幕間 在りし日の魔王Ⅲ
長らくお待たせしました。
魔王セレナーデにとって他人とはただ植え付けられた破壊衝動を満たすための獲物で、故に殺した相手がどんな者だったかなど、いちいち覚えていない。
それでも時々、記憶に残る相手はいた。有象無象の獲物では無く個として認識するにふさわしいと思えるほどの強者だ。
不滅と謳われた剣闘士リーエンス。彼はどれだけ傷を負おうと立ち向かってきた。右腕と顔面の左半分を失ってもなお闘志を燃やす姿は、まるで闘争本能を人の形に作り上げたかのようであった。
暗殺者ハイドン。人の命を奪う、その一点に限れば世界最高峰とまで言われた裏の王だ。狙撃、毒殺、寝込みの奇襲、時には街一つをそっくりそのまま巨大な罠に仕立て上げてまで……三日三晩あらゆる手段で命を狙われ続ける時間は、何事にも替えがたいスリルだった。
『蒼影の誓い』。彼ら一人一人の名前は知らない、災禍の末期にベルフ大森林に集った生き残りの戦士達だ。もはや守るべき街も人も失いつくし、それでも対魔王を掲げて命を燃やす死に損ない達は、ただ純粋に強かった。
……そして精霊の勇者アウジェージン。世界樹を守る四体の大精霊に力を授かり、エルフでは珍しい剣士。彼はひときわ記憶に残る相手だった。
アウジェージンとは何度となく戦った。それはいつも必ず、事が全て済んだ後だった。すなわち、魔王が街を焼き尽くし、人をなぶり殺し、破壊衝動を一通り満たした後になってから現れる。そして何度か切り結び、形勢が悪くなれば妙に早い逃げ足で去って行く。決まってその繰り返しだった。
常に惨劇の後に現れる勇者のことを、不運にも間に合っていないだけだと思っていた。しかし何度目の時だったか、セレナーデは気づいた。自分が破壊衝動を満たしている間、アウジェージンはずっと物陰に隠れて様子をうかがっていることに。決して間に合っていなかったのではなく、ずっと戦いを挑むタイミングを見計らっていたのだ。
不審に思って魔王は問うた。何故人々が殺されるのをじっと見ていたのだと、止めに来たのでは無いのか、と。
『決まってんじゃん。アンタが一通り暴れて疲れ切った後が、一番勝機があるからだよ』
『……呆れた』
そこまでして勝利を求めるのは、セレナーデにとってはむしろ好ましかった。それにアウジェージンは逃げ帰って、また相まみえる度に強くなっているのだ。最高の遊び相手に違いなかった。
だから隠れて様子をうかがっていることに気づいても、敵わないと逃げ去る時もわざと見逃してあげ――そして邂逅が二十回目を超えた時だったか、初めて彼の刃が自分に傷をつけた時など、喜びすら覚えた。
間違いない、彼はまだ強くなる、もっともっと楽しませてくれる――セレナーデが狂気の笑みを浮かべた、そのときだった。
「ひ、ひひっ……! やった、やったぞ! やっと届いた!」
「……ちょっと、どういうつもりよ」
あろう事かアウジェージンは剣を放り投げたのだ。それどころか満足だとばかりに笑い、無防備にも地に寝っ転がった。
今日はまだ剣を数度打ち合わせたのみ、先手を勝したアウジェージンは一切の傷も負っていない。罠を警戒しながら近づいてみても動き出す気配は無く、セレナーデが喉元に剣を突きつければ無抵抗のまま。顔だけ向けて、視線でさっさとやれと訴えかけてくる。
「ふざけてるの? さっさと立ちなさい」
「ふざけてねえよ。いいからやれって、ひと思いにグサッとよ」
「まだ戦えるでしょ。お楽しみはまだこれからよ、ほら立って」
「……もうとっくに終わってんだよ」
「は?」
アウジェージンが緩慢に片腕を上げ、突きつけられた剣身を握った……その力はあまりにも弱々しく、セレナーデがほんのわずかに力を込めるだけで易々と振り切れた。
気づけば、アウジェージンの全身からは数秒前までみなぎっていた活力が急速に失われている。瞬く間に末期の病人のような相貌になった姿を見て、生命力が枯渇しているのだとセレナーデは察した。同時に、アウジェージンがそうなった理由にも。
「……貴方の力、代償があるのね」
「ま、よくある話だ。四大精霊の加護ぜーんぶ押し込めて、むしろここまで持ってくれただけで上々だな、ひひっ」
「ふうん、がっかりね」
セレナーデにとって強者との戦いとは命の奪い合いを楽しむもので、それ故に自滅同然で勝手に散っていくのは、高ぶっていた闘志に冷や水をかけられたような気分だった。
「……はあ、ほんとがっかり。貴方でちょうど十人目かしら」
「ひひっ、オイラみてえな自滅ヤローがってか?」
「そうね。どいつもこいつも世界を救うためとか言って、命が惜しくないのかしら?」
「あ? 一体何のこといってんだ?」
「貴方の事よ、今まさに命を投げ出してるじゃない。自覚無いなら鏡見せてあげましょうか? 丁度持ってるわよ、手鏡」
「なんで持ってんだよっ……ああ、そっちじゃねえよ。世界を救うって方。んなどーでもいいことのためにオイラきてねえよ」
「……は?」
「ひひっ、郷の長老様には怒られるから内緒だぜ……オイラの真の目的なんてたった一つ、アンタに一撃でも入れてみたかったんだ。世界を救う? みんなの希望? んなのどーでもいいんだよ、どうでも。このすっげー力で災厄に一撃でも入れてみたかったんだ。やったぜ、だーいせいこーう」
セレナーデには理解が出来なかった。自分は世界の災厄で、立ち向かってくるのは誰も彼も自分を討って世界を救うためで、それが当たり前だった。
とにかく確かなのは、アウジェージンに戦う意志がもう無いということで、ならばこの無意味な時間を続けることは無い。さっさと終わらせようとその心臓を一突きに貫く――
「なあ、オイラとあんたってよく似てるよなぁ」
「……は?」
寸前、あまりにも突拍子の無い言葉を耳にしてその手が止まる。
「あ、見た目じゃ無くて中身の話な」
「いや、何言ってるの。ていうか一緒にしないで欲しいんだけど」
「ほんとほんと似てるって。すっげー気が合いそうだし美人だし……うん、嫁さんにするにはサイコーだ。オイラ、やっぱアンタのこと好きかもなぁ、ひひひっ」
「……え待って無理気持ち悪い、なんか腕がぞわっとしたんだけど」
思わず後ずさるセレナーデに、アウジェージンは「フラれちまったぁ」と笑う。
「……はぁ、命乞いしたいならもっとマシなこと言いなさいよ。力が抜けるわ」
「本気だぜ。ほんとに似てるって」
「だから一緒にしないでって」
「いいや、同じだね。アンタもオイラと一緒、どうしよーも無いぐらい自分勝手だ……だってそうだろ? そんなくだらねー破壊衝動なんかに身を任せてるんだからさ」
「ッ、今なんて言った!」
それは、セレナーデにとってまさしく禁句だった。激高し、感情のままにアウジェージンの首を掴み上げる。
「何もわからないくせに勝手なことを言うなッ! 壊せ、殺せと頭に響くこの忌々しい声がどれだけ私を狂わせるか――私から奪ったか! 何も、何も知らないくせに!」
「ぐえ……ひ、ひひっ、その声とやらはオイラにゃ聞こえねえけどよ、いくらでもやり様はあるんじゃねえの?」
「そんなこと……!」
「今こうして話せてんなら、オイラに辛いからどうにかしてって言ってみれば? 自分は狂わされてるだけ、本当は殺したくないんですぅってんなら、寝てる間に殺して貰えばいいじゃんか。それか椅子にでも縛り付けて貰えば? そんでもだーめなら誰もいない秘境にでも行ってそこで気が済むまで暴れれば?」
「っ……」
「周り見てみ? 血だらけ死体だらけ、がれきだーらけ……オイラずっと見てたからわかっちゃった、今日は本当に正気無かったのは半分くらいまで。あとの半分は、やめようと思えばやめられただろ? でもアンタはやめなかった、だって愉しかったから――ぐあ!」
セレナーデはアウジェージンを地面に叩きつけていた……息を荒げて、無意識の行動だった。それがして期待する何よりの答えだった。
「ひひっ、オイラにゃわかるぜ……アンタってばオイラ以上の暴れん坊で、世界の事とか他人の事なんて心のここからどうでもいいって思ってる。だからこの状況だって受け入れて心の底から楽しんでるんだろ? オイラと一緒、自分が満足できりゃどーでもいい、自分勝手の塊だ」
「……言いのこしたいことはそれだけかしら?」
これ以上聞くのは無駄だ……否、心のどこかがこれ以上の言葉を拒んでいた。再びアウジェージンの心臓めがけて構える磨き抜かれた剣身に、ふと自分の表情が映る。
「ひひっ、アンタ酷い顔してる。鏡見るか? ちょうど持って――」
言い切る前に、剣身がアウジェージンを貫いた。物言わぬ骸を無造作に投げ捨てれば、時同じくして遠くから駆け寄ってくる足音。確かめるまでも無い、聞き慣れた副官の足音だ。
「魔王様~お迎えに上がりました~……うわどうしたんですか、ひっどい顔してますよ!?」
「……うるさい」
「何かあったんです? せっかくの麗しい顔が台無しですよ? ていうか鏡見ます?」
「うるさい、ぶち殺すわよッ!」
声を荒らげてスタスタと歩く、いつもと様子が違う主人に、セシルフィーラは古典と首をかしげた。すると戦場に転がる死体の中にアウジェージンを見つけて表情を輝かせる。
「あ、この自称勇者やっと殺したんですか! いやぁ~何度も突っかかってくるくせに逃げ足だけは速くてうっとうしかったですもんね。暑いときによく刺してくるちっさい虫、なんて名前でしたっけ? アレみたいでしたもん」
「……やったのは私じゃ無い」
「へ?」
そう、確かにセレナーデの剣が刺し貫いた。しかし切っ先が心臓に達する直前、アウジェージンは生命力を使い果たして既に事切れていた。言いたいだけ好き勝手言われて最後には逃げられた、その事実が余計にセレナーデを不快にさせる。
しかしその不快感もその日限りのこと、一夜明ければアウジェージンのことなどすっかり気にも留めなくなり、いつも通りの暴虐の日々を再開させる。
『自分勝手の塊だ』
――その言葉だけは、ずっと心の片隅につかえたままだった。その意味を真に自覚するのは、これより二度の死を迎えて三度目の生を得てからのこととなる。
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