六十七話 邂逅Ⅱ
馬車はやがて、サフテッカ子爵家の邸宅へと進み入る。貴族街の中でも上級に位置する区画を贅沢に占める庭園を進み、屋敷の玄関口の前で馬車が止められる。アリス達が馬車を降りてエントランスへ足を踏み入れると、初老の執事と、その後ろに静かに控える小間使いの装いの少女が深々と頭を下げて出迎えた。
「ようこそおいでくださいました、アリス様。中で奥様がお待ちです」
「……そう」
「では、ここからは彼女が案内いたします」
「……こちらへ」
どこか表情に乏しい様子の少女が屋敷の奥へとアリスを先導する。それにアインズバードも続こうとすると、執事が割り込んで止めた。
「どういうつもりだ?」
「申し訳ありません、本日はアリス様のみのご招待となっております。大変恐れ入りますが閣下は別室でお待ちを」
「確かに、私は直接招かれていないな。だがそこのアリスはまだ一人で社交の場に出すには幼すぎる年齢でな。粗相をしないように庇護者として同席する責任がある。この国に益をもたらす天使を庇護する伯爵としての責任だ」
「申し訳ありませんが、枢機卿であられる奥方様より厳命されています故、どうかご理解を。付け加えて言えば、閣下をお待ちの方があちらに」
「私を?」
「儂じゃよ、バードや」
客間へ続く廊下から現れ出たのは、ルードベルト伯爵だった。想定外の人物が現れたことに、アインズバードは目を見開いて驚く。
「……これは驚いた。まさかお忙しい一神分派のトップ二人がそろい踏みとは」
「そう警戒するでない。儂とて今宵はおぬしを足止めするためだけに呼ばれたただの道化じゃ。全くナタリアめ、忙しいときに限ってこんなどうでもいい役目を押しつけおって。この老いぼれを過労死させる気かい」
憚ることなくこぼされる愚痴を、流石に見かねた執事が軽く咳払いで咎める。ルードベルト伯爵は悪びれる様子もなく、飄々と笑う。
「先に行っておくが、ナタリアの思惑は儂も知らぬし、知るつもりもあるまいよ……とはいえ、丁度いい機会であるのは確かである。儂もおぬしと話したいことがあったのでな」
「……というと、やはり『剪定』の神託の一件か?」
「然り。大聖堂に巣くう有象無象のように無様に騒ぎ立てる気もないが、大聖堂を預かる身の一人としてこのまま放置するわけにはいかんのは確かでな。悪いがバード、そこの娘の庇護者を称するのであればこそ、改めてじっくりと行く末を話し合おうではないか。それに、その娘っ子は存外しっかりしておると儂は思うぞ? ほれアリスや、おぬしからも何か言ってみい」
「伯爵様、私は大丈夫だから」
「……承知した」
どうやら逃がす気はない。アインズバードは観念して承諾するとしゃがみ込んでアリスに耳打ちする。
「(道中にも話したが、おそらく今日この場でナタリアから明確に仕掛けてくることはないはずだ。なにしろ今は大聖堂中の注目がお前に向けられている、流石に強引に事を荒立てるには時期が悪すぎる)」
「(わかってるってば、伯爵様。それに私って強いし、もし襲われても返り討ちにするから)」
「(……もはやその強さの理由も問うまい。だが万が一、こちらから先に手出しするようなことがあれば別だ。向こうに動く口実を与えることになる。くれぐれも行動と言動には気をつけるように)」
「(はーい)」
やや不安げな様子ながらも、立ち上がったアインズバードはルードベルト伯爵と共に執事に先導されて別室へ消えていく。残されたアリスは、小間使いの少女に導かれて単身、屋敷の奥へと進んでいく。
そしていよいよたどり着いた晩餐室の扉が開けられる。数十人は一堂に介せるであろう晩餐室の中、赤みがかったブロンド髪の妙齢の女性――枢機卿ナタリア・ サフテッカが待ち構えていた。
「ようこそ。会えて嬉しいわ」
◇◆◇
絢爛豪華なシャンデリアが暖かに照らし出す晩餐室の中、食事を邪魔しない程度にささやかに奏でられるヴァイオリンの音色に混ざって、銀食器と白磁器同士が鳴らす微かな音。
因縁の相手と直接相対し、一体何が待ち受けるのかと警戒するアリスだったが、拍子抜けな事にごくごく格式張った形式的なやりとりだけがナタリアから交わされると、そのまま晩餐会は平穏に進んでいく。
食事に毒を盛られていることもなければ、突然刺客が襲いかかってくることもない。両者の間に一切の談笑もないことを除けば、ごくごくありきたりな晩餐の様相だ。
(……聞いてた話と違うんだけど)
到着までの短い間、アリスは庇護者から簡単にナタリアのことを聞いていた。
『枢機卿ナタリアは、無名の子爵夫人から大聖堂入りし、たった十年で枢機卿の地位まで上り詰めた女傑だ。私も数度しか会ったことが無いが、性格はヒステリックともいえるほど苛烈で、誰よりも欲深く、己の目的を果たすためならば手段を選ばないと言ったところだ』
『……貴族なんて大体そんなもんじゃないの? 私から見たら伯爵様だって十分野心家だけど』
『違うな。例えば私やルードベルト伯爵のような者が貴族社会の枠組みの範疇で立ち回るのだとすれば、ナタリアはその枠組みごと自分のためにねじ曲げ、利用するようなものだ。はっきり言って程度が違う……それ故に、常に後ろ暗い噂が絶えない貴族でもあるな』
ナタリアが最初に頭角を現したのは彼女が十四歳という若さでサフテッカ子爵家の嫡男へ嫁いでからだ。
そもそもナタリアが生まれたのは王国でも有数の歴史を持つベネディア伯爵家で、数代続いた領地経営の失敗により極めて深刻な財政難に陥っていた。それ故に、家格で劣るが交易商で成り上がった新興貴族であるサフテッカ子爵家に、資金援助を見返りとして嫁いだのは、ナタリアに取って屈辱的な婚姻……そう見られていた。
しかし嫁いだ先でナタリアは商才を発揮、新規事業を次々と立ち上げては成功させていく――それと同時、サフテッカ子爵家と対立関係にある商会や貴族が次々と不祥事を起こして失脚、事業を併合する形でサフテッカ子爵家は急速に拡大していく。
数年後にはサフテッカ子爵家は一転して王都の大貴族に通じるほどに成長するが、当主が突然の不審死を遂げる。ナタリアの夫である嫡男が当主を引き継ぐと彼も瞬く間に原因不明の病で衰弱し、それから現在に至るまで療養の名目で領地に押し込められているという。
一方、病気の夫に変わって家督の名代として全ての実権を握ったナタリアは、その財と権力を手土産に大聖堂に進出し、すぐに大聖堂の苛烈な権力争いを勝ち抜いていく。やがて、突如明るみに出た当時のある枢機卿の不祥事を糾弾することでその座から蹴落とし、その後釜に座する形で三十歳という異例の若さでの枢機卿就任を果たした。
大まかなナタリアの経歴を聞かされたアリスは、すっかり顔をしかめていた
『……ねえ、それ無茶苦茶してない? なんていうか、だいぶ黒いように思えるんだけど』
『だいぶ、ではなく間違いなく黒だな。前当主の急死を始め、ナタリア参入以降の大聖堂で起こったいくつもの不審死には、ナタリアが貿易事業を利用して仕入れたと思われる未知の毒薬によることが確実視されている。ナタリアが暴いた前枢機卿の不祥事も、おそらくナタリアが裏で手を引いたものだろうな……私もあの方の人となりは知っているが、不祥事を起こすどころかあきれかえるほどの聖人だった』
『じゃあなんで捕まってないの』
『それがナタリアの恐ろしいところでな、とにかく立ち回りが上手いのだ。いくつもの後ろ暗い不祥事に関わっている一方で、それらの全てが必ず彼女の周囲や、果ては王国全体の利益に繋がるように仕組まれている。それでいてナタリア自身の性格は苛烈、敵対した相手には一切の容赦をかけず公然と葬ることすら躊躇しない……ここまでいえばわかるな?』
『……要するに、下手に敵に回すよりも好き勝手させた方がお得だから野放しってこと?
『正解だ』
あっけらかんと告げる庇護者に、アリスは戦慄する。危うくそんな相手のところに寝たまま連れていかれるところだったとは。
『まあ、今は大聖堂の目もある。向こうからでもこちらからでも、事を起こすのは得策ではないはずだ。それでも、用心しておくに超したことはない』
……そう、念を押されてからの対峙だ。普段は警戒心の貧弱なアリスも、今日ばかりは流石に用心して出された料理は異常がないか、毒など入っていないか注意して口に運んでいた。なのに前菜とメインディッシュを食べ終え、間もなくデザートが運ばれてくるという時間になってなお、何も仕掛けられない。
「――お待たせいたしました。こちらがデザートとなります」
いい加減警戒するのも馬鹿らしくなってきたころ、最後の料理が運ばれてくる。それまでの贅を尽くした料理とはやや変わり、やや黒みがかった琥珀色のミルクゼリーに色鮮やかな果実が添えられた一品。一さじ掬い取り、口に運びいれた瞬間、アリスは驚いて固まる。
異常を感じたのではなく、よく知っている味がしたことに、だ。
「これ……フラシアの樹の樹液?」
「久しぶりの味はお気に召したかしら」
「……どうして貴女がこれのことを?」
フラシアの樹液はエルフ達の間で子供のおやつとして食べられているものだ。
聖女時代に聖騎士の一人だったエルフの弓使いから樹液のことを知り、素朴なくせに妙に癖のある風味を気に入っていた。今世でもケールの街に生えているのを見つけ、時折懐かしんで樹液を採っていた。
この樹液は人族の間では決して一般的ではないので、何故知っているのか追求されて正体がばれるのを恐れたアリスは誰にも秘密にしていた……ただ一人、親友のケリーを除いて。
「ねえ、あなたのお友達が今どこで何をしているかご存じで?」
「……近くの森へ魔物退治でしょ。お手紙もらってるから知ってるもん」
「そう、新入生から上級生まで五人一班を組んで、七日間の遠征と魔物退治。騎士科の創設以来続く、伝統の訓練行事ね。今日はその二日目だったかしら?」
「それも聞いたもん。で、だから?」
「ちゃんとやりとりしてて偉いわね。じゃ、お友達の班員がどんな方々かもご存じで?」
「だから、何の話……ッ!?」
ケリーの近況は、時折交わす手紙のやりとりで聞いている。
入学して、平民出身なうえ引っ込み思案なせいですぐ孤立しそうになったこと。一人でご飯を食べていたのを最上級生の女の子が心配して声かけてくれて、仲良くなったこと。初の遠征行事もその子が班長を務める班にいれてもらえることになったこと。嬉しそうに綴られた報せだったが――
「……まさか!? 貴女の手先だというの!?」
「さて、なんのことかしら? ああ、でも学園行事とは言え危険な遠征だもの。もしかしたら不慮の事故の一つぐらい起こってしまうこともあるのかしらね?」
ナタリアが、袖に隠し持っていた小さな魔導具を置いた。以前にエルリックも使っているのを見た、使い捨ての通信道具だ。その気になれば、いつで指示を出せるということだろう。
さて、どうするのかしら――言外のメッセージを込めた挑発的なナタリアの笑み。アリスはため息一つつき、自分を落ち着かせると……殺気だってナタリアを睨んだ。
「……やってみなさいよ。そしたら今この場で貴女の四肢を引きちぎってあげるから」
「あら怖いこと。いいのかしら、私に手を出したら大聖堂が敵に回るわよ?」
「そんなのどうだっていいわよ。いい加減、そろそろいちいち縛られすぎてうっとうしいなって思ってたの。むしろ邪魔な枷がなくなって清々するかな」
「……なるほど。聞いてたとおり、いえ聞いてた以上に御しがたい性格のようね」
アリスの本気を感じ取って、ナタリアは挑発的な態度を収めた。もとよりアインズバードの読み通り、いまや大聖堂どころかこの世界にとって頭痛の種であるアリスが下手に事を荒立てれば、必然的にそれを引き起こしたナタリアにも非難が向く。あくまでアリスの反応を見るための牽制、もとより本気で仕掛ける気はなかった。
ナタリアが軽く手を振ると、鳴り続いていたヴァイオリンの演奏がピタリと止み、奏者が部屋を出て行く。奏者だけじゃない、控えていた侍従も、給仕も、全員が部屋を出て行き、アリスとナタリアの二人だけが残される。
「余興はここまで。そろそろ本題に入りましょうか」
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