口づけと嘘つき
魔法陣が完成すると同時に、再びリアス先生の部屋のドアが開いた。
「完成したのか」
静かに歩み寄り肩越しから魔法陣をのぞき込んだリアス先生。
香を焚いたような、それでいて主張しすぎない大人びた香りがして不覚にも心臓がドキリと音を立てる。
「婚約者のいる女性に少々距離が近いのでは」
「ああ、すまない。ここまで細密に再現された魔法陣につい」
「……確かに、素晴らしい出来ですね」
ジークウェルト様が近づけば、今度は新緑の香りが鼻腔をくすぐった。
素敵な人は香りまで素敵なのだろうか。
「しかし……これでは」
「ええ……そうですね」
けれど、感心してくれたのも束の間、二人の声は重々しい。
「この魔法陣を媒体に薬の効果を高めるのか……」
「王国でも最高の魔術師である先生なら起動可能ですか?」
「……いや、王国で1番と言って良いほどの魔力量を誇る君は?」
「魔力が不安定な今、難しいでしょうね。万全だったとしても起動できるかどうか。聖獣様の魔力量はいったいどれほどあったのでしょう」
魔法陣は起動できなければただの落書きにすぎない。
確かに緻密で荒々しいこの魔法陣を起動するには想像を絶する魔力が必要だろう。
(でも、不可能ではないわ……)
人という生き物は、高位の存在や魔獣に比べれば魔力量が少なく脆弱だ。
だからこそ、魔法陣を緻密に作り上げて発展してきたのだから。
「三日ください」
「……」
リアス先生とジークウェルト様二人が起動できるレベルに三日三晩頑張れば到達できそうだ。
返答がなかったので顔を上げるとジークウェルト様は眉根を寄せていた。
「ジークウェルト様?」
「……フィア君。せめて五日にしなさい」
リアス先生も心配するような声音だ。
「でも早い方が」
「そういえば、君は課題にのめり込むとそんな傾向があったな」
ジークウェルト様は、松葉杖をリアス先生の机に立てかけると、私を抱き上げた。
「わ! え、あの、お怪我は!?」
「完治した」
「そんなはず……!!」
「――君がそばにいると回復が早いようだ」
「えっ、でも仮に良くなっても無理は禁物……」
「では先生、杖はのちほど使用人に取りに来させます」
「……ああ、末永く幸せにな」
困惑と呆れ混じりのリアス先生のため息交じりの声が遠ざかっていく。
ジークウェルト様は早足で、ポカポカ叩いても止まってくれない。このまま抱き上げられる姿をたくさんの人に見られてしまうのかと思ったとき、ギルドのホール直前でジークウェルト様が立ち止まる。
そしてジークウェルト様は、そっとこわれ物のように私を下ろした。
床に足が着くとジークウェルト様を見上げるような形になる。
私から少し顔を背け俯いたジークウェルト様の表情はよく見えない。
「家族が俺から距離をとるのは、人ならざる姿のせいだともう一つの姿を厭ってきた」
「ジークウェルト様……」
「だが、聞くまでもなく君はどんな姿の俺でもそばに置いてくれるのだろう?」
もちろんそうだと答えようとしたのも束の間、肩をそっと押さえられて唇が奪われていた。
誰かに見られたら、と抗議しようとしたときジークウェルト様の周囲を白銀の光が包み込む。
「誰も見ていないさ、確認済みだ」
トンッと何かが着地するような軽やかな音がして、ジークウェルト様が視界から消える。
目線を下げれば、そこには茶色の毛並みの大型犬がいた。私はしゃがみ込んでその瞳を見つめ、口を開いた。
「どんな姿でも、とても……とても好きですよ?」
『ワフ』
人の姿と変わらない深海のような美しさの青い瞳がどうしようもないほど好きだ。
揺れる尻尾はまるで私が恋しいと告げているようで……そっと触れれば、お返しとばかりに押し付けられる額があまりにも愛しい。
「帰りましょうか」
『ワフ!!』
けれど歩き出した私は気が付いてしまう。ジークは変わらず後ろ脚をつけることが出来ずに、ピョコピョコと歩いているのだ。
「ジーク……帰ったらその足について話があります」
『ク、クウン……!?』
無茶をしがちなジークウェルト様。
先ほど私を抱き上げるのに無理をしたことを大型犬の後ろ脚が雄弁に物語っている。
帰り着いたお屋敷で、人の姿に戻り面目なさそうなジークウェルト様を叱ったのは言うまでもない。
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