第09話:楽しかったんだ
基地に戻っても、昴の手は震え続けていた。
恐怖ではない。それなら、分かる。慣れている。でも、これは違う。
格納庫でVEGAから降りたとき、ヤヒロが駆け寄ってきた。
「おい、すげえな! RB-2、初めて見たぞ!」
ヤヒロの声が、遠くに聞こえた。
「……ああ」
「お前、あんな動きできたんだな。マリアの奴、完全に置いてかれてたぞ」
マリア。
昴は、その名前に引っかかった。
「……マリア?」
「ああ、さっきの敵機。VEIL-09の搭乗者。情報部が特定した」
ヤヒロが、端末を見せた。
そこには、女性の写真。二十代後半から三十代前半。整った顔立ち。でも、目に感情がない。
マリア・シンクレア。
Aion Sphere所属。AETERNUS《VEIL仕様》搭乗者。
「……彼女が」
昴は、写真を見つめた。
あの声の主。
冷たくて、寂しそうな声。
『スバル、大丈夫?』
PQの声が、頭の中で響いた。
「……平気」
『嘘。心拍がまだ高い』
昴は、ヤヒロに端末を返した。
「……ちょっと、休んでくる」
「おう。無理すんなよ」
昴は、居住区画へ向かった。
廊下を歩く。足が、重い。
――あの感覚が、忘れられない。
RB-2を使ったとき、世界が変わった。
全てが見えた。敵の動きが、手に取るように分かった。
そして――楽しかった。
戦うことが。
敵を圧倒することが。
勝つことが。
――それが、怖かった。
部屋に着く。ドアを開ける。
「お帰り、お兄ちゃん」
日和が、笑顔で迎えてくれた。
でも、すぐに表情が曇る。
「……お兄ちゃん、顔色悪いよ」
「……平気」
「嘘」
日和が、昴の手を掴んだ。
「手、震えてる」
昴は、自分の手を見た。
確かに、震えている。
「……怖いんだ」
昴は、正直に言った。
「何が? 戦うのが?」
「いや……違う」
昴は、ソファに座り込んだ。
「戦うのが、楽しかったんだ」
日和が、息を呑んだ。
「……楽しかった?」
「ああ。敵を圧倒して、勝って……それが、気持ちよかった」
昴の声が、震えた。
「それが、怖い。俺、変わってきてる」
日和は、何も言わなかった。
ただ、昴の隣に座って、手を握った。
「……お兄ちゃんは、変わってない」
日和が、静かに言った。
「戦いに慣れてきただけ。それは、悪いことじゃない」
「でも――」
「でも、お兄ちゃんは今、それを『怖い』って言った」
日和が、昴の目を見た。
「本当に変わった人は、怖いとも思わない。楽しいだけになる」
昴は、妹の言葉を噛み締めた。
「……そうかな」
「そうだよ」
日和が、少しだけ笑った。
「お兄ちゃんは、優しすぎるんだよ」
その夜、昴は眠れなかった。
ベッドに横になっても、頭が冴える。
RB-2のときの感覚が、まだ残っている。
あの高揚感。あの快感。
『スバル、眠れない?』
PQの声が、優しく響いた。
「……ああ」
『RB-2のこと、考えてる?』
「分かるのか」
『君とリンクしてるから』
PQの声が、少しだけ申し訳なさそうだった。
『ごめん。君に、あんな感覚を味わわせてしまった』
「……謝るな。お前のせいじゃない」
昴は、天井を見つめた。
「あれは、俺の問題だ」
『でも、RB-2は僕が提案した』
「戦況を考えたら、正しい判断だった」
昴は、目を閉じた。
「……PQ、あれって、また使うことになるのか」
『……たぶん』
PQの声が、沈んだ。
『RB-2は、VEGAの本来の性能。戦況が厳しくなれば、また使う』
「そうか……」
昴は、拳を握った。
「じゃあ、俺は……また、あの快感を味わうのか」
『スバル、それは悪いことじゃない』
PQの声が、真剣になった。
『戦うことに、喜びを見出すのは、人間として自然なことだ』
「でも――」
『でも、君はそれを怖がってる。それが、君を人間にしてる』
昴は、何も言えなかった。
ただ、PQの言葉を聞いていた。
『スバル、君は大丈夫だ。君には、日和がいる。僕がいる。亘一がいる。ヤヒロがいる』
PQの声が、温かかった。
『君は、一人じゃない。だから、怖がらなくていい』
昴は、少しだけ笑った。
「……ありがとう、PQ」
『どういたしまして』
そして、いつの間にか、昴は眠っていた。
でも、夢の中で、また戦っていた。
――翌朝。
昴は、亘一に呼び出された。
訓練場の片隅。誰もいない場所。
「スバル、昨日はすごかったな」
亘一が、笑った。
「RB-2、初めて見たよ。あんな動き、人間業じゃない」
「……そうですか」
昴は、俯いた。
亘一が、表情を変えた。
「……スバル、何か悩んでる?」
「……いえ」
「嘘だ。顔に出てる」
亘一が、昴の肩に手を置いた。
「俺にも、経験がある」
「……経験?」
「初めて、戦いを楽しいと思ったときのこと」
昴は、顔を上げた。
亘一が、遠くを見つめていた。
「俺も、怖かった。自分が変わっていくのが」
亘一の声が、静かだった。
「でも、黒瀬司令が言ってくれた」
「……何を?」
「『怖いと思えるなら、まだ人間だ』って」
亘一が、昴の目を見た。
「スバル、君は大丈夫だ。君には、まだ怖さがある」
昴は、何も言えなかった。
ただ、亘一の言葉が、胸に沁みた。
「……ありがとうございます」
「礼はいらない」
亘一が、笑った。
「俺たちは、仲間だから」
その言葉が、昴を救った。
少しだけ、楽になった。
――でも、心の奥底で。
あの快感は、まだ燻っていた。




