1 朱柱
「どうしてこんなことに……」
寝台の上で虫のように丸まりながら、私はうめいていた。
すでに太陽は高々とあがっており、丹塗りの柱を明るく照らしている。
朝の挨拶と称して、起きて出てこいと暗に威圧していた女官も数日前から現れなくなった。
ふて寝しつづけても何の解決にもならないとわかっている。しかし、頭のなかはぐるぐると思考が空回りしている。
「しかも側室なんて最悪!」
拳をたたきつけると、枕は、ぼふんと間抜けな音を立てた。
* * *
西清香は、人生を賭ける日に臨んでいた。
科挙の第一次選考を受けるのである。
清香を指導する老師は、一次選考の解試について合格間違いなしと太鼓判を押してくれた。しかし、清香は、受験に絶対はないということを知っている。神童と噂された人物が五度落ちて精神に不調を来したなどという話が私塾内の「怪談」として、いくつも語り継がれているからである。
実際に、倍率は非常に高い。これを喩えて、「合格者は砂漠の中の砂金のごとし」といわれる。どこまでも続く砂丘を想像するだけで、清香の顔はこわばり、肩に力が入った。
もっとも、解試の問題だけをみるのであれば、難易度はそれほど高くないというのも、また事実である。
解試では、国史、地政、統治機構など公教育で習得できる基礎的な知識を問われる。私塾へ通っていないとしても、まったく歯が立たないというわけではない。
そのため、冗談半分や思い出作りで受ける者も多くいる。倍率は水増しされたものといえよう。
だが、仮にこのことを清香に指摘したところで、おそらく何の慰めにもならなかっただろう。清香の目標は官吏になることであり、受験すること自体が目的ではないからだ。
科挙の一次選考である解試は、内容は概ね平易だが、及第するには満点近くを獲得しなければならない。範囲が広いだけに、九割以上を得点するには相応の努力を要する。
そして、二次選考の省試は難問が多く、生半可な秀才は振り落とされる。最終選考である殿試を含めれば、まさしく難関といわざるをえない。解試の問題が簡単だったところで、状況は何も変わらないのだ。
清香は、官吏になると心に決めた七歳のときから、難関を突破するため、一日の半分を勉強に費やした。
一時「三当五落」という格言を真に受けて睡眠時間を三時間に減らしてみたが、かえって効率が悪く、暗記量が目に見えて落ちた。それからというもの、清香は睡眠を八時間と定め、生活に必要なあれこれを三時間以内に済まし、十二時間以上勉強できるよう調整した。
しかし、毎日十二時間以上勉強したといっても、すべてを机の前で過ごせたわけではない。
清香は四年前に父を亡くしたため、母が働きに出て二人の家計を支えている。そのため、炊事や掃除などの家事を清香が担うことになった。
服を洗いながら官制の語呂合わせをぶつぶつとつぶやいたり、買出しで見かけた食材の産地から地理の知識を整理したりするなど、家事と勉強を結びつける様々な工夫を凝らした清香だったが、もっと勉強できたのではないかとの悔いが生じる。
清香は、ひとつ深呼吸をして、気を引き締めた。
そうしてから、手に力を入れすぎて白くなっていることに気付き、音を立てずに苦笑した。
清香がここまで緊張しているのには、ある理由がある。
これが最初で最後の受験なのだ。
史書と経典をなめるように読み込み、歌のように暗唱し、昨日の夕餉の内容を聞かれたときと同じような調子で説明できるまで勉強した清香であっても、たった一度の受験で難関を突破できるかというと、心もとない。
清香の十八歳という年齢を考えれば、浪人して再度受験してもよいはずである。だが、家庭の事情というものが、それを許さなかった。
落ちたら、縁談を受けると親族に約束したのだ。
開始の合図として鐘が鳴るのを待つ間、清香は、もう耐えきれないといった様子で目をつむった。