『お義母さんは元アイドル』
今回は、ホームコメディ作品として『お義母さんは元アイドル』をお届けします。
普通の家族のもとに、突然やって来た新しいお義母さん。
しかもその正体は、かつて国民的人気を誇った元アイドル。
近所にバレないように必死な家族と、普通の生活に慣れようと頑張る元アイドルのお義母さん。
少しドタバタで、少し温かくて、最後には家族っていいなと思えるようなお話を目指しました。
気軽に楽しんでいただけたら嬉しいです。
うちの父さんが再婚する。
その話を聞いたとき、僕――高野直人は、正直そこまで驚かなかった。
母さんが亡くなってから七年。父さんはずっと男手ひとつで僕と妹の美羽を育ててくれた。洗濯物の畳み方は雑だし、味噌汁は三日に一回しょっぱくなるし、学校の提出物は必ず前日の夜に思い出すような人だったけれど、それでも父さんなりに必死だったことは分かっている。
だから、父さんに新しい相手ができたと聞いたとき、僕は内心ほっとした。
ようやく父さんも、自分の人生を考えられるようになったんだな、と。
ただし。
問題は、その再婚相手である。
「紹介する。今日からこの家で一緒に暮らすことになった、白鳥瑠璃さんだ」
日曜の午後三時。
リビングに現れたその人を見た瞬間、僕は持っていた麦茶のコップを落としそうになった。
白いブラウスに、紺色のロングスカート。長い髪を後ろでゆるく結び、控えめに笑っている。確かに綺麗な人だった。年齢は父さんより少し若いくらいだろうか。落ち着いた雰囲気で、いかにも「優しそうなお母さん」という感じがした。
でも、僕の頭の中では別の映像が流れていた。
巨大なステージ。
まぶしいライト。
何万人もの観客。
ピンクの衣装で歌って踊る、伝説の国民的アイドル。
「……え?」
僕の隣で、美羽が固まっていた。
美羽は小学校六年生だ。今どきの子らしく、昔のアイドルには詳しくないはずなのに、テレビの懐かし特番で何度も見た顔はさすがに分かったらしい。
「お父さん」
僕は父さんを見た。
「この人って……」
父さんは妙に照れた顔で頬をかいた。
「うん。昔、アイドルをされていた」
「されていた、じゃないでしょ!」
僕と美羽の声が重なった。
父さんの再婚相手は、ただの元アイドルではなかった。
白鳥瑠璃。
かつて芸名『星乃ルリカ』として、国民的アイドルグループ『キャンディ・プラネット』のセンターを務めていた人物。
引退してから十年以上経っているのに、今でもテレビで「あの人は今」「伝説のアイドル特集」「平成を彩った歌姫」なんて企画があれば必ず名前が出る。
そんな人が。
なぜか今。
うちのリビングに立っている。
そして父さんの横で、少し緊張した顔をしながら言った。
「今日から、よろしくお願いします」
その声を聞いた瞬間、美羽が小さく震えた。
「本物だ……」
僕も同じ気持ちだった。
テレビの中の人が、うちに来た。
しかも。
お義母さんとして。
その日から、高野家の普通すぎる日常は、少しだけ、いや、かなり騒がしくなった。
まず最初の問題は、近所にバレないようにすることだった。
父さんは真剣な顔で家族会議を開いた。
「いいか。瑠璃さんはもう芸能界を引退している。静かに暮らしたいという希望がある。だから、この家では普通の家族として接すること」
「普通の家族って言われても……」
僕はソファに座りながら、ちらりと瑠璃さんを見た。
瑠璃さんはエプロンをつけ、なぜか背筋をぴんと伸ばして座っていた。
「すみません。私、普通の家庭生活にあまり慣れていなくて……」
「普通の家庭生活って、たとえば?」
美羽が興味津々で聞く。
瑠璃さんは少し考えてから、真面目に答えた。
「スーパーで自分で大根を選んだことがありません」
「そこから!?」
美羽が叫んだ。
父さんは咳払いをした。
「これから覚えればいい。大丈夫だ。うちは普通の家だから」
その言葉の直後、瑠璃さんのスマホが震えた。
画面を見た瑠璃さんは、困った顔で言った。
「すみません。昔のプロデューサーさんからです。『復帰しないか』って、まだ時々連絡が……」
「普通の家じゃないじゃん!」
僕は思わずツッコんだ。
翌朝。
瑠璃さんとの初めての朝食は、なかなか衝撃的だった。
食卓には、焼き魚、味噌汁、卵焼き、ほうれん草のおひたし、炊きたてのご飯が並んでいた。
「すごい……」
僕は感動した。
父さんの朝食といえば、焦げたトーストか、冷凍ご飯を温めすぎてカチカチにした謎の物体だった。それに比べれば、これは旅館の朝食である。
美羽も目を輝かせた。
「お義母さん、料理できるんだ!」
瑠璃さんは嬉しそうに微笑んだ。
「昔、番組の企画で少し習ったんです。家庭的なアイドルを目指そうって」
「企画でここまでできるのすごいですね」
僕がそう言うと、瑠璃さんは少し照れたように笑った。
その笑顔が、あまりにもテレビで見た星乃ルリカそのもので、僕は危うく箸を落としかけた。
問題は、その後だった。
「じゃあ、美羽ちゃん。今日の学校、頑張ってね」
瑠璃さんは玄関で美羽を見送るとき、自然な動作で両手を胸の前に持っていった。
そして。
「いってらっしゃいっ。今日も一日、きらきらルリカパワー!」
決めポーズをした。
美羽が玄関で固まった。
僕も固まった。
父さんだけが、なぜか幸せそうにうなずいていた。
「懐かしいな」
「父さん、そこじゃない」
美羽は真っ赤な顔で叫んだ。
「お義母さん! それ、絶対外でやらないで! 学校でやったら私、明日から通えない!」
「えっ? 普通のお見送りって、こうじゃないんですか?」
「どこの普通!?」
瑠璃さんは本気で驚いていた。
どうやら彼女の中の「普通」は、かなり芸能界寄りらしい。
それから数日、我が家では「普通の生活講座」が始まった。
講師は僕と美羽。
生徒は元国民的アイドル、白鳥瑠璃さん。
「まず、ゴミ出しのときにサングラスと帽子とマスクを全部つけると逆に怪しいです」
「でも、顔が見えたら……」
「この町内でそこまで完全武装してる人の方が目立ちます」
「なるほど……自然体ですね」
「あと、スーパーで野菜を選ぶときに、カメラ目線でコメントしないでください」
「えっ」
「『このトマト、太陽をいっぱい浴びてますね』とか言わなくていいです」
「でも、感想を言った方が……」
「ロケじゃないので」
瑠璃さんは真剣にメモを取っていた。
ノートの表紙には、可愛い文字で『普通の主婦になるためのレッスン』と書かれている。
それを見た父さんは、感動していた。
「瑠璃さんは努力家だなあ」
「父さん、甘いよ」
僕は呆れた。
けれど、瑠璃さんは本当に一生懸命だった。
朝は早起きして弁当を作る。
洗濯物の干し方を覚える。
近所の人に会ったら、控えめに挨拶する。
町内会の回覧板を隣に持っていく。
どれも僕たちにとっては当たり前のことなのに、瑠璃さんにとっては新しいステージだった。
ある日、瑠璃さんは初めて一人でスーパーに行くことになった。
僕は学校帰りに駅前のスーパーへ寄った。特に用事はなかったけれど、なんとなく心配だったのだ。
そして案の定、見つけてしまった。
野菜売り場の前で、瑠璃さんが大根を二本持って悩んでいる。
「こっちの子は白くて綺麗……でも、こっちの子は葉っぱが元気……」
大根を「子」と呼んでいた。
僕はそっと近づいた。
「瑠璃さん」
「あ、直人くん」
「大丈夫ですか?」
「はい。ただ、どちらを選べばいいのか分からなくて」
「太くて重い方でいいと思います」
「重い方……なるほど。センターに立てる大根ですね」
「大根にセンター制度はありません」
その瞬間、近くにいたおばさんがこちらをじっと見た。
僕は冷や汗をかいた。
瑠璃さんも気づいたのか、慌てて帽子を深くかぶる。
しかし、そのおばさんは首をかしげた。
「あら? あなた、どこかで……」
僕の心臓が跳ねた。
終わった。
ついにバレる。
ところが、おばさんはぽんと手を叩いた。
「高野さんの新しい奥さんね!」
瑠璃さんはぱっと笑顔になった。
「はい。白鳥瑠璃です。よろしくお願いします」
「あらまあ、綺麗な人ねえ。モデルさんみたい」
「い、いえ、そんな……」
おばさんはにこにこしながら言った。
「今度、町内の清掃活動にも来てね。若い人が来てくれると助かるわ」
「はい。ぜひ参加します」
おばさんが去っていくと、瑠璃さんは小さく息を吐いた。
「……普通に挨拶できました」
「できてました」
「私、今、少しだけ普通の奥さんみたいでしたか?」
その言葉に、僕は少しだけ返事に困った。
元国民的アイドルが大根を持って、スーパーで近所のおばさんに頭を下げている。
どう考えても普通ではない。
でも。
「はい。うちのお義母さんっぽかったです」
そう答えると、瑠璃さんは本当に嬉しそうに笑った。
それから、高野家は少しずつ変わっていった。
父さんは以前より早く帰ってくるようになった。
美羽は学校であったことを食卓でよく話すようになった。
僕は、帰宅したときにリビングから明かりが漏れていることに安心するようになった。
ただし、騒動がなくなったわけではない。
町内清掃では、瑠璃さんが掃除用の軍手をつけているだけなのに、なぜかキラキラして見えた。
ラジオ体操では、動きが完璧すぎて周囲のお年寄りたちから拍手された。
スーパーの特売では、店員に「タイムセール開始です」と言われた瞬間、昔のステージ感覚がよみがえったのか、なぜか一番前に飛び出してしまった。
美羽の授業参観では、地味な服を着て行ったはずなのに、教室の後ろで立っているだけで保護者たちがざわついた。
「お義母さん、存在感を消して!」
「消してるつもりなんです!」
「全然消えてない!」
そんな日々が続いたある日のこと。
事件は、町内夏祭りで起きた。
小さな公園で開かれる、地域の夏祭り。
焼きそば、かき氷、ヨーヨー釣り。
派手ではないけれど、子どもたちにとっては楽しみな行事だった。
父さんは町内会の手伝いに駆り出され、僕も屋台の準備を手伝うことになった。美羽は友達と浴衣で歩き回っている。
瑠璃さんは、焼きとうもろこしの係だった。
ここまでは平和だった。
ところが、祭りの途中で音響トラブルが起きた。
予定されていた地元の小学生合唱が、マイクの不具合でうまくできなくなったのだ。
子どもたちは不安そうにしている。
観客もざわざわしている。
町内会長が困った顔で言った。
「どうしたもんかねえ……」
そのとき。
瑠璃さんが一歩前に出た。
「少しだけ、場をつなぎましょうか」
僕は嫌な予感がした。
「瑠璃さん?」
彼女は僕を見る。
その表情は、家で洗濯物を畳んでいるお義母さんではなかった。
かつて何万人もの観客の前に立っていた、星乃ルリカの顔だった。
「大丈夫。派手にはしません」
そう言って、瑠璃さんはマイクのないステージに立った。
夕暮れの公園。
提灯の灯り。
ざわめく近所の人たち。
瑠璃さんは軽く息を吸うと、手拍子を始めた。
「皆さん、子どもたちの準備が整うまで、少しだけ一緒に手拍子をお願いします」
声が通った。
マイクなんてなくても、公園中に届く声だった。
子どもたちが顔を上げる。
お年寄りたちが手を叩き始める。
やがて瑠璃さんは、誰もが知っている古い童謡を歌い出した。
それはアイドルソングではなかった。
派手な振り付けもなかった。
ただ、優しくて、明るくて、不思議と胸が温かくなる歌声だった。
いつの間にか、会場全体が一緒に歌っていた。
美羽も。
父さんも。
僕も。
歌い終わった瞬間、大きな拍手が起きた。
その中で、誰かが小さく言った。
「今の人、もしかして……」
僕は息を呑んだ。
ついにバレた。
しかし、次に聞こえた声は、予想外だった。
「高野さんの奥さん、歌うまいわねえ!」
「昔、合唱でもやってたのかしら」
「いやあ、いい声だったねえ」
誰も、星乃ルリカだとは言わなかった。
気づいていないのか。
気づいていて、言わないのか。
それは分からなかった。
けれど、瑠璃さんはステージの上で深々と頭を下げた。
その姿は、少しだけ震えていた。
祭りの帰り道。
僕たちは家族四人で歩いていた。
美羽が瑠璃さんの手を握りながら言った。
「お義母さん、今日の歌、すごかった」
「ありがとう」
「でも、ちょっとだけ怖かった。バレちゃうかと思った」
「ごめんなさい」
「でもね」
美羽は少し照れたように続けた。
「私、ちょっと自慢したくなった。うちのお義母さん、すごいんだよって」
瑠璃さんは驚いた顔をした。
父さんは黙って笑っていた。
僕は空を見上げた。
夏の夜空に、祭りの提灯の明かりが揺れている。
「僕も、そう思いました」
僕がそう言うと、瑠璃さんはゆっくりこちらを見た。
「直人くん……」
「もちろん、学校でバラしたりはしません。でも、隠すだけじゃなくていいのかなって。瑠璃さんは瑠璃さんで、星乃ルリカだったことも含めて、今はうちの家族なんだし」
瑠璃さんはしばらく何も言わなかった。
それから、小さく笑った。
「ありがとう。私、この家に来るまでずっと不安だったんです」
「不安?」
「アイドルだった私じゃなくなったら、何が残るんだろうって。普通の妻にも、普通の母親にもなれないかもしれないって」
父さんが静かに言った。
「普通じゃなくてもいいんだよ」
瑠璃さんは父さんを見る。
父さんは少し照れながら続けた。
「瑠璃さんが来てくれて、この家は明るくなった。僕はそれだけで十分だ」
「お父さん……」
美羽がにやにやした。
「今の、ちょっとドラマみたい」
「美羽」
父さんが真っ赤になる。
僕も笑った。
瑠璃さんも笑った。
そして、家に帰ると、いつものリビングが待っていた。
少し散らかったテーブル。
洗濯物の山。
冷蔵庫に貼られた学校のプリント。
明日の弁当の下ごしらえ。
どこにでもある普通の家。
でも、そこに元国民的アイドルのお義母さんがいる。
翌朝。
僕が玄関で靴を履いていると、瑠璃さんが見送りに来た。
「直人くん、いってらっしゃい」
「行ってきます」
そこで瑠璃さんは一瞬だけ迷った。
たぶん、あの決めポーズをするかどうか迷っている。
僕はため息をついた。
「……家の中だけなら、いいですよ」
「えっ?」
「きらきらルリカパワー」
僕が小さく言うと、瑠璃さんの顔がぱっと明るくなった。
「はい!」
そして彼女は、玄関で控えめに両手を胸の前に持っていった。
「いってらっしゃい。今日も一日、きらきらルリカパワー」
昔より少し小さな声。
でも、確かに元アイドルの輝きがある声。
僕は苦笑しながら玄関を出た。
外に出ると、隣のおばさんが庭に水をまいていた。
「あら、直人くん。おはよう」
「おはようございます」
「新しいお母さん、いい人ねえ。昨日のお祭りでも大活躍だったじゃない」
「はい」
僕は少しだけ胸を張った。
「うちのお義母さんなので」
そう言って歩き出す。
背後の家からは、美羽の声が聞こえた。
「お義母さん! 私の給食袋知らない!?」
「えっ、給食袋って毎日必要なんですか!?」
「必要だよ!」
「ああっ、普通の生活、難しいです!」
その声に、父さんの笑い声が重なる。
僕は思わず吹き出した。
やっぱり、うちは普通じゃない。
父さんの再婚相手は元国民的アイドルで、近所にバレないように毎日ひやひやして、本人は普通の生活に慣れようとしているのに、なぜか毎回ちょっとした騒動を起こす。
でも。
帰れば明かりがついている。
食卓には誰かがいる。
くだらないことで笑える。
それだけで、家族としては十分なのかもしれない。
お義母さんは元アイドル。
そして今は、僕たちの家族だ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
『お義母さんは元アイドル』、いかがでしたでしょうか。
元国民的アイドルが普通の家庭に入り、家族として新しい生活を始めるという、少し変わったホームコメディでした。
近所にバレそうでバレない緊張感や、普通の生活に慣れないお義母さんの可愛らしさ、そして新しい家族として少しずつ距離が縮まっていく温かさを楽しんでいただけていたら嬉しいです。
人気が出たら続編として、町内会編や学校行事編、さらに芸能界旧友来訪編なども書いてみたいと思っています。
評価、感想、ブックマークなどで応援していただけると、とても励みになります。
また次のお話でお会いできたら嬉しいです。




