1945年6月日本の様子
さて太平洋を見たら日本とアメリカはにらみ合いの最中です。
世界は相も変わらずドンパチやっている。
日本に目を転じると、アメリカと同じく敵から離れているおかげで、爆撃も受けず、ひたすら戦力増強に苦労しているところである。
とは言え戦局全体を見渡すと、ほぼ動員可能な兵力を投入しているわりには費用対効果の悪い戦線が見えてきている。
中国大陸。
日本の何倍もの国土の割には、交通網も未整備なところ。
そこをとことこ歩いて。
一方で太平洋を挟んで対峙しているアメリカは日本より膨大な工業力を持つ国。
日本に返せばベテランの工員が、兵隊にとられたら、ただの歩兵で歩かされているだけみたいな例が、多くでてくるにあたり、さすがの政府も考えざるを得なくなって来ている。
戦線全体を再度構築し直し、基礎的な生産力を建て直す必要があるとなったのである。
当初、この戦局見直しは、陸軍から猛反発食らう。しかし、アメリカ軍と交戦した現実を知る現場の士官などからは、強く支持された。
というより、改革なしには陸軍は負ける!と危機感を持ってたからだ。
かくして段階的な大陸の兵力の縮小が計画されて少しずつ実施された。
そして優秀な工員の現場復帰は特に航空機生産の点で効果を発揮していく。
また大陸での費用削減は、陸軍内部でも機甲科の予算アップ、顧みられてなかった高射砲兵などの予算アップにつながった。
しかし、中国での利権を失った一部の陸軍将校がこの動きに反発、クーデターを画策したが、決行当日、動きを察知していた憲兵隊、近衛師団、海軍陸戦隊により即時に制圧される。
さらにこの捜査の過程でソ連のスパイ網も確認された。
彼らは、クーデターが成功したら、大陸の日本軍が混乱した隙に、日ソ中立条約を破棄して侵攻する計画を持っていたことが、判明する。
政府と陸海軍は、いかに日本が危険な時期にあるか理解した。
米ソを同時に相手どれない。
ソ連相手には、海軍力が優勢のため、最悪でも本土は守れるが、アメリカ相手にはどうにも!
ヨーロッパでドイツがまだ優勢なうちにソ連やアメリカに「負けない」体制を構築しなければならないとなったのである。
満州など最前線になりうる地域からは、民間人を撤収させたり、有事に備えた交通網の破壊工作の準備なども行われた。
航空機の現場では、イギリス軍のスエズ撤退に伴い活発になった技術支援でドイツの航空機技術、特に生産技術、品質管理面を大胆に導入したのである。
その成果には、当初の無理な設計から現場でクレームの多かった中島飛行機の「誉」エンジンが少しスケールアップし各部を改善したことから劇的に安定、更なるパワーアップできたこと。
液冷エンジンの「アツタ」や「ハ40」も性能が向上安定したことなど
さらにドイツの各種誘導弾や噴射式エンジンと機体の実機の日本への到着など。
様々な支援が来たのである!
ソ連がいつ裏切るかわかったもんじゃない。
大変な時期です




