当金の額を見て、ニマニマと満足げな笑み。
「これで満足するな。俺たちはもっと金持ちになる。SRAGを儲けさせてやり、SRAGの儲けで俺たちも儲ける」
現状、SRAGがクラウスたちヴェアヴォルフ戦闘団の働きでエーテリウム鉱山を手に入れると、その分け前がクラウスたちに入ってくる。クラウスたちが勝利し、SRAGが儲けるほど、クラウスたちも儲ける。
「でも、そろそろ頭打ちよね。アナトリアの戦争は終わったし、新しいエーテリウム鉱山を手に入れるのは難しそう」
「そういうことはない。まだ刈り取れる場所はある。そう、例えば──」
クラウスは傲慢な素振りでヴェアヴォルフ戦闘団の仮の司令部におかれた地図を指差す。
「クシュだ」
そう告げて、クラウスが指差したのはトランスファール共和国と国境を接する場所にある王国の植民地、クシュだった。
「クシュね。でも、クシュの守りは堅いわよ。あそこにいる王国植民地軍の規模はそれなり以上だし、あそこは王国における有数のエーテリウム採掘所だから」
ローゼはそう告げて、頬杖を付いて地図を眺めた。
クシュ。
トランスファース共和国と北東部で国境を接する場所。かつて共和国と王国とが領有権を巡って争った場所でもある。
「そんなことは知っている。クシュの王国植民地軍が如何に厄介な存在なのかは、アリアネから聞いているからな」
以前、共和国と王国はクシュの領有権を巡って争ったが、最終的に勝利したのは王国だった。王国植民地軍は共和国植民地軍を打ち破り、クシュのエーテリウム鉱山を全て傘下に収めた。対する共和国植民地軍は敗退し、何も得るものがないままにトランスファールに撤退した。
この戦争にはレムリア重工のエンジニアであるアリアネも従軍しており、クラウスは彼女からクシュの状況について話を聞いていた。
「よって、クシュは直接狙わない。狙うのは間接的な目標だ」
「かんせつてきなもくひょー?」
クラウスが告げた言葉にヘルマが首を傾げる。
「ええっと。よく分かんないッス!」
そして、ヘルマが降参だというように両手を上げた。
「大運河、ね」
「その通り。大運河だ。ここを押さえて、王国からクシュを引き出す」
だが、ローゼの方はクラウスの狙いを理解したようで、一言重要な言葉を告げて、クラウスは満足げに頷いた。
大運河は王国がミスライムに築いた運河だ。エジプトに相当するミスライムに地中海と紅海とを結ぶ、ほぼスエズ運河に相当する運河を王国は築いていた。
この大運河は王国の東方植民地と王国本国、そして王国の海外植民地を結ぶ重要な運河だ。この運河を通って、王国が貿易という名の搾取を繰り広げる東方植民地から得た品を運び、高値で海外植民地に売りつけて王国は莫大な利益を上げているのだ。
東方植民地は王国にとって重要な場所だ。王国の計上する歳入の7割が東方植民地に由来していることからも、そんなことは理解できる。
そんな東方植民地までの道程にある大運河は王国にとって重要拠点だ。彼らは莫大な金をかけて大運河の工事を成し遂げ、大運河を経由して、金の生る木である東方植民地まで向かう。
仮に大運河が閉鎖されたとすれば、王国は東方植民地まで向かうのに、トランスファール共和国などがあるアフリカ南部を大きく迂回し、時間と共和国に海路を封鎖されるリスクを冒さなければならなくなる。
「大運河を人質にして、王国を強請るってことッスか。流石、兄貴ッス! 普通の人間にはそんなことは思いつかないッスよ!」
ヘルマもようやく話を理解して、歓声を上げた。
「でも、大丈夫なの。大運河も王国の重要拠点のひとつ。クシュと同じようにそれなりの警備が行われているはずよ」
「大丈夫だ。勝ち目のない戦いはしない。クシュと違って大運河は攻撃しやすい要素もあるしな」
ローゼの告げるように王国も大運河が自分たちの動脈だと気づいている。王国植民地軍はそれなりの戦力をミスライムに配置していることだろう。
「攻撃しやすい要素?」
「運河を使えるのは、王国だけじゃないってことだ。大運河を運営している大運河会社は株式のほとんどを王国が握っているが、民間企業だ。奴らは利潤のために大運河を共和国や帝国にも開放している」
ローゼが目を細めるのに、クラウスはニッと笑ってそう告げた。
大運河は大運河会社という民間企業が運営している。会社の株式のほとんどはクラウスが述べるように王国政府が握っているが、民間企業である大運河会社は大運河の利用を国籍を問わずに開放していた。共和国の艦艇もここを経由してサウードに移動したりしていた。
「ああ。そういうことね。相変わらずあくどい人」
「戦争にあくどいもクソもない。特に純粋な利益目的で戦われる植民地戦争においてはな」
ローゼはクラウスが何をしようとしているのか理解した。
「ローゼ姉は兄貴の考えが読めるんッスか? すごいッス! あたしは全然分かんないッスよ……」
ローゼだけがクラウスの考えを読んだのに、ヘルマがしょぼんと肩を落とす。
「あなたにも分かるわよ、ヘルマさん。この人は卑怯な不意打ちが大好きだってことを理解しておけばね」
そんなヘルマの肩をポンポンと優しくローゼが叩く。
「さて、それでは事前に大運河の偵察を実行する。実際にどうなっているのかを見定めておかなければな。ローゼ、付いて来い」
「分かった」
クラウスが告げるのに、ローゼが頷いた。
「ええっ! 兄貴、あたしは! あたしは連れて行ってくれないッスか!」
「俺たちは偵察に行くんだぞ。観光旅行じゃないんだ。お前に平時の外套に短刀を潜ませるような芸当が務まるか?」
と、ここでヘルマが不満そうに声を上げ、クラウスがそう告げる。
「で、できるッス! それぐらいは余裕ッス!」
ヘルマは自分の平坦な胸を張ってそう宣言した。
「なら、お前も付いてきていい。だが、足を引っ張るなよ。俺が邪魔だと思ったら容赦なく追い出すからな」
そんなヘルマに小さく溜息を吐きながら、クラウスがそう告げる。
「それで、偵察はどうやってやるつもり?」
「完全な民間人の旅行者として向かう。偽造パスポートをノーマンが用意している。まずはそれを使って帝国に向かい、帝国を経由してミスライムに入国する手筈だ」
クラウスたちは有名になり過ぎている。本名でミスライムに入国しようとすれば、入国を拒否されるか、入国できてもずっと監視の目が付くだろう。
そこで偽造パスポートを、市民協力局のノーマンに頼んで用意してもらい、それを使ってまずは帝国という第3国に向かい、第3国を経由して、ミスライムに入国する。念入りな偽装だ。
「出発はノーマンが頼んでおいてパスポートを寄越したらすぐにだ。それまでは各自、ミスライムの王国植民地軍について──」
クラウスが指示を告げようとしたとき、この仮設の司令部の扉がバンッと大きく開かれた。
「クラウス!」
扉が開かれたと同時に現れたのは、共和国植民地軍のフィールドグレーの軍服を纏い、艶やかな長い黒髪を背中にサラリと流し、健康的な褐色の肌をし、笹状の耳を持ったサウス・エルフの女性。
「ナディヤ?」
そう、現れたのはサウードでクラウスたちが助けたナディヤだった。
「クラウス、会いたかったぞ!」
ナディヤはクラウスが珍しく困惑するのも無視して、クラウスの体にぎゅっと抱き着いた。
「クラウス。その人は?」
「だ、誰ッスか!? 兄貴、その女は誰ッスか!?」
ローゼとヘルマも困惑しながら、ナディヤを見る。
「こいつはジャーミアの影武者をやっていた女だ。ナディヤという」
「やっぱり別人だったのね」
ローゼはジャーミアが誰かと入れ替わっていることに誰よりも早く気付いていたので、彼女にはさして驚きはない。
「ええ? ジャーミアってあの我が侭な植民地人ッスよね? それが、この女だったんッスか? あれ?」
ヘルマの方は事態を受け入れられずに大混乱だ。
ナディヤの髪はヘルマより長く、艶やかで、体のラインもローゼのように女性的だ。少なくともヘルマよりもよっぽど女性的だ。それが男の身代わりをやっていたということをヘルマは理解できない。
「それで、ナディヤ。どうしてお前がサウードではなくここにいて、どうして植民地軍の軍服を着ている?」
「それは私が共和国の国籍を取得し、植民地軍に入隊したからだ」
クラウスが尋ねるのに、ナディヤが胸に手を置いて答えた。
「あの晩に話したようにもうジャーミア殿下に影武者は必要なくなった。そこでザーヒル陛下にご助力いただいて、共和国の国籍を取得し、そのまま植民地軍に入隊したのだ」
ナディヤの話を聞いて、クラウスは思い出した。植民地軍に入隊したがっている子供がいるという話を。それがナディヤだったわけだ。
「なんだって植民地軍に? まさか俺に会うためか?」
「そうに決まっているではないか!」
クラウスの問いに、ナディヤは満面の笑みで答える。
「俺は一晩限りの関係だと言ったつもりだがな」
「私はそうはいかせんよ。お前は私の初めてを奪った男だ。特別な男だ。それにまだ恩を返せているとは思えないからな」
クラウスがあの晩での会話を告げると、ナディヤは大胆にもそう返した。
「初めてを、ね」
「初めてってなんッスか? 兄貴は何を奪ったんッスか?」
ローゼはクラウスたちの会話に不満そうに目を細めて呟き、ヘルマは何のことか理解できずに首を左右に傾げる。
「上官のプライベートに口を出すなよ」
ジト目でクラウスを見てくるローゼにクラウスがそう告げておく。
「で、お前は植民地軍に入隊し、このヴェアヴォルフ戦闘団に配属されたいわけだな。だが、お前には何ができる?」
「うむ。銃での戦闘は得意だ。それからこの付近の部族の風習や言語などにも通じている。私はジャーミア殿下の影武者として務まるように、徹底的に教育を受けていたからな」
銃での戦闘はナディヤの得意とするものだ。共和国植民地軍のMK1870小銃を使った射撃の腕前は、馬上からでも動いている目標に当てられるほどである。
そして、サウード、アナトリア、ミスライムという中近東に広がる部族の風習と言語の理解。それはナディヤが病弱なジャーミアに代わって、他の部族との会合に出席する際に必要とされるとして教え込まれていた。
「悪くはないな。部族に通じているものがいれば、いろいろと情報の調達が容易になると思っていた。ノーマンも当てにはしているが、奴も市民協力局の仕事がある以上は、あまり副業に専念するわけにもいかないからな」
ナディヤがいれば、部族から情報が得られる可能性があるというのに、クラウスが口角を歪めて笑う。
植民地の各地で暮らしている部族は、植民地軍の知らない抜け道を知っていたり、危険な場所を知っていたりする。そして、彼らは現地住民として怪しまれずに、王国や帝国の植民地軍を偵察できる。
そのような部族を味方に付ければ、ノーマンが渡すのとはまた別の情報が手に入る。いや、ノーマンも部族の一部を味方にして情報を手に入れているのだから、ノーマンが渡す以上の情報が手に入る可能性があった。
「結構だ。これから十数名歩兵を部隊に組み込んで、偵察分隊を組織する。指揮官はお前だ。ナディヤ」
ナディヤの価値を理解し、クラウスはそう告げる。
「歩兵は必要ないって言ってなかったかしら?」
「アナトリアの戦闘で考えが変わった。アナトリアの王国本国軍の連中は互いの死角を補っていたにもかかわらず、撤退する際には俺たちが仕掛けたIEDで損害を出している。そして、事前の偵察活動をいつまでも俺とヘルマでやるわけにもいかん」
アナトリア地域での戦争は、クラウスに魔装騎士を使った戦闘についてのいくつかの教訓を与えた。
魔装騎士の視野は戦車などと比較すれば遥かに広いが、それでも一定の死角は生じるということ。それは恐らく魔装騎士の操縦に専念する操縦士が、情報の多さに耐えられずに生じるものだと考えられた。
そして、下車偵察は必要であるが、ヴェアヴォルフ戦闘団において満足な下車偵察が行える人材が育っていないということ。現状、下車偵察を行って必要な情報を収集してくることができるのはクラウスとローゼ、そしてヘルマぐらいだ。
これはクラウスが貴重な魔装騎士の操縦士を損耗したくないために、下車偵察の役割を他の兵士に割り振っていないことが原因だ。
だからと言って、いつまでもクラウスがヘルマだけを連れて下車偵察を行うわけにはいかない。部隊の指揮官が護衛がひとりだけで敵地を偵察をするなど、リスクが大きすぎる。
「これからは偵察活動は俺が訓練した少人数の歩兵とナディヤ、そして俺で行う。護衛がヘルマでは些か頼りないからな」
「お前のことは私が守ろう」
クラウスがそう告げるのに、ナディヤが頷いて返した。
「だが、本当に私が指揮官でいいのか? 植民地軍の兵士たちはほとんどが入植者たちであろう? 私のような植民地人が指揮官であると、彼らが不満を覚えるのではないか……?」
そこで、ナディヤが不安に思っていることを述べる。
植民地軍の将兵は入植者たちだ。彼らは自分たちは文明国たる列強の住民たちであり、非文明の住民である植民地人を軽蔑し、嘲っている。そんな彼らを指揮するのが植民地人であるというならば、彼らはナディヤの危惧するように不満を覚えることだろう。
「構わん。俺は能力さえあれば、入植者も植民地人も区別はしない。能力がないなら等しく屑であり、能力があるなら存分に使う。くだらない虚栄心で俺とお前の仕事を妨げる奴がいるならば、俺が部隊から、植民地軍から叩き出してやる」
「クラウス……」
クラウスにとっての価値観は敵と味方、使える人間と使えない人間だ。
彼が植民地人を嘲るのは列強の住民だからという虚栄心ではなく、彼らが満足な抵抗の準備もなしに反乱を起こしては、無為に潰されるからであり、彼らが敵であるからだ。
味方であり、有能ならば、肌の色が何色だろうと、種族が何であろうと、クラウスは友好の意志を示し、同じように味方になるだろう。
逆に敵であり、無能ならば、列強の人間だろうとクラウスは嘲り、軽蔑し、自分から遠ざけておくか、完全に排除する。
実に自分本位の価値観であり、ある意味では列強の人間だということに由来するプライドを抱いている人間よりも性質が悪い。それがクラウスという人間だ。
だが、そんなクラウスをナディヤは頬を仄かに赤らめ、瞳を僅かに潤ませ、ジッと見つめている。
「ローゼ姉。何か不味くないッスか。ここまできて植民地人なんかに兄貴を取られるとか最悪なんですけど」
「そうね。ちょっと気に入らない」
そんなクラウスとナディヤを見ているヘルマがヒソヒソとローゼに声をかけるのに、ローゼは小さく頷いて返した。
「では、偵察にはナディヤも加える。改めて言うが、出発はノーマンの偽造パスポートの準備ができたらすぐだ。各自、必要な準備はしておけ」
クラウスはヘルマとローゼの小声での会話には気付かず、ミスライムへの偵察活動についての確認を行った。
「頑張るッス! 王国植民地軍を丸裸にしてやるッスよ!」
と、ヘルマはここで自分の評価を挽回しようと気合を入れる。
「私も頑張るわ。いろいろと、ね」
そして、ローゼは僅かに黒い笑みを浮かべて告げる。
クラウスたちがミスライムへの偵察に向かったのは、ヴェアヴォルフ戦闘団に正式にナディヤが着任し、彼女の部下となる歩兵部隊が配属されることが決まった3日後のことであった。
……………………
……………………
ミスライムは大運河の傍らにある都市キャナル・タウン。
ここは王国が大運河を建設する際に集めた膨大な数の労働者たちが作った都市だ。大運河で働く労働者が食事をし、酒を飲み、女を買い、眠るために各地から商人たちが集まってできた都市である。
そんなキャナル・タウンは異国情緒に満ちている。
色とりどりの織物や香ばしい香辛料の香りが漂うバザールがあり、通りを歩く女性たちは頭の上に重そうな籠を載せて歩き、街から見える海には数多の商船が水先案内人の誘導を受けて運河に入ろうとしてる。
街にいる人種も雑多だ。多くは王国が大運河を作る際に集め、そのまま定住したサウス・エルフたちであるが、元々の住民である猫人種、そして列強からビジネスや観光に訪れた人間たちがいる。
「ほえー。異国情緒って奴ッスねー」
ヘルマはそんなキャナル・タウンの様子をボケッと眺めていた。
「ヘルマ。観光に来たんじゃないぞ。偵察に来たんだ。敵情を偵察しろ、敵情を」
「敵情って言っても、ここは戦場じゃないッスよ?」
クラウスがそんなヘルマの腕を引っ張って告げるのに、ヘルマが首を傾げる。
「王国植民地軍のパトロール。数が多い。何か警戒してるみたいね」
そんなヘルマを他所にクラウスの隣を進むローゼが素早く視線を走らせて告げた。
ローゼの視線の先にはカーキ色の王国植民地軍の軍服を纏った2個分隊20名程度の兵士がサウスゲート式小銃を手に隊列を組み、キャナル・タウンの街を進む植民地人たちに警戒の視線を向けていた。
「フン。植民地人たちに反乱を起こさせて、それを口実に戦争を吹っかけるのは王国の常套手段だったからな。自分たちのやりそうなことを、俺たちもやると思って警戒しているのだろう」
クラウスも王国植民地軍の部隊に僅かに視線を向けてそう告げる。
「実際に植民地人を使ってるのはあなたも同じでしょう、クラウス」
そう告げると、ローゼはポンと自分の身をクラウスの身に委ねた。
今のクラウスたちの格好は完全な民間人の旅行者のそれになっている。
クラウスはラフなスーツ姿。ローゼとヘルマはそれぞれ青と白のサマードレス。
ローゼとヘルマのサマードレスは、スカート丈こそ高級店のドレスコードに合格する保守的なものであるが、上半身は肩の部分が開けて、鎖骨と肩が見えるこの時代では大胆なもの。
クラウスは今回は情報収集活動なので目立たないものを選べと言ったのだが、ローゼとヘルマは揃ってこのドレスを持ってきて、結局クラウスはこれを買ってやることになっていた。
「おい、そこの貴族令嬢。未婚の乙女が男と必要以上に馴れ馴れしくするのは礼儀に反するんじゃないのか?」
「そうかもね。でも、あなただって南方植民地総督の娘と仲良くしているじゃない。そっちはいいの?」
クラウスがポンポンと身をもたらせてきたローゼの肩を叩いて告げるのに、ローゼは悪戯気に笑ってそう返した。
「あれは妹のようなものだからな。それに向こうからお前とは結婚できないと言われたばかりだ」
「あら。振られたのね」
パトリシアの話を持ち出されて、うんざりしたようにクラウスが返すと、ローゼはクラウスに身をもたらせたままに小さく笑った。
そんなローゼの様子を見てクラウスは思う。ローゼは何が楽しくて、こんな会話を続けているのだろうか、と。
誰かに会話を盗み聞きされてる?
それならまずクラウスが気付く。クラウスは日本情報軍の士官として、徹底的に情報戦について教育されている。誰かが尾行しているならばすぐに気付くし、誰かが盗み聞きしているのであればなおさらだ。
「振るも振られるも、あれとの間には元々何もない」
クラウスは頭を振って、ローゼにそう告げる。
ヘルマはまたボケッとキャナル・タウンの街並みに目を向けており、王国植民地軍の部隊はトラックに乗り込んで移動を始めている。
「ローゼ。お前は何がしたい?」
クラウスはそう率直にローゼに尋ねた。
「そうね。家をちゃんと再興して、誰か素敵な人とレンネンカンプ子爵家という家系を続けたい。それぐらい」
だが、返答として返ってきたのは、今のことではなく、将来の話だった。
「貴族様は大変だな。俺の家なんて、誰がキンスキーの名を継ごうが構わないという具合だぞ。所詮は成り上がりだからな」
「全く。貴族は昔ほど力はないのに、家名の重さはそのままだから困る」
クラウスが小さく笑って告げるのに、ローゼは小さく溜息を吐いた。
「“ああ。神よ。我が名を呪います。この墓石のごとく重き名がなければ、私は鳥のように彼女の下に自由に羽ばたけるのに”」
「ファルネーゼ物語。意外、あなたが恋愛の本を読んでるなんて」
クラウスが歌うように何かの台詞を述べると、ローゼがパチリと大きく目を見開いて、驚いた表情を浮かべた。
「なに、教養だよ、教養。餓鬼の頃にいろいろと家庭教師に教え込まれてな。まあ、社交界で文明人の振りをするのにはそれなりに役に立っているから文句はないが」
ファルネーゼ物語とはこの世界の古典作品だ。
その内容は身分違いの恋をするひとりの青年と乙女の悲劇を語った物語で、この作品を読んであまりに主人公に感情移入してしまい、自殺したというものまでいる有名な作品である。
クラウスが述べた台詞は貴族の青年が自分が平民の身分になれれば、庶民の乙女と自由な恋愛ができるのにと嘆くシーンのものだ。
「ふうん。でも、あなたの口からその台詞がでるとちょっと考えてしまう」
「何をだ?」
ローゼはそんなクラウスの述べた台詞に目を細める。
「内緒。今は教えてあげない。だけれど、あなたの違った側面が見れてよかったと思ったことは教えておいてあげる。あなたが戦争と金にしか興味がない人間じゃなくてよかったって思った事は」
そう告げて、ローゼは小さく笑う。
クラウスはそんなローゼを見て、分らん女だと思った。
「ねえ。この先に展望台があるみたいよ。運河を見渡すには最適でしょう。今から行ってみない?」
「後でな。そろそろ時間だ。ナディヤと合流する」
ローゼが遠くに見える灯台のような形をした展望台を指差すのに、クラウスは腕時計に視線を向けてそう返した。
「ヘルマ。いつまで呆けてる。行くぞ」
「了解ッス、兄貴」
クラウスはまだボケッとしていたヘルマの腕を引っ張ってそう告げ、彼はキャナル・タウンの無計画に拡張した街並みを迷うことなく進むと、街の中心部にあるひとつの喫茶店の扉を潜った。
「いらっしゃいませー」
クラウスが扉を潜ると猫人種のウェイトレスが笑顔でクラウスたちを出迎えた。
店員たちは植民地人だが、客層は観光やビジネスでキャナル・タウンを訪れたらしい列強の人間たちがほとんどで、このキャナル・タウンでは高級店に該当するものだと窺えた。
「3名様でしょうか?」
「いや。先に来てる友人とここで会うことになっている。ああ、あいつだ」
ウェイトレスが尋ねるのに、クラウスはテーブルのひとつを指差す。
「畏まりました。では、テーブルまでご案内します」
ウェイトレスはそう告げると、クラウスたちを彼が指差したテーブルまで案内した。
「来たか、クラウス」
テーブルで待っていたのはナディヤだった。彼女は王国の治安当局に怪しませないように、先にミスライムに入っていた。
そんなナディヤも今は民間人の格好をしている。ちょっと金のある部族の娘という具合の変装で、赤をベースにしたサウス・エルフの一般的な民族衣装を纏っていた。
騎馬民族のサウス・エルフらしい緩いパンツルックで、上半身には金糸で細やかな刺繍の刻まれた上着を羽織っている。この落ち着いた高級感のある喫茶店でも浮かないだけのものだ。
「それで、どうだった?」
「現地の部族のものと話したが、王国は奇妙なことを始めているようだ。部族の若い男たちを集めて、彼らに武器を扱う訓練を施していると聞いた」
クラウスが尋ねるのに、ナディヤが声を落として返す。
「フン。植民地人を武装させるか。王国の常套手段だが、自国領内でそれをやるのはちょいとばかりおかしいな。反乱が起きてもおかしくないだろうに」
ナディヤの報告にクラウスが眉を歪める。
これまでの歴史で列強諸国はどこも現地の部族を銃火器で武装させ、利用することを行っていた。武装した部族を他の列強の植民地に投入し、植民地軍の露払いに利用するというものだ。
だが、これにはその武装した部族がそのまま与えられた武器を使って武装蜂起するというリスクを内包していた。
植民地軍が反乱の鎮圧に当たることにはなっているが、彼らにしても相手が銃火器を持っていない方がやりやすいし、部族の反乱の鎮圧に手間取っている間に他の列強が領土を掠め取ろうとする危険性を考えれば、銃火器は与えない方がいい。
そんな理由で、列強は今ではどの国も部族を積極的に武装させようとはしなくなった。やっても精々相手国の支配領域内の部族に武器を密輸して渡し、相手の領土内での反乱を誘引するものぐらいだ。そして、この方法を一番好んで使っているのは王国である。
そのような事情があるのに、王国は自国の領土内に暮らす部族を武装化させているとナディヤは現地の部族のものから聞いた。理由は何故だろうか?
「アナトリアでの敗北はまだ響いているんでしょう。アナトリアで王国植民地軍は大打撃を被ったわ。まあ、被らせたのは私たちだけど、ね」
ローゼがウェイトレスの運んできた紅茶のカップを傾けてそう告げる。
「まだアナトリアを引き摺っているか。いい兆候だな」
ローゼの言葉にクラウスはニイッと笑った。
アナトリア戦争で王国植民地軍は大損害を受けた。
大規模な軍が投入されたにもかかわらず、共和国と帝国の同盟軍に押され、後方をクラウスたちヴェアヴォルフ戦闘団に荒らされ、派兵された約12万の兵力のうち、3万名が死傷し、3万が捕虜になった。まさに大打撃だ。
王国植民地軍にもっとも打撃を与えたのがヴェアヴォルフ戦闘団で、彼らは自分たちだけで少なくとも3個の師団を戦闘不能にしている。
「だが、反乱のリスクにどう対応するんだ?」
「うむ。王国は、今ミスライムを支配しエイル王国よりも劣悪な統治を行っている共和国からミスライムを守るためという目的で部族の男たちを集めているようだ。完全に敵を共和国と据えている」
クラウスの問いに、ナディヤが答えた。
「確かにうちの国の植民地支配は碌でもないから、的外れな主張と言うわけでもないが。そんな宣伝で植民地人たちはどうにかなると王国は思っているわけだ」
クラウスはコーヒーに口をつけながらそう告げる。ミスライム風のコーヒー豆が底に残った濃いコーヒーだ。
「そうッスか? 植民地なんてどこも同じじゃないんッスか?」
「違うぞ。まず王国と帝国は植民地開発は入植者を主力に行っている。本土で余っている人口を棄民する目的だったり、政治犯を流刑にするためだったり理由は様々だがな」
ヘルマがオレンジジュースのストローから口を離して尋ねるのに、クラウスが語る。
「対する共和国の植民地開発は現地の植民地人を隷属化し、連中を奴隷として鉱山やプランテーション農園で働かせるやり方だ。王国と帝国もこの手の開発は行っているが、一番大々的にやっているのは共和国だ」
クラウスの告げるように、共和国の植民地支配は隷属化した植民地人を使って行われるものだ。
現地の部族を奴隷的労働者にし、危険で満ちた鉱山や、過酷なプランテーション農園での労働に従事させる。共和国はそうやって、トランスファール共和国を初めとする植民地を開発してきた。
身分の均衡を謳い、王政を廃止し、貴族の力を削いできた共和国は本国市民の権利意識が王国や帝国と比べて高く、強制的に植民地に送るという方法が取れないためにこのような手段が採られる。
だが、それは人民の権利を保障し、自由を語り、王国や帝国の階級社会を批判する共和国にとってブラックジョークのようなやり方であることはいなめない。
「へえ。そうだったんッスか。だから、王国の連中はうちの領土で部族の反乱を誘引するのに成功するんッスね」
「そういうことだ。まあ、王国と帝国のやり方も、元から暮らしていた連中を追い出して、無理やり自分たちの領土にするやり方だから、向こうも向こうで植民地人に恨まれているがな」
ヘルマが納得したというように頷き、クラウスが補足する。
「私としてもどちらのやり方がいいとは言えないな。共和国が植民地人を奴隷にするのはやりすぎであるとは思うが、王国や帝国にとって植民地人は雑草と同じ扱いだ。連中は雑草を処分するように植民地人を処分する」
植民地人であるナディヤにとっても、共和国のやり方と王国と帝国のやり方のどちらが慈悲深いかは判断できなかった。
「そんな王国が植民地人を武装させ、共和国の攻撃に備えている。つまりは攻撃が行われる可能性というものを、連中はある程度は把握しているわけだ。まあ、俺たちがアナトリア南部を強奪した時点で、気付いていたんだろうが」
再び話は王国の防衛体制に戻る。
「奇襲はできないということ?」
「いや。不可能ではない。奴らは攻撃が行われる可能性については掴んでるだろうが、それがいつ行われるのか、どこで行われるのかについては知らない。少なくとも俺はまだ漏らしていない」
王国は共和国からの攻撃に備えている。
だが、クラウスの告げるように王国の備えは日時も場所も分らない攻撃に、漫然と備えているだけだ。
「俺の考えているやり方が成功するならば、完全な奇襲になるだろう」
クラウスはそう告げて小さく笑った。
「ナディヤ。他に手に入った情報はあるか?」
「植民地人の動員を除けば、王国植民地軍の動きは平常のままのようだ。特に兵力が増強されたというような情報もない。ただ──」
クラウスが問うのに、ナディヤが口を開く。
「魔装騎士が全部隊でエリス型魔装騎士に変換されているらしい。大量のエリス型魔装騎士が搬入され、逆にサイクロプス型魔装騎士は廃棄に向けて動いていると、部族の魔装騎士に詳しいものから聞いた」
「第2世代への全面転換か」
ナディヤの言葉に、クラウスの眉間に皺が寄る。
これまで植民地軍の装備は第1世代型魔装騎士だった。共和国はラタトスク型を、王国はサイクロプス型を、帝国はチェルノボグ型をそれぞれ装備してきていた。
クラウスたちはそのような状況だからこそ、ロートシルト財閥のレナーテに頼んで自分たちだけが第2世代型で武装し、他の植民地軍勢力に対して、優位に立てるようにとことを運んでいた。
だが、アナトリアでのヴェアヴォルフ戦闘団の戦いから危機感を抱いたのか、王国は植民地軍の全部隊を第2世代型に変換しようとしているようだ。
「あまりいいニュースではないな。こうなると俺たちが第2世代で武装しているというメリットが薄くなる。レナーテに早く第3世代型を渡すように要請しなければならん」
レナーテは第3世代型を渡すには軍部の承認が必要だとして、クラウスたちにはまずは簡単に渡せる第2世代型を渡していた。だが、このような状況になってくると他の植民地軍に優位に立つには第3世代が必要になる。
「そうそう簡単に魔装騎士をくれるのかしら?」
「渡すさ。俺たちが勝ったおかげで、レナーテは大儲けした。奴は俺たちをビジネスパートナーとして認めている。これからもおいしい思いがしたければ、俺の要請するように第3世代型を寄越すだろう」
ローゼが紅茶のカップを置いて尋ねるのに、クラウスはそう返す。
「さて、これで王国植民地軍を部族側から見た情報は手に入った。後はノーマンから情報を手に入れるのと、自分たちの目で大運河を見ておくことだ」
クラウスはコーヒーを飲み干し、席を立つ。
「市民協力局のおっさんとはどこで会うんッスか?」
「明日の昼に大運河博物館で落ち合う」
ノーマンは既に現地に入っており、植民地における対外情報活動を担う市民協力局第2課の職員として情報収集活動に当たっていた。
「さあ、さっき話していた展望台にでも行くか、ローゼ?」
「そうね。できれば、あなたとだけでいきたいのだけれど」
クラウスが伝票を手に取って告げるのに、ローゼは小さく首を傾げてそう告げた。
「なんだ。理由でもあるのか?」
「これだけ大人数でうろうろしてたら目立つって思って。男ひとりに女が3人だなんて、普通ではあり得ない構成でしょう」
渋い表情を浮かべるクラウスにローゼはそう返した。
「その点は問題なく偽装しているが、確かに目立つといえば目立つか」
フムとクラウスはこの偵察活動で同行させた面子を見渡す。
ローゼ、ヘルマ、ナディヤ。
年頃の若い娘が3人。ふたりは列強の観光客を装い、ひとりは金のある部族の娘を装っている。それに対して、男はクラウスがひとりだけだ。
この状況を説明できるような準備はちゃんと行っているが、確かに目立つと指摘されれば目立つことは確かだ。今、警戒態勢にある王国植民地軍の要らぬ興味を引くと、今後の活動に支障が生じる。
「男をもうひとり連れてくるべきだったな」
ここに男がもうひとりいれば、そこまで不自然には見えなかっただろう。
「なら、俺とローゼで展望台から運河を見てくる。お前たちは先にホテルに向かっておいてくれ。女だけで植民地をうろついているというのもそれなりに目立つからな」
「ええっー! あたしも兄貴と展望台に行きたいッス!」
まだこの世界では女性の権利というものはそこまで認められていない。外を外出するのには、男性のエスコートがあるのが普通だ。まして、そこが非文明の大地である植民地であるならば。
「私もお前と展望台に行くのを楽しみにしていたのだぞ。それはない」
そして、ナディヤも口を尖らせて不満をアピールする。
「全く。文句の多い部下たちに囲まれて俺は幸せ者だな」
クラウスはガリガリと後頭部を掻いて、溜息を吐く。
「まずはローゼと。次にヘルマと。その次にナディヤと。これで全員で展望台にいけるだろう。これで満足か?」
「ちょっと不満」
クラウスが妥協案を示すのに、ローゼが拗ねたように頬杖を突く。
「いや。もうこれは決定した。上官である俺が決定した。部下は従え。以上だ」
クラウスはこれ以上の雑談は完全な時間の無駄だと考えて、伝票を手にカウンターに会計に向かった。
「独り占めしたいって気持ちが分らないのかしら」
そんなクラウスの背中を見ながら、ローゼは小さく呟いた。
……………………




