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55話 ディアス

『……帰るか』


俺は即座にそう判断した。


見なかった事にしたい。


心の底からそう思った。


目の前にいるのは、断角王ガルンディアス。


異世界の魔王。


ルーレット台の前で酒瓶を片手に叫んでいた。


「赤だぁぁぁぁ!!」


「赤に入れえぇぇ!!」


『酔っ払いじゃねぇか……』


本当に同一人物なのか。


あの時の威圧感。


黒い魔力。


広場を吹き飛ばした拳。


運営に喧嘩を売った怒号。


それら全てが脳裏に蘇る。


だが。


目の前の魔王は。


顔を赤くして。


酒瓶を握りしめ。


ルーレットの玉に全力で祈っていた。


『……帰ろう』


俺はもう一度決意する。


関わったら絶対に面倒だ。


酔っ払い。


魔王。


ギャンブル。


この三つが揃って安全なはずがない。


俺は静かに後ろへ下がった。


リリンも俺の背後に隠れるように小さくなっている。


「ま、まおーさま……」


『大丈夫だ』


『静かに逃げるぞ』


モエも珍しく少し困惑していた。


「えっと〜……」


「アレ、本当にこの前の魔王?」


『多分な』


「ギャップすご〜……」


ゼフィーは警戒したまま、静かにガルンディアスを見ている。


「酔っているようですが」


「油断は禁物ですわ」


『だな』


完全に同意だった。


酔っていても魔王。


酔っていても化け物。


むしろ酔っている分、何をするか分からない。


俺達はそろりそろりと後退する。


その時だった。


カラン。


ルーレットの玉が跳ねた。


円盤の上を転がる。


赤。


黒。


赤。


黒。


玉は何度も弾かれながら速度を落としていく。


ガルンディアスが身を乗り出した。


「来い……!」


「来い……!」


「来い来い来い来い……!」


『怖い怖い怖い』


声が低い。


本気すぎる。


そして。


カラン。


玉が一つのマスに落ちた。


赤。


次の瞬間。


「来たぁぁぁぁぁぁぁ!!」


ガルンディアスの叫びが響いた。


うるさい。


とんでもなくうるさい。


ジャラジャラジャラッ!


大量の魔導コインが払い出される。


ガルンディアスの耳が、ぴくりと動いた。


嫌な予感がした。


非常に嫌な予感がした。


ガルンディアスがゆっくりと振り返る。


赤金の瞳。


目が合う。


『あ』


終わった。


「……ん?」


魔王が目を細める。


酒で赤くなった顔。


だが。


その瞳だけは鋭い。


一瞬だけ。


場の空気が冷えた。


リリンが俺の後ろで身を固くする。


モエも息を止める。


ゼフィーの指先に魔力が集まる。


俺も反射的に身体を低くした。


逃げる準備。


だが。


次の瞬間。


ガルンディアスは大きく笑った。


「おぉ!」


「猫じゃねえか!」


『猫ではあるけど。なんだよ、その呼び方』


「来てたのか!」


『俺の領地だからな』


「ここは、いい場所だな!」


『それは良かった。お引き取りください!』


「ははははは!」


何が面白いのか。


ガルンディアスは豪快に笑う。


そして酒瓶を軽く掲げた。


「まあ待てよ」


「少し話がある」


『嫌だ』


即答した。


「早いな」


『前回殺されかけたからな』


ガルンディアスは酒を飲む。


ぐびっ。


喉が鳴る。


それから。


妙にバツが悪そうな顔をした。


「……それは悪かったな」


『え?』


思わず聞き返した。


今。


謝ったか?


あの魔王が?


ガルンディアスは視線を逸らす。


「混沌神の気配がしたからよ」


「お前は混沌神に似すぎてんだよ」


『俺、猫なんですが?』


「姿の話じゃねえ」


『?』


『わけが分からないよ』


「説明しづらい」


「魂みてえなもんだ」


魂。


その言葉に、少しだけ引っかかる。


運営が俺をこの世界へ呼んだ。


力を与えた。


そして、力が少し変質しているとも言っていた。


その影響だろうか。


俺の中に、混沌神とやらの気配が混ざっているのかもしれない。


非常に嫌だった。


勝手に混ぜないでほしい。


ガルンディアスは多少反省しているようだ。


「俺は昔――」


「混沌神の使徒だった」


『……』


その場の空気が変わった。


モエも。


リリンも。


ゼフィーも。


静かになる。


魔道遊戯館の騒音だけが遠くに聞こえた。


ジャラジャラ。


ピコン。


ガコン。


そんな音が、妙に遠い。


ガルンディアスは酒瓶を握ったまま続ける。


「騙された」


『騙された?』


「ああ」


ガルンディアスは自嘲気味に笑った。


「力を与えると言われた」


「世界を救えると言われた」


「混乱を正せと言われた」


「俺はそれを信じた」


『……』


「俺は強くなった」


「軍勢を作った」


「国を作った」


「敵を倒した」


「邪魔な王も、魔王も、神の眷属も叩き伏せた」


静かな声だった。


だが。


その内容はとんでもなかった。


「気付けば」


「俺の力は神々に届きかけていた」


ガルンディアスは自分の頭に手をやる。


そこにあったのは。


折れた角。


いや。


俺は思わず目を細めた。


『……あれ?』


違和感。


前に見た時と違う。


あの時。


ガルンディアスの角は、片方が無残に折れていた。


断角王。


その名の通り。


折れた角を持つ魔王。


だが。


今は。


黒く艶のある角が、途中まで伸びていた。


完全ではない。


だが。


折れていた部分が、明らかに再生している。


『角……』


俺が呟くと、ガルンディアスがこちらを見る。


「気付いたか」


『伸びてないか?』


「ああ」


ガルンディアスは酒瓶を置く。


そして。


その角を指で叩いた。


カン。


乾いた音が鳴る。


「これは本来、戻らねえはずだった」


『戻らない?』


「混沌神に折られた」


低い声。


酔っているはずなのに。


そこだけは冷たかった。


「俺が強くなりすぎたからだそうだ」


「勢力が大きくなりすぎた」


「世界の均衡が崩れる」


「だから調整する」


「あいつはそう言った」


『調整……』


嫌な言葉だった。


ゲームなら分かる。


強すぎるキャラがナーフされる。


環境を壊したから弱体化される。


だが。


これは現実だ。


国がある。


部下がいる。


命がある。


それを調整の一言で片付けられたら。


たまったものではない。


ガルンディアスの声が少し低くなる。


「角を折られた」


「力の源を砕かれた」


「国は一度壊滅した」


「城は落ちた」


「軍勢も失った」


「配下も、多く死んだ」


『……』


冗談ではなかった。


ルーレットで騒いでいた酔っ払い魔王の顔ではない。


今のガルンディアスは。


本当に魔王だった。


断角王。


その名の意味が少しだけ分かった気がした。


「だから俺は混沌神を殺してえ」


「今でもな」


赤金の瞳が燃える。


憎悪。


怒り。


執念。


それがはっきり見えた。


リリンが小さく息を呑む。


モエも黙っている。


ゼフィーは目を伏せた。


「だから勘違いした」


ガルンディアスは続ける。


「お前を見た時」


「混沌神の気配がした」


「奴そのものだと思った」


「殺すべき敵だと判断した」


『……』


「だが違った」


ガルンディアスは俺を見る。


「お前は使徒だ。かつての俺のような」


「だが混沌神本人ではない」


「少なくとも、あいつとは違う」


『まあ、俺はただの猫だしな』


「ただの猫は魔王を召喚しねーよ」


『それはそうだ』


反論できなかった。


ガルンディアスは少しだけ口元を歪める。


「それに」


「礼を言わねえとな」


『礼?』


「角だ」


そう言って、ガルンディアスは再び自分の角に触れた。


「混沌神を追った後」


「俺は死にかけていた」


『さらっと怖い事言うな』


「事実だ」


「あいつには届かなかった」


「今の俺じゃあな」


今の俺。


つまり。


全盛期ではなかったという事だろう。


「けどよー」


「気付けば回復していた」


「傷が消えた」


「魔力が戻った」


「魂の欠損すら塞がっていた」


『魂の欠損って何だよ』


「俺にも説明しづらい」


怖い。


説明しづらいものを当然のように言わないでほしい。


「そして角が戻り始めた」


ガルンディアスの指が角をなぞる。


「本来ならありえん」


「混沌神が折った角だ」


「通常の治癒では戻らねえ」


「魔法でも戻らない」


「神の加護でも戻らなかった」


『……』


嫌な予感がした。


ものすごく嫌な予感がした。


「だが戻った」


「お前の眷属となった直後にな」


『あー……』


思い当たる。


戦闘後回復。


眷属登録。


レベル共有。


俺の機能ちから


いや。


運営から与えられた能力。


だが。


ガルンディアスの言っている事が正しいなら。


俺の能力は。


混沌神がつけた傷すら治してしまった事になる。


『やばくない?』


普通にやばい。


かなりやばい。


ガルンディアスは笑った。


「やばいな」


『心読むな』


「顔に出ている」


猫なのに。


そんなに分かりやすいのか。


「さらに」


「力も増した」


『それは知ってる。俺の能力の一部レベルシステムだな』


俺も確認した。


眷属一覧にガルンディアスはいた。


しかもLv33。


俺と同じ上限まで上がっていた。


「妙な感覚だった」


「世界の法則とは違う力が流れ込んだ」


「強化される」


「回復する」


「制限が外れる」


「気持ち悪いが、悪くない」


『気持ち悪いって言うな』


「事実だ」


遠慮がない。


酔っているからなのか。


それとも元からなのか。


よく分からない。


ガルンディアスは酒瓶を手に取る。


だが、すぐには飲まなかった。


「俺は借りを作るのが嫌いだ」


『じゃあ帰れよ』


「それは別の話だ」


『別なのかよ』


「俺は強さを取り戻す必要がある」


「お前の眷属でいる限り、力が戻る可能性がある」


「ならば利用する」


堂々と言った。


清々しいほど堂々と言った。


『利用宣言されたんだけど』


「安心しろ」


「俺も利用されてやる」


『どこが安心なんだ』


「お前とは、上手くやれる気がする」


ガルンディアスは鼻を鳴らす。


「俺はガルンディアスだ」


「ディアスと呼べ。お前も名を名乗れ」


『……』


俺は少しだけ考えた。


スケベ大魔王。


こんな名前じゃ、まともな自己紹介にならない。


ガルンディアスは腕を組む。


「なんだ」


「名前も無えのか?」


『ある』


「なら言え」


仕方ないな……


『スケベ大魔王』


沈黙。


館内の喧騒だけが聞こえる。


ジャラジャラ。


ピコン♪


ガコン。


だが。


俺達の周囲だけ時間が止まったようだった。


ガルンディアスが固まる。


瞬きすらしない。


『……』


「……」


『……』


「……本名は?」


『スケベ大魔王』


「本気か?」


ガルンディアスが眉間を押さえた。


「真面目に答えろ」


『真面目だ』


「ふざけるな」


『ふざけてない』


「いや、ふざけてるだろ」


『酷い名前だとは思う』


「思うのかよ……」


魔王が頭を抱えた。


モエが肩を震わせている。


「ぷっ……♡」


「くくくっ♡」


「ディアス様?の反応ウケる〜♡」


リリンは不思議そうに首を傾げる。


「まおーさまは、まおーさまですよ?」


『そうだな』


「そうです!」


リリンの中では何もおかしくないらしい。


ゼフィーは静かに視線を逸らした。


優しさだった。


ガルンディアスは大きくため息を吐く。


「断角王ガルンディアス」


「魔王を名乗るなら、せめてそういう名前だろ」


『知らん』


「俺が付けてやる」


『いらん』


「黒炎王」


『いらん』


「冥界王」


『いらん』


「魔導皇」


『いらん』


「邪竜帝」


『いらん』


「なんで全部却下するんだよ」


『俺が決めた名前じゃないから』


「じゃあスケベ大魔王は?」


『俺が付けた』


ガルンディアスの表情が消えた。


『……』


「……」


『……』


「お前が?」


『俺が』


「自分で?」


『自分で』


再び沈黙。


ガルンディアスはゆっくり酒を飲んだ。


ぐびっ。


そして酒瓶を置く。


「正気か?」


『いや、面白半分でその場のノリで……』


今度は本当に固まった。


さっきより固まった。


「お前」


『うん』


「馬鹿なのか?」


『否定できない』


「できねえのかよ」


モエがついに吹き出した。


「だめ〜♡」


「もう無理〜♡」


「ディアス様の反応おもしろすぎ〜♡」


ガルンディアスは額を押さえる。


「俺は数百年生きてる」


『長生きだな』


「神も魔王も英雄も見てきた」


『ほう』


「だが」


赤金の瞳が真っ直ぐ俺を見る。


「自分でスケベ大魔王を名乗った馬鹿は初めて見た」


『記録更新だな』


「誇るな」


即答だった。そのあと爆笑していた。


『酷くない?』


「酷いのは名前だ」


『正論やめろ』


「くくっ……」


そこで初めて。


ガルンディアスの口元が緩んだ。


そして肩を震わせる。


「いや……駄目だろ、それは」


ひとしきり笑って落ち着いたようだ。


「しょうがねぇなぁ。スケベって呼ぶわ。よろしくな」


『ああ。よろしくなディアス』


『それにしても、お前先日とキャラ変わりすぎじゃないか?』


「普段は舐められねえようにしてんだけどよ」


「酒のむと駄目なんだわ。素が出ちまう」


『いや、出すぎだろ』


「そうか?」


『そうだよ』


『前は俺を殴り殺そうとしてたじゃねぇか』


「それは悪かったって謝っただろ」


『謝れば全部許されると思うなよ』


「でも生きてるじゃねえか」


『結果論だ』


「はははっ」


ディアスは楽しそうに笑う。


なんというか。


魔王というより。


酒場で絡んでくる強いおっさんだった。



「混沌神だと思って気がたってたんだよ」


ディアスは酒瓶を軽く揺らす。


「今は割と機嫌が良い」


『なんで?』


「角が戻ったからだ」


そう言って。


自分の角を軽く叩く。


カン。


硬い音が鳴る。


「何百年も変化しなかったんだ」


「それが急に伸び始めた」


「そりゃ嬉しいだろ」


『まあ、それは分かる』


「国も安定してるしな」


「優秀な奴らが残ってくれてる」


『国ほったらかしでいいのか?』


「問題ねえよ」


ディアスは肩をすくめた。


「王ってのはな」


「全部自分でやる奴ほど潰れる」


『それは分かる気がする』


「だろ?」


そう言って笑う。


そして。


遊戯館を見回した。


スロット。


カードゲーム。


酒場。


ダーツ。


コインゲーム。


ミケちゃん。


全部を見回して。


ディアスは満足そうに頷いた。


「それに」


「ここ居心地いいんだよな」


「飯うまい」


「風呂気持ちいい」


「酒ある」


「遊べる」


『他の施設も行ってたのかよ……』


「だからしばらく世話になる」


『勝手に決めるな』


「もう決めた」


『おい』


だが。


ディアスは楽しそうだった。


少なくとも。


もう俺を殴る気は無さそうである。


味方になってくれるなら頼もしいかもしれない。

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