吸血鬼、ただいまとは言わない
次の日も、リュカとの“修行”は続いた。
次の日も、そのまた次の日も。
サザは、修行の手ごたえを感じていた。
最初は、まるで相手にならなった。影すら踏めず、手も足もでなかった。けれど、何度も何度も、泥にまみれて転がり、木に叩きつけられて起き上がるたびに何かを掴んだ。
もちろん、まだ勝てるとまではいかない。
けれど、あと少しで手が届くーーそんな気がしていた。
時折、戦いの後に焚火を囲むことがあった。
リュカの話は、いつもくだらないものばかりだった。
「昔、スライムとにらめっこして負けた話」とか
「魔王が犬だったら威厳は保てるのか」とか
「どの魔物の肉がいちばん不味かったか」とかそんな話だ。
あまりにもくだらなくて、唖然としたり、そりゃないだろって言ったりするやりとりも、いつの間にか日常になっていた。
居心地がいいーーなどとは思いたくなかった。だが、それでもどこか、温かいと感じてしまう瞬間があったのは否定できなかった。
そんなある日のことだった。
サザが動いた拍子に、古びたシャツがビリッと裂けた。
肩口から背中にかけて大きく裂け目ができ、やぶれた布がひらひらと風に揺れた。
「おおっと。さすがに限界きたか~」
サザの蹴りをかわしたリュカが、いつもの調子で言う。
「……ちっ、めんどくせえ」
サザは舌打ちしながらも、内心ではもう無理だなと理解していた。
さすがに、サバイバルしながら2か月以上も着っぱなしだと限界が来るのも無理はないと思った。
あいにく、ほかの服は持っていない。
「よし、じゃあ一回帰ろっか。魔王城」
まるで、そこら辺の川にでも行くようにリュカが言った。
「は?なんで?」
「服ないでしょ?あと髪とか顔とか、なんかいろいろ……あ、これは悪口じゃなくてね?」
「……別に、森にあるもんでどうとでもなる」
「いやいや、そんなことしてたらノアが怒るよ?『ドロドロだよ!』ってさ~」
名前を聞いて、サザの顔がこわばった。
ノア。
魔族の少女。
今ならばわかる。
魔王城に初めて来たとき、彼女はきっと純粋に歓迎してくれていたのだ。
少しおびえながらも、ぎこちなく、手を差し伸べてくれていた。
けれど、それを冷たく突き放してしまったのは自分だ。
会ったらどんな顔をすればいいか、今更わからなかった。
「行くかどうかは、任せる。お前が決めな」
リュカに提示された選択に、サザはますます黙り込んだ。
戻るなんて……かっこ悪い。
自分から飛び出した場所に、何食わぬ顔で帰るなんて。
……だったらやめる。それが一番いい。
そう、思いかけたときだった。
ふいに、幼いころの母の言葉が蘇った。
――勇気をだして。怖がらずに、一歩踏み出して
それは、誰かに声をかけることかもしれないし、謝ることかもしれない。
……逃げた場所に自分から戻ることだって、きっとそうだ。
どうしてそんなふうに思えたのかわからない。
でも、きっと今じゃないと、そう思えなかった気がする。
自分の中の何かが変わったんだと、そう思った。
けれど、いざ口に出そうとすると、うまく言葉が出てこない。
結局絞り出すように言ったのは、
「また修行、付き合ってくれるなら、行ってもいい……」
という、なんとも歯切れの悪い言葉だった。
そんな言葉に、リュカは笑って答えた。
「もちろん。っていうか、ここまで来たら、ちゃんと最後まで面倒見たいしね~」
あっけらかんとそんな風に言うリュカの様子に、サザはホッと息をつくのだった。
そしてふたりは、森を後にした。
―――
転移魔法陣が淡い光を放つ。
光に包まれて、サザが目を開けると、そこには前に見た石造りの回廊だった。
久しぶりの魔王城。
ほんのわずか前まで、背中を向けていた場所。
今は――ほんの少し、懐かしく感じる。
その廊下の先に、ぱたぱたと駆けてくる足跡が聞こえた。
「サザ!」
ノアだった。
どんな顔をして会えばいいかと思っていたのに、少女は嬉しそうに駆けてくる。
サザは思わず目をそらした。だが、何も言わずに逃げることはしなかった。
ノアは立ち止まり、満面の笑みで言った。
「おかえり!」
サザの口が、わずかに動いた。
声はでなかった。
だがその胸の奥には、なにかがふわりと灯った気がした。
そして彼は、ただ小さく頷いた。




