六十六話 邂逅Ⅰ
「――よぉ。目、覚めたか」
「……あれ、私死んだの?」
「死んだら神の御許に召されるってか? 大分古くせえ宗教観だな、久々に聞いたぜ」
いつの間にか、アリスは気を失っていたらしい。ぼんやりとかすむ目で見渡すと、見覚えのある石造りの神殿と、ニヤニヤと嗤う長身痩躯の男神――アシュヴァルドの姿。
「元気してたか?」
「貴方の顔見たら気分悪くなった」
「ひでえなー。前みたいに出会い頭に蹴り入れてこねえだけマシか」
「ていうか何の用? 私、忙しいんだけど」
「お前にちょいと褒美をやろうと思ってな。オレって優しいだろ?」
「褒美? ……ああ、そんなこと言ってたっけ」
エルネスタを神器でぶっ刺した事に褒美があると、クシャナからそう聞いていた。
……とはいえ。
「別に貴方からご褒美を貰う謂われもないんだけど。私がやりたくてやっただけだし。だからさっさと帰して」
「そう早とちりすんな。お前からすればそうかもしれねえが、オレからすればあの行為は大きな意味があったんだよ」
「は?」
「オレらは下界じゃ三神なんて呼ばれているが、実際のところ関係性は対等じゃねえ。少なくともフレイヤとは格として互角だが、エルネスタは圧倒的に高位の存在だ。その辺りのことはお前だって知ってんだろ?」
「まあ、薄々はね」
三神を等しく崇める教会においても明言はされていないものの、エルネスタがより上位の神格であることは自明のこととして受け入れられている。
「……そういえばクシャナから聞いたんだけど、貴方とフレイヤって仲が悪いんだって? ちょっとでもきっかけがあったら今にも戦争起こすかもって」
「んあ? 仲が悪いってのはちょーっと違うな。存在としてオレら互いを潰し合うようにできてんだよ。本心としちゃ、仲良くしたいんだぜ」
「それ嘘でしょ」
「さあてな。んで、急にその話持ち出してきたってことは気づいたんだろ。オレとフレイヤの行動は、エルネスタの制約下にあるんだ」
ずっと目障りだったんだよ、とアシュヴァルドは忌々しげに吐き捨てる。
「けど、お前がやらかしてくれたおかげで死んではいねえにしろ、一時的にでも力が弱まった。おかげで幾分か自由にやりやすくなった」
「もしかして、私ってとんでもないことやらかした?」
気分はまるで猛獣を閉じ込める檻を開け放ってしまった様。そういえば聖女時代に千年封じられた邪悪な獅子とやらを間違えて解き放っちゃったことあったなーっと現実逃避気味に思い出す。
もしかしてこれがきっかけで神様同士の戦争が勃発!? と冷や汗垂らすアリスに、アシュヴァルドは「そんなたいそうな事でもねえよ」と笑う。
「そこまで自由に動けるほど制約が弱まったわけじゃねえ。せいぜい、下界への干渉がやりやすくなった程度だ……例えば、こうして何のきっかけが無くともお前を召喚できるようになった、とかな」
「……三年前の時だって随分気軽に連れて来られたと思うんだけど、何か違うの?」
「ありゃあ、あの場所が特別だったんだよ。なにしろあそこはアリシエルの……っと、口が滑った。ま、本来はこうして招くなんてよっぽど俺らとの親和性が高い場所……例えばそうだな、人間が大聖堂なんて呼ぶあの場所とかじゃねえと出来ねえんだぜ」
何かさらりと重要なことを聞いた気がするが、それよりも……
「え、じゃあ今後はことあるごとに呼び出されるってこと? どうしよ、死にたくなってきた」
アリスにとっては神々の戦争よりもよっぽど大事だ。かつて聖女に生まれかわったとき、自分で尻拭いするはめになった魔王時代のやらかしを深く後悔したものだが、今はそれに匹敵するほど悔いていた。
「んなこと言わず仲良くやっていこうじゃねえか。さあて、褒美だったな。試練を乗り越えた訳じゃねえからたいしたものはやれねえが、とりあえず欲しいもの言ってみな? 気分が良いから少しはおまけしてやっても良いぜ」
「別にいらな……待って今のなし。そうね、せっかくなら……」
アシュヴァルドにこれ以上関わりたくない、そう思ったアリスだったが、一つ思い浮かんだことがあった。駄目元ででそれを要求してみれば、「そんなんでいいのか?」と呆気なく了承される。
「それぐらいなら、褒美なんかじゃ無くともいつでもねだってくれて良いんだぜ? 『かっこいいアシュヴァルド様たすけて~』ってな。かなえるかは気分次第だがな」
「貴方に頭下げるぐらいなら、汚泥にまみれながら首を括った方がマシ」
「つれねえな。さて、そろそろ時間だ。お望みのブツは下界に送り返すついでに持たせてやるよ」
◇◆◇
「おかえり、アリスちゃん」
「ん……クシャナ?」
「アシュヴァルド様に呼ばれてたみたいだね。ご愁傷様」
墜落地点の路地裏で、アリスはクシャナに膝枕をされていた。アリスは起き上がろうとして、途端にズキズキと頭痛を感じてふらりと倒れそうになる。クシャナは慌てて体を支えてゆっくりと起こすと、「持ってきてて良かった」と水筒を渡した。
なぜかしっかり水分をとるようにと念押しするクシャナに首をかしげながらも、アリスは言われたとおりに水筒の中身を飲み干す。しっかりと冷やされた上に柑橘の果汁が少し加えられているようで、確かに気分が冴えた。
「……ぷはっ。クシャナ、どうしてここに?」
「どうしてもなにも、消火さっさと終わらせて加勢に来たんだよ。そしたら派手に落っこちてくのが見えてさ、もうびっくりだよ。一体どんな無茶したのさ」
「これぐらい、たいしたことないよ」
「はぁ、全く……気を失っている間に簡単にアリスちゃんのこと診たけど、あんな高さから落ちてきた割にはかすり傷ぐらいでたいした怪我は無いね。不幸中の幸いだったよ」
「ううん、違う。庇われた」
「庇われた?」
「……墜落する瞬間ね、あいつ自分から下になって私を庇ったんだ。おかげで私は無傷だよ。でもあっちもピンピンしてた」
墜落のショックで意識を失う直前に目にしたのは、暗闇の中に逃げ去っていくテレアの後ろ姿だった。アリスは悔しげに唇をかみしめる。
「そうだったんだ。やっぱりあの鎧は厄介だね。単純が故に強力だ」
「知ってたの? なら先に教えてくれててもよかったのに」
「おやー? 一人で勝手に突っ走っていったのは誰だったかな~?」
「んむっ……じゃあ、アレが長く使えないってことも知ってたの?」
「え、何それ初耳」
「ふふん、知りたい?」
「うん、教えて教えてー」
「んっとねー……」
アリスが戦闘中に気づいたことを話してみれば、クシャナはなにやら納得した様子だ。
「僕が彼女を捕まえた時も、追い詰めきった訳じゃ無いのに突然に抵抗を止めたんだ。あれもそういうことなら納得できるね」
「ふぅん、そうだったんだ」
「……そうか、なるほどね。それでこれを求めたってわけね」
「あ、それ」
「褒美だって言ってついさっきアシュヴァルド様から送られてきたよ。何でこんなものをを思ったけどテレア対策だってわけね。なんかだんだ、アシュヴァルド様も良い仕事するよね……センスは最悪だけど」
「あはは……」
アリスの望みに答えて贈られたそれは、闇色の魔石で作られた手のひら大のアシュヴァルドの像。人を食ったようなニヤニヤ嗤いまで微細に意匠された、無意味に作り込まれた代物だ。
「ま、見た目の悪趣味さはともかくとして、一応は神器の端くれになるんだ。取り扱いには十分注意しなよ。市井に流出でもしたら大変だよ」
「うん……これなんだけどさ、クシャナが預かっててくれないかな」
「いいのかい?」
「私が持ってると伯爵様に言い訳するの面倒くさいし……あと持ってるとなんか呪われそうでやだ」
「仕方ないな……え待ってこれ今まばたきしなかった!? 気味悪っ、やっぱり僕も嫌だよ」
持ってて、嫌だ、と繰り返すことしばらく。最終的にクシャナが預かることで決着がついた。
「はぁ……それにしても精霊の勇者か、そんなのもいたねー。うんうん、懐かしい」
「あれ、なんで知って……そっか、元々は私のストーカーだったんだっけ」
「相変わらず人聞き悪い言い方だね!? せめて見守っていたと言って欲しいな。てか、全部アシュヴァルド様に命じられた仕事だったわけだけどもね」
ため息一つ、クシャナはまだ顔色が悪いアリスを背中におぶった。墜落したのは運良く人気の少ない開けた辺りだが、それでも盛大に響いた落下音を聞きつけたのか、遠くから人がやってくる気配が近づいている。
「そろそろ帰ろっか。送ってくよ」
「うん……ごめんね」
「謝らなくていーの。逃げちゃったものは仕方ないし、また捕まえれば良いんだから」
「そうじゃなくて……お部屋、壊しちゃったこと」
「あー……ま、それは君んとこの伯爵に請求でもするかな。ほら、飛ぶよ。しっかり捕まってて」
ふわりとした浮遊感。夜の空を楽しむかのような遊覧飛行の中、アリスは夜風に包まれて次第に心地よい眠りへと落ちていった――
――そして目覚めて早々に伯爵の顔を目にしたことでアリスは思った。せっかくの気分の良さが台無しだと。
「起きたか」
「おやすみ」
「待て、二度寝しようとするんじゃ無い」
伯爵の呆れ声は聞こえないふり、アリスはお布団に潜って現実逃避して――お布団をたぐり寄せようとした手は、しかし虚空を掴んで空ぶる。
「あれ……?」
次第に覚醒してきて気づく、背中に感じる感触はすっかり慣れた伯爵邸のベッドでは無い。それなりに上等ながらも、それよりかは幾分も堅い質感だ。しかも枕も全く違うもので――というより、枕だと思っていたそれはいつも世話をしてくれる侍女の膝枕だった。顔を上げれば侍女と目が合って、にこりと微笑まれる。
ついでに、規則的に感じるガタンゴトンというかすかな揺れ。
「……もしかして、馬車の中?」
「正解だ。時間が無い故な、寝ながら支度をさせて貰った」
アリスが自分の体をよく見てみれば、いつの間にか上等なドレスに着替えさせられていた。侍女が差しだした手鏡を覗き込めば、まだ寝ぼけ気味の顔にはほんのうっすらとだが、化粧が施されている。
ここまでされてどうして起きなかったのだろうか。むしろ、どうやって起こさずやってのけたのだろうか。おそらく下手人だろう侍女の顔をもう一度見上げれば、相変わらず微笑みだけ返された。
「むぅ、昨日帰ってきたばかりなんだけど……こんな朝早くからまた連れ出すなんて急すぎない? ちょっとは休ませてよ」
「そう言われてもな、お前はもうきっかり丸二日寝てたんだぞ。それと早朝というのも間違いだな、外をよく見てみるといい」
「へ!?」
慌てて車窓から空を覗いてみれば、てっきり夜明けだと思っていた薄暗さは実際には日没時の様相だった。流れ去っていく町並みの中を歩く市民達の様子も、一仕事終えた開放感をに満ちていた。
「うそ、全然気づかなかった……」
「寝ている間に診察したが特に病気では無い、安心しろ。おそらくは軟禁によるストレスと疲労が原因だろう、加えて酒精の……まあこれはいいか。気分はどうだ?」
「……ん、大丈夫」
何やら気になる言葉が聞こえたが、ともかく身体に異常はない。むしろずっとじんわりとのしかかっていた重苦しさが晴れたようで、アインズバードの言うとおり、好きに食べて寝ていただけの軟禁生活でもどこか負担がかかっていたようだ。
「だからって、寝たまま連れ出すなんてちょっと強引すぎない? 起きなかったらどうしてたのさ」
「私とて、一治癒術士としてこのような強引なやり方は本来ならポリシーに反するところだ。本意では無い」
「ふうん、どうだか」
「……常々思っていたが、随分と嫌われたものだな」
「ん?」
「確かに第一印象は悪かったかもしれないが、これでもできる限りの便宜は図っているつもりだ。そろそろ態度を軟化させても良い頃合いではないか?」
「えっ……なに? もしかして私に甘えて欲しいの?」
「そういうことじゃない、引くんじゃ無い。ただ、毎回こうも刺々しく接されては面倒だということだ」
「んー……そうねえ」
確かに立場の割には自由にやらせてくれていて、待遇は考えられる限りでも最高のものだ。
理屈の上で考えればいい加減打ち解けても良い頃なのだが。アリスがうーんと首をかしげて悩むこと暫く。
「……雰囲気? ていうか人間性?」
「それはまた、抽象的かつ根本的な問題だな」
「自分でもよくわからないんだけど、伯爵様を見てるとどうにももどかしく感じるの。なんかねー、いつも表面に作ったような部分ばかり見せてるくせに、奥底では自分を抑圧しているような気がして……ううん、違う? そもそも自分のために生きてない……?」
「……本心を隠し、私を滅するのは伯爵家を継ぐものとしてそう教育されてきた故だな。なるほど、つまり根本的にそりが合わないということか」
貴重な意見感謝する、と諦めのため息一つ。
「……不思議なものだな。これでも妻と息子には良き夫、良き父としてそれなりには慕われてはいたはずなのだが」
「ま、私は私だから……え待って伯爵様って結婚してたの!? 子供いたの!? その話詳しく!」
「妻は鬼籍、息子は留学中だ。その話は置いておこう、なるほど、私のような性格の者が苦手だというのなら、いっそ此度の相手は相性が良いのかもしれぬな」
「ん……そういえばどこに向かってるの?」
車窓から外を見る限り、向かっているのは大聖堂ではないようだ。おそらく貴族街のどこかを走っているのだろうが、いまいち見覚えの無い区画。
首をかしげるアリスに、返事の代わりにアインズバードから差し出されたのは一通の手紙だ。
「お前宛の招待状だ。それを読めばわかるだろう。なぜこうも強引に連れてくるに至ったかの答えもな」
「ふうん、どれどれ……」
渡された手紙は、何の変哲も無いごくごく個人的な晩餐会への招待状だ。曰く、これからの親睦を深めるため、王都では珍しい季節の食材を振る舞いたいと。貴族らしくもったいぶった物言いで描かれたそれを興味なさげに斜め読みしていたアリスだったが、最後の一文に綴られた差出人をみて、驚きに目を見開いた。
「――ナタリア・サフテッカ子爵夫人。ねえ、まさか」
「ああ。ルードベルト伯爵に並ぶ一神分派のもう一人のトップ……枢機卿ナタリア。それが今宵の相手だ」
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