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水沢のマイペースに、ヒガシ君は怒る気も失せたらしい。ただ、くたびれたように額の汗をぬぐっている。
「桐生さん!お疲れ様ですぅ」
水沢が嬉しそうに声を弾ませた。
「お、水沢さん。まだまだ元気だね」
桐生がにこやかに答える。
「はいっ!あたし、元気だけが取り柄なんですっ」
超ぶりっ子ポーズで水沢が答えた。
三樹はますます遠い目になる。
「そんなことないよ。水沢さんは良い子だと思うよ」
桐生の穏やかな声が、何故か、すごく、遠くに聞こえる。
「え?ほんとですかぁ?ありがとうございますぅ。嬉しいですぅ」
水沢の一連の言動、その全てが、いちいち三樹の神経にさわる。三樹の怒りがもし具体的に形を帯びたとしたら、体から見えない針がたくさん飛び出ていることだろう。
人間ハリネズミというか、人間剣山というか、そんな感じだ。危険極まりない。
「あ、そうそう。桐生さん」
両手をパンと鳴らし、急に思い出したように水沢が言った。
(うわぁ!びっくりした!びっくりした!すんごい、すんごい、わざとらしい~)
そんな三樹の心境を知るはずもない、水沢が畳み掛ける。
「今日、これから何か予定とかありますか?もしよかったらぁ、あたしとヒガシ先輩と三人でお食事に行きません?」
そして、うかがうように小首をかしげた。
三樹の胸がざわつく。桐生の反応が気になって仕方がない。そんな彼女の想いを知るはずもない、桐生はあっさりと答えた。
「今日かぁ……僕は大丈夫だけど」
ガーン!
一昔前のマンガの効果音レベルに、ガーン!
三樹はショックで打ちひしがれそうになった。
(こんなやり取りを目撃しなければ良かった。もう飛んで帰りたい……)
(OLレンジャーの出動時みたいに、瞬間移動したい……)
(それで、帰ったら酒に慰めてもらいたいよう……)
朝はルンルンだったのに、その温度が今、すっかり下がろうとしていた。
ショックのあまり頭が混乱し、どうしたら良いかも分からないままに、三樹はデスクを離れた。足元が、心なしか、ふらついている。
(帰ろう……とりあえず何も考えずに電車に乗ろう……)
「お疲れ様です」
と、水沢たちの側を通り過ぎようとしたとき……。
想像もしていなかったことが起きた。
「あ、町田主任」
声をかけてきたのは桐生だった。
のけ者扱いされ、三樹がひとり寂しく帰ろうとすると……




