情報機関
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──情報機関
ルーシニア帝国。
全盛期のロシア帝国に匹敵する領土を有する巨大国家。
その政治体制は皇帝による親政であり、国家の全権は皇帝に対して向けられている。所謂、ツァーリズムというもので、帝国は長き時勢に渡り、皇帝ひとりによって支配されていた。
隣国であるエステライヒ共和国で勃発した共和革命では、危うく共和国による革命の輸出によって、専制君主制度が打倒されるところだった。だが、エステライヒ共和国とは違い、自国の市民にも武器を向けることも辞さず、君主の権力が強い帝国では、共和革命は潰えた。
もっとも、あと一歩で共和革命は成功するところだった。
そこで、帝国は皇帝という国家体制を脅かす共和革命を恐れ、共和国から再び共和主義が波及してこないか、そして国内に共和主義者が潜んでいないかを探るための部署を設立した。
皇帝官房第3部。
これが国内の不穏分子たちを監視し、国外の動きを探るために設置された帝国の情報機関だ。その名の通り、指揮系統は皇帝の直属であり、報告も皇帝に直接あげられる。
最初は共和主義の浸透だけを恐れての活動だったが、列強たちが巻き起こす植民地戦争が激化し、立憲君主制である王国などとも戦うことが増えると、活動範囲は大きく拡大することとなった。
今では第1課が政治犯罪などの監視及び取り締まり任務を。第2課が対外情報収集活動を。第3課が国内の重大事件の調査を。第4課が出版物の検閲を。それぞれ行っている。
そんな皇帝官房第第3部では、今話題になっていることがあった。
「ヴェアヴォルフ戦闘団?」
第2課の上げてきた情報に目を通すのは、皇帝官房第3部部長のオルゲルト・オルロフ伯爵だ。
引き締まった口元と鋭く線のように細い目つきは、彼がこの仕事に就いてから身に着けた態度だ。他者に自分が何を考えているのかを窺わせず、それでいて自分からは圧力を与える表情だ。
「はい、伯爵閣下。先ほどのアナトリアの戦争で活躍したという部隊です」
「ああ。共和国に英雄的な活躍をしたものが現れ、そのおかげで戦況は逆転したのだと共和主義者たちは宣伝しているな。実際の勝利の要因は、帝国と共和国が手を結んだことにあるというのに」
部下が報告するのを、オルゲルトは不快そうに聞く。
「ですが、軍部では実際にこのヴェアヴォルフ戦闘団の活躍のおかげで、王国への勝利が早まったと見ているようです。共和国と同盟した以上は、王国へ勝利できるのは確実でしたが、それを早め、かつ戦果を拡大したのは、このヴェアヴォルフ戦闘団であると」
「ほう。軍部が、か」
帝国の軍部は今回の戦争におけるヴェアヴォルフ戦闘団の活躍に注目していた。
魔装騎士の機動力を活かして、敵の大きな抵抗は迂回し、そのまま敵の背後を取り、後方連絡線を攪乱するという新しい戦法。それを生み出したヴェアヴォルフ戦闘団の行動を、帝国軍部は緻密に調べていた。
まだ断片的にしか情報がないため、同じことをやれるかと言われれば不可能だが、魔装騎士の新しい可能性は示された。帝国は魔装騎士技術で共和国及び王国に後れを取っているため、それを覆す材料として、ヴェアヴォルフ戦闘団の活躍を使うつもりだろう。
「軍部は未だに騎兵突撃に拘っているような堅物の集まりだと思っていたが、ちょっとは革新的なものごとに耳を貸すようになったのだな」
帝国軍部は他の列強と比較して旧態依然としている。機関銃の重要性は理解されず、騎兵突撃が未だに有効な戦術であるともてはやされ、何かとあれば帝国の広大な領土を盾にした焦土作戦で勝利するというのだから、オルゲルトが嘲るのも当然と言える。
「この件は皇帝陛下直々のご命令ですから。軍部の人事も近いうちに入れ替わるものと思います」
「なるほど。皇帝陛下が仰ったのならば、納得だ」
部下の言葉に、既に皇帝から軍部の人事の話を聞かされているオルゲルトが頷いて見せる。
人事の入れ替えと言えば穏やかだが、実際は粛清だ。無能な上層部を皇帝官房第3部があらゆる容疑を捏造して逮捕し、未だに無謀な開拓の続いているツンドラ地帯の強制収容所へと叩き込むのである。
「それで、そのヴェアヴォルフ戦闘団とやらは、帝国にとって危険なのか?」
「危険になる可能性を秘めていると言えます。この部隊は独断で停戦協定を破り、共和国の実効支配地域を拡大しました。それもSRAGというあのロートシルト財閥と繋がっていることが理由だそうで」
オルゲルトが尋ねるのに、部下がそう答える。
皇帝官房第3部第2課はヴェアヴォルフ戦闘団とSRAGの間に繋がりがあることを察知していた。戦場で傍受したエーテル通信や資金の流れなどから、彼らはクラウスとロートシルトが繋がっているらしいと突き止めていた。
「ロートシルト財閥。性質の悪い守銭奴だな。以前、我が国で起きかけた共和革命では、共和主義者たちを支援していたのもこの連中だ」
オルゲルトが苦々しい表情でロートシルト財閥を語る。
ロートシルト財閥は共和革命成功後の利権を約束され、帝国で発生した共和革命運動を密かに支援していた。彼らに活動資金を与え、武器を与え、共和国の退役軍人を密かに派遣していた。
もっとも、どれも証拠らしい証拠は残っておらず、共和主義者たちを尋問したら出てきた話というレベルである。故に帝国は表立って、共和国で大財閥を構築しているロートシルトを非難できない。
だが、そのことから帝国はロートシルト財閥を敵視している。あの薄汚い高利貸しが何かしらの陰謀を企て、帝国を破滅させようとしていると、共和革命が未遂に終わってから数十年経っても未だに彼らは思っていた。
「そのロートシルト財閥と繋がっている植民地軍の精鋭部隊。奴らの狙いは何だ?」
また自分たち帝国を破滅させようとする陰謀を企てているのか?
「エーテリウム鉱山を初めとする鉱物資源を狙っているようです。ヴェアヴォルフ戦闘団が今回の戦争で狙った目標はベヤズ霊山のエーテリウム大鉱山。これはヴェアヴォルフ戦闘団が制圧してからすぐにSRAGの弁護士が権利を主張しています。その後の停戦破りの戦闘でも同じように」
帝国は共和国の同盟者として振る舞いながら、影では共和国のエーテル通信の傍受に務めていた。そんな彼らが平文で行われたSRAGのダニエルによる、ベヤズ霊山の権利主張の通信を聞き逃しているはずがない。
「つまり、ヴェアヴォルフ戦闘団はロートシルトが植民地に有する私兵だと?」
「関係はまだ不明です。ヴェアヴォルフ戦闘団にもSRAGの資金や株式が流れ込んだ形跡があり、共闘関係という可能性もあります」
オルゲルトが告げるのに、部下が首を横に振って返した。
「何にせよあの忌々しい高利貸しが、今や兵隊まで手にしたというわけか。ならば、このヴェアヴォルフ戦闘団というものは危険視するべきだろう。ロートシルトと関わるものは全て帝国の敵だ」
オルゲルトはそう告げ、小さく唸る。
「ヴェアヴォルフ戦闘団について引き続き情報収集を続けろ。奴らが帝国を害そうとするならば、直ちに対抗できるように」
「畏まりました、閣下」
ヴェアヴォルフ戦闘団。ただひとつの植民地軍の部隊。
それは今や帝国の情報戦を戦う皇帝官房第3部の危険視するものとなった。それがロートシルト財閥と繋がっているという理由で。
だが、彼らは見落としている。
ヴェアヴォルフ戦闘団が危険なのはロートシルト財閥に巨万の富をもたらすだけの勝利を得る力があるからなのだとは。
その面に注目するのは帝国ではなく、直接彼らと砲火を交えた王国であった。
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アルビオン王国。王都ロンディニウム。
その王都を流れるテムリア川に面するメアリー朝の建物に収まっているのは、王国において情報活動を行う部門、王国情報局秘密情報部だ。
秘密情報部は対外情報収集活動を行うための部署であり、列強本国での情報収集活動はもとより、植民地における情報収集活動も行っている。また時には情報収集に留まらず、反乱の扇動や、暗殺を行うダーティーな部署だ。
「スペンサー侯爵閣下。ウィルマ・ウェーベル少佐の報告はお読みなられましたか?」
そんな秘密情報部の長であるサイモン・スペンサー侯爵の執務室で、ブランデー入りの紅茶を傾けて尋ねるのは、植民地に精通した情報要員トーマス・タールトン準男爵だ。
「ああ。読んだ。些か信じられない話だがな」
サイモン・スペンサー侯爵は名高い貴族であり、王国陸軍で大佐まで勤め上げた経験があり、その経験を買われて、秘密情報部の部長を任されている人物だ。
彼自身の見た目は口髭を清潔に蓄え、髪はオールバックにして纏め、口にはパイプを咥え、これぞ王国の貴族というべき姿をしている。
だが、彼はそんな見た目に反して、容赦ない情報工作を指揮することで密かに有名だった。反乱を起こしそうな植民地人のリーダ-を暗殺し、共和国や帝国では植民地人の反乱を誘引し、邪魔であるならば共和国の人間だろうと暗殺の許可を出すという男なのだ。
「ウェーベル少佐は錯乱していたのではないか? 本国軍の魔装騎士連隊が、植民地軍の1個大隊に敗れるなどあり得ないことだ。本当は共和国の植民地軍の数は多く、それでいて連中も本国軍を動員していたとは考えられないか?」
ウィルマの敗北は衝撃的だった。
本国軍では白騎士と呼ばれ、数多くの演習でも普通ならばあり得ない戦果を叩きだし、本国軍では一目置かれている彼女が、よりによって共和国の植民地軍に敗れた。サイモンの告げるようにあり得ないことだ。
「事実です。ヴェアヴォルフ戦闘団は、ヌチュワニン鉱山での工作のときから姿を現し、植民地軍であると確認されています。そして、敵の数についてはウェーベル子爵のみならず、他の兵士たちも1個大隊であったと証言しておりますから」
「フン。不愉快だな」
トーマスはヌチュワニン鉱山にいおいて植民地人を焚き付けて、それを口実としてトランスファール共和国を削り取ろうとする工作を、ヴェアヴォルフ戦闘団に阻止された。彼はヴェアヴォルフ戦闘団が歴とした植民地軍の一部隊であると認識しいている。
「共和国は植民地軍にエリート部隊を作った、と考えて間違いないな。これまでは烏合の衆だった植民地軍にてこ入れし、魔装騎士を中核とした精鋭を組織した。それ以外には考えられまい」
サイモンはパイプを吹かしてそのように告げる。
「精鋭部隊となると、これまでの我々の植民地軍で対応できるか疑問ですね。ヴェアヴォルフ戦闘団はアナトリア地域で勝利する以前にも、我々が工作したサウードでの反乱を潰しています。植民地軍に頭ひとつ飛びぬけた戦闘力のある部隊がいるというのは、些か問題になるかと」
トーマスは紅茶の杯を傾けながらそう返す。
「確かに問題だ。この事は各方面に報告せねばなるまい。敵は第2世代のスレイプニル型魔装騎士を使用していると聞く。これを機に、我々の植民地軍も第2世代のエリス型に機種変更するべきだ」
本来ならば情報機関に過ぎない秘密情報部が、植民地軍の装備についてあれこれ言うべきではない。だが、ヴェアヴォルフ戦闘団の戦闘力を把握しているのが秘密情報部である以上は、彼らが王国の軍部に働きかけて、植民地軍の装備を変えなければならない。
「それから次に動乱が起きるのはどこだと思うか、タールトン準男爵?」
そして、サイモンはテーブルに地図を広げ、トーマスに尋ねた。
「問題のヴェアヴォルフ戦闘団はアナトリアの南部に駐屯しています。彼らがただ実効支配のために駐屯しているならば問題はありませんが、よからぬことを企てていた場合、王国にとって重要な要衝が危機に晒されます」
「大運河」
トーマスは地図を指差して告げ、サイモンが無表情のままに一言告げる。
大運河。地球で言うスエズ運河に相当し、王国が東方植民地との交易という名の搾取を行う上で重要な場所だ。
ヴェアヴォルフ戦闘団はイスラエルに相当する部分に駐屯しており、大運河の位置するミスライムまでは瞬く間だ。
ヴェアヴォルフ戦闘団がまたしても協定を破り、ミスライムに侵攻し、大運河を奪ったならば、王国は大混乱に見舞われる。
東方植民地までの海路はミスライムの大運河を通過するか、南方植民地を大きく迂回し、行き着くかのふたつだ。前者に比べて、後者は圧倒的に時間がかかりすぎ、王国の商船はもっぱら大運河を利用している。
東方植民地で搾取した資源を、他の海外植民地に高値で売りつけ、それで儲けている王国にとって、そんな大運河が奪われるのは非常に危機的だ。
「最悪の状態に備えるべきだろうが、植民地軍がどこまで言うことを聞くものか」
サイモンは憂鬱そうな表情をして、パイプを咥える。
植民地軍は軍部の管轄するものだ。秘密情報部が情報を与えても、それを軽視して、警戒態勢を取らない可能性は十二分にあった。まして秘密情報部はヴェアヴォルフ戦闘団がミスライムを襲撃するという確かな証拠を手にしているわけでもないし、襲撃が行われる日時について把握しているわけでもないのだから。
「出来る限りの警告は行いましょう。それからミスライムの植民地人たちをこちらの味方につけておけば、ヴェアヴォルフ戦闘団が攻め込んできたときでも、嫌がらせ程度のことはできるはずです」
トーマスは反乱の扇動にかけては秘密情報部でも有数の腕前を有する。彼が起こした反乱は数多く、いくつかの反乱は鎮圧されたが、いくつかの反乱は成功し、王国植民地軍が介入するきっかけを作った。
そんな彼は今回も植民地人たちを自分たちの味方に付け、ヴェアヴォルフ戦闘団が攻め込んできたときには、彼らをぶつけて時間稼ぎをするつもりだった。
「そうであることを願おう。ところで、ウィルマ・ウェーベル少佐だが、扱いはどうなっている?」
「懲罰も何も行われていません。今回の戦いの敗因はシェパード大佐の無謀な策が原因ですので。あの状態でよくやったと評価する将軍もいれば、損害が大きすぎると判断する将軍もおり、まだ評価中です」
ウィルマはシェパードの無策で、ヴェアヴォルフ戦闘団の罠に嵌まり、何名かのヴェアヴォルフ戦闘団の兵士を道連れにした後、部隊を撤退させていた。
ある将軍たちは当初の目的であったベヤズ霊山が奪還できなかったことから、ウィルマを無能と判断し、別の将軍たちは上官の招いたミスの中で最善を尽くしたとして、彼女を優秀と評価していた。
「ならば、ウェーベル少佐が優秀だというように宣伝をかけろ。共和国植民地軍のエリート部隊を相手に奮闘し、惜しくも敗れたというようにな」
サイモンはそこで奇妙な命令を告げた。
「はて。それは何故?」
「アナトリアの戦争は我々の負けだった。それを覆すためには、英雄が必要になる。民衆が熱狂するような英雄が現れ、我々の敗北を有耶無耶にしてくれるような英雄がな」
サイモンの狙いは世論操作だ。
アナトリア地域での敗北で、民衆は軍に不満を覚えている。軍事予算のために多額の税金を納めているのに、軍が敗北するということは、民衆の不満を招き、如いては植民地戦争そのものへの反対に繋がる。
王国に植民地が必要な以上、それだけは避けたい。
そこでウィルマを英雄として宣伝し、そのことで敗北を隠すという策をサイモンは選択した。
「理解しました。軍部にはそう説明して、働きかけておきます。実際に彼女は優秀な軍人なので、問題はないでしょう」
トーマスは最後にそう告げると、サイモンの執務室を後にした。
この後、ウィルマは秘密情報部が買収したメディアによって、共和国で無敗を誇るヴェアヴォルフ戦闘団と互角に戦った英雄として讃えられた。
軍からも中佐への昇進が行われ、彼女は王国の英雄となった。
「何が英雄だ。馬鹿馬鹿しい」
だが、当のウィルマはこの工作に腹を立てていた。
彼女はヴェアヴォルフ戦闘団を相手に、クラウス・キンスキーを相手に完敗した。それなのに英雄として讃えられるのは彼女にとっては納得できることではなかった。
「クラウス・キンスキー。奴を殺すまでは、名誉も何もない」
ウィルマはそう呟き、机に拳を叩きつけた。
ウィルマとクラウス。この両者の戦いはこの後も行われることとなる。
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