ゾンビ、噂を耳にする
「けんかすると、吸血鬼に連れていかれるよー!」
突然、すぐそばで声が響いた。
私はびくりと肩をすくめて振り向く。
見れば、小さな子供が石を蹴りながら通り過ぎていくところだった。
その瞳は無邪気そのもので、私たちの会話などどうでもよさそうに、ぴょんぴょんと跳ねながら消えていった。
「……吸血鬼?」
「へぇ、このあたりにも伝承があるんだね」
ユエルはそういって、遠くの山を見つめた。
山には夕日が掛かり、空は夕暮れから夜へと向かっていた。
「“北の山には吸血鬼が棲んでいて、悪い子は連れていっちゃう”ーー昔からよくある、おどし文句の一種かもしれないけど、ね」
そう話していると、本屋の店主が話しかけてきた。
「気にすんな、ああいうのは昔からある迷信だ。信じるだけ損ってもんだよ」
「でも、伝承には元になるお話があるって、よく聞きますけど……」
「まぁな。でも、もし本当に吸血鬼がいるんなら、悪い子供じゃなくて、悪い大人を連れてってほしいもんだぜ」
店主の声はひそめられていたが、言葉には棘があった。
「この村の領主はなぁ、必要以上に税金を取り立てて、領民の暮らしは苦しくなるばっかりだ。それだけじゃねぇ……裏じゃ、子供の売買もしてるって噂もある」
「……え?」
私の背筋に冷たいものが走る。
店主はちらりと周囲を見渡し、さらに声をひそめた。
「……冒険者なんだろ?王都に行くんなら、ついでにチクっといてくれよ。ああ、もちろん、俺が言ったなんてのはナイショでな」
私とユエルは顔を見合わせる。
信じがたい領主の悪行。
そして、それを誰も口にできないまま、うすぼんやりとした空気の中にのまれている村。
「ユエル……これ」
「うん。なにか起きるって顔してるよね、この村」
―――
私たちはひとまず本屋を離れ、こっそりと村の一角にある領主の屋敷へと向かった。
夜を過ごす場所は決まった。
領主の家の馬小屋。
何かが起こるとすれば、きっとここだ。息をひそめ、わらの敷かれた床にしゃがみこむ。
「わらのベッド……」
決意を固めながらも、私はふわふわベッドへの未練をまだ捨てきれていなかった。
「寝られるかは微妙だけど、寝転がるくらいはできるよ」
順応性が高いユエルは、気にしないようだった。
ため息をついて、馬小屋のわらの上に寝転がる。
「ふわふわのベッドで一度は寝たかった人生だった……」
「もう死んでるけどね」
「…ちょっと静かにして」
馬小屋の干し草は、意外と温かかった…気がした。気がしただけだ。
―――
時間が過ぎていく。
外は次第に暗くなり、すっかり夜になった。
山間の風が吹き、月が雲に隠れ、次第に冷え込んでくる。
草木も眠ったように静まり返った深夜。
今日は何も起きないのかと、そう思い始めたときだった。
「ぎゃああああああっ!!!」
屋敷の中から、悲鳴が上がった。
それは驚き、恐怖、混乱、すべてが混じりあった、生々しい絶叫。
私とユエルは顔を見合わせ、一瞬の間もなく立ち上がった。
「……行くよ」
「うん!」
屋敷の明かりが揺らめく。
窓の向こうに、人影が走るのが見えた。
風が吹き、雲が流れーー
月が姿を現す。
そして月光の下で見えたのは、ガラスが割れ、血を滴らせた窓。
「ユエル……まさか、本当に……」
「うん。ノア、今夜は眠れないかもね」
ついに、探していた者と邂逅する瞬間が近づいていた。




