六十八話 邂逅Ⅲ
「単刀直入に言うわ。二日前にあなたと共にいた天使のことについて、知ってること全て話しなさい」
「……ッ! なんのこと?」
「素直な子ね。すっかり態度に出てるわよ」
想定外の不意打ちだった。動揺を露わにするアリスに、ナタリアは勝ち誇ったように笑う。
「一つ助言をしてあげる。この王都で私の目から逃れられるとは思わない事ね」
「……随分と傲慢ね。まるでここが貴女の庭みたいな物言いじゃない」
「あら悪いかしら? 少なくともお飾りの王家よりは、枢機卿である私がこの地の主にふさわしいのではなくて?」
「まあ、王家が影薄いってのは否定しないけど……」
教会が絶対の権力を持つこの地において、王家の威光はもはや形骸化して久しい。アリス自身、当代の王がどんな人物か、その名前すら未だに知らないほどだ。
「……そう、枢機卿こそがこの地の、ひいてはこの世界の主。けどそれは私一人で十分。九人もいらないのよ。頭の固いグランザロも、頭のイカれたウィッタリアも……特に日和見のルードベルト。アイツを協力者にしたのは失敗だったわ。何も動かないくせにいつもいつも私の足を引っ張ってばかり、おかげで全然計画が進まない」
「ふうん、辛辣」
「逃した実験体のこともそうよ、ルードベルトがもっと本気で追ってればあなたに殺される前に処理できてたのよ。貴女の身柄だってもっと強硬手段に出てれば、こうもややこしいことになる前に手に入っていたはずなのよ。ほんと、腹が立つわ!」
吐き捨てるナタリアの眉間には、深い苛立ちが刻み込まれていた。
「でもね、結果的には良かったかもしれないわね。あなたという餌を泳がせていたおかげでもう一匹、獲物が釣れたのだから。さて、時間稼ぎは十分かしら? そろそろ答えを聞かせて頂戴。私のしびれが切れる前に……ね?」
ナタリアがこれ見よがしに机の上の魔導具を指で弄ぶ。アリスはすっかり熱の取れた紅茶を口には運び、動揺を落ち着かせる――フリをしながら、内心で安堵していた。
(……大丈夫。知られたのはテレアのことだけね)
あの日、アリスが会っていた天使は二人。しかしナタリアはもう一匹と言った。おそらく王都上空での攻防戦を間者にでも見られたのだろう、あの場にいなかったクシャナの存在はまだ感づかれていないはずだ。
ならば、ケリーの安否とテレアの情報、どちらが大事かなんて考えるまでも無い。アリスは観念したフリを装いながら、クシャナのことは上手くぼかしながら洗いざらい話した。
「……そう、亜人狩りのことは知っていたけど、まさかその正体が天使なんて。ここまで堂々とされると案外気づけないものなのね」
「亜人狩りの居場所は本当に知らないからね。あの日は結局逃げられちゃったし、私だって探してるところなんだから。で、これだけ話したんだからケリーには手出ししないでよね」
「ま、いいでしょう。ここまで知られたのなら十分、居場所を突き止めるのなんて後は時間の問題だわ」
ナタリアは上機嫌に微笑み、卓上のベルをチリンと鳴らした。少しして、アリスをここまで連れてきた小間使いの少女が現れ、すっかり冷め切った紅茶とほとんど手の着けられないままのデザート、そして卓上の魔導具を回収した。
「あれ、思ったよりあっさり引いてくれるんだ」
「心外ね、事を起こすのは私だって避けたいものよ」
「ふうん、よく言う。どうせ手段を選ばないくせに」
「手段を選ばないことと、使える手は何だって使うことは、全くの別物よ。私は後者。交渉、懐柔、賄賂……何だっていい、穏便に済ませられるのならそれが最良。強硬手段に出るのはその後だって遅くは無いわ」
「……そんなこと言って、いきなり変な召喚状よこして攫おうとしてきたじゃない。三年前の恨み、今でも忘れてないんだから」
「さて、そんなこともあったかしらね」
どこか空々しい二人のやりとり。その間にも、二人分の食器を運ぶ少女が部屋を出て行こうとする。背格好はアリスと同じくらいだろうか、おそらく奉公に出たばっかりなのだろうか。不慣れな様子で危なげに運ぶ姿にアリスは何気なく目をやって――
「ッ!? ねえ待って! 貴女、止まりなさい!」
「……」
「――そう、やっぱり気づくのね」
アリスは衝撃に戦いていた。
何気なく、天使の目をこらして見てしまった少女の魂……それが三つあったのだ。
「リオ、見せてあげなさい」
「……はい」
代わりに入ってきた給仕に食器を受け渡し、小間使いの少女、リオは二人に背を向けたままおもむろに服を脱ぎ始めた。
「ッ、やっぱり……まさかその子って……」
「本物の天使は同族を見分けられる。なるほど、とても良いことを知られたわ。何か特別な目でもあるのかしら?」
露わになったリオの背中には、小さく不揃いな――翼。天使の証しがそこにはあった。アリスはすぐにその正体に気づく。
「……神兵計画」
「残念だけど、この子はまだ失敗作よ。ただ小さな翼もどきが生えただけで、天使らしい力の一つも使えやしない。おまけに処置の後遺症で体も弱っちゃったから、こうして小間使いの真似事をさせるぐらいしか使い道が無いのよ。完成にはまだまだほど遠いわ」
生まれたままの姿で微動だにしないリオの身体には、至る所に切り開いた傷痕が残っていた。刻まれた傷痕のパターンにはアリスは見覚えがある……聖女時代、ヴィーゴルの研究所に乗り込んだとき、そこでキメラの材料としてとらわれていた子供達につけられていたのと同じだ。
「ようやく人での実験にまで段階を進められて、もうどれほど失敗作を重ねてきたのかしらね。このリオだってね、生き残った分、他の失敗作どもに比べれば上手くいった方なのよ……それでも、この程度じゃまだ足りない。私が求めるのは神に届くだけの絶対の力、神をも斃すことができる、人知を超えた兵士なの」
荒事になれきったアリスでも目をそらしたくなるほど痛々しい傷痕。それを確かに目にしているくせに、ナタリアは何でも無いように失敗だと言う。
「だからね、素材が要るのよ。亜人狩り一人だけじゃきっと足りない。アリス……貴女の身だっていつか手に入れてみせるわ」
アリスに向けられるナタリアの目はどす黒く欲望に濁った、それでいてどこか純粋なようで。どこまでも身勝手な言葉を聞いて、アリスはもはや何を言っても無駄なのだろうと悟る。
「……どうして、そこまで。そうまでして貴女が成し遂げたい事って、一体何なの?」
「アリス、あなたには怖いものがあって?」
唐突なナタリアからの問い。アリスの答えを待たずにナタリアは続けた。
「私はね、老いが怖いわ」
「老い……?」
「ええ。私があなたと同じくらいの年の時から……いえ、もっと前ね、物心ついたときから既に、怖かった。抗うことも出来ないまま流れていく時間が、いつか皺だらけの老婆になって失われる若さと美貌が、止まること無くいつか訪れる死に近づいているという事実が……他の何よりも怖いの。怖いから、どんな手を使っても私は永遠が欲しい」
静かに語るナタリアの身体は、小さく震えている。魂に映る感情の色を見ずとも、それが紛れもない本心だとアリスにはわかった。と、同時に、アリスの頭に思い起こされるのは一神分派の掲げる教義。
「……『世界をフレイヤただ一柱の手に取り戻し、我ら約束された永遠へと至る』……ねえ、貴女そんな世迷い言を本気で信じてるの? 言っとくけどねー、神なんてそんなあてになるもんじゃ無いから」
「別に、それほど信じてないわよ?」
「……は?」
「一応試してみて、それでもし叶うのなら御の字。そもそも一神分派を拠点に選んだのはそれがいろいろ都合が良かったからってだけの話よ」
ここまで計画を進めているくせに、上手くいけば儲けものぐらいにしか信じていないという。アリスがすっかり困惑していると、ナタリアは何でも無いように言う。
「でもね、そうならないのならば、そうさせればいいだけ」
その言葉は、どこまでも身勝手な欲望に満ちていて。
「世界を作った神なんだもの、永遠の一つぐらい叶えられるでしょう? だから、叶えさせるの」
「……ねえ、貴女まさか」
「私はね、この神兵計画をもってフレイヤを従えてみせる。それだけではないわ、アシュヴァルドもエルネスタも従えて、この世界全てを手中に収めるの。その暁に、私が望む永遠を手に入れるのよ」
――素敵でしょう?
そう、まるで夢見る少女の様に語るナタリアに、アリスは絶句してすぐに言葉を継げなかった。数秒か、あるいはそれ以上か、両者の間を静寂が支配し。
「――あはっ」
不意に笑みをこぼしたのは――アリスだった。
「あは、あははははははっ!」
「な、何がおかしいのかしら?」
「あははっは! 何が! 何がなんて、もう愉快でしかたないの! あは、あははは!」
おなかを抱え、目尻に涙をたたえ、椅子から転げ落ちたことすら気にする様子も無く……アリスは心の底からおかしそうに笑い転げていた。その脳裏に浮かぶのは、馬車の中で庇護者から言われた言葉。
アリスとナタリアが相性が良いかもしれないと、確かに言っていた。
「あはっ、ほーんと愉快! 伯爵様の言うとおり、いえ、それ以上! 私と貴女、全く同じなんだもの!」
『――やるべきでは無いとか、正しくないとか、そんなの関係ないから。せっかく力があるんだもの。なんと言われようが私は自分のためにこの世界を振り回してやる。ケチつけてくる奴がいるなら、たとえ神様でも潰すから』
かつて、故郷で迎えた三年祭の日。アリスはクシャナにそう宣言した。この世界をどうしたいかとクシャナに問われ、今の世界が好きだから何も変えたくないと答えた、その夜のことだ。
それと、全く変わらない。
ただ自分の恐れのために、この世界の全てを足蹴にしてまで永遠を手に入れようとする――目の前にいるそんな相手と自分自身は、本質的に全く同じなのだとアリスは気づいたのだ。
「気に入ったわ、ナタリア。私、貴女のことが存外嫌いじゃ無いみたいなの。だからね、貴女の夢――私の全てをかけて、真っ向から踏み潰してあげるから」
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