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永遠の色彩  作者: 貝殻まがお
太陽神の睥睨
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太陽神の睥睨-1

 何度来るのをやめなさいと諭しても聞かなかった少年が最後に家に来てから十日が経っていることに、カラミアはふと気付いた。

 ようやく弟子入りを諦めたのかと安心するにはあまりに長い付き合いで、なにかあったのかと案ずるにはあまりにも状況が明白だった。

「ペリド博士、か」

 博士、ね。と、カラミアは部屋中の家具に言い聞かせるように繰り返した。元来独り言をあまり言わない性質だったのがここ数年で変わりつつあることには、喋るたびに他でもない自分自身が驚いていた。

 十日前にエレニというらしい保安隊員に出したものと同じ茶葉がもう十五分ほど湯に浸かっていたので、カラミアは文字列を眺めていただけの本を閉じた。味の濃い茶が好みとはいえ、少し蒸らしすぎたかもしれなかった。

「ペリド……調べる前にも、どこかで聞いたはず」

 すっかりぬるくなった薬草茶を陶器の杯に注ぎながら、彼女はまた独り言ちた。自分に語りかけることは思考を整理するのに役立つ、とギルバートがいつだったか言っていたが、その割に彼だって独り言の多い方ではなかった。

「どこかで――」

 カラミアの視線は、部屋の隅の本棚に留まった。

 茶杯を片手に、勘を頼ってそこに並んだ本の背表紙を見つめていると、存在を忘れていた書籍ばかりがあることに否応なく気付かされた。久しく本を読んでいないのは、文字に興味がないからだ。

 ギルバートに贈ったものと同じ本に齧り付いていたのも今は昔。枕元に置いて大切にしていたその本が跡形もなく焼けてしまった日から、カラミアの読書量は辛うじて両手を使う必要がある程度しか増えていない。

 読書だけに興味がないのではない。料理や洗濯などの家事全般、動植物、人間、そしてなにより、魔法。エレニ・カッライスに初めて会った日から――原因の根本がその日にあるわけでも、その日を彼女との出会いで記憶しているわけでもなかったが――カラミア・コキノという人間は中身を失くしてしまった。

 魔法を心から愛している少年に師匠などと呼ばれる筋合いがないと思っている理由は、そういった背景にあった。今の彼女には、法的にも心理的にも、魔法が満足に扱える状態ではない。カラミアはその両方の面で、自分に対する自信と信頼を喪失したまま暮らしていた。もう何年になるかすら、興味がないので数えていない。

 冷めかけた茶で唇を濡らし、カラミアは並べた当時から順番の変わっていない本の題を順に読み上げ始めた。

「生活に役立つ魔術入門。魔術基礎教本。魔法とはなにか。現代魔法理論。魔術使用資格と倫理規定について。戦争と魔法。プロテア魔術史。神話魔法の全て。一人暮らしの料理本。初心者のためのお裁縫」

 それらの本のうち、読んだ覚えのあるのは最後の二冊だけだった。

 カラミアは本棚の中で、一冊だけ背表紙に題のないものを選んだ。開いたことこそないものの、内容はよく憶えていた。

「プロテア軍少年兵団のうち、帰らなかった者たちへ。祖国のために若くして散った者たちへ。そして唯一の生存者かつ、随一の功労者である、カラミア・コキノへ贈る」

 よくできた似顔絵を見ずとも、各頁に描かれた顔が思い出せた。名前も。当時のまま変わらず。

「フュシャ……」

 彼女が最もよく覚えているのは、たったひとりそのどこにも載っていない少女だった。思い出されることのないよう記録の隅々から抹消されたというのに、皮肉なことだった。

 カラミアは唐突にある名前を思い出した。次いで、その名を持つ人物の顔を。

「そうか。ペリド――フェルナン・ペリド」

 記憶の中の彼は髭を生やしていた。中年とは呼べない程度の大人だった。カラミアの師の知り合いで、友人かと問うたときは、協力者だ、という返事があった。師は多くの協力者と連絡を取っていたが、フェルナンという男はその中でも輪をかけて身なりのいい人間だったので、忘れ難かった。

 彼女は急に喉の渇きを感じて、薬草茶を一息に飲み干した。

 ギルバートがエルヴェに連れられてどこかへ――おそらくは彼の家へ行ったのは分かっていた。多分両親にはなにも告げていない。

 騒ぎになっていたとしても、麓の村の人間は誰も自分のことを認識していないし、していたとしても会いに来ないに決まっていた。

 カラミアは迷った。できることならもう、自分から行動するようなことはしたくなかった。自分の判断で動くと、いつもいつも、ろくなことにはならないから。


「あの。僕はどうして呼ばれたんでしょう。お二人だけでも魔術捜査はできるのでは?」

 トラン・アメト。魔術捜査の専門家とは誰かと思えば、嫌と言うほど覚えのある相手だったのでワルターは辟易していた。唯一記憶と違うのは、眼鏡をかけているところのみだ。

「さあ、私はなにも聞かされていない。エレニに訊いてくれ」

 居心地悪そうに黙ったトランは、エレニが書類手続きを済ませている間、彼女の背をじっと見つめていた。というより、隣に立つワルターの方を見ないようにしている、と言う方が正しかった。

 双方、互いのことを深くは知らない。唯一知っていることといえば相手の人生の転換点だけで、しかもそれが好ましいものではなかったことをよくよく理解していた。

「アリーンさんの件ですよね。ハムラーワット将軍のことは、僕の力では見つけられないと申し上げたはずなんですが」

 トランは努めて身体の中央に置いていた重心を片脚に乗せ、短い溜め息を挟んだ。

「先ほども、ほとんど全く分かりませんでした。会長とシルバーノットさんが同時に館内にいらっしゃると、他の気配が消し飛んでしまいますから――ああ、すみません、言い訳をするつもりでは」

「いや、いい。こうなることは分かっていたようだし」

 隣に立っている青年がどこかにもたれかかることを躊躇しているのを察して、ワルターは塗料のひび割れ始めている壁に背を預けた。気を遣われるのは苦手だった。

 これだから人の上に立つのは嫌だと言ったのに、大層な役職を与えてきた師はいつからか個人の意見をあまり聞かないようになっていた。

 安心したようにワルターを真似たトランは、明らかに顔色が優れない。これから連れ回す予定だというのに。

「すみません。あなたの、いえ、あなたがこういう風に言われるのを嫌うのは分かっていますが、あなたの……強大さを、忘れていました。前回お会いしたときからまた、魔力量が増えていますね。さすがです」

 まさしくそういったことを感知できるから捜査に呼ばれたのだとは、まるで自覚していないようだった。

 トラン・アメトは、魔術の美しさを競う競技で好成績を収めた元選手たちの中でも、扱える魔術の種類を増やすことに異様に執着していることで有名だった。常軌を逸した過酷な訓練の末に彼が身に付けた数多の術のうち、魔術協会会長をして素晴らしいと言わしめたのが、保安隊向きの偵察や、追跡や、捜索に関するものであったことを、ワルターは密かに惜しんでいた。

「書類手続きが終わりました。教育部門の先生を借りるにあたって三月(みつき)先の予定まで書かされるとは知りませんでしたが、まあ、誰も確認しないでしょう」

 エレニが静かに二人の元へ戻ってきていた。不真面目さの残る態度にワルターは天を仰いだが、いちいち記入させられる書類がほとんどの場合、あとから閲覧すらされていないことについては同意せざるを得なかった。

「多才な人が身近にいると助かりますね。ワルター、この火傷も彼に処置してもらったんですよ。おかげで瘢痕も綺麗です」

「綺麗なんて、そんな。専門の方にならきっと痕も残さず治せたはずです」

 改めて見てみると、エレニの火傷は確かに問題なく処置されていた。最後に顔を合わせたのは十日以上前だったが、全治に数ヶ月かかったような肌の爛れ方からは、相当無理をして治癒を早めたのであろうことが見て取れた。

「君は医学も修めているのか、大したものだ。だけどエレニ、その分だと重ねて処置しない限り傷跡は消えないだろう、それも顔だ。専門医に任せても良かったんじゃないか」

 彼女が化粧以外で――というのは、生まれ持った要素などについて悩んだりすることで――見てくれに気を遣っているところは見たことがなかったが、顔に残る傷を気にしない人間などいない。またこの場合、本人よりも誰よりも、二人の師の方が事態を重く受け止めていそうだった。

「先生と全く同じことを言わないでください、私は気にしていません。むしろ仕事上、人相が悪くて得なこともありますから」目を逸らしつつ、エレニは手続き窓口の反対側の扉を指した。「急いだ方が良いのでは? アリーンさんの親御さんからは、なるべく五体満足で帰して欲しいと言付かっています。そうでなくても心配でしょう」

「心配ではあるが――」

 ワルターが兼ねてより気を揉んでいるのは、どちらかというと弟子の置かれている環境に関することだった。アリーンは名家の末の娘の割に、周囲に随分と冷たく接されている。

 本人の身の安全に自信を持っていられるからといって、普通の親が可愛い我が子の身柄を勝手な()()もどきのために貸し出したりはしないわけで、昔から案じていた彼女の家庭環境がますます気になるばかりだった。

「まあ、実際防げなかったのは私の責任だからな。君たちに苦労をかけるまでもないんだ、本当は。行こうか」

読んでくださってありがとうございます。

誤字脱字などあれば遠慮なく教えてください。

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