78.知り合いなら可能
「あなたが七百五十万円のことを話した相手、『嫁とディーラーと……』っておっしゃってましたよね」
「……はい」
「それだけですか?」
「……はい」
「奥様は、まだ何もご存じないんですよね。
ディーラーさんも、事故の前から加害者の男性と繋がっているとも思えません」
白奈は男性をまっすぐ見た。
「だとすると、残るのは、もう一人しかいませんよね」
男性の顔が、初めてはっきりと強張った。
「ミニスカートの女性が、助手席ではなく後部座席に座っていた
そして時間がかかると判ると別の車を呼び、そこでも後部座席だった、これって女性を送迎してますよね?
そう思って調べたら、加害者男性が乗ってた車、デリヘルの送迎車だったみたいです」
「後部座席に乗っていた女性、あなたが前日の夜に呼んだんじゃないですか?」
「……っ!」
「その女性に、あなたが『明日、現金七百五十万円で新車を買うんだ』って話したんですよね」
「な、なんで、それを……」
「あなたが話をしたという、奥様もディーラーも――どちらも、得をしないんです」
白奈は人差し指を立てた。
「まず奥様。お話を聞く限り、家庭の主導権は奥様の方にありますよね。
奥様が七百五十万円欲しいなら、あなたに言えば、あなたは渡しますよね」
中指も立てる。
「ディーラーは、七百五十万円を奪うより、あなたにアルファードを売る方が得です。お店の利益になりますから」
薬指も立てる。
「事故直後、カバンの中身がまるごとなくなったなら、加害者男性がとっさに持ち去ったと考えられます。でも、なくなったのは現金だけでした」
白奈は一呼吸おいて続けた。
「現金だけが狙われたということは、計画的だということです。
計画的な犯行なら、加害者男性は事前に、カバンの中に大金が入っていることを知っていたことになる。
でも、あなたと加害者男性に面識はない。
本来、知りようがないはずなんです」
「加害者男性の職業がデリヘルの送迎ドライバーなら、答えは一つしかありません。
あなたが前日にデリヘルを利用して、家に呼んだ女性に話した。
それしか考えられないんです」
「……」
「あなたも、それに気づいたんですよね?」
男性は答えなかった。答えられなかった、という方が近かった。
そして、とうとう観念したように呟いた。
「……その通りです」
男の声が震えていた。
「あの運転手のことは、本当に何も知りません。
意識が朦朧としていたので、後部座席に女性が乗っていた事もしりませんでした
事故が起きて、警察が来て……頭の中が真っ白になって、それでも、ふとした瞬間に、あの日話したことを思い出して……。
まさかとは思ったんです。
でも、話した相手なんて三人しかいない。
妻でもディーラーでもないなら、残るのは、あの子しかいないって……」
「……」
「もし本当にそうなら、警察に本気で調べられたら、僕が風俗を家に呼んだことまで、全部明るみに出ます。
妻にバレたら、即離婚です。
子供の親権も奪われます」
「……」
「それだけは絶対に避けたかった……」
男の目から、涙がこぼれた。
「だから、七百五十万円は諦めるしかないんです……
幸い預金はまだあります。 何事もなかった様にアルファードを買えばいいだけです。
家に風俗嬢なんか呼んで、馬鹿だったんです」
「奥様にばれないように捜査することは可能ですよ」
私は言う
「家がばれてるんですよ。逆上して家で全てばらされたら……」
交番の中が静まり返った。
男はしばらく俯いたあと、おそらく本人に戻る事のない遺失物届への変更手続きを済ませ帰っていった。
ドアが閉まる。
私はしばらく何も言えなかった。
「……」
隣を見る。
白奈も黙っていた。
「……ねぇ、白奈」
「何?」
「七百五十万円よ?」
「うん」
「諦められるの?」
「……私もそこはよく分からない」
「だよね!?」
思わず声が大きくなった。
「七百五十万円よ!? アルファードが買えるお金よ!?」
白奈は少し考えてから、
「でも、家庭を失うのと七百五十万円だったら……」
「七百五十万円!」
私は即答した。
白奈が笑った。
「黒音、そこなの?」
「そこだよ!」
交番の中に、二人の笑い声が響いた。
――事件は、ひとまず終わった。
事故が仕組まれたものだったのか、それとも本当に偶然だったのか。
証拠はなく、被害届すら取り下げられてしまった以上、
これ以上、捜査として警察が動くことはない。
調査が続けられれば……
真相は、闇の中へと消えていった。
ただ一つ分かったことがある。
人間にとって、本当に大切なものは、必ずしもお金だけではないらしい。
……私には、まだ七百五十万円の方が大事に思えたけれど。
(第九章 完)




