第46話「黒蛇③」
暗く冷たい空間で、男は串刺しにされてなお、その息を止めず、心臓を熱く燃やし、怒りで煮えたぎった目を光らせていた。
「トール・ロイ……やはり生きていたんだな」
マルカスは軽く土や埃を叩きながら、岩壁に繋ぎとめられた男の元へゆっくりと歩み寄る。
「団長から死んだと聞いた時は不思議に思ったが……」
すぐそばまで来ると、そこへ座り込んだ。
「不死身、なんだろう?」
「…………それがどうしたァ……公式では俺ァ死んでんだよ」
「……上の猫の女に聞いたよ、色々と」
「チッ、話すなって言ったのによォ、これだから女は嫌いなんだよ」
低く掠れた声は、ゆっくりした話し方と相まって、大気を震わせるような力を持っていた。
「……あんたァ、何もんだ? 何しに来たァ?」
マルカスはしばらくトール・ロイの目を見つめた。
「……交渉さ、俺たち辺境防衛騎士団と、トール・ロイのな」
トール・ロイは少し顔を上げて、その長い前髪からチラリと目を覗かせた。
「俺ァ、騎士は嫌いでよォ」
「なんでだ?」
「……聞くのかァ?」
マルカスは返事の代わりに目を細めた。
トール・ロイはそれを見ると、うんざりしたように溜息をついて、ゆっくり話し始めた。
「まァ、ここに来たってことは俺がどんな奴か知ってるんだろうなァ……」
「そうだな、そこそこ知っている」
「……嬉しくねェなァ……まァどうでもいい、騎士が嫌いな理由だが……俺の部下、トールファミリーの一人が、暗殺されたァ。特に理由はねェ。ただ、気に食わなかったんだとよ」
「気に食わない? 何がだ?」
「……俺たちの行いがァ、だ」
「……? お前らの悪さは一級品だ。気に食わないというのは」
「やっぱりなァ、公では、トール海兵隊は蛮行しかしねェ。平気で人を殺す。物を盗む。破壊するゥ。そうやって俺たちを悪者にしてきた」
「ーーーー」
「俺たちトール海兵隊はなァ、そんなことは一切やってねェんだよ。まァ、ファミリー全滅まで信じてもらえることは無かったがなァ」
「……濡れ衣ということか? 何を今更……」
トール・ロイは大きく息を吸って、そのまま息を吐いた。そして、しばらくして再び話し始めた。
「……女獣人殺人事件。あれもだ」
「あの凶悪犯行がお前らじゃねぇってのか?」
「そうだァ、俺らじゃねェ。あの日、俺たちはヴォダの見回りをしていたァ」
「――? 見回り?」
「そうだ、さっきも言ったがァ、俺たちは蛮族じゃねェ。俺たちの目標は、ヴォダの完全支配。あの時のヴォダは俺たちが支配していたわけじゃねェ。ほとんどは近衛騎士だったァ」
「ーーーー」
「……話を戻すがァ、あの時、女が襲われてるのを見つけたんだァ、だからファミリーの一人が助けてやったァ。それを見つけた近衛騎士が、俺の部下を殺したァ。上には、トールファミリーの一人が女を襲っていた、と報告されていたらしいィ」
「じゃあ、その女を襲っていたのは……」
「もちろん近衛騎士だったなァ。しかもだ、奴らは口封じのために、その女を暗殺したァ」
マルカスは鳥肌が立った。こいつを信じるとなると、今まで知らされていたトール海兵隊の悪行は、全て近衛騎士団の濡れ衣……。騎士として、最も恥ずべき行為だ。あり得ない。
「……あり得ない、そう思っただろうゥ。けどなァ、これが現実だァ。お前が今までどんな世界を見てきたかは知らんがなァ、世の中そう綺麗に事が進むなんてあり得ないィ」
だから俺は騎士が嫌いなんだ、不意に耳に聞こえた。トール・ロイが喋ったんじゃない。彼を信じようと決意したから聞こえた心の声。
「それでェ、辺境防衛騎士団? とやらのお前ェ、これでも王国側に付くのかァ?」
マルカスは寒気がした。筋肉が強張って動こうとしない。彼が迫ってきた選択は、分からなくなっていたからだ。
「俺は……俺は……」
「聖輝の八賢はァ、落ちたァ」
「?!」
「奴らは目先の報酬欲しさにィトイランに落ちたァ。まァ、裏切られて殺されたらしいけどなァ。ざまァねェなァ」
ニヤリと笑うトール・ロイとは反対に、マルカスは嫌な汗をかいていた。
そもそもなぜアライブはここに来させたのか、あいつはここにトール・ロイがいることを知っていた、のか。
「俺は」
震える声はしかし力を失わなかった。
「トール・ロイと契約を結ぶ」
「俺ァまだ何にも言ってねェが?」
「はっ、あと何年ここにいるつもりだ? それに俺たちとお前の利害は一致した。ヴォダを守り抜く。人手が足りねぇ」
トール・ロイはククッと肩を揺らした。
「お前ァ、いい奴そうだァ、けど、いつかお前たちと対立する時が来る。それでもォいいのかァ?」
それは、ヴォダの完全支配を最終目標にあげたトール・ロイと、王国の完全復活を最終目標にあげた辺境防衛騎士団との少しの差。それがいずれこの二つの軍隊を分かつ理由になると。
「……構わない。負けちまったら元の子もねぇ。俺たちには強い力がいるんだ」
「決まりだァ。そうとなれば……」
トール・ロイは不意に手に力を込め始めた。剣の突き刺さった手のひらから血が滴り落ちる。骨と肉が音を立てて千切られていく。
「お、おい、剣なら俺が抜くって」
そう言ってマルカスは突き刺さった剣を引き抜こうと指を触れた瞬間、手が凄まじい強さで弾き返された。
「やめとけェ、こいつはただの剣じゃねェ……対異能者用の魔法をかけてある魔剣だァ。その辺の野郎じゃ無理だァ」
そう言うと、トール・ロイは手を引き千切るように真下に避けた。ぱっくりと口を開けた傷口からボタボタと落ちる血が生々しい。だのにトール・ロイは一つも痛がる様子が無い。続けて身体の真ん中に刺さっている大剣から身体を引き千切るように横に力を加え始めているほどに。
マルカスは絶句していた。ここまで傷を負うことに抵抗が無いなんてあり得ない。それとも悪魔の能力のせいで完全に神経がいかれたか。
もはや人間の域を超えた目の前の怪物は、いとも簡単にその縛りを抜け出してしまった。身体から溢れ出る血は無いものとして。
「安心しろォ、痛くはねェ……」
むしろ見ているこっちが痛くなるようなその傷は、トール・ロイが力を込めた瞬間、みるみるうちに塞がっていった。
「これが、不死身の能力……」
塞がっていった傷口は、綺麗に治っており、その跡さえ分からなかった。
「まァ、これだけの事だァ、誰かを助けられるわけじゃねェ、これは自己中な俺に向いている能力なんだァ」
そう言いながらトール・ロイはゆっくりと立ち上がった。初めて見た時から大柄な男だとは思っていたが、立ち上がると更に大きく見えた。
「あァ、久しぶりの外かァ……」
その時のトール・ロイの眼はどうしても忘れられなかった。どこか寂しがるような、そんな遠い目をしていた。
覚束ない足取りで出口へ向かうトール・ロイの後ろをついて行く。この道がどれだけ外れているか分かった事ではない。大罪人を助け出し、更に匿おうなんて事をしている。
「改めて自己紹介しておくが、俺は辺境防衛騎士団団員マルカスだ。お前のことなんて呼べば良いんだ?」
「そうだなァ……トロイ、なんてのはァどうだ?」
「トロイ……ね、話すのもとろいってか」
「けっ、一本取られたなァ」
地下空間に響く笑い声は、今の状況を忘れさせるほど楽しい時間で、それが続けば良いのにと、どれだけ願ったことだろうか。




