1.世界最後の日
満員電車の中、数駅は開かない扉側に押し付けられていた。昨日もそうだったし、きっと明日もそうなんだろう。
神森栞は昔から、どこにも属せない人間だと自覚していた。
学生時代はいわゆる優等生で、成績も良かった。それを盾にして普通の振りができていた。ただ、人付き合いが上手くいかず、気遣いというものも下手だった。世間では普通とされる振る舞いは、とてつもなく難易度の高いものだった。
興味のあることはいくらでも調べられるし、覚えていられる。好きな映画を繰り返し観ることや、好きな音楽を繰り返し聴くこと、好きな本を繰り返し読むことが何よりの癒しだった。
逆に、興味のないことをするのには尋常ではない気合いが必要だった。覚悟と呼んでもいいのかもしれない。目が覚めてベッドから降りるまで。着替えなり化粧なりの出かける支度を済ませるまで。家を出て駅に向かうまで。電車に乗って会社に辿り着くまで。それで気力を使い果たしてしまうのだから、上手く仕事を捌けるはずもない。業務内容が合わないのも理由の一つだろうが、転職を考えることも億劫だった。不愉快な満員電車に体を潰されながら、もしも過去に戻れるのならと空想するのが日課だった。同級生が結婚したり子供を産んでいる横で、26歳になってこんな空想に縋る自分が、惨めで仕方がなかった。
自分よりもずっと苦しんでいる人がいることなど、誰に言われなくても理解している。両親には大学卒業まで面倒を見てもらったし、大したいじめは受けてこなかった。貯金は無いが、今すぐに飢えて死ぬほど困っているわけでもない。自分は恵まれている。それでも漠然と、消えてしまいたいと思い続けてきた。かといって状況を大きく変える能力も無いから、換気を忘れた地下室のような澱んだ毎日を繰り返している。
未来の見えない自分の生に、何の意味があるのだろうか。このまま死んで、人生のやり直しが始まればいいのに。たとえば隕石が降ってきて、それから。
ふと窓の外に視線を投げる。変わり映えのしない景色が高速で流れていく。
「いや」
違う。遠くで煙がもうもうと上がっている。周囲の乗客達も気が付いたようで、電車内がざわめきだした。緊急停車の自動音声が鳴り、甲高い金属音を立てて電車が止まる。
『きっ、緊急停車失礼いたしました。当電車は、都内で発生した事故により、停車いたしました。案内があるまでお客様は落ち着いて――』
車掌のアナウンスが告げる。内容に反して、乗客達は慌てた様子を隠さない。
「映画の撮影じゃないよね?」
「火事かな」
「爆発かもしれない」
「ねえ、こっちに向かってきてない……?」
栞は車窓の光景に目を奪われていた。誰かが呟いたように、煙と轟音は少しずつ近づいてきている。途端、車両内は悲鳴と怒号で満たされた。身動きの取れない中、他の誰かが緊急レバーを引いたのだろう。限界まで詰め込まれた乗客が外へと雪崩れ出ていったのが背後の気配でわかった。避難を呼びかける声は確かに聞こえたが、栞はその場から動けないでいた。
車両が大きく揺れて、栞はその場に倒れ込む。何両か離れた車両が爆発に巻き込まれたらしい。咄嗟に顔を庇った腕に瓦礫が降り注ぐ。鞄が吹き飛ばされた。会社への連絡をどうしようと考えている自分に気付いて、ふっと乾いた笑いが漏れる。
揺れが収まってから立ち上がる。辺りは一面焼け野原になっていた。ここは住宅街だったはずだが、家という家が潰されて見る影もない。
「あっれー。キミ、逃げないの?」
頭上から声が降る。顔を向けると、穴の空いた天井から人間が浮いているのが見えた。
「ひっ……」
ようやく栞は驚きを取り戻す。一歩後退った栞の目の前へ、その人物は着地した。巨大な鉈を背負った、高校生くらいの小柄な少女だった。
「んんー……?」
少女はずいと顔を寄せてくる。長い金髪が栞の顔を掠めた。
「あ、あの……」
「……なーんだ。キミ、素質ある人なんじゃん!」
人懐こい笑みを浮かべた少女が、姿勢を戻して耳に手を当てた。インカムのようなものでどこかと通信しているらしい。
「うん、そう。いい感じの人だよ、真面目そうだし。……えーっ、だっていいと思ったんだもん。とりあえず核は壊したし、一旦連れてくね。あとは人事課に任せる!」
終始明るい声色で話し終えた少女は栞に向き直る。
「ごめんねー、一応報連相ってしなきゃなんないからさー」
悪びれた様子なく少女が言う。戸惑うことしかできないでいる栞に、少女は納得したように頷いた。
「事情説明しなきゃわかんないよね。えっとまず、この世界は終わりです。壊れます!」
「えっ」
「だからこのままだとキミ消えちゃうのね。世界と一緒に。キミだけじゃない、世界中の全人類、全生物が消えちゃう」
栞には理解できなかった。言葉の意味は分かっても、内容が頭に入らない。すり抜けていく。
「消える前に、あたしと一緒に来てほしいんだ。痛いこととかはしないし安心して。これってスカウトだからさ」
「スカウトって……何の……?」
少女が大きく息を吸うのを、栞はただ見つめていた。
「ね。世界、滅ぼさない?」
少女は再び、にっこりと笑った。




