吸血鬼、空を見上げる
森の夜は、湿っぽく冷たい。
虫の声、木々のざわめき、遠くで魔物の唸り声。そんな中、サザはひとり、川辺で息を切らしていた。
「…ぜぇ…ぜぇ……くそっ……また、逃げられた……」
ついさっきまで、リュカとやり合っていた。またもや返り討ちだった。
ここ最近、魔境の森での生活はほとんどサバイバルだ。
野生の魔物を撃退し、木の実を食い、たまに自分で狩りをして糧を得る。
それは別にいい。
今までだって、そういう生活をしてきたから。
だが問題はリュカだ。
時折ふらりと現れては、襲い掛かってくる。
「修行、修行。強くなりたいんでしょ~?」
そんなことを言いつつも、実際は理不尽で一方的な襲撃だ。
サザが気配に気づいたときには、もう遅い。一撃、また一撃。
リュカは何かに取り憑かれたように楽しそうで、サザは毎回ボロボロだ。
そんな日が、1週間、1か月と過ぎていった。
次第にサザは、戦い方を覚えていった。
そして今日、サザは万全の作戦を立ててリュカを迎え撃った。
地形を把握し、風下に立った。気配を消して忍び寄り、死角から一気に飛び掛かる。
油断しているリュカの背後を完全にとった。
――いける……!
そう思った次の瞬間だった。
「まだまだ甘いよ~」
軽い声と共に、サザの視界が白く弾けた。
……またかよ……
宙を舞う浮遊感と、もはや慣れた体の痛み。
そして、意識はすぅっと闇に沈んでいった。
――
――勇気をだして…
母の声。
まだ、病気になる前の、元気な母さんの声。
「どうしたの、サザ」
夢の中で、サザは幼い子供だった。
あたたかい光が差す村の広場。白い小さな花が、風に揺れていた。
サザは俯き、指先をいじりながらポツリと呟いた。
「…今日、あの子と遊びたかったけど……言えなかった」
「ふふ」
母は笑った。
それは、決してからかうようなものではなく、愛おしむような、包み込むような笑みだった。
「サザは本当に、恥ずかしがり屋さんね」
「……うん」
サザの声は小さくて、蚊の鳴くようなものだった。
母は膝をつき、そっとサザの肩に手を置いた。
「でもね、サザ。仲良くなりたいって思うの、とっても素敵なことなのよ」
サザは俯いたまま、声を震わせる。
「でも、もし……いやって言われたら……」
「きっと、大丈夫。勇気をだして、サザ。怖がらずに、一歩踏み出して」
そう言って、母はサザの髪を撫でた。
その手の平は温かくて、優しかった。
サザは、そっと顔を上げる。
木漏れ日の中で、母は頬笑んでいた。
「…母さん……」
呟いて、サザはゆっくりと目を開けた。
視界にはパチパチと燃える焚火が揺れていた。
草木も眠る、静かな夜の森の中。
そこに倒れていると気づくのに、数秒かかった。
ハッと覚醒する。
「おはよ~」
焚き火の向かいからのんきな声が響く。
リュカだ。
反射的に体を起こすが、サザは体の痛みに思わずうめき声を上げた。
背中をひどく打ち付けたようだ。脇腹も、強く痛む。
思わず手で押さえようとしたところで、ふいに気が付いた。
その手に包帯が巻かれている。
「……なんだよ、これ」
「手当」
「はぁ…!?」
わけがわからず、サザはリュカを見る。
木の枝に刺した川魚を焚き火であぶっていたリュカが、ふいにニヤッと笑って言った。
「やるじゃん」
「……なにが」
「さっきの動き。悪くなかったよ」
「……別に」
ぶちのめしておいて、そんなことを言われたことに、若干腹が立った。
だが、文句を言う前に、体のだるさが先に来た。結局、口をへの字にして、ふてくされるようにして黙る。
「はい、魚」
目の前に差し出された焼き魚。
「吸血鬼は焼き魚なんて食べねーよ」
「あ、そうなの」
本当のことを言うと、食べられないことはないが、そんな気分でもなかった。
だがリュカはさして興味もなさそうに、焼き魚にかぶりつく。
その様子を見つめながら、サザはぼんやりしていた。
パチ、パチと焚火の音だけが森に響く。
なんだか、すごく疲れていた。
だからだろうか、つい無意識に話しかけてしまった。
「なぁ……お前、なんで魔王のとこいんの」
リュカは魚をかじりながら、少しだけ考えるそぶりをした。
「ん~……わかんない」
「は?」
「……けど、ま、ずっと一緒にいるうちに、悪くないなって思ったんだよね~」
焚火の光で、リュカの目が赤く反射する。
その目を少しだけ細めて、リュカが笑う。
「あいつはだいぶ、面白いし」
「……友達かよ」
「ん~……そうかもね」
わけがわからない。
バリバリと魚の骨をかみ砕くリュカを見ながら、サザはなぜだか無性に苛立ちを覚えた。
「……そんなふうに思えたやつ、俺には人生で一度だっていなかったけどな」
リュカの手が止まる。
サザは俯いて、膝を抱えた。
「生まれたときから貧しくて、その日食べるものにも困る有様で、友達なんか、ロクにいなかった」
焚き火が爆ぜる音だけが、静かに響く。
「母さんが死んで、一人になって、やっと死ねたと思ったら、吸血鬼にされる始末。
……そっからはめちゃくちゃだ。村人には化け物だって言われて、だからって魔物が仲良くしてくれるわけでもない。必死だった。毎日がむしゃらに、生きて、生きて……」
サザは口をつぐんだ。
焚火の向こうにいるリュカが、何か言うかと思ったが、何も言わない。
「……すげー、疲れたんだよ…」
思わず漏れた自分の声が、あまりにも情けなくて、惨めになった。
なんでこんなこと、こいつに話してんだとも思った。
けれど、本当はずっと誰かに聞いてほしかったような気もした。
「へぇ~」
リュカが魚の骨をつまんだまま、にやけ顔で言う。
「たいへんだったね~」
「……バカにしてんのか」
「してないって~」
ふざけてるのか本気なのか、よくわからない。
「考えるくらいなら、歩いてみれば?散歩したら気がまぎれるかもよ?」
「はぁ?夜だぜ?」
サザが眉をひそめると、リュカは空を見上げた。
「だってさー、世界はこんなにも真っ暗で、広いんだよ?」
見上げると、木々の間には満天の星空が見えた。
それは遠く、途方もない宇宙の一端を感じさせた。
「暗くて広いこの世界、どこまでだって駆けていける。全速力で走って、深呼吸でもしてみなよ。嫌なことぜーんぶ、風に溶けてくって~」
「はぁー?!」
けたけた笑うリュカに、サザは思わずため息をつく。
なんでこいつはこんなに軽いんだ……。
脳みそに綿でも詰まってんのか?
悲壮な気持ちで話していた自分がなんだかばかばかしく思えて、一気に力が抜けた。
「へっへへへ…」
うろんな目でリュカを見るとまだ笑っていた。
ふっと息がもれた。
笑ったわけじゃない。
自分がこんな風に誰かと話していることが、ちょっと不思議だった。
そしてそれが……少しだけ、悪くないと思えた。




