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自宅に戻ってからも、ショッピングバッグを放り出した後、着替えもせずに眠っていた。目が覚めたら夕方になっていた。昼間に眠って、夕方に起きると、どうしようもない孤独感が襲ってくることがある。スマホを見るが、桐生からのメッセージは来ていなかった。
こちらから送ろうか。でも、何を伝えよう。
「帰ってきてから、お昼寝しちゃった」
では、いかにもだらしがない感じではないか。
今ごろは、自宅に向かってのドライブの最中だろうか。運転は交代ですると言っていた。
「気を付けて帰って来てね」
と送信するのが無難だろうか。
送信したメッセージは開かれなかった。きっと運転をしているのだろう。
三樹は、買ってきたものを、ひとつひとつショッピングバッグから取り出していった。こんな色が似合うとは知らなかった。シックな色味の、女性らしいシルエットのワンピースを、桐生はどう思うだろう。魅力的に映るだろうか。
下着を取り出してドキドキする。この先、もっと深い仲になるんだろうか。いつ、その時が来るのだろう。まともにキスもしていない。
一回だけ手をつないだ。彼の大きな手に優しく、けれども、しっかりと包まれて胸がときめいた。
自分にもっと勇気があれば。そう思うのだが、いざとなると恥ずかしくなってしまう。彼の真剣な視線をまっすぐに受け止めることができない。
もしかしたら、新しい下着が、何かを変えてくれるかもしれない。勇気をくれるかもしれない。それから、ちょっとダイエットしたほうが良いかもしれない。痩せれば、キレイになれば、今の自分には出せない勇気を出せるかもしれない。
気が付くと、すっかり日が傾いていた。朝食の後、たいしたものを食べていなかったことに気が付く。冷蔵庫を開けるが、がっかりするぐらいに何も入っていなかった。買い物をしに行かなくてはいけない。三樹は財布を持って出かけた。
しばらくして、スーパーの買い物袋を提げて帰宅し、スマホを見るが返信はなかった。既読には、なっているようだった。良かった、事故か何かにあって、病院に担ぎ込まれているとかではないようだ。三樹は自分に言い聞かせる。そうでもなければ、次々に余計なことばかりを考えて、もやもやした上、結局まわりまわって自己嫌悪に陥りかねなかった。
スーパーで買ってきたサラダなどで軽い食事をとった。落ち着かないので強めの缶チューハイを開ける。その間、ずっとテレビを付けっぱなしにしていた。番組を眺めている間は、余計なことを考えずに済む。はずだったのだが、気が付くとスマホを触っていた。画面を表示させ、新着のないことにガッカリする。
メールなり電話の受信に気が付かないことがないよう、マナーモードを解除してった。スマホは何の音も発しない。でも、単に気が付いていないだけかもしれない、という気がして、ふとした拍子にスマホを手に取っていた。
それにしても連絡がない。気になって、いてもたってもいられなくなり、もう一度、メッセージを送った。なかなか既読にならない。三樹は不安になってきた。
ためしに電話をしてみる?ちょっと声を聞くだけだ。おやすみの挨拶をするだけ。スマホの画面を操作して、桐生の番号を呼び出す。ほんのわずか血圧が上昇して、頬が熱くなってきた。指が震える。
(これって、しつこいって思われるのかな……)
学生の頃に付き合っていた男の言葉がよみがえる。さくらの言葉がふいに思い出される。
「ほんとうに付き合ってるんだよね」
あれは、さくらのジョークに決まっていた。彼女はそういうところがあるのだ。急におかしなことを言う。
それなら、恋人である自分が電話をかけることに、何のためらいがあるだろうか。
あまりに連絡がなければ、恋人の安否を心配するのは当たり前だ。事故に合っていないことを確認するだけで良い。ちょっと話さえできたら、心配のしすぎを謝って、すぐに電話を切ればいい。相手だって邪険にはしないはずだ。
あまりにも長く画面を見つめていたせいで、スマホのバックライトが消えてしまった。再び画面を呼び出すと、三樹は桐生に電話をした。何回か呼び出し音が鳴ったが、桐生は出ない。
三樹の胸に不安が、もくもくと雲のように湧き上がってくる。不安、疑惑、疑念、それらを打ち消したい願望。自分は大人になったはず。落ち着け。
やがて留守電になった。
「何回も連絡しちゃってごめんなさい。事故とか心配になっちゃって……。気を付けて帰ってきてください。それでは」
吹き込んでいる途中で、ピーとお知らせの音がして、電話が切れた。三樹も通話を終了させた。スマホの画面がやがて黒く沈む。
(今頃、どこにいるんだろう)
そのことばかりが気になって仕方がない。いつ連絡があっても良いように、湯船も張らずにシャワーだけで済ませた。その間、スマホは洗濯機の上に乗せておいた。トイレに入るのも、なるべく早く済ませるようにした。メッセージでも電話でも、桐生からの連絡はすべて、受信したら、すぐに対応したかった。
待っている時間というのは、ものすごく長く感じる。反面、もうこんなに過ぎてしまっていた、という気分にもなった。時間が経つにつれ、胸の中にいろいろな思いが蓄積されていき苦しい。
やがて、三樹のスマホが桐生から電話が入っていることを知らせた。大急ぎで出ると、桐生はいつもの声で、
「連絡できなくて、ごめんね。心配してくれて、ありがとう。ちょっと渋滞していて、思ったよりも時間がかかってさ。友達と晩飯食べて、ついさっき解散したところなんだ」
と言った。その後ろから、自動車の走行音などが聞こえてくる。
「あれ?外なの?」
三樹が尋ねると、
「これ以上、三樹に心配かけたくないと思ってさ。今ぶらぶらとひとりで歩いてるところだよ」
「ごめん!」
「どうして謝るの?」
桐生の笑い声が、三樹の心を軽くした。
「温泉よかった?」
「うん。最高だったよ。今度、一緒に行こうね。そうだ、来週でもいいかもね!計画してさ」
「え?そんな連続で行くもの?」
「三樹が行きたいって言うなら、僕は構わないよ」
桐生の言葉が、三樹の胸に甘く響いた。旅行の提案は、心から嬉しかったけれど、言葉が溶けてしまって出てこない。
ふたりの間に沈黙が流れた。三樹は何かを言わなくてはいけない衝動にかられ、
「あの、桐生さん……」
と、スマホに向かって呼びかけた。
「何?」
(何だっけ?喋りたいことは?)
三樹は、酸素のうすい金魚鉢に入れられたみたいに、口をぱくぱくしたが言葉が出てこない。とっさに言い訳をする。
「あ、えーと……忘れちゃいました」
桐生のくすくす笑う声が、三樹の耳をくすぐった。三樹は恥ずかしさのため、顔が熱くなっていた。
「あ、そうそう」
桐生が思い出したように言った。
「ふたりのときには、下の名前で呼んで良いんだからね」
「え?……あ、はい!」
三樹が焦って返事をすると、桐生はまた優しく笑った。
「えーと……その……」
桐生の下の名前は修一だった。
(修一さん……?それとも修一くん、修ちゃん?)
三樹の戸惑っている空気が、桐生にも伝わったらしい。
「次に会うときまでに考えておいてね。これは宿題。じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
電話を切った後も、三樹は何か温かいものに包まれたような気持だった。
いつか、週末に桐生とふたりで温泉旅行に行く。もしかしたら、来週になるかもしれない。新しい下着はその時に持っていこう、そう思っただけで、頭に血がのぼった。
不器用すぎる三樹の、あまりにももどかしい恋愛……
初めてのお泊りデートはどうなる!?
勝負下着は活躍するのか……??




