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永遠の色彩  作者: 貝殻まがお
太陽神の睥睨
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太陽神の睥睨-5

 姿見に映る自分の容姿を何度も確認してからいざ外に出ようというときに、カラミアの家の扉は十日と少しぶりに外からの小さな衝撃を受けた。三回、一回、また三回と分けて叩くのは、彼女の知り得る人間の中でただひとりだった。

「師匠、お久しぶりです。ご心配をおかけしました!」

 そっと扉を開けると、そこには見知った顔があった。その顔を見て安心するのとほぼ同時に、カラミアは弟子の背後に立っている男の魔力を認識した。

「ギル……バート。私のところに来る前に、親御さんに謝って来なさい。わざわざ保安隊員まで連れて来て……どこへ行っていたのかは明日説明してくれればいい」

 頬を掻くふりをしてから、全く健康を損ねていない様子の少年は自分を送り届ける任に着いていた保安隊員に元気よく感謝を述べ、麓の村の方角へ走り去って行った。

 服装からしてしがない一般隊員とは程遠い役職の男は、ワルター・シルバーノットだった。明らかに現場に出るには不向きな丈の長い上着を着こなしている彼は、ギルバートが消えて行った方向をしばらく眺めて、()()()()()()よう確認しているようだった。腕章と肩章に描かれた複雑な模様が、彼のこれ以上なく高い階級を示している。

 十数秒ほど彼がそうしている間、カラミアにはどんな行動も起こすことができなかった。判断能力を司る脳の一部分がまるで麻痺しているように、思考が白く、あるいは黒く、塗りつぶされる感覚があった。

 それでもワルターが口を開くと、そこから溢れ出る音に集中せざるを得なかった。

「カラミア・コキノ。なるほど。僻地に住んでいるとは聞いたが、ここまでの山奥とは思わなかったな」

 男は目だけをカラミアの方に向けて喋っていた。一呼吸分ほど黙って首から上を家の方に向けると、彼は冷たい声音で続けた。

「あの少年がどこにいたのか、あなたには見当が付いているはずだ。エルヴェ・ペリドの自宅で起きたことについて本人は黙秘している。憶測でも構わない、なにか心当たりは?」

 心当たりがあるにはあったが、首を横に振ることしかできなかったので、カラミアは深く考えずにそうした。向けられる視線が一層鋭くなってからは、俯くのが正解のように思えた。

「本当に?」

 ただ念を押されているのではない。魔術の気配がした。効果を同じくするものの中では、対象に与える痛みが最も少ない魔術の。自分にもそれを使った経験があるから分かることだった。

「エレニはあなたがペリド氏について多少調べていたと言っていた。彼の研究分野についてもある程度は知っているだろう、それがディオニーくんになんらかの影響をもたらした可能性があると私は見ている」

 もしもワルターが観覧席にいたならば、先の大会でのエルヴェの優勝は本人が辞退するまでもなく取り下げられていたはずだった。魔術協会の保安隊長ともあろう者が、他の家人と比べれば見劣りするとはいえ、ペリド家の人間のひとりを知らないわけはない。

 あの青年の事情を、彼は隅々まで知っている。ギルバートのことも、今は調べ尽くしてあるはずである。カラミアのことに至っては、情報を探るまでもない。

「彼のご両親があなたのことを知っているとは思えないので念のため私から報告しておくが、もしこれからも選手として、あるいは魔術師としての彼に協力できることになったなら、このことを念頭に置いて注意深く見守ってほしい」

 相手が目を見開いたのを見て、ワルターは反対に目を細めた。具体的に自分の発言のどの部分に驚いたのかを推測しつつ、聞き返される部分によってはやや強引な返答を用意せねばならなかった。

「見守る、とは。てっきり、引き離されるものかと……なにかあったら、誰に報告すれば」

 最初で最後に言葉を交わしたときから、カラミアの様子はまるで変わっていなかった。

 今も昔も、しでかしたことと置かれた立場に対して、不自然なほど保安隊に協力的だった。困惑を見せつつ不満を一切表さない態度は、まるで善良な一般市民のそれである。

 気味の悪い感覚には覚えがあったけれど、ワルターは彼女の弟子を名乗った少年の目の輝きを思い出して、カラミアの根本的な善性を、もしくは罪悪感を、信じることにした。

「あなたの罪はすでに清算されたことになっている。あなたがなにをしていても、それが通報されない限り、止める手立ては魔術協会にはない。報告することがあれば――そうだな。本部に直接来てくれても構わないが、不都合があるかもしれないのでこれを置いて行こう。手を」

 本部を離れることの滅多にないトランとの接触を不都合と呼ぶのは少し大袈裟な気もしたが、万に一つそれが起きるとして都合の良いことでは絶対になかった。

 カラミアはじっとワルターの顔を見つめると、恐る恐る利き手ではない方の手を出した。

「これは、と。説明するまでもないかもしれないな」

 左手に乗せられたものを見て、カラミアは自分の杖を見たときと同じ心地になった。親の仇に温い抱擁をされるような、目の前で命を落とした人間の隣で暖炉に当たるような。

 波が引く音とともに、首から上に流れていた血液が一気に足元に落ちる感覚があった。

 丸い、高級な灰皿に似た見た目の白い物体は、特殊な鉱石でできている。中心に描かれた紋様は記憶の中のものと随分違ったけれど、それはおそらく石の持ち主が軍人ではなく、保安隊員だからだった。

通思石(つうしせき)……これは、高価なのでは?」

「安くはない。使い方は?」

 憶えている。使い方も、注意点も、なんなら作り方まで知っている。だからといって思い出したいわけではまるでなかった。

「その様子だと大丈夫そうだな。では、随時報告するように」

 エレニから聞いた通り、カラミアが自身の過去に負わされた心の傷を直視せずに放置しているのは見て取れた。保安隊員の制服の、特に靴を忌避していたのも、会話中何度もワルターの肩章に目が泳いだのも、命令じみた物言いにやたらと素直に従うのも。全て、彼女の過去がもたらした習慣に違いなかった。

 今も、およそ納得していないことは火を見るよりも明らかだというのに、彼女は反論する素振りも見せずに頷いた。ワルターは念のため、もう少しだけカラミアの傷口を抉っておくことにした。

「それともうひとつ。フュシャという女性に覚えはあるか」


 思春期の子供の精神が特別に複雑な構造をしていることは広く知られるようになっていたが、その中でもとりわけ乱雑になっているアリーンの心に近付くことを許される人間は極めて少なかった。

「わたしに個人的なお客さまなんて普段はいらっしゃらないものですから、驚きました。応接間でお迎えできなくてすみません、エレニさん」

 その、ほんの一握りのうちのひとりが、ワルターの幼馴染かつ直属の部下であった。

 同じ人間を尊敬する者同士で通じ合うものがあるのか、十も歳が離れているにも関わらず、ふたりは会うたび滞りなく会話をすることができていた。

「お部屋で内緒話ができるのは、私としても都合が良いです。お気になさらず」

 応接間ではアリーンの両親が何某かと建築事業の話をしているようだった。サピロス家は常にどこかの都市開発計画のいずれかの工程に関わっているので、客人が絶えなくて当然である。

 少女は自分とエレニの分の紅茶を淹れると、部屋の隅の箪笥から可愛らしい装飾の付いた缶を持って来て、中身の焼き菓子を自慢げに見せた。

「わたしが焼いたものです。ぜひ」

 エレニは軽く頷くと、丸いビスケットをひとつ手に取った。それを口元に持っていく前に、思い出したような素振りで話し出す。

「あれ以降、ペリド選手からの連絡はありませんか」

「ええ、なんにも。なにがしたかったのでしょうね」

 拉致された子供たちは口を揃えて、エルヴェの屋敷ではなにも起きなかったと証言している。見るからに嘘を吐き慣れていないギルバートはともかくとして、彼よりもはるかに短い期間しか屋敷にいなかったアリーンは一切の動揺を見せずに一貫して同じ証言をしていた。

 少女は、師にすら嘘を吐き通せる豪胆さを持っている。エレニに弟子の様子を見に行くよう頼んだワルターにも、それはきっと感じ取れていた。

「この前は、というか今も訊きづらいですけれど。失礼でなければ、その火傷はどうされたのでしょう。処置が少し――丁寧さを欠いているのでは?」

 ()()()()会話をすることができている、というのはエレニが兄弟子に報告している言い回しで、実態としては一問一答を儀式的に繰り返すのが常だった。

 一方的な尋問に慣れている保安隊員としてはやりにくいことこの上なかったが、その他大勢の人間はその域にすら至らないことを思うと気が楽だった。加えて、分厚い壁に守られたアリーンの心がどのように傷付いているのか、見てみたい気持ちもある。

「これですか。あまり綺麗に治さないでほしいと頼んだんですよ、顔に傷があると貫禄が出るでしょう」

 上品な茶杯に口を付けたまま、アリーンは上目遣いで客人の顔を見る。質問の前半の答えを待っている、と言いたげに。

 にこやかさを諦め、エレニはいつも浮かべている微笑みさえ捨てて少女の青い瞳を見据えた。覚悟していたこととはいえ、眦と唇の端の火傷痕が引き攣るのは不快だった。

「あなたにも関係があるかもしれないので、お話ししましょう。この火傷は、人工魔術の威力の証明です」

読んでくださってありがとうございます。

誤字脱字などあれば遠慮なく教えてください。

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