第32話「鬼神マルカス」
「マルカス! 止まれ!」
聴き覚えのある声だった。
マルカスは声の聞こえた左方向をチラリと見た。そこには、全力で叫ぶアライブの姿があった。
「ダメだ! 止まれ! じゃなきゃお前の身体が壊れる!」
アライブは必死に叫んでいた。
(ダメだ。ここで止まるとみんなが殺されちまう。俺がやらなきゃ……俺がやるんだ!)
マルカスはアライブの制止を無視して敵陣に飛び込んだ。一斉に敵に囲まれ、見えなくなったと思った瞬間、真っ赤な血飛沫と共に、マルカスの姿が見えた。顔には笑顔が張り付いていた。
「あは……あははは……」
光の無い目で、血の海の中で笑うマルカスは、まさに悪魔。狂気だった。
「もっと……もっともっともっともっと!」
マルカスは真顔に戻った。
「血が欲しい」
再びニヤリと笑うと、凄まじい速さで剣を振るった。もはや人では無かった。
身体はボロボロだった。肋骨は三本は折れているはずだ。左肩は外れて、入れ直したが、炎症を起こして焼けるように痛い。全身の細胞が悲鳴を上げていた。
(そんな事は分かってる)
殺すか殺されるかの世界で、情なんか邪魔だ。感情もくれてやる。だからよ、精霊様。俺を導いてくれよ。俺は嫌われたって構わない。俺の仲間が、守りたい仲間が笑顔で過ごせる世界があるなら、俺は俺を犠牲にしてやる。
「やってやろうぜ精霊様よ!」
マルカスは青白く光る剣を空にかざした。すると、剣の色が赤色に変わっていった。
「短剣のリーチじゃ、届かないかな?」
マルカスは、空にかざした剣を振り下ろした。その剣の先が一瞬、歪んで見えた。
その瞬間、轟音と土煙を上げて、空気を切り裂くように剣から真っ赤な光が放たれた。
光は瞬く間に向かいの山まで飛んでいき、山の真ん中に大きな穴を開けた。
マルカスが、月がもう半分しか出ていない事に気が付いたのは、この時だった。
*
血の匂いと轟音を頼りに大通りまでやってきたエルとアオは、血塗れになった通りを呆然と見ていた。
地面には無数の死骸。胸、背中、首、腹。死に方は様々だったが、誰かに斬られたような傷だった。
「これは……酷い有様ね……」
エルは震えるアオを抱き上げ、静かに歩き出した。血の飛び方が、向こうを示していた。
「え、エルねぇちゃん。やっぱり怖いよ……」
腕の中で、ブルブルと震え、顔を埋めるアオ。
「じゃあ、ライセングのところに戻る?」
と、エルが聞くと、アオはしばらく黙って考えていたが、首を横に振った。
「ライとは男の約束をしたんだ。絶対ボスを倒して帰ってくるんだって」
「うん」
「だからね。僕は弱い子じゃないよ」
アオはエルの腕から飛び降りると、鼻をすすって、歩き出した。
「アオ……?」
「大丈夫だよ、エルねぇちゃん。僕強い子だから」
アオは、アカと二人きりで路地を彷徨っていた時を思い出していた。
親は知らない。気が付いた時にはもう二人だった。埃や泥に塗れ、薄汚れた獣人に手を差し伸べる人は居なかった。ずっと寂しかった。店の裏のゴミ箱を漁って残飯を食べた。もともと身体能力は高かったから、アカと二人で盗みもした。生きるためならなんだってやった。二人だけの孤独だった……。
そんなある日、いつもの様に盗みを働いていると、アカが突然倒れたのだ。足には小さな針が刺さっていた。神経を麻痺させる薬草の匂いがした。そうこうしているうちに、店の人がやってきた。僕らを何度も何度も蹴って殴って、怖かった。痛かった。人間の冷たさが心を蝕んだ。
それから僕らは気を失った。気がつくと見知らぬ部屋に居た。また人間の仕業かと思って怖かった。その時、おねーちゃんが微かに目を開けて、アオは強い子だから大丈夫、って何度も言ってくれた。それだけが頼りだった。
「そうだよ、おねーちゃん。僕は強い子なんだ」
アオは、心配そうにするエルを置いて走り出した。今は何もかもが自分の味方をしてくれそうな気分だった。
アオは、クウォーテの首飾りに手を掛けた。
「待って、アオ!」
エルは手を伸ばしたが、エルの手が掴んだのは空気だった。
「ウオオォォォォン!」
真っ青な毛をした青い狐の咆哮が、喧騒の街を包み込んだ。
*
最高に楽しい。
自分の歩いた道の後ろには人が倒れている。濃い血の匂いだ。身体が血を欲している。
(そうだ、いい方法がある)
マルカスは大通りの横に建つ高い建物の壁に張り付くと、剣で建物を切り始めた。
切られた建物は大きな音を立てて、道にいる敵を次々に潰していった。
「あーあぁ、人の命なんてこんなちっぽけなんて……。笑いも込み上げないよ」
マルカスは、両手の力を抜いて遊ばせた。そして、正面を向きなおした。
「やっと会えたね。裏切り者のリベン……」
大通りの端、大きな噴水があるところ。その噴水の一番上に、リベンと呼ばれた男が居た。
「裏切り者? 人聞きの悪い。俺はトイラン王国森の五賢、アスドだ。リベンなどという男は知らん」
「何言ってんだよ。お前は俺たちを裏切った」
アスドは首を振った。
「僕はそもそもスパイだ。それにすら気が付かなかった君達の弱さを思い知ったよ。仲間がどうした? 親も居ない下民の集まりが、貴族である俺様に勝てるとでも思っているのか? 笑わせる」
アスドは噴水から飛び降り、両手を下に広げて、歩いてきた。
「ほら、血が好きなら斬ってみなよ」
アスドの口元がニヤリと笑った。
「どうせ出来ないだろうけどね」
マルカスは足の筋肉が出せる最大限の力で地面を蹴った。アスドの左横腹を狙って低姿勢で飛び出した。風より風になった気分だった。
しかし、アスドはマルカスの攻撃をかわすと、凄まじい早さでマルカスの後ろ頭に踵落としをした。マルカスは顔面から地面に叩き落とされた。一瞬意識が飛んだ。
「おいおい、それが本気なんて言わないでくれよ? がっかりだぜ……神に選ばれし子供マルカス」
マルカスはアスドが喋りきる前に動き出した。
今度は低姿勢から短剣を正面に突き出し、太腿を狙った。
「残念、リーチの差で勝てるなんて夢見てた?」
アスドはマルカスの剣先を片手で止め、手前に引くと、マルカスの腹に膝蹴りを入れた。
「うぐっ……」
一瞬息が詰まってまた意識が飛びそうになった。マルカスは必死に立ち上がった。
「おいおい、まじかよ。膝震えてんじゃん」
マルカスは、何も考えていなかった。ただ、目の前の敵を殺してやりたい。その一心だった。
「うるせぇ……」
マルカスは完全に折れた肋骨を気にせず、突っ込んだ。
「食らいやがれ、クソ野郎!」
青白く光った短剣を横に振った。剣は空気を切るように滑らかに動くと、その剣先から青白い斬撃を飛ばした。
マルカスは、真正面から攻撃を食らったアスドを見て笑った。
「大したことないな……」
マルカスはそのまま地面に転がって動かなくなった……。




