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「ないない!」
思わず口走っていた。慌てて口をおさえたが遅い。もう出ちゃった。
「ですよねー」
何故かヒガシ君が相槌を打っている。
「さすがに、普通だったら、これぐらいの雨じゃ電車は止まらないですよね」
「え?」三樹がキョトンとする。
「え?」つられて、ヒガシ君もキョトンとした。
お互いにぽかんと見詰めあう。そこでまた、熱病のようにぶり返す言葉――
(突然のキス)
唇がむずむずする。目が勝手にヒガシ君の口元を見てしまう。若々しい血色のいい唇はふっくらとしていて、わずかに白い歯がこぼれている。
(あぁん、おいしそうっ!)
(って、そうじゃないだろ!落ち着け。正気を取り戻すんだ!)
(ヒガシ君はないわ!年下だし!)
ひとり勝手にテンパっている三樹を、ヒガシ君は笑顔で見守っている。その笑顔がいい。
(ヒガシ君!ほんとうに可愛いんだからっ!もう、食べちゃいたい!……って、うおー!)
ひとりで勝手に想像して、勝手にヒートアップしている。これは本格的にアホだ。
よし、アホの標本を作って、上野の博物館に展示させてもらおう。
「町田主任」
ヒガシ君が呼んだ。
「はいっ!」
我に返った三樹が、新人研修のお手本のような返事をする。
頬が熱い。はずかしい。それはもう、いろんな意味で。
ヒガシ君はというと、三樹のそんな内情を知る由もなく、ひたすら楽しそうにニコニコしながら言った。
「あの、水沢さんて……」
「やだ、言わないでくださいよぉ」
水沢が割って入ってきた。
それどころか、手を伸ばして、かわいいヒガシ君の口をふさごうとしている。
三樹がイラッとする。
(お前の汚い手で、ヒガシ君の口元に触るんじゃないよ!私だって触りたいわよっ!その時は、手でなんかじゃなくて……)
三樹の煩悩がアンストッパブル。整備不良でブレーキが壊れた自転車みたいだ。こうなったら、その辺のごみ置き場に突っ込んで止まるしかないだろう。
当の水沢は、手をバタバタさせたりして、必死にヒガシ君が何かを喋ろうとするのを止めているらしい……。
が、いまいち本気っぽさが感じられないというか、身が入っていないというか。
しいて言えば、まわりの目を気にした、かわいい必死さだ。
あたし、可愛い女の子でしょアピール。
なんという計算高さ。
(はいはい。そうね、可愛いわね)
(ほんとうにシラケる)
一方、背の高いヒガシ君は、それを軽くかわしながら、笑顔で、
「いいじゃんいいじゃん」
「だめですぅ。言わないって約束したじゃないですかぁ」
「え?そんなこと言ってないよ」
「ひっどぉい!」
水沢がチークをぬった頬を膨らませて、プンスカしている。両手を握りしめて、ぶんぶん振っている。
(出た!また可愛いアピールだ。うぜぇ……!)
ヒガシ君はおもしろそうにニコニコしている。
(ヒガシ君も水沢のこと、可愛いとか思ってるんだろうな……。男って、きっと、みんな、そうなのね……残念……)
ふたりのやり取りを見ている三樹は、どこか遠いところに置き去りにされた感じだ。
たそがれ時の河原で、アコースティックギターを抱えて、切ない系の歌をくちずさんじゃいそう。
でも切ないだけじゃないの、どこかデカダンスっていうか、サビの部分ではジャカジャカかき鳴らしちゃう感じで、叫んじゃう感じで、シラケたこの世界に唾を吐きかけちゃうぜ、的な?はっ、バカバカしい……遠い目。
(なんだそりゃ)




